大地主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:19 UTC 版)
後漢から唐代まで支配層に在った権門貴族は唐末の軍閥割拠と五代の騒乱の中で力を失い、五代は武人の時代となったが、政務を担ったのは馮道に代表される富裕層出身の科挙官僚であった。宋太祖は文治政策により科挙官僚を支配体制の中枢に据えた。この新支配層を士大夫と呼ぶ。また、寺院も大地主かつ様々な手工業の経営層として、豊富な経済力を誇った。 科挙は試験の結果のみが基準であるが、合格には長年勉学のみに集中できる環境が必要であり、また書物や入門の費用などもかかるため、合格者の多くは富裕階層出身である。 貴族は家門により生まれながらの貴族だが、士大夫は科挙に合格せねば地位を得られない。また、士大夫の理想像は広い分野に通暁した人物であり、高い技術があっても専門家は軽侮される傾向が強く、偉大な発明を行った技術者や科学者が高官に登った事例は1つも無い。これは官僚の運用法にも現れており、宋代の官僚は同じ部署で三年ほど経つと別分野の部署に転出する事を繰り返した。 士大夫は官僚・大地主・大商人などの支配・富裕階級であり、その下の半自作農や佃戸からの搾取によって富を得、また脱税の他、法律で禁じらた水利・山林・湖沢の私的占拠を行うなど、地位を利用して法律の網を潜り抜ける事は常態であった。 新法改革の際には、権益の制限を嫌い、王安石に対する強い反対勢力となる。
※この「大地主」の解説は、「宋 (王朝)」の解説の一部です。
「大地主」を含む「宋 (王朝)」の記事については、「宋 (王朝)」の概要を参照ください。
「大地主」の例文・使い方・用例・文例
- 大地主のページへのリンク