メロヴィング朝とは? わかりやすく解説

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メロビング‐ちょう〔‐テウ〕【メロビング朝】

読み方:めろびんぐちょう

《(ドイツ)Merowingerフランク王国前半期王朝フランク族一派サリ支族のメロビス王の孫クロビスが、481年に全フランク統一して創始。のちゲルマン諸部族統合領土拡大したが、751年宮宰カール=マルテルの子ピピン王位奪われた。→カロリング朝


メロヴィング朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/02 06:24 UTC 版)

メロヴィング朝(メロヴィングちょう、: Mérovingiens, : Merowinger, : Merovingian dynasty)は、ゲルマン人(西ゲルマン)であるフランク族の支族のサリ族が築いたフランク王国における最初の王朝である。




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メロヴィング朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:10 UTC 版)

フランスの歴史」の記事における「メロヴィング朝」の解説

4世紀後半より始まる本格的なゲルマン人大移動にともないゲルマン人一派であるフランク人ガリア定住したフランク人らは、狩猟牧畜を主とし、数年ほどの定住の後に、移住を行う生活を繰り返していた。フランク人は、ガリア征服前のケルト人似てサリ族とリブアリ族といったいくつかの部族分かれ部族ごとに王と戦士持っていた。また彼らは「サリカ法典」や「リブアリ法典」などの、ラテン語書かれ部族規則持っていた。こうしたフランク人に関する記録は、4世紀書かれ史書「皇帝伝」中に収録されているローマ軍進軍歌最初で、260年代ローマ軍フランク人勝利した旨を歌った内容であった470年にはフランク族キルデリク1世パリ包囲する。この包囲戦10年に及び、やがて481年キルデリク1世没すると、弱冠15歳部族の王となったクローヴィスはこの包囲戦経て、聖ジュヌヴィエーヴとの合意取り交わしパリ支配下に置く。その後フランク諸族を統一しメロヴィング朝フランク王国建国すると、旧ローマ帝国領であるガリア現住民がカトリック信仰していたことや、ローマ化早かったブルグンド王西ゴート王といった他のゲルマン民族アリウス派受け入れていたことに対してローマ化遅かったこともあり、またランス司教聖レミギウスや、敬虔なカトリック信者であったクロチルダらのすすめから、統治円滑に行うことも狙ってクローヴィス3000人ほどの従士とともに正統派アタナシウス派改宗しカトリック受容した。 507年クローヴィス長年より戦役続いていたアラリック率い西ゴート王国撃破しボルドーオーヴェルニュトゥールーズ地方などを獲得するクローヴィスとその息子キルデベルト治世では、政治的な影響力に加え宗教的な影響力増大しパリには多く教会修道院建設された。またこの時代にはクローヴィスの頃より対立関係にあったブルグンド王国への侵攻523年より始まる。 メロヴィング朝においては王国を家の財産とみなし、当主没後、その土地分割相続する慣習があったことから、王国統一保っていたのはごく短期間のうちであったクローヴィスには4人の子供がいたため、国土4つ分割された。 6世紀後半にはアウストラシアネウストリアブルグンド3つに国が別れそれぞれが王を称した。また各地では地方豪族影響強めた7世紀後半ネストリア治めていたクロタール2世はこの三国に対して宮宰設置し、この宮宰通じて三国統一試みたこうした分割相続によって不安定化していく王国と、それらを連絡し統率を図る権限を持つ宮宰は力を強め中でもカロリング家台頭していく。特にカロリング家ピピン2世三王国の争い利用しそれぞれの国の宮宰職を独占した8世紀前半宮宰カール・マルテルは、イベリア半島からヨーロッパ進出図っていたイスラーム勢力ウマイヤ朝)をトゥール・ポワティエ間の戦い撃破しキリスト教世界守護者としてその名声高めた。しかしマルテルは、メロヴィング家王位空白空白良い事に、宮宰として傍若無人に振る舞い、有力貴族反感を買った

※この「メロヴィング朝」の解説は、「フランスの歴史」の解説の一部です。
「メロヴィング朝」を含む「フランスの歴史」の記事については、「フランスの歴史」の概要を参照ください。

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