北海郡とは? わかりやすく解説

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北海郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/09 09:36 UTC 版)

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北海郡(ほっかい-ぐん)は、中国にかつて存在した漢代から唐代にかけて、現在の山東省濰坊市一帯に設置された。

概要

紀元前148年前漢景帝中2年)、北海郡が置かれた。北海郡は青州に属し、営陵・劇魁・安丘・瓡・淳于平寿都昌・平望・平的・柳泉・寿光・楽望・饒・斟・桑犢・平城・密郷・羊石・楽都・石郷・上郷・新成・成郷・膠陽の26県を管轄した。『漢書』によれば前漢末に12万7000戸、59万3159人があった[1]

52年後漢建武28年)、魯王劉興が北海王に改封され、北海国が置かれた[2]。北海国は劇・営陵・平寿・都昌・安丘・淳于・平昌・朱虚・東安平・高密・昌安・夷安・膠東・即墨・壮武・下密・挺・観陽の18県を管轄した[3]

のとき、北海郡は平寿・下密・膠東・即墨の4県を管轄した[4]

南朝宋のとき、北海郡は都昌・膠東・劇・即墨・下密・平寿の6県を管轄した[5]

南朝斉のとき、北海郡は都昌・広饒・贛楡・膠東・劇・下密・平寿の7県を管轄した[6]

北魏のとき、北海郡は下密・劇・都昌・平寿・膠東の5県を管轄した[7]

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、北海郡は廃止されて、青州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、青州は北海郡と改称された。益都・臨淄・千乗・博昌・寿光・臨朐・都昌・北海・営丘・下密の10県を管轄した[8]

621年武徳4年)、唐により北海郡は青州と改められ、青州総管府が置かれた。742年天宝元年)、青州は北海郡と改称された。758年乾元元年)、北海郡は青州と改称され、北海郡の呼称は姿を消した[9]

脚注

  1. ^ 班固漢書』地理志第八上。小竹武夫訳『漢書』3(ちくま学芸文庫、筑摩書房、1998年)、331-333頁。
  2. ^ 後漢書』光武帝紀下
  3. ^ 後漢書』郡国志四
  4. ^ 晋書』地理志下中華書局版校勘記所引の馬与龍『晋書地理志注』
  5. ^ 宋書』州郡志二
  6. ^ 南斉書』州郡志上
  7. ^ 魏書』地形志二中
  8. ^ 隋書』地理志中
  9. ^ 旧唐書』地理志一



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