カキとミカン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 14:16 UTC 版)
カキの栽培は標高200m前後の山々に囲まれた、花崗岩を含む土壌で外城田地域を中心に行われている。1909年(明治42年)頃に富有柿が導入され、1935年(昭和10年)頃に増加、1940年(昭和15年)には桑畑からの転作が進んだ。太平洋戦争後、炭疽病対策として次郎柿に品種の転換が進み、町内の農園で早生系の新品種「前川次郎」も発見された。1956年(昭和31年)頃から個別選果・共同出荷が始まり、1964年(昭和39年)の大豊作を期に共同選果・共同出荷へ移行した。1972年(昭和47年)には水田からの転作が14 - 15ha規模で行われ、従来からの約80haを合わせ、三重県の代表的なカキ産地となった。 ミカン栽培は江戸時代からの伝統で、年平均気温15.5℃、年間降水量2,500mmの山腹の段々畑で逆転層を利用して行われてきた。生産の中心は佐奈地域で、1970年代には380m2のミカン園が存在した。この頃より観光用のミカン狩り園が出現している。また多気町産ミカンの特色として、日持ちが良く、4月上旬まで貯蔵ができるという点が指摘できる。
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