名将論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「名将論」の解説
戦中の行為、また敗戦国であることからナチス指導者や他の多くのドイツ軍人が非難される中、ロンメルだけは、ドイツのみならず敵国だったイギリスやフランスでも智将(彼は捕虜を丁寧に扱っていたため)として、あるいは人格者として、肯定的に評価されることが多かった。例えば、イギリスのチャーチル首相は、アフリカ北部でロンメルの手痛い打撃にさらされたとき、「ロンメルは神に愛されている」と皮肉にも似た賞賛を残している。 1970年代まで欧米では「名将ロンメル」論がほぼ定着していたといわれている。戦後のドイツでも評価は高く、リュッチェンス級駆逐艦のロンメルにその名が冠されている。 また、ロンメルは、エジプトでも人気が高い。シワ・オアシスの町では、ロンメルが訪れた際、丁重なもてなしへの謝礼として紅茶を渡すなどしたことがあり、戦後からロンメルの写真が飾られている。このようなエジプト人からの好感には、イギリスによる過酷なエジプト植民地支配への反発もあるが、軍人としての規律と誇りを貫いたこともある。
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