廬山会議
廬山会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 09:49 UTC 版)
1959年7月から8月にかけて、大躍進政策と農村の人民公社化の是非を検討する廬山会議が開催された。この会議を前に、故郷である湖南省の農村視察を行った彭徳懐は、大躍進政策と人民公社化による経済疲弊に直面した。そのため会議期間中に毛沢東に対して上申書(私信)形式で上記政策の問題点を伝達し政策転換を求めた。この上申書では毛沢東の指導権は尊重することを明記しており、もとより政権奪取を狙ったものではなかった。 しかし毛沢東はこの書簡を自らの権力基盤に対する挑戦と受け止め、批語(批評)を加えた形で会議の参加者に配布し、討論の材料とした。当初他の党幹部から大きな反発は起きなかったが、毛沢東が後日の席上で厳しく論難を加え、会議の雰囲気は一変した。この毛沢東の裏切りともいえる行動に彭徳懐も会議の席で反駁したが、結果的に国防部長と中央軍事委員会委員の地位を解任された。この解任は後任の国防部長となった林彪の地位を高め、文化大革命へ向かう端緒ともなった。
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