こうにん‐てんのう〔クワウニンテンワウ〕【光仁天皇】
光仁天皇
太政大臣藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱のあとの770年に、称徳天皇が崩ずると左大臣藤原永手らの支持を受けて、770年11月に即位して光仁天皇となった。
一時皇位継承をめぐる政争に巻き込まれあらぬ疑いを受けることを恐れて酒を飲み行方をくらましたという。
井上内親王を皇后として他戸親王を皇太子に立てたが、772年天皇呪詛の罪で藤原百川らの探索を受けて皇后を廃し、続けて皇太子も廃した。
この後皇太子の地位には藤原百川らの推挙で山部親王(のちの桓武天皇)が就いた。
781年に病を得て位を皇太子に譲り、同年12月に崩御して田原東陵に葬られた。
第49代天皇 | |
天皇名 | 光仁天皇 |
読み方 | こうにんてんのう |
名・諱等 | 白壁王 |
読み方 | しらかべ |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 770年から781年 |
生年 | 709 |
没年 | 781 |
父 | 施基親王 |
母 | 紀橡姫 |
兄弟 | □□□ |
配偶者 | 井上内親王・高野新笠 |
皇子女 | 山部親王・早良親王 |
即位宮 | 平城京 |
天皇陵 | 田原東陵 |
所在地 | 奈良県奈良市日笠町 |
光仁天皇 田原東陵
(こうにんてんのう たはらのひがしのみささぎ)
光仁天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/27 18:02 UTC 版)
光仁天皇(こうにんてんのう、709年11月18日〈和銅2年10月13日〉- 782年1月11日〈天応元年12月23日〉[1])は、日本の第49代天皇(在位:770年10月23日〈宝亀元年10月1日〉- 781年4月30日〈天応元年4月3日〉)。諱は白壁(しらかべ)。和風諡号は天宗高紹天皇(あまつむねたかつぎのすめらみこと)。天智天皇の第7皇子・施基親王(志貴皇子)の第6皇子。母は紀橡姫(贈・太政大臣紀諸人の娘)。2023年(令和5年)時点では即位した年齢が最高である[2]。
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