ウィーン会議とは? わかりやすく解説

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ウィーン‐かいぎ〔‐クワイギ〕【ウィーン会議】

読み方:うぃーんかいぎ

1814年から15年にかけてウィーン開かれた国際会議フランス革命とナポレオン戦争後のヨーロッパ国際秩序回復図ったもので、ウィーン議定書調印され革命前の状態への復帰をめざす正統主義と、大国勢力均衡とを二大原則とするウィーン体制成立した。この会議諸国利害対立して遅滞し、「会議は踊る、されど会議進まず」と風刺された。


ウィーン会議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 03:42 UTC 版)

ヨーロッパで国境を再描画(1815年)。ウィーン会議の後
ウィーン会議の条約(1815年)

ウィーン会議(ウィーンかいぎ、ドイツ語: Wiener Kongressフランス語: Congrès de Vienne英語: Congress of Vienna)は、1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議。

オーストリアの外相クレメンス・フォン・メッテルニヒが議長を務め、ヨーロッパ諸国の代表が集った。会場はシェーンブルン宮殿

概要

ウィーン会議は、フランス革命ナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、オスマン帝国を除く全ヨーロッパ各国代表が集まり、1814年9月1日から開催された。

会議を主導したのは議長国オーストリアのほか、イギリス、プロイセン、ロシアである。中でも議長メッテルニヒとイギリス代表カースルレー子爵が中心的な役割を果たした。この会議には、ナポレオン戦争に敗れたフランスも招待されており、その代表タレーランも会議において活躍した[1]

1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数か月を経ても遅々として進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された[注釈 1][2]。しかし、1815年3月にナポレオンエルバ島を脱出したとの報が入ると、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日ウィーン議定書が締結された。このウィーン議定書により出現したヨーロッパにおける国際秩序は「ウィーン体制」とよばれる。

基本原則

大国による「勢力均衡」と「正統主義」がウィーン会議の基本原則であった。正統主義とは、フランス革命ナポレオン戦争によって混乱したヨーロッパにおいて、それ以前の「正統な」統治者を復位させ、旧体制を復活させることを目指した理念である。この理念は、フランス代表タレーランによって主張され、国内に多くの民族を抱えるオーストリア帝国の外相メッテルニヒが支持した[1]

しかし、ウィーン会議ではフランス革命以前の体制の完全な復活ではなく、大国による「勢力均衡」を踏まえた形での正統主義の実現が目指された。例えば、革命によって神聖ローマ帝国が解体しナポレオンが整理・統合したドイツ諸国は、オーストリアとプロイセンの二大国を中心としたドイツ連邦として再出発することとなった。

これによって勢力均衡を維持し回復する力を有した大国同士が相互に均衡を維持し合う国際秩序(ウィーン体制)が構築され、ヨーロッパにはおよそ30年間の平和がもたらされた。

主な各国代表

ジャン=バティスト・イザベイの絵画に基づくエングレービング。下記のウィーン会議出席者が描かれている:
  1. 初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー
  2. 第7代オリオラ伯爵ジョアキン・ロボ・ダ・シルヴェイラ
  3. ポルト・サント伯爵アントニオ・デ・サルダーニャ・ダ・ガマ
  4. カール・レーヴェンイェルム伯爵英語版
  5. 第5代ノアイユ公爵ジャン=ルイ=ポール=フランソワ英語版
  6. クレメンス・ヴェンツェル・フォン・メッテルニヒ
  7. アンドレ・デュパン英語版
  8. カール・ロベルト・ネッセルローデ伯爵
  9. 初代パルメラ公爵ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン
  10. カースルレー子爵ロバート・ステュアート
  11. ダールベルク公爵エメリッヒ・ヨーゼフ・フォン・ダールベルク
  12. ヨハン・フォン・ヴェッセンベルク=アンプリンゲン男爵英語版
  13. アンドレイ・キリロヴィチ・ラズモフスキー公爵
  14. 初代ステュアート男爵チャールズ・ステュアート
  15. ラブラドール侯爵ペドロ・ゴメス・ラブラドール英語版
  16. 第2代クランカーティ伯爵リチャード・ル・プア・トレンチ英語版
  17. ニコラウス・フォン・ヴァッケンドイツ語版(記録官)
  18. フリードリヒ・フォン・ゲンツ英語版(会議秘書官)
  19. ヴィルヘルム・フォン・フンボルト男爵
  20. 初代カスカート伯爵ウィリアム・カスカート英語版
  21. カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク
  22. シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール
  23. グスタフ・エルンスト・フォン・シュタッケルベルク伯爵英語版

議定内容

下記にウィーン議定書の内容を示す。

参加国 議定内容
オーストリア帝国神聖同盟の原加盟国、四国同盟の原加盟国)
ロシア帝国(神聖同盟の原加盟国、四国同盟の原加盟国)
プロイセン王国(神聖同盟の原加盟国、四国同盟の原加盟国)
イギリス連合王国(四国同盟の原加盟国)
フランス王国
オランダネーデルラント
スウェーデン王国
サルデーニャ王国
ナポリ王国
スペイン王国
スイス連邦

脚注

注釈

  1. ^ リーニュ侯爵シャルル・ジョゼフの言葉「会議は舞踏会ばかりで、先には進まない」(Le congrès danse beaucoup, mais il ne marche pas)。舞踏では一般にステップを踏みながら円を描くように動くので、その決してA点からB点に位置を移動するようには動かない「堂々巡り」の状態を、実際に外交交渉よりも連夜の舞踏会の方が目立った会議にかけている。

出典

  1. ^ a b 小川浩之、板橋拓己青野利彦『国際政治史-主権国家体系のあゆみ』有斐閣、2018年4月10日。 
  2. ^ 産経抄 会議は踊る 8月4日”. 産経新聞 (2015年8月4日). 2018年1月21日閲覧。

関連図書

関連項目


ウィーン会議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 03:25 UTC 版)

ウィーン裁定」の記事における「ウィーン会議」の解説

9月30日会談終わりミュンヘン協定成立した協定ではズデーテン地方ドイツへ割譲ドイツ軍による10日以内占領定め、さらにその他の地域国際委員会によって係争地域境界定め、3ヶ月以内行われる人民投票によって帰属定めるとした。ドイツとポーランドはこの協定応じズデーテン地方ドイツシレジアのうちテッシェンは人民投票後の12月1日ポーランドとなった。しかしハンガリー応じず、チェコスロバキア政府即時割譲求めた10月13日にはハンガリー軍動員され国境地帯集結した両国交渉続けたまとまらず10月28日チェコスロバキアハンガリードイツとイタリア調停依頼し、その裁定に従うと発表した。 これを受け、ウィーンドイツ外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップイタリア外相ガレアッツォ・チャーノ主導し国境画定交渉が行われた。チェコスロバキア代表団には後にスロバキア自治政府の代表となるヨゼフ・ティソカルパティア・ルテニア自治政府の代表となるアウグスティン・ヴォロシンも参加している。またドイツ航空大臣ヘルマン・ゲーリング会議参加している。11月2日交渉まとまり条約結ばれた調停結果南部カルパティア・ルテニア南部スロバキアハンガリー帰属することとなった。しかし、これに反発したスロバキアカルパティア・ルテニアでは独立運動激化11月9日にはスロバキアカルパティア・ルテニア自治政府樹立された。このため割譲スムーズに行われずハンガリー国内でも不満が残った

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「ウィーン会議」を含む「ウィーン裁定」の記事については、「ウィーン裁定」の概要を参照ください。

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