大正時代後期とは? わかりやすく解説

大正時代後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 22:08 UTC 版)

童謡」の記事における「大正時代後期」の解説

こうした概念一部保持しながら「わらべ歌」「子供の歌」という意味で用いられてきた童謡という語に、「子供向けて創作され芸術的香気の高い文学作品」という新し意味付けをしたのは夏目漱石門下鈴木三重吉である。鈴木1918年大正7年7月児童雑誌赤い鳥』の創刊契機に「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな児童文学」を子供たち与えたいとして、これを「童謡」と定義づけた。さらに当時は「子供たちが書く詩」も童謡呼んでいた。このため童謡」という語には1910年代以降子供たち集団的に生み出し伝承してきたわらべ歌(=伝承童謡大人子供情操教育のために創作した芸術豊かな作品(=文学童謡子供たち創作した児童詩 という3つの概念付与されていた。但し、これらの概念時代変遷伴って変化した混在したりした経緯もある。2000年代現在では狭義の「童謡」という語は2.の意味定着しているが、近年ではその概念拡大解釈され「童謡子供の歌全般」としてとらえられ唱歌わらべ歌抒情歌、さらにテレビ・アニメ主題歌など全ての子供の歌を「童謡」という語で括ってしまう傾向が目立つ。 「童謡」(文学童謡)は児童雑誌赤い鳥』の創刊によって誕生したといえるが、この雑誌掲載され童謡には当初、曲(旋律)は付いていなかった。創刊年の11月号に西條八十童謡詩として掲載された「かなりや」が、翌1919年大正8年5月号に成田為三作曲による楽譜付けて掲載された。これが文学童謡嚆矢である。これまでの難解な唱歌俗悪な歌謡曲ではない、真に子供のための歌、子供の心を歌った歌、子供押し付けるではなく子供自然に口ずさんでもらえる歌を作ろう、という鈴木三重吉考え多く同調者集め童謡普及運動あるいはこれを含んだ児童文学運動一大潮流となった。 『赤い鳥』の後を追って斎藤佐次郎の『金の船』など多く児童文学雑誌出版され最盛期には数十種に及んだ中でも赤い鳥』の北原白秋山田耕筰、『金の船』(後『金の星』と改題)の野口雨情本居長世などが多くの曲を手がけ、童謡黄金時代築いた北原白秋野口雨情は、『赤い鳥』から『童話』へ移った西條八十と共に三大詩人呼ばれた

※この「大正時代後期」の解説は、「童謡」の解説の一部です。
「大正時代後期」を含む「童謡」の記事については、「童謡」の概要を参照ください。

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