六家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:13 UTC 版)
簗瀬家(梁瀬三左衛門家 2200石) - 梁瀬正真(柳瀬正真)は元最上家家臣で、最上家改易後に正之に仕えた。 西郷家(西郷頼母家 1700石・藩主一門) - 称:保科姓保科正勝(保科正俊の次男) -正近-正長=西郷近房(西郷元次の次男・正近の外孫) 近方-近張-近致=近義-近寧-近光-近思-保科近悳(西郷頼母)=西郷四郎(会津藩士・志田貞二郎の三男) 高橋家(高橋外記家 1300石) - 元鳥居忠政の家臣で、鳥居家改易後に正之に仕える。 小原家(小原五郎右衛門家 1200石) - 小原俊胤は保科正俊の娘を娶り保科家に仕えた。俊胤の曾孫の光俊は正之に仕える。 井深家(井深茂右衛門家 1000石) - 井深重吉は保科家譜代の家臣で、甲州征伐の際に武田勝頼の人質となっていた保科正光を救出した。孫の重光は正之に仕える。 三宅家(三宅孫兵衛家 1400石) - 三宅重直は元鳥居忠政の家臣で、鳥居家改易後に正之に仕える。 梶原家(梶原平馬家 1000石) - 甲斐武田家の浪人だった梶原景信は貧しく親を養えず、弟にキリシタンだと嘘の訴えをさせ報奨金を得ようとした。この評判を聞いた正之に召抱えられる。 神保家(重臣) - 徳川家に仕えた神保氏張の子・長利は、上杉家、最上家、鳥居家に仕えた後に正之に仕えた。幕末の神保利孝(神保内蔵助)は子孫。神保内蔵助 - 修理 横山家 - 横山光定は九・六騒動により本多家を浪人し、その子常定は会津藩に仕えた。常定の娘栄光院 が、3代藩主正容の寵愛を受けたため横山家も取り立てられた。横山常元=常徳(横山常明の二男・常元の甥)=常守(常徳の養子・常道の遺子) 諏訪家(誠訪大四郎家 1700石) - 諏訪頼忠の孫重光は高遠城主の保科正光に仕えた。父は頼定。
※この「六家」の解説は、「会津藩」の解説の一部です。
「六家」を含む「会津藩」の記事については、「会津藩」の概要を参照ください。
- >> 「六家」を含む用語の索引
- 六家のページへのリンク