フランク人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/31 02:51 UTC 版)
フランク人(フランクじん)、またはフランク族(フランクぞく、羅: Franci、独: Franken、仏: Francs、伊: Franchi、英: Franks)は、ローマ帝国時代後期から記録に登場するゲルマン人の部族。
注釈
- ^ フランク人トロイア起源伝説は少なくとも7世紀に作成された『偽フレデガリウス年代記』にまで遡る長い伝統を有する[9]。
- ^ ベルギーとオランダにまたがる地域。
- ^ ガロ・ローマ人(Gallo-Roman)とはガリア(Gallia 概ね現代のフランスに相当する地域)に住むローマ系住民を指す学術用語である。あくまでも現代歴史学の用語であり、古代ローマ時代及びフランク王国時代にこれに対応する概念が存在していたわけではない。ミシェル・ソはこの用語について「私たちはガロ=ローマ人について、二十世紀の立場で語っているが、五世紀には、また、そのあとの何世紀かにも、そのような呼び名は存在しなかった。ガリアでは、読み書きのできる人々は、自らを「ローマ人」であり、普遍的帝国とローマ文化の継承人と考えていた。」と述べ、ガロ=ローマ人とは(ガリアに住む)キリスト教徒ローマ人であるとしている[26]。ローマに対する「ガリア民族意識」というものはいかなる意味でも存在しなかったのであり、ガリア人とは諸民族に君臨すべきローマ人の一部であった[26]。
- ^ この東フランク王は現代の歴史叙述においてしばしば、ルートヴィヒ2世・ドイツ人王と言う異名で呼ばれる。この「ドイツ人王」と言う異名はこのゲルマンと言う用語を、近現代におけるドイツの同義語と見做した近世以降の歴史家によって与えられたものであり、時代錯誤の誤訳であると評される[32]。
出典
- ^ a b c d e f g h 五十嵐 2003, p. 317
- ^ a b c d e f g 佐藤 1995a, p. 134
- ^ 渡部 1997, p. 45
- ^ グルッセ 1954, pp. 78-88
- ^ ジョティシュキー 2013, pp. 197-213
- ^ a b c 佐藤 2013, p. 52
- ^ ランゴバルドの歴史, pp. 219-251
- ^ a b c d e f g 佐藤 2013, p. 54
- ^ a b c d 三佐川 2013, pp. 376-381
- ^ a b c d 三佐川 2013, pp. 381-385
- ^ 佐藤 2001, p. 37
- ^ ル・ジャン 2009, p. 13
- ^ a b 五十嵐 2003, p. 324
- ^ ル・ジャン 2009, pp. 41-43
- ^ a b ミュソ=グラール 2000, p. 14
- ^ a b c d e f g h i 佐藤 2013, p. 53
- ^ a b c d ミュソ=グラール 2000, p. 15
- ^ 五十嵐 2003, p. 319
- ^ ミュソ=グラール 2000, p. 16
- ^ a b c d 五十嵐 2003, p. 318
- ^ 佐藤 2013, p. 55
- ^ a b 五十嵐 2003, p. 320
- ^ a b c 佐藤 2013, p. 60
- ^ a b c d シュルツェ 2005, p. 18
- ^ a b c d e f g h シュルツェ 2005, p. 19
- ^ a b ソ, パトリス・ブデ, ジャラベール 2016, p. 27
- ^ 三佐川 2013, pp. 51-55
- ^ 佐藤 1995b, p. 235
- ^ a b c 三佐川 2013, pp. 33-38
- ^ 渡部 1997, p. 88
- ^ a b c d e 三佐川 2013, pp. 174-182
- ^ a b c d e 三佐川 2013, pp. 162-167
- ^ 三佐川 2013, pp. 167-173
- ^ 山田 1997, p. 116
- ^ a b 佐藤 2009, pp. 13-15
- ^ Rheinischer Fächer – Karte des Landschaftsverband Rheinland Archived February 15, 2009, at the Wayback Machine.
- ^ B. Mees, The Bergakker inscription and the beginnings of Dutch, in: Amsterdamer beiträge zur älteren Germanistik: Band 56- 2002, edited by Erika Langbroek, Annelies Roeleveld, Paula Vermeyden, Arend Quak, Published by Rodopi, 2002, ISBN 9042015799, 9789042015791
- ^ a b 河崎 1998, pp. 57-58
- ^ van der Horst, Joop (2000) (Dutch). Korte geschiedenis van de Nederlandse taal (Kort en goed). Den Haag: Sdu. p. 42. ISBN 90-5797-071-6
- ^ a b http://www.britannica.com/EBchecked/topic/508379/Romance-languages/74738/Vocabulary-variations?anchor=ref603727
- ^ a b 上野 2016, pp. 22-23
- ^ a b c ヴァルテール 2006, pp. 285-292
- ^ オニール 2012
- 1 フランク人とは
- 2 フランク人の概要
- 3 脚注
フランク人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:41 UTC 版)
詳細は「フランク王国」を参照 西ヨーロッパにおけるローマ帝国支配の衰退によって、3番目の集団がこの地域に流入してきた。すなわちフランク人であり、「フランス」という言葉の語源は彼らに由来する。フランク人は、3世紀頃から、現在のドイツにあたる地域から、徐々にライン川をわたりはじめていたゲルマン系部族である。6世紀初めには、フランク人は、メロヴィング朝の王クローヴィス1世とその息子に率いられ、現在のフランスほぼ全ての地域に支配権を確立し、その国に彼らの名前を与えた。フランスに到来したその他の主なゲルマン系部族は、ノルマン人(現デンマーク及びノルウェーに居住したヴァイキング族)であり、彼らは9世紀に、今日のノルマンディーにあたる北の地域を占領した。ヴァイキングは次第に土着の人々と婚姻をし、キリスト教を受容していった。そしてノルマン人は、2世紀後にイングランドを征服するのである(ノルマン・コンクエスト)。だが、中世、独立したノルマン公国は次第にフランス王国に再度取り込まれていった。なお、フランク人から21世紀のフランス人へは直接の血統のつながりを見出すことはほとんど不可能である。
※この「フランク人」の解説は、「フランス人」の解説の一部です。
「フランク人」を含む「フランス人」の記事については、「フランス人」の概要を参照ください。
「フランク人」の例文・使い方・用例・文例
- フランク人のページへのリンク