大阪大国技館
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1937年(昭和12年)3月、東西の相撲興行が統一、双葉山の登場により相撲人気が高まった背景を受け、大阪市旭区(1943年以降は城東区)古市に完成した施設。コンクリート4階建ての洋風ドーム建築で建坪3,000坪、敷地6,000坪、収容人員25,000人の規模であった。これは大阪相撲が使っていた国技館どころか、当時の両国国技館、さらには後の蔵前国技館や両国新国技館よりも大きい相撲用としては史上最大の施設であり、大阪大国技館とも大阪関目国技館とも呼ばれ、従前の大阪国技館と区別されている。 しかし、オープン間もない1941年(昭和16年)には戦争の激化から相撲興行が中断。結果的に4年で7回の準本場所を開催しただけで戦時中には建物は倉庫として転用された。こうした背景もあり戦後は進駐軍が接収、1953年(昭和28年)に大阪場所として興行が再開された頃には既に建物は解体されていたという。現在、大阪大国技館があった場所は『リビエール関目』という公団住宅となっており、案内板を除いて往時を窺えるものは残されていない。付近にあった相撲茶屋の建物ももう取り壊されている。 2013年12月に200分の1スケールの復元模型が城東区役所に寄贈された。
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