北寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/21 02:47 UTC 版)
北寺 | |
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所在地 | 高知県安芸郡安田町別所109-1 |
位置 | 北緯33度29分19.5秒 東経134度0分19.3秒 / 北緯33.488750度 東経134.005361度座標: 北緯33度29分19.5秒 東経134度0分19.3秒 / 北緯33.488750度 東経134.005361度 |
山号 | 金剛山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 伝・大宝2年(702年) |
開基 | 善有 |
正式名 | 金剛山 弘泉院 北寺 |
別称 | 瑠璃光寺 |
文化財 | 木造菩薩形立像5躯、木造釈迦如来立像、木造持国天立像、木造増長天立像、木造薬師如来坐像(以上は国の重要文化財)他 |
法人番号 | 9490005005549 |
北寺(きたでら)は、高知県安芸郡安田町にある真言宗豊山派の仏教寺院。山号は金剛山、院号は弘泉院、別名は瑠璃光寺。本尊薬師如来をはじめとする平安時代中期の特徴を持つ仏像9躯が国の重要文化財の指定を受けている。
歴史
大宝2年(702年)に、善有を開山として創建されたと伝える。寺号は最御崎寺(ほつみさきじ)の東寺、金剛頂寺の西寺の通称に対して呼ばれていた北寺という通称が正式な寺号となったとされる。
「寺記」と「南路志」には、大同年間(806年-810年)に空海(弘法大師)が金剛頂寺を建立した際、馬路村の西山深谷にその用材を杣取して、これを筏にして安田川に流した。その用材の一部を使用して北寺を再建したとある。
天正15年(1587年)の安田庄検地帳には光明寺とあり、当時はこれが正式の寺号であったとみられる。その後寺勢が衰え、廃仏毀釈の影響もあって明治4年(1871年)に廃寺となったが、昭和23年(1948年)に再興された。[1]
伽藍
- 本堂
- 文化財保存庫 - 昭和42年(1967年)建立
- 六面地蔵尊
文化財
- 重要文化財(国指定)
- 木造菩薩形立像(ぼさつぎょうりゅうぞう)5躯
- 木造釈迦如来立像
- 木造持国天・増長天立像
- 木造薬師如来坐像 - 本尊
以上、いずれも平安時代の作
- 木造天部立像2躯
- 町指定有形文化財
- 六面地蔵尊
交通アクセス
- 高知市から車で90分
周辺情報
脚注
- ^ 『日本歴史地名大系 高知県の地名』、平凡社、p.83; 『日本名刹大事典』、p.136
参考文献
- 『日本歴史地名大系 高知県の地名』、平凡社、1983
- 圭室文雄編『日本名刹大事典』、雄山閣、1992
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- >> 「北寺」を含む用語の索引
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