外部からの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:16 UTC 版)
ケルト人は紀元前1000年紀に2度にわたってイベリア半島を訪れ、イベリア人が南部に住む一方、ケルト人は北部と西部に定住した。その結果、中央部で文化がミックスされた、ケルト・イベリア文化ケルティベリアが生まれ、東部沿岸にも広まった。イベリア人、ケルティベリア人は地中海広範囲にわたって貿易を行った。イベリア陶器はフランス、イタリア、北アフリカで見つかっている。 ギリシャの文化も多く学び、「バーサの貴婦人」、「エルチェの貴婦人」像はギリシャの芸術様式の影響が顕著に見える イベリア人とケルティベリア人は第1次ポエニ戦争の後、しばらくしてからカルタゴに支配され、第2次ポエニ戦争ではハンニバルの軍勢に兵隊を送った。その後、カルタゴに代わってローマの勢力が入りこんだ。ローマは第一次ケルティベリア戦争、ヌマンティア戦争など幾たびもの戦争を通じて支配を広げ、紀元前1世紀までかかって全域をローマの属領にした。
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