第20回:前輪駆動の衝撃
新興企業シトロエンの挑戦
2018.03.22
自動車ヒストリー
現在では幅広いモデルに採用されている前輪駆動(FF)。優れたパッケージングをかなえるこの駆動システムはいかにして生まれたのか? その有用性を証明したフランスの名車“トラクシオン アヴァン”の誕生にまつわるエピソードとともに、その歴史を振り返る。
トラクシオン アヴァンは技術用語
1934年、シトロエンは「トラクシオン アヴァン」を発売した。当時としては最先端の機構を持つモデルで、他の自動車メーカーにも大きな影響を与えた。ただし、これは正式名称ではない。トラクシオンは英語で言うトラクションで、駆動力のこと。アヴァンは前だから、“前輪駆動”という意味になる。
実際に発売されたモデルの製品名は「7CV」で、後に1.9リッターエンジンを搭載する「11CV」や2.9リッターの「15CV」が加わった。さらにいくつかのバリエーションが登場して戦後も生産が続けられ、1957年までに70万台以上が生産されている。素っ気ない技術的用語が愛称になったのは、当時は前輪駆動が非常に珍しいものだったからだ。
自動車の歴史を振り返ると、時代によって駆動方式が移り変わってきたことがわかる。誕生した当初は、座席の下にエンジンを置いて後輪を駆動する、今で言うMRないしRRの方式がとられていた。馬車と同様のボディーに取りあえずエンジンを組み込んだだけのように見える。この方式ではどうしても重心が高くなり、騒音や振動の面でも問題が多い。
大きな変革をもたらしたのは、1891年に登場した“システム・パナール”である。それまで上下の関係だったエンジンと座席の関係を、前後に展開したのだ。乗員の前方にエンジンを搭載し、クラッチとギアを介して後輪に駆動力を伝えるFR方式である。発想を逆転させた画期的なレイアウトで、ボディーを低くすることを可能にした。高い駆動力を得ることができ、スペース効率がよくて静粛性も高いことからまたたく間に普及していく。1910年頃には、ほとんどのクルマがFR方式を採用するようになっていた。
キュニョーの砲車も前輪駆動
FRは、現代のクルマでも採用されている優れた駆動方式である。エンジンを前に出すことで冷却性が向上し、整備が容易になった。前後輪の重量配分の自由度が高まったことも、設計上で有利に働く。当初はベルトとチェーンによって動力を伝えていたが、ルノーが革新的な機構を開発する。プロペラシャフトの軸回転を利用するもので、大きな駆動力を後輪に伝えるのに適した方式である。ただし、デメリットもあった。車体の真ん中に長いプロペラシャフトを通すので大きなトンネルが必要となり、スペースに制約が生じる。重量増も避けられない。
FRの改良が進められると同時に、より優れた技術を求めて試行錯誤が繰り返されていた。有力候補となったのがFF方式である。FRと同様にエンジンをフロントに置くが、駆動輪が前輪なのでプロペラシャフトが不要だ。早くも1890年代後半に、オーストリアのグレーフ兄弟とシュティフトがド・ディオン・ブートンのエンジンを用いてFF車を試作している。技術的には未熟でさまざまな問題が生じたらしく、1台のみが作られたにすぎない。1907年にはアメリカのクリスティが大排気量のエンジンをクルマ前端に横置きし、前輪に直結するというモンスターマシンを製作している。
自動車の歴史の中で、FFの発想は昔からあった。そもそも1769年に作られた初の蒸気自動車「キュニョーの砲車」も、原理的にはFF車だった。最前端に巨大なボイラーを配し、ラチェットを用いて前1輪を動かしていた。ド・ディオン・ブートンもFFの蒸気自動車を製作している。初期の電気自動車にもFFは多く、フェルディナント・ポルシェ博士の手がけた「ローナーポルシェ」も、インホイールモーターで前輪を駆動していた。
1925年、アメリカのハリー・ミラーはレーシングドライバーのジミー・マーフィーの依頼でFFのレーシングカーを製作した。このマシンはインディ500に出場していきなり2位を獲得し、その後も好成績を残している。実績を買われて乗用車の設計を頼まれて作ったのが、「コードL29」である。5リッターの直列8気筒エンジンを搭載した流麗なスタイルのモデルだったが、駆動力不足という問題を抱えていた。
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ボディー構造やサスペンションも先進的
フランスで前輪駆動車の研究を続けていたのが、ジャン=アルベール・グレゴアールだった。彼はピエール・フナイユと組み、1926年にFFレーサーの「トラクタ・ジェフィ」を製作した。トラクタとは、Traction Avantを略したTractaという造語である。1927年のルマン24時間レースに出場して完走したことが評判を高め、量産仕様のトラクタが1932年までに数百台作られた。
グレゴアールの協力を得てFF車を製造したのが、ドイツのDKWである。オートバイメーカーだったDKWは1931年に490ccの水冷2ストロークエンジンを横置きにした「F1」を発売し、四輪自動車のメーカーとなった。また、アドラーもグレゴアールの助力で「トルンプフ」を開発した。
さまざまな取り組みが行われたものの、依然としてFF技術が確立したとは言えなかった。1919年に自動車の製造に乗り出した新興企業のシトロエンにとって、挑戦しがいのある分野である。シトロエンはもともとヘリカルギアの製造を行っていた会社で、エンブレムのダブルシェブロンはその歯の形をかたどったものだ。創業者のアンドレ・シトロエンは、積極的に先進技術を取り入れるタイプの経営者だった。オールスチールボディー、4輪ブレーキなどのテクノロジーを早くから採用している。
DKWやアドラーの製品を見て、シトロエンもFF車の開発を志す。ヴォワザンにいたエンジニアのアンドレ・ルフェーブルが入社し、構想を実現する体制が整った。彼が主任設計者となって開発されたのが、トラクシオン アヴァンこと7CVである。大量生産のFF車としては、世界初のモデルとなった。
7CVには、前輪駆動以外の先進技術も盛り込まれていた。パワートレインがフロントに集中したことによってフレームの必要が薄れたと考え、モノコック構造を取り入れている。軽量化と高剛性化が実現し、プロペラシャフトがないことで低床化も可能になった。フロントはトーションバー式のダブルウイッシュボーン、リアはリジッドだがラジアスアームを使った半独立タイプのサスペンションを採用。重心が低く、直進安定性に優れるという点では、当時の水準をはるかに超えるモデルに仕上がっていた。
課題だった等速ジョイント開発
生産工程の面でも、この構造は有利だった。サブフレームにエンジンとトランスミッション、フロントサスペンションを取り付け、これをモノコックと合体させるというシンプルな方法が取れるようになったのである。ホイールベースの設定を変えるのが容易で、小型乗用車から3列シートのモデルまでをカバーすることができた。
しかし、トラクシオン アヴァンも前輪駆動車特有の問題点を克服できていなかった。設計上で障害となるのが、ドライブシャフトである。大きな折れ角に対応するため、等速ジョイントが不可欠なのだ。FRで使われるプロペラシャフトもサスペンションの動きに対応するためのユニバーサルジョイントが使われていたが、FFのドライブシャフトではもっと精度の高い機構が不可欠だった。プロペラシャフトなら変動は少ないが、前輪では操舵(そうだ)で大きな折れ角が生じてしまう。等速ジョイントの開発が、FF車の命運を握る。
FRで使われていたカルダンジョイントは不等速で、走行中に大きな振動が生じる。グレゴアールが開発したのがトラクタジョイントである。小型で作りやすかったが摩耗が大きいのが欠点だった。トラクシオン アヴァンも当初はこの機構を採用したが、耐久性が低いことからクレームが多く、ダブルフックジョイントに変更した。改良を進めることで7CV/11CVは前輪駆動車を代表する存在となり、技術用語のトラクシオン アヴァンは固有名詞として扱われるようになった。
トラクシオン アヴァンは時代を先取りしたクルマで、その後シトロエンの生産モデルのほとんどがFF方式を採用している。戦後になると他メーカーからも前輪駆動を採用した小型車が続々と登場し、FFはスタンダードな技術となっていく。トラクシオン アヴァンはシトロエンを大企業に発展させたが、同時に倒産の危機に追い込んでもいる。工場を新しく作り直すために無謀な投資が行われ、急激に資金繰りが悪化したのだ。
アンドレ・シトロエンは経営をミシュランに譲り、翌年病死している。果断な新技術の追求が生んだ悲劇だった。それでも、戦前の自動車会社が次々に消滅する中でシトロエンはしぶとく生き残った。苦難を乗り越えることができたのは、果断な挑戦で得た前輪駆動の技術があったからである。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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