元秋の子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/20 15:50 UTC 版)
元秋の男子には、庶子である千満丸がいる。『閥閲録』巻57「蜷川権左衛門」に収められた蜷川家の家譜において、元秋付きの家臣であった蜷川秋秀の事績の中でその存在が記されており、天正13年(1585年)に元秋が死去すると、蜷川秋秀は元秋の庶子に千満丸がいることを毛利輝元に言上して赤川就武と共に千満丸付きの家臣となったが、千満丸は3歳の時に疱瘡で死去したと記されている。 一方で元秋には女子もおり、『近世防長諸家系図』掲載の厚狭毛利家の系図にも記録が残っているが、病人であったために嫁がず、従兄弟にあたる毛利元宣を養育したとされている。母親及び本名は不明であるが法名は「梅仙院雪窓妙好」とし、万治2年12月4日(1660年1月16日)に死去し、養育した元宣らと同じ長門国厚狭郡宝珠山に葬られた。 なお、同系図には、元秋の妻にあたる三沢為清の娘や庶子の千満丸に関する記述はない。
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