「ネットの世界」って意外に狭いんだよ知ってる?
前からよくいわれることだし、考えても当たり前のことなのだが、自分も含めてよく忘れがちになるので、一応書いてみる。大それた主張ではなく、ちょっとした感想程度のものなのだが。
ネットの世界で起きていることって、中で思ってるほど外では知られていないし関心も持たれていない。
ネットの世界で活躍していたり、それを研究したりしている人たちの話を聞いていると、どうもネットの中で起きていることがものすごく重大な、誰でも知っていることのような口ぶりで語られる場合が少なくない。たとえば、先日あるイベントで「ネットの公共性」みたいなテーマが話し合われていたのだが(知ってる人はまああれだなと感づくかもしれない)、そのときも、ネット内で起きたさるトラブルについて「あの有名な○○事件」みたいな語られ方をしていた。
要するに、ネットのユーザーが契約条項の違反を理由にさるサービスから排除されたことについて、サービスのプロバイダがユーザーの「活動の場」を奪うのはこの高度にネット化した社会においてはひどい。ネット企業にはサービスを提供する社会的な義務があり、それを契約条項を理由に簡単に放棄するのは公共性を無視した行動である、とかいった議論があったわけだ。その議論自体も「ちょっとどうよ」という感じがしていた(たかだかひとつのネット企業とユーザーとのトラブルを公共性の問題とかいうかねふつう。同種のサービスはほかにいくらでもあるんだし)のだが、さらに引っかかったのが、説明の際に「中には知らない人もいるかもしれないから一応説明しとくけど」とか言ってたことだ。知らねぇよそんなの。その人の周囲じゃみんな知ってたかもしれないけど、そこから一歩離れたら、誰も知らなくたって不思議じゃない。
もうちょっと小さい話だと、よくブログ界隈でみられる主張を国民的な世論みたいに形容したり、有名ブログでおきた論争とかそういうのをぜんぶ既知のものとして話をしたりする人もいる。あれはけっこう疲れる。平成17年版情報通信白書でみると、2005年1月実施のネットアンケートでブログを開設していると答えた人が14.9%いたそうだ。インターネット利用人口が7,948万人だから、数百万人規模ではあるんだろうが、それにしたって国民の一部でしかないし、層も偏っている。で、仮にブログを開設している人、日常から読んでいる人だけ考えたって、皆が同じものを読んでいるとは限らないのだ。
ネットビジネスをやっている会社のような特殊な環境でもなければ、身の回りにいる人々の多くはふつうそれほどネット内のことを知りもしなければ興味もない。ごく最近nikkeibpのサイトで立花隆が連載しているコラムのタイトルに「ネットの日記」という表現があった。むろん「ブログ」のことだ。いまどき「ネットの日記」かよ、と笑うのはたやすいが、「外」の人々にとってはこちらのほうが「ブログ」よりまだ通りがいいのが現実ってことだ。あの「電車男」だって、たいていの人にとっては出版された書籍版であり映画でありテレビドラマであるわけで、そのうちネットのまとめサイトまで見に行った人などほんのわずかのはずだ。何より、リアルの世界の専門家たちのほとんどにとって、ネットで熱く交わされている激論などは素人談義としか思われていない。まともにとりあげる対象にはなれていないのだ、まだ。
よく「blogosphere」なんていう。Wikipediaによると、「logosphere」(world of words)にひっかけたものであるらしいが、「sphere」は球体とか世界とかって意味だし、似たことばで「biosphere」といえば「地球の生物圏」みたいな意味があるから、なんだか広大なものみたいな印象をついもってしまう。日本だと「ブログ界」なんていうだろうか。これも似た印象だな。
でも実際のところ、「blogosphere」を「biosphere」にたとえるとすると、こんな感じではないか。これは「ビーチワールド」なる商品名がついているが、直径20cmのガラスの球体の中に小エビ、藻、バクテリアなどが入っていて、光合成と食物連鎖で自律的にバランスを保ち、互いの生命を維持し合う一種の小「bioshpere」だ。
別に、ブログなんかたいしたことないと言いたいのではない。むしろ逆で、ブログユーザーには影響力の高い人たちがけっこういるから、人数の割にその影響力は大きいのではないかと思う。言いたいのは、ネットの外への影響力はまだ限られているという自覚をもっておいたほうがいい、ということだ。
もちろん、ネットの中で楽しくやってればいいという人にこんなことをいってもしかたがない。それはそれでアリだ。しかしそうではなく、多少なりと現実社会に働きかけたいと思うつもりが少しでもあるなら、まずは私たちが小さなガラスの球体に閉じ込められた「小エビ」やら「バクテリア」やらであるという現実を受け止めないといかんのではないか、と思ったりするわけだ。
だからこれは、もとより私の単なる感想ではあるのだが、同時に、私などよりもはるかに影響力の大きいブロガーさんたちに向けた身の程もわきまえないメッセージでもある。やがてガラスを破って外の世界に飛び出していくときがくるだろう。そのためにどうしたらいいか、そのときまでに何をしたらいいか、考えていったらいいと思うのだがどうだろうか。
もう考えてる?そいつぁ失礼しました。
※2006/2/7追記
ARTIFACT@ハテナ系「そんなのは局地的にしか知られてないんだ! 」
上の本文なんかは、このカテゴリに入れられるんだろうな。一応弁解しとくと、別に「テレビみたいなマスこそ正義」などとはこれっぽっちも思っていない。個人的に、「ウェブの一部の人で盛り上がっている話題に対して、その人たち」が「誰もが知っている!みたいに」言っていたように聞こえた経験があったので書いたまで。閉じたネットワークの中で盛り上がるのはそれでいいが、社会に働きかけたり、広く理解を得たりしたいのなら、現時点で自分たちのおかれた状況はわかっておいたほうがいいと思う、というのは本文で書いたとおり。もちろん、内輪の議論で盛り上がっていたい向きにどうこういう気はまったくないし、それはそれでとても価値のあることだと思う。というか、それを可能にしたことがネットの最大の効用のひとつではないか。蛇足だが、私はこのサイトで誰に対しても「バーカ」と書いたことはない。それは私の流儀ではないし、人にもお勧めしない。
「そんなのは局地的にしか知られてないんだ!」心理のネーミングを募集中のようなので、考えてみる。うーん、一般的な用語で考えると「矮小化」みたいな感じだと思うのだが、それじゃインパクトないし。局地化?それじゃ意味がちがう。いっそ、そのまま「そんなのは」心理、とでもしたらどうだろう?
※2006/2/8追記
ARTIFACT@ハテナ系「お前らが盛り上がっている○○なんてのは世間から見たら全然知られてないんだぞ!って言いたくなる心理にネーミング 」
応募の結果が発表されていた。「県大会にオリンピックを持ち出す無粋な人」だそうだ。応募作がいろいろ紹介されていたが、私のは予選落ちだったようで、載っていなかった。残念。1分半ぐらい一生懸命考えたのに。まあ才能がなかったのだろう。
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Comments
今のネット業界に最も必要な提言だと思いました。
Posted by: いちる | December 31, 2005 05:01 AM
おっしゃるとおりだと思います。
ネットは便利ですが、それはあくまで「手段」に過ぎず、ネットの世界に囚われながら「インターネット的」「Web 的」という議論の仕方をすることへの違和感をずっと感じていました。
あるいは、どこかの IT ニュース系サイトでコンサルタントがテクノロジサイドを批判する際においても、結局インターネットという媒介がないと成立し得ない議論に終始していることにも閉口していたものです。
山口さんの弁を読んで、スッキリした気分です。
では、よいお年を。
Posted by: McDMaster(マナル店長) | December 31, 2005 07:56 AM
大変参考になるエントリーでした。今のネット界隈での議論にかけている、シンプルであるけれど、重要なお話だと思います。私は、地方に住んでいたので、地方のことを考えると、まだまだインターネットが「身近」ではありません。しかし、今後はさらにネットが普及して、「ガラスを突き破る」時が来るでしょう。
現状をしっかり認識して、未来に起こりうることに備えることが大切です。少しばかり関連するエントリーを書きましたのでTBさせてもらいました。
Posted by: ガ島通信 | December 31, 2005 12:52 PM
コメントありがとうございます。
いちるさん
とりあえずは自分に対する戒め、ですね。きっとわかってる人たちはもうわかってるでしょうから。
McDMasterさん
確実にインターネットの影響力は増しています。やはり「産業革命」なのではないかと思います。でもまだ現実の世界とはかなり深い溝があるのでしょう。2つの「世界」をつなぐ橋というか渡し舟というか、そういうものが最も求められていると思います。けっこう、同じものをちがう角度から見ているだけなのかもしれませんよ。
ガ島通信さん
トラックバック先の話、つながってる雰囲気がありますね。古くて新しい問題だと思います。なんだか難しいなぁ。誰か頭のいい人がきちんと整理してくれるといいんだけど。
Posted by: 山口 浩 | December 31, 2005 02:40 PM
遅ればせながら・・新年あけまして明けましておめでとうございます。
強く賛意を表明いたします。
ネットで「有名人」などと嘯いている人が散見されますが、所詮は匿名での遠吠えのような気がします。勿論、主張の中には賛同する部分も真実も多分に含まれていることもありますが・・
溺れることなく、常に謙虚でいたいですね。
本年もよろしく御願い致します。
Posted by: こえだ | January 05, 2006 02:22 PM
こえださん、あけましておめでとうございます。
ネットの有名人の皆さんは、自分でなろうとしたというより、その言論の質が買われてまわりからそのような評価を得たのだと思います。匿名でしかできない言論もありますし、匿名での言論を受け入れることにはそれなりの意義があります。
ただ、どうもご自分の身の回りで起きていることが「外の世界」でも同様に知られているかのように発言していた例をいくつか目撃したものですから。
「最近『ブログ』ってのがはやってるんだって?」と最近言い出す人が少なからずいる「どリアル」世界に片足を残している私としては、「こっち側にも人はいるんですけど」といってみたかった次第です。
Posted by: 山口 浩 | January 05, 2006 03:32 PM
こういうのはどうなんでしょう?夕刊フジの記事です。
偽装告発ブログ“きっこ”って誰?“黒幕”スクープ
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_01/t2006010422.html
あのブログの内容はあまりアテにならないので私はスルーしているのですが、
仮にも駅スタンドで一定の売上げを上げているマスコミの夕刊フジが
ひとつのブログを扱うとなると、注目度という点では段違いになります。
Posted by: guldeen | January 06, 2006 12:55 AM
guldeenさん、コメントありがとうございます。
「きっこの日記」は読んだことがあります。たいへん注目を集めていますね。今のところ、特段の感想はありません。直感的に、まだ「評価」するには早いような気がしています。いろいろな「説」があるようですけど、それらも含めて、「ふうん」といった感じです。
Posted by: 山口 浩 | January 06, 2006 02:49 AM