崩落事故
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2003年9月11日、上倉工区で大規模な崩落が発生、坑内に土砂が流入し、直上の地表面が陥没した。最初に崩落があったのは3時5分で、その後、22時までに合計4回の崩落が発生した。崩落箇所は、起点側坑口から3,067 mの地点の切羽天端で、流入土砂により重機などが約500 m押し流された。地表部は直径190 m、深さ30 m、容積30,000 m3に渡って陥没した。
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崩落事故
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「出口川のカドミウム汚染」の記事における「崩落事故」の解説
モルタルと岩盤の劣化(風化)によって、崩落事故が起きている。崩落事故は、2005年、2008年、2011年、2016年、2018年にも起きている。内部の金属メッシュの劣化が進行していることも影響している。府中市7代市長の伊藤吉和の時代(2002 - 2014年)には崩落するたびに補修されていたが、2014年に8代市長戸成義則に代わって以後は補修されず、崩落するに任せる状況となっている。 2004年4月23日、重金属を含む岩盤が高さ約30メートル、幅約20メートルにわたって崩落しているのが発見された。広島県と市は、崩落した斜面をブルーシートで覆ったり崩落個所からの水を湧水処理場に引き込むなどの緊急措置を取った。岩盤も深さ2メートルほど崩れており、一部は出口川に繋がる支流にも落下した。岩石とモルタル計約150立方メートルが撤去され、崩落した斜面は修復された。水質検査では出口川のカドミウム、銅、亜鉛、ヒ素の含有量に異常は認められなかった。 2005年2月、200平方メートル、約540トンの岩石が崩落し、その処分費用だけで2000万円以上が必要とされた。崩落した岩石は、半年以上袋詰めで状態で現場に露天保管され、溶出するヒ素の濃度は国の環境基準の3.5倍であった。近郊での処分が検討されたが、引受先がないために九州の業者まで運ぶプランが検討された。市の現場検証では、コンクリート斜面に80か所の亀裂や剥離が発見された。府中市は市債と市一般財源を崩落の対策費に使用した。 2008年4月には、2005年の崩落現場の50メートル北側で崩落した。縦約20メートル、横10メートル、深さは最大で約2メートルに渡って崩落した(出典によっては斜面北側の高さ30メートル、幅20メートルが崩落としている)。オーバーハング状に遺留した岩盤1200立方メートルを取り除いた後に、枠型にモルタルを吹き付け防護壁を鉄筋棒で岩盤に固定した。再建された部分は、高さ10メートルの場所から44メートルまで、幅約20メートルの範囲となった。水質検査は問題なかったが、崩落した岩石からは微量のヒ素が検出された。この2008年の崩落では、崩落とその後の補修工事で1500トンの岩盤が取り除かれ、現場の斜面下の県道沿いに穴を掘って埋設された。また8500万円の費用が必要とされたが、翌年に事業費は5200万円に訂正された。2008年8月に工事が始まり、2009年3月終了を見込んだ。 2011年7月の崩落では、崖の上部、中央よりやや南寄りの部分が約3平方メートル程が剥離・落下し岩盤が露出した。周囲のモルタルにも亀裂が広がっており、府中市は2011年9月下旬より1200平方メートルのモルタルを斜面から撤去して吹付をやり直した。一連の事業費は2500万円が予算化された。 2016年10月にも斜面の崩落が確認されている。 2018年7月の平成30年7月豪雨で、崩落が起きている。 採石場のモルタル崩落日時と規模(被覆工事は1989年実施)年崩落した量崩落した面積費用特記事項2004年4月 150立法メートル 600平方メートル 不明 - 2005年2月 540トン 200平方メートル 処分費用だけで2000万円見積 コンクリート斜面に80か所の亀裂や剥離 2008年4月 1500トン 400または600平方メートル 5200万円 1500トンの岩石は現場埋設処理600平方メートル以上を再吹付 2011年7月 不明 3平方メートル 2500万円 1200平方メートルのモルタルを再吹付 2016年10月 不明 不明 補修せず 2014年に市長交代 2018年7月 不明 不明 補修せず 平成30年7月豪雨による
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崩落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 03:54 UTC 版)
2007年8月13日、北京時間16時45分ごろ、橋が完成し足場の撤去作業を始めたところ、橋が突然崩れた。現場には100名余り人がいたといわれる。8月18日現在、64名が犠牲となった。遺族には5万元の埋葬費が支払われた。 橋の崩落する一ヶ月以上前から、三本目の橋脚が沈下するという現象が見つかっていた。補強された後、引き続き工事が続けられた。あるメディアでは手抜き工事が原因と伝えられた。 橋の下には取水菅が通っていたため、橋の崩落により鳳凰県で8月14日の朝から水道が止められ、住民は不便を強いられることとなった。 この事故で建設会社の関係者2名が警察の監視下に置かれている。また工事資料、工事管理資料が警察によって差し押さえられた。
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