小林 (御所市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/06 10:41 UTC 版)
小林 | |
---|---|
北緯34度28分02秒 東経135度42分46秒 / 北緯34.46722度 東経135.71278度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 奈良県 |
市町村 | 御所市 |
人口 | |
• 合計 | 728人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 | 639-2311[2] |
市外局番 | 0745[3] |
ナンバープレート | 奈良 |
小林(こばやし)は、奈良県御所市の大字。郵便番号は639-2311[2]。本項ではかつて存在した小林村(こばやしむら)についても記す。
地理
御所市の北西端の一角にあたり、南で櫛羅、北で葛城市脇田・笛吹・梅室に接する。東を奈良県道30号御所香芝線が通過する。
河川
- 柳田川
- 安位川
歴史
こばやしむら 小林村 | |
---|---|
廃止日 | 1915年1月1日 |
廃止理由 | 新設合併 櫛羅村、東松本村、竹田村、鎌田村、小林村、楢原村、三室村、西松本村 → 大正村 |
現在の自治体 | 御所市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 奈良県 |
郡 | 南葛城郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 櫛羅村、忍海村 |
小林村役場 | |
所在地 | 奈良県南葛城郡櫛羅村 |
ウィキプロジェクト |
- 幕末 - 「旧高旧領取調帳」の記載によると、村域が葛上郡・忍海郡にまたがり、ともに櫛羅藩領であった。
- 明治4年
- 1876年(明治9年)4月18日 - 第2次府県統合により堺県の管轄となる。
- 1880年(明治13年) - 葛上郡小林村が忍海郡小林村を合併し、全域が葛上郡の所属となる。
- 1881年(明治14年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 1887年(明治20年)11月4日 - 奈良県(第2次)の管轄となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の葛上郡小林村が単独で自治体を形成。櫛羅村・東松本村・竹田村・鎌田村・楢原村・三室村・西松本村と櫛羅村外七ヶ村組合村を結成。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 小林村の所属郡が南葛城郡に変更。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 櫛羅村外七ヶ村組合村の7村が合併して大正村が発足。同村の大字となり、小林村廃止。
- 1958年(昭和33年)3月31日 - 大正村が御所町・葛村・葛上村と合併して御所市が発足。同市の大字となる。
世帯数と人口
2020年(令和2年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小林 | 389世帯 | 728人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 御所市立大正小学校 | 御所市立大正中学校 |
交通
バス
- 奈良交通
- 御所市コミュニティバス
- 西コース
- 近鉄御所駅 - 豊年橋 - 御所市役所 - 豊年橋 - 幸町 - 池之内 - 室 - 名柄 - 北窪 - かもきみの湯 - 東佐味 - 鴨神 - 北窪 - 名柄 - 老人福祉センター - 産業振興センター前 - 近鉄御所駅
- 西コース
道路
施設
- 小林保育所
- 小林ふれあいセンター
- 小林集会所
- 光明寺
出身人物
脚注
参考文献
- 『部落(43)』部落問題研究所出版部、1953年。
- 『角川日本地名大辞典 29 奈良県』。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク
「小林 (御所市)」の例文・使い方・用例・文例
- 小林さんは我がグループの新しいリーダーです
- 私は小林です。
- 私、有限会社松下不動産の購買部の主任の小林と申します。
- 小林はその音楽に夢中だ。
- 小林君はハワイで大変楽しい思いをして, すこぶるご機嫌で帰って来た.
- 小林氏を中軸としてこの仕事は推進されてきた.
- ご主人に青森の小林が来たと取り次いで下さい.
- 小林君のやったことではあるまい.
- 小林市という市
- 小林檎という植物
- 最年長は60歳の小林伸明選手だ。
- 俳優の哀(あい)川(かわ)翔(しょう)さん,女優の小林聡(さと)美(み)さんはトップテン内に初めて入った。
- 日本の最初のメダルは,バイアスロン女子12.5キロ視覚障害で小林深(み)雪(ゆき)選手によって獲得された金メダルだった。
- 昨年の夏,小林選手はエスカレーターから転落し,右足首に重傷を負った。
- 先日,俳優で歌手の小林旭(あきら)さん(68)が日本プロゴルフ協会の名誉会員に選ばれた。
- 小林さんは1993年からシニア大会に出場して良い成績を収めていることから,同協会は小林さんを名誉会員第1号に選んだ。
- 同協会の会長で小林さんの親しい友人でもある松井功(いさお)さんは,「小林さんは今68歳だが,ドライバーで280ヤードまでボールを飛ばせる。」と話した。
- 小林さんは,「一時はプロゴルファーになろうと考えたこともあったが,当時俳優としての収入が多かったので,その考えを断念した。」と話した。
- 1年生の小林夏(なつ)希(き)投手は,2004年から2006年まで硬式野球の日本代表チームのメンバーだった。
- その受賞者は,シカゴ大学名誉教授の南(なん)部(ぶ)陽(よう)一(いち)郎(ろう)氏(87),高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠(まこと)氏(64),京都産業大学教授の益(ます)川(かわ)敏(とし)英(ひで)氏(68)である。
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