パリへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 19:18 UTC 版)
1952年にフランスへ渡り、ジュネーヴ国際音楽コンクールに出場するも落選した。その後パリで田中希代子の紹介によりマルグリット・ロンに入門する。同門のフリードリヒ・グルダ、サンソン・フランソワとも親交を結ぶ。またパリではヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏に接して深い感銘を受ける。しかし翌年の1953年に体調を崩し、肋膜炎と診断されてやむなく帰国、軽井沢で療養する。同年、パリ時代の留学生仲間である春子夫人と結婚する。
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