囲碁普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/21 19:39 UTC 版)
囲碁は6歳の時に覚え、めざましく上達した。囲碁の普及と、独自に考案した囲碁ルールである計点制の普及を目指した。1952年に台湾の囲碁組織である中国囲棋会設立に事務局長として加わり、その後会長も務める。この年には中国囲棋会で呉清源を台湾に招き、大国手の称号を授与、また当時10歳だった林海峰との対局などを計らった。1973年に新しい応昌期囲碁ルールを創案し、中国囲棋会では1977年からこれを採用した。1983年に応昌期囲棋教育基金会を設立して、青少年への囲碁の普及と国際交流を推進し、1984年から世界青少年囲棋大会、1985年から世界コンピュータ囲棋選手権大会などを開催。1988年には計点制ルールによる応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦を開催した。1997年からはヨーロッパ碁コングレスを後援。 その後も基金の活動により、上海市応昌期囲碁教育基金会も設立され、2005年に上海市応昌期囲棋学校設立、中国囲棋協会による昌期杯囲棋戦の創設などが為され、また世界各地で囲碁の普及、教育の活動が行われている。 応がルール作りに取り組んだのは、1959年の呉清源と高川秀格本因坊との三番碁第2局で、終局時のコウの手入れ問題が生じたことが契機とも言われる。
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