京都の蛸薬師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/22 07:28 UTC 版)
京都の蛸薬師は永福寺(蛸薬師堂)の本尊とされ、奉納される小絵馬には蛸と着物姿の女性が描かれている。本来の永福寺本尊は伝教大師が製作した薬師如来で、当初寺が池の側にあった(御池通)ことから水上(みなかみ)薬師ないし澤(たく)薬師と呼ばれていた。時代を経る毎にこれが誤って蛸(たこ)薬師と伝えられるようになり、江戸時代の『都名所図会』には既に「蛸薬師は永福寺と号し、円福寺境内にあり」と紹介されていた。その後円福寺は天明8年(1788年)、元治元年(1864年)禁門の変の大火で類焼し、1883年(明治16年)に三河国岩津村へと移された。この際、岩津村にあった妙心寺が京都へ移され、現在の永福寺となっているが、本尊は変わらず蛸薬師のままになったという。江戸時代に刊行された菊岡沾凉の『本朝俗諺志』には蛸薬師の効能として、蛸の絵馬を書き、物絶をして祈ると疣や痣に効く不思議な効験があると紹介されている。その他、井上頼寿の『京都民俗志』では民家に蛸地蔵尊が祀られていたという話を紹介しており、蛸薬師信仰が民間レベルで浸透していたと考えられている。
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