京阪デパート
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京阪デパート(けいはんデパート)は、1932年(昭和7年) - 1946年(昭和21年)に存在した京阪電気鉄道系列の日本の百貨店である。
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- ^ 後述の通り、京阪電気鉄道は阪神急行電鉄との戦時統合の後に戦後の1949年に再発足しているため、厳密に言うとこの当時の京阪電気鉄道は初代の会社となる。以下、断りがない限り本文中の「京阪電気鉄道」は初代の会社を指す。
- ^ a b c d e 『京阪百年のあゆみ』京阪電気鉄道、2011年3月24日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 谷内正往 (2012-6-1). “戦前京阪デパートの創立” (PDF). 梅信 2012年6月号 (近畿大学 通信教育部) .
- ^ a b “白木屋は何故振はない”. 実業之大阪 第7巻第8号 (実業之大阪社). (1931-8).
- ^ “うらぶれの白木屋、関西戦線総引揚げ”. 大阪朝日新聞 (大阪朝日新聞社). (1932年3月26日)
- ^ “白木屋大阪支店突如店じまい”. 大阪毎日新聞 (毎日新聞社). (1932年6月24日)
- ^ 戦後、GHQにより1947年に廃止された。戦後の1956年に制定された百貨店法(大規模小売店舗法の前身)とは別の法律である。
- ^ a b “新戦術・豆デパート、百貨店法の制約を脱して身軽になる「京阪」”. 大阪朝日新聞 (大阪朝日新聞社). (1938年4月17日)
- ^ a b c d e f g 『京阪70年のあゆみ』京阪電気鉄道、1980年4月。
- ^ 『株式会社阪急百貨店25年史』阪急百貨店、1976年9月。
- ^ a b c “松坂屋、大阪の2店舗閉鎖へ”. 産経新聞 (産経新聞社). (2003年10月22日)
- ^ a b “松坂屋跡専門店ビル、きょう全館開業 京阪・天満橋に96店集積”. 建設通信新聞 (日刊建設通信新聞社). (2005年5月27日)
- ^ 淡路駅・天神橋駅間は当時新京阪線→阪急京都本線に所属していたが、京阪分離後の1959年に千里山線(1967年に千里線に改称)に所属が変更された。
- ^ “天六阪急ビル 取り壊しが決まった歴史的ターミナルビル”. リージョン日経大阪 通巻第80号 (日経大阪中央販売 コーポレート部) (2010-2-5).
- 1 京阪デパートとは
- 2 京阪デパートの概要
- 3 脚注
京阪デパート(天満橋駅、天神橋駅)
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「白木屋 (デパート)」の記事における「京阪デパート(天満橋駅、天神橋駅)」の解説
当社の当時の大阪支店長・藤崎正太郎が京阪電気鉄道から自社のターミナル駅での百貨店経営への参画を依頼され、1932年(昭和7年)11月15日に資本金100万円で設立したもの。 同年12月1日に天神橋駅に京阪電気鉄道の直営で営業していた天六京阪マーケットとそれに付随する天六の京阪食堂や千里山や枚方、天満などに展開していたデポーと呼ばれる出先の店舗の資産と営業の全ての譲渡を受けて京阪デパート天六支店としての営業などを開始し、1933年(昭和8年)9月23日に鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建ての店舗が完成して京阪デパート天満店として開業した。 第2次世界大戦終戦直後の1945年(昭和20年)8月28日に会社解散となり、天満店などの店舗の建物は京阪電気鉄道が戦時統合で阪神急行電鉄と合併して1943年10月に設立された母体企業の京阪神急行電鉄に買収された。天満橋店の営業も京阪神急行電鉄に譲渡されて同社が当時直営していた阪急百貨店の一部となり、阪急天満橋マーケットとして1946年(昭和21年)に営業を開始した。1947年(昭和22年)4月1日に京阪神急行電鉄の百貨店部門が「株式会社阪急百貨店」として独立したことに伴い、阪急百貨店天満橋支店となった。 1966年(昭和41年)にビルを建て替え、松坂屋大阪店が日本橋から移転した。しかし、黒字化できず、2004年閉店。京阪シティモールとなった。 1985年(昭和60年)、京阪電気鉄道の子会社がこの京阪デパートと別の流れで京阪百貨店を開業した。
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