中原姓樋口氏
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中原姓樋口氏は平安時代末期に、中原兼遠の次男・兼光が信濃国筑摩郡樋口谷(または伊那郡樋口村)を領し、樋口兼光と名乗ったことに始まる。兼光は弟・今井兼平らとともに木曾義仲の重臣として、後世に義仲四天王の一人に数えられるほどに活躍した。 時代が下り、戦国時代には子孫は越後国へ移り、惣右衛門兼豊の代には上田長尾家の長尾政景、次いで長尾上杉家の上杉謙信に仕えた。兼豊の長男・与六兼続は婿養子として越後の名族・直江家を継ぎ、主君・上杉景勝を家老として支えた。 なお、本家の家督は三男・与八秀兼が継ぎ、その子孫は江戸時代を通して米沢藩士として存続した。江戸時代については米沢藩#平侍(約70戸)を参照。 須原屋版の文化4年(1807年)発行の『新版改正文化武鑑』では、上杉治広の附役に「樋口源五郎」の名が見える。
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