政府の失敗を許そう
以前からそうだが、最近とくに、政府(ここでは基本的に役所の意味で使う)の人たちは肩身が狭いように思う。規制が多すぎるといって怒られ、規制がされていないといって怒られる。うまくいけば「そこはいいが別のところがだめだ」と批判され、うまくいかなければ「これがうまくいかなければ他がすべてよくてもだめだ」となる。国民の批判にさらされることは、もちろん悪いことではない。権力は監視されなければならない。とはいえ、いいことばかりでもないように思う。
というわけで、あえて書いてみるのだが、政府の失敗を許してみてはどうだろう。
政府のためというより、私たち自身のために。
政府は失敗をきらう。極端にきらうといっていい。まず、失敗しそうなことはまずやろうとしない。だから手を打つのがどうしても遅れる。で、いったん手をつけたら、たとえ傍目には失敗が明らかでも、なかなか失敗を認めない。だから傷口を大きくする。
なぜこうなるのか。政府の人たちが優秀でないからだろうか。自分たちの保身やら金もうけやらを考えているからだろうか。そんなふうにいう人は多いが、ほんとはわかってる人も少なくないと思う。そうじゃない。彼らはたいていの場合とても優秀だし、意欲にもあふれている。
ではなぜか。官僚の在任期間が短いから事なかれ主義になりやすいといったものもあるのだろうが、ここでいいたいのは個人レベルではなく、組織レベルでの話だ。組織全体として、彼らは、失敗することを事実上許されていない、ということだ。冒頭に書いた通り、成功するのが当たり前で、失敗すればけちょんけちょんに非難されてしまう。彼らのキャリアパスが減点方式であるのは、もともと立法機関が決めた法律を執行するという「守り」の立場であることに起因しているのだろうが、実際には行政の仕事はもっと幅広い。特に今のように行政サービスのレベルに対する期待が高まっている状況では、単に決まった法律を守っているだけではなかなか満足してもらえない。政府は、これまでの枠を破って、より高度なサービスを提供することを求められている。今までやったことがないことも打ち出してみる必要がある。不確実性はつきものだから、うまくいくこともあればうまくいかないこともあるのは当然だ。
しかし現状は、成功して当たり前、失敗すれば責任問題となる。こんな状態で誰が創造的な仕事をしようなどと思うだろうか。創造的な仕事には、試行錯誤がつきものだ。前例のないことをやれば、失敗することもあるのは当たり前ではないか。失敗を批判するから前例から踏み出せなくなるのではないか。批判する人は、政府にどうしてほしいのかについて、明確なイメージをもっているのだろうか。そのイメージは現実味のあるものだろうか。批判がすべて悪いということではもちろんないが、ちょっと考えてみてもいいのではないか。
失敗に対する対応に関しては、民間企業にもさまざまなアプローチがあるが、概して創造的な企業は前向きの失敗に対する寛容さが特徴になっているように思う。政府も、政府を批判する人たちも、そうした民間企業に学ぶところがあるのではないだろうか。
もちろん、政府は権力を行使する機関であるわけだから、より高い注意義務が求められるのは当然だ。それに、単に失敗を許せばいいというものでもない。許すべきでない失敗は当然ある。そういうのは徹底的に追及すべきだ。要するに、めりはりをつけたほうがいいのではないか、ということになろうか。今のようになんでも批判する風潮があると、かえって許すべきでない失敗が隠されるおそれが出てくる。それは私たちにとっても困るではないか。
失敗を許容することによって、失敗した場合にすばやく方向を転換できるようになる。これまでのように傷口を広げずにすむ。それに、隠す必要性が減るから、真相の究明にも役立つだろう。アメリカの裁判には司法取引という制度があるが、それと似た考え方といえる。誰の責任かを追及することより、誰かが困っている事態をいかに救うかのほうが重要だと考えるなら、どちらが社会にとって有益かは自ずと判断がつくように思う。
当然ながら、失敗を許容するからには、それなりの説明責任というものがあろう。だから、この変更は、本気でやろうとすれば実はけっこうおおごとだ。政策の策定から評価へのプロセスやら人事運営の慣行やら情報開示の決まりやら、制度全体、ひいては「文化」を見直していく必要が出てくるだろう。許されるのは彼らにとって必ずしも楽になることばかりではない。
政府の人たちは、今のやり方とどちらを望むだろうか。
私たちは、今のやり方とどちらを望むだろうか。
The comments to this entry are closed.
Comments
なるほど、政府にも失敗をさせてあげるようにしないといけないのでしょうね。なんか、大きく世の中が変化(成長)しているのを感じます。
それはつまり一人一人の考え方が変化してきているということでしょうか。
Posted by: イプログダイレクトの店長 | January 01, 2006 10:48 AM
『通信簿をつける』なんてのはどうでしょう?
失敗を許すためには成功を把握してほめることが近道かと思います。
やってきたこと、やっていること、これからやることを5段階評価でわかったら、評価される方も評価する方も冷静に全体を見られる気がします。
通信簿に3や2がいくつかあっても、自分を棚に上げて批判できる人ってそんなにいなそうじゃないですか(^_^;)
Posted by: けいすけ | January 01, 2006 11:22 AM
私は許すも許さないも公的機関が失敗を認めるところからはじめてほしいと思いますが。
Posted by: 通りすがり | January 01, 2006 10:17 PM
コメントありがとうございます。
イプログダイレクトの店長さん
成長、というのはあたってるような気がします。お前が謝るまで謝んないよ、というのは子供のケンカですからね。私たちはケンカに「勝つ」より、政府にしっかり仕事をしてもらうほうが得をすると思いますね。
けいすけさん
通信簿っていい考え方ですね。たくさんの項目についてそれぞれ評価があって、時系列でよしあしが出てくるのは悪くないと思います。いろいろな機関がいろいろな基準でやったらいいでしょうね。
とおりすがりさん
どちらが正しいかで意地を張って、結局損をするってことないですか?許すというのは監視をしないということではなくて、いってみれば「Pay Forward」的な考え方です。これも考え方しだいですけどね。
Posted by: 山口 浩 | January 01, 2006 11:15 PM
こういった性格があるからこそ、公的な機関は小さなほうがいいんだろうなと思います。
失敗を恐れない小さな組織が切磋琢磨していくほうが、最終的には効率的だろうなと。
裏返して言うと、失敗の許されないようなものだけ、公の機関でするのがいいと思います。
って、主観的すぎるか。。
Posted by: ひろ | January 02, 2006 01:15 AM
ひろさん、コメントありがとうございます。
なるほど、失敗するおそれのあるものは民営化して競争させよ、ということですか。どの領域を民営化するかは、失敗の可能性の大小で決められるんですかね?そこらへん、よくわからないなぁ。ちょっと考えてみます。
Posted by: 山口 浩 | January 02, 2006 03:32 AM
公的部門というものは失敗=リスクを嫌うがゆえに公的部門なのであって、失敗すると国民生活全体に重大な影響を与えるような分野はどうしても慎重な扱いとなるしかありません。民間でもライフラインなどの準公益的な部門には厳しい規制が課せられていますし、警察や自衛隊が完全民営化になじまないのもそのせいでしょう。公的部門と民間部門とはもともと性格が異なり、前者は公益の維持に重点が置かれるのにたいし、後者は利益の追求に重点が置かれます。だから後者はリスクを取るインセンティブがあるのですが、前者には逆に失敗は許されないのです。そうした基本的な違いを踏まえたうえで、リスクを取って失敗した場合の影響の大きさなどを勘案したうえで、どんな分野なら許容範囲なのかを考えたほうがいいのではないでしょうか?リスクを取れる分野なら民営化した方が効率的なので、あえて政府部門がリスクを取るようなあり方はそもそも矛盾かと思います。
Posted by: すなふきん | January 02, 2006 03:38 PM
すなふきんさん、コメントありがとうございます。
おそらく、「リスク」ということばの意味が不明確だったために議論が錯綜しているのではないかと思います。申し訳ありません。
政府の役割は主に公益的目的に対する資源配分を確保することにあり(民間だけでは過小になるもの)、リスクの有無とはあまり関係がないように思います。実際、民間がとれないリスクを政府が代わりにとっているケースは、公的金融などにおいてもみられます。
ここでいっているのは、前例がない等の理由で政府が対応したがらない「新しいこと」に政府がチャレンジできるようにするためには国民の側が「許す」ことが必要なのではないか、ということです。
政府に「リスクをとれ」とここでいっているのは、「民間がやっているようなリスクを伴う事業に乗り出せ」という意味ではなく、「前例のないことにもどんどんチャレンジしてみてはどうか」ということです。
これでもだめですか?政府は前例にないことをやってはいけない、というご主張でしょうか?最初からちゃんと書いておけばよかったですね。失礼しました。
Posted by: 山口 浩 | January 02, 2006 04:07 PM
ああ、そういう意味でしたらわかります。経済政策なども政府の意思決定ですから。ただ、その場合は国民も自分たちが許可したんだから、失敗した場合も文句は言わないということですね。そこらへんがなかなか難しいことでもありますが・・・。どうなんでしょうね、そのへん。
Posted by: すなふきん | January 02, 2006 04:58 PM
すなふきんさん
国民の政府に対する態度は、ある意味「親心」みたいなものではないかと思ったりすることがあります。
子供にどのくらい任せて、どのくらい干渉するか。何をしたらしかって、何をしたらしからないか。そのへんの微妙なところが参考になるのではないかと。
どんなかたちにせよ、政府の行為は必ず「総体」としての国民が責任を負うものです。昔の政治家がいいましたね。「国が何をしてくれるかではなく、諸君が国に対して何をできるかを考えよ」みたいなことを。意味はちがうでしょうが、どこか通じるものがあると思います。
Posted by: 山口 浩 | January 02, 2006 07:32 PM
おっしゃりたいことはよくわかりますが、現実には失敗を認めすぎるほど認めてきたのが日本の歴史じゃないでえしょうか。民間並みに失敗をきちんと査定したら、官僚のほとんどはクビですよ。
明治の頃に現在の官僚制度の基礎ができたらしいですが、官僚主導で国づくりを進めるために、官僚が失敗しても問わないということになり、それが官僚に対して甘い原因になっていったんじゃなかったかなって思います。どうなんでしょうね。
Posted by: 大西宏 | January 03, 2006 09:12 AM
大西宏さん、コメントありがとうございます。
「日本の歴史」とはまたおおげさな。官僚の「無謬」性は程度の差こそあれ万国共通です。それは政府の機能が所得再配分にあることと、業務の専門性に起因しています。いずれも日本独自のものではありません。
歴史的経緯はともかく、現時点で政府にみられる前例主義、保守的な態度が彼らなりのリスク低減手段であることはご同意いただけるのではないかと。「やつらに甘い汁を吸わせるな」とばかりにがんばるより、現実的に対応したほうが私たちにとって得ではないか、というのが本文の主張です。司法取引を例に出したのは、そのあたりをイメージしているからです。
「責任」には、当事者に罰を与えるという要素と、再発を防止できる対応をとるという要素があります。前者をいたずらに追及することが後者をかえって阻害することがある、と考えています。こうした考え方は日本ではやや少数派だと思ったので書いてみた次第です。
おまけですが、「民間並みに失敗をきちんと査定したら、官僚のほとんどはクビ」というのは、一般論としても、私の民間企業での勤務経験からしても、実態と異なるように思います。官僚の人事制度が一般的な民間企業とは比べものにならないくらい減点主義である(少なくともこれまでそうだった)という点については、あまり議論の余地はないように思うのですがいかがでしょうか。公務員には「身分保証」がという問題もありますが、あれはどちらかというと個人レベルではなく組織全体のリストラからの保護の問題なので、今回の議論とは少し離れるかと思います。
ただ官僚をどんどんクビにしたらもっと前向きな仕事をするようになるというのは、実際のところあまり現実味がないように思ったりするのですが、私甘いですかねぇ。
Posted by: 山口 浩 | January 03, 2006 02:32 PM
政府というか、行政機関の規模がそれなりに小さいという事は、「地域の事は地域でやる」という、いい意味での「持ち場主義」や「融通無碍」だったりします。
それを実感するのが、最近だとイナカ町に単身でIターンして来た事でして、少しくらい私がよく分かっていない事であっても、勤め先やその他の機関の人達が旧来からの知り合いであるが故に、先方のほうで連絡を取り合ってくれて申請などの手続きがスムーズに進むという例がよくあります。
ニュースでも、地方部の金融機関では事務係や局員らが気を効かせて「オレオレ詐欺」での振り込みを未遂に食いとめるというケースが聞かれますが、こういった“いい意味での『干渉』というかアドバイス”をさっと提示できるというのは、小さい規模の行政機関であればこそだと思います。
Posted by: guldeen | January 06, 2006 01:08 AM
guldeenさん、コメントありがとうございます。
「小さい」というか、「小回りのきく」政府、というわけですね。規模の大小に必然的に付随する要素なのかどうかちょっとよくわかりませんが、そういう政府だったら市民の側も「許せる
」のでは?なんて手前味噌に思ったりします。
なんにせよ、私たちが政府に何を望むか、をまず問わなきゃいけないですね。
Posted by: 山口 浩 | January 06, 2006 02:44 AM
甘い 甘い そんなんじゃ消費税40% 道州制と 1党支配[官僚財界党]になりよるわい
Posted by: You know myName LooK up the No | January 11, 2009 03:59 PM
You know myName LooK up the No さん、コメントありがとうございます。
ええとですね。強いことばで極論を吐くのは頭を使わないですむので楽ですし、手早くすっきりできる「お手軽」な娯楽なのですが、残念ながら現実はそれほど単純にできていません。
極論では世の中は動きません。本気で世の中をよくしようと思ったら、ものごとをよく見て、幅広い視点からよく考え、慎重に設計して、力を合わせていく必要があります。何をどうすればいいかを考えるときに、ではなぜそれが今できていないか、やろうとしたときに何が起きるかという視点にも注意を払ったほうがいいと思います。
Posted by: 山口 浩 | January 12, 2009 12:16 PM