10年の歴史と揺るがないコンセプト、“技術力の低い人”限定のロボットコンテスト「ヘボコン」が示すオルタナティブな未来

出場者を技術力の低い人に限定したロボットコンテスト「ヘボコン」が2024年で10周年を迎えた。見た目や機能において“ヘボい”ことが評価されるこのイベントが、いまや世界各地に広がっている。その魅力と奥深さは、いかなるものなのか。
ヘボコンとは、要は「ロボット相撲」。単純な競技だが、機能が劣り見た目も不格好なロボットたちによるレベルの低い戦いが繰り広げられる。
ヘボコンとは、要は「ロボット相撲」。単純な競技だが、機能が劣り見た目も不格好なロボットたちによるレベルの低い戦いが繰り広げられる。Photograph: Toshinao Ruike

「技術力の低い人」限定、と銘打たれるロボットコンテスト「ヘボコン」は、ロボットたちがロボット相撲を繰り広げることで、その“ヘボさ”を競うイベントだ。トーナメントを勝ち進むロボットよりも、そのロボットが見た目や機能においてどれだけ「ヘボい」のかが評価される。

2014年開催の第1回から国内外で高く評価され、これまでに少なくとも25の国・地域で開催された。一過性のブームでは終わらず、近年でもさまざまな国や地域で開催され続ける“世界のヘボコン”となっている。この2024年は、その10周年だ。

「へぼい」という表現は、通常は日本語としてポジティブに使われることは少ない。だが、各国において「HEBO(ヘボ)」という言葉は、翻訳では置き換えられない何か独特なおもしろさやケレン味を形容する単語として国外にも伝わっている。“HEBOCON”の国際的ヒットは、思わぬ文化的な波及ももたらしたのだ。

そんなヘボコンの魅力とは、いかなる点にあるのか。東京で開催された「ヘボコン2024」の会場で、ヘボコンの創設者にして“ヘボコンマスター”である石川大樹に、その奥深さについて訊いた。

カメラを構えた瞬間、ヘボいロボットをドヤ顔で見せつけてきたヘボコン参加者に、少なからずたじろいでしまった。

Photograph: Toshinao Ruike

「へぼい」、それは最上級の賛辞

「ぼくらは結構、(コンテストに)出てきたものに対してひどいことを言うんですけど、ヘボコンはへぼいものがよいとされている場なので、ぼくらは思いきりけなします。だけど、それはすべて褒め言葉なんです」

主催の石川は、まず大会冒頭の競技説明でそのような断りを入れる。ヘボコンでは、ロボット相撲で勝利することよりも、まず「ヘボい」ロボットが賞賛される。

どんなにヘボいロボットでも、参加者は胸を張ってステージへ上がる。ある参加者は、カメラを向けると不敵にニヤリと笑いながら、カメラにロボットを見せつける。やはり相当ひどいものだ。思わず心の中で祈った。「あなたのロボのヘボさに祝福がありますように」

そしてステージでは、なんとかロボットが動き出す(もちろん思ったように動かないロボットもある)。すかさず司会者は、出場ロボットのどこがヘボいのかを容赦なく批評する。

「どうして、そうなった」と、会場からも投げかけられる疑問と嘲笑。しかし、それは決して侮辱ではない。ヘボさは、この大会における主要な評価ポイントであるからだ。むしろ、下手に競技で強いロボットを持ち込んだ参加者は、会場で肩身の狭い思いをする。

それにしても、ヘボコンに登場するロボットの斜め上を行くヘボさには、毎回驚かされるばかりだ。下の動画を観てほしい。2024年ヘボコン東京大会の様子なのだが、愛すべきコミカルなロボットからいろいろな意味で“不安定”なロボットまで、さまざまな“ヘボい”ロボットが次々に登場する。

2024年東京大会の内容はYouTubeですべて配信され、現在も視聴可能になっている。

工学ではなく、工夫ですべて乗り切れ!

ヘボさを競うヘボコンでは、高度な技術がペナルティの対象だ(公式ルールのページ)。遠隔操縦や自動操縦など、主催者が高度と認めた技術を実装したロボットは失格となる。ヘボコンにおいて、まともな工学やロボティクスの応用は御法度なのだ。

もともとヘボコンは、複雑な競技課題に対して高度な技術を実装したロボットを学生が競わせる学生ロボコン(ロボットコンテストの略)がアイデアのもとで、そのパロディから始まっている。

ところが近年は、その本家ロボコンに、ヘボコンの石川が審査員として招かれるようになってしまった。石川は両者の共通点について、次のように語る。

「共通点は、多分どっちも(参加者は)創意工夫が好きな人だと思うんですよ。結局ちゃんと工学を学んだからといって、創意工夫なしでロボットをつくれるわけではなくて、やっぱりどれだけ上のレベルに行っても工夫が必要だと思うんですよね」

それでは、異なる点はどこにあるのか。「ちゃんとロボコンに出ている人は、そのベースの知識があったうえで創意工夫をしている。これに対してヘボコンのほうは、すべて創意工夫だけで乗り切ろうとしている。つまり、『本来あるべき土台がない』ところを工夫だけでやっているところが大きい違いかな、と思います」

ヘボコンが広がった背景には、世界中のDIYコミュニティからの熱い支持がある。ヘボコンとは真逆で、「何でも自分でつくり上げてしまおう」という意欲があり、技術力も高いであろうものづくり関係者たち。こうした人々にとって、「本来あるべき土台がない」人々に参加を限定したヘボコンは、目からうろこが落ちるような企画であったらしい。第1回ヘボコンの動画を公開した直後に世界中から反響があり、「自分たちもやりたい」といった問い合わせが主催者に殺到したという。

さまざまなギミックが搭載されたヘボいロボットを手に出場を待つ。

Photograph: Toshinao Ruike

技術力を問わず多くの人を巻き込める性格をもつヘボコンは、米国・メキシコ・香港・ギリシャ・スウェーデン・イタリア・スペイン・モロッコなど、世界各地で開催されていった。しかも、非常に高い技術力や創造性をもつ人々が集まっているはずの「Maker Faire」や「Ars Electronica」といったイベント内で、むしろ開催されるようになる。

本来こういったイベントでは脚光を浴びるはずがない人々、そうした人々だけが参加できるのがヘボコンだ。それは技術力の下剋上とも言うべき事態であろう。

教育界からも注目

ロボットのヘボさを競うコンテストとして世界に広まり、多くの人を魅了する──。こうしたなかヘボコンは、単におもしろいイベントという位置づけだけでなく、近年は教育の文脈でも大真面目に語られるようになった。

スペインのムルシア地方の科学技術振興機構のウェブサイトには、こんな言葉が書かれている。

「ヘボコンはロボット工学を始めるための楽しい方法である。 センサーやプログラミングを必要とせず、とても簡単で安価な材料と単純な技術でつくられたロボット同士が、伝統的な相撲で対戦する。 ロボットは13歳から15歳の子どもたちによる創造性の結晶であり、それ以上でもそれ以下でもない」

これは教育におけるヘボコンの意義についての説明だが、ヘボコンがいつの間にか工学への導入として想定されていることが、この文章からもわかる。現在、スペインはヘボコンが最も多く開催されている地域だ。そうした事情もあり、ヘボコン公式ルールのページでは日本語・英語版に加え、スペイン語版も用意されている。このため現在はスペインだけでなく、メキシコなど広くスペイン語圏でも盛んに開催されるようになった。

スペインで2023年に開催されたヘボコンの様子。チームでの議論、ホワイトボードへの大量の付箋の貼り付けなど、“デザイン思考によるアイデア出しの実践”風のシーンで構成されたスタイリッシュな動画となっている。

スペインのガリシア州ビーゴにある大学の研究センターである「CINBIO」。そこで2023年に開催されたヘボコンでは、なぜか「チーム内の創造性を高め、デザイン思考を導入する」というデザイン思考の導入が目標となった。

起業家向けプログラムのような“ハイソ”で小洒落た雰囲気の動画まで本気で制作され、ヘボコンらしからぬ意識の高い目標が掲げられるに至っている。もしかすると、そんな「デザイン・シンキング」と、ヘボコン参加者の「本来あるべき土台がない人が創意工夫で乗り切る」姿勢には、何か通ずる部分もあるのだろうか(いや、多分ない)。

もちろん国外だけでなく、国内でもヘボコンに教育における意義を見出している人々がいる。メディアアーティストで東京藝術大学教授の八谷和彦は藝大の学生に対し、まずチームラボの作品を見て、その後にヘボコンを見るように勧めているという。「すごいものを見ると(自分で)つくる気がなくなってしまうので、つくりたい気持ちをもたせるためにも両端を見せることが、教育では大事ではないかと思っています」と、ヘボコン2024の会場でその意義を語っていた。

X content

This content can also be viewed on the site it originates from.

たとえつくっているものがどんなに妙なものだとしても、その“つくって見せるまでの時間が楽しい”と感じることの重要さを、八谷は伝えたいのではないだろうか。そういった文脈でヘボコンは、ものづくりへの導入になったり、知識や技術の差を乗り越える触媒としての役割を果たしたり、技術的に必ずしも優位に立てない人への大きなエールにもなる、といったことが言えるかもしれない。

デザイン思考の導入、そしてチームによる共同作業。ヘボコンよ、どこへ行く。

ヘボコン主催者である石川も、近年は公立学校や科学館などでヘボコンの出張授業を積極的に開催している。もともとの目的はそうではなかったとしても、国内外の教育者の関心を集めるヘボコンは、これから教育効果の測定や教育的な意義についての考察など、教育活動への本格的な導入も検討されていくだろう。

10年が経ったいまも、ヘボコンに出場するロボット自体は特段の進歩もない。だが、開催のノウハウや社会での受け入れられ方は確実に変化しているようだ。

ヘボコンはどこに向かうのか

「東京の“HEBOCON”は、しょうゆ以来の最高の発明だよ!」

こう語るのは、ヘボコン2016年東京大会で審査員を務め、欧州を中心にヘボコンのアンバサダーの役割を引き受けているArduinoの教育ディレクター、ダヴィド・クアルティエリェスだ。Arduinoはマイコン搭載ボード「Arduino」で知られている。

ダヴィドはヘボコンの10周年を祝い、賛辞を惜しまない。かつて日本料理の基本であるしょうゆやだしのうまみ成分が、諸外国にとっては新しい味覚の発見であったように、ヘボコンは新しいタイプの文化として受容されつつあるということだろう。

しかし、自社の汎用マイコンボードであるArduinoをヘボコンのロボットに搭載してみてはどうかと問われたダヴィドは、「ロボットに知性が宿ってしまうからやめろ」と言う。

ヘボコンは教育現場に取り入れられたり、プログラミング教育に迎合したりするかたちで、最近では「micro:bit」のような教育向けマイコンボードをロボットに実装して開かれることすらある。ヘボコンは「ハイ=テクノロジー・ペナルティ」として高度な技術が制限されているものの、デザイン思考にプログラミング教育にマイコンボードと、これよりヘボコンに知性的なものが入り込んでいったら、どうなってしまうのか。

「わりと強みだと思ってるんですが、ルールを緩めたぐらいではコンセプトは揺るがないんですよね」と、石川は落ち着いた様子で語る。「例えばマイコンをオッケーにしたら、もうそれはヘボコンじゃなくなっちゃうかっていうと、全然そんなことはなくて。やっぱりマイコンをうまく使えない人が変な実装をして出てきたりとか、そこにはそこで“ヘボい人”がいるので、応用範囲を広げられるイベントだと思うんです」

そう、失敗や欠陥が生じる余地がある限り、ヘボコンはコンセプト的に揺るがない。

この10年にわたって米国や欧州各地でものづくり関係者を取材してきたなかで、しばしば会話で「HEBOCON」という単語を耳にしたり、その普及を実感したりしてきた。しかし、翻訳された単語やローカライズされた名称ではなく、いつも「ヘボコン」という外国では耳慣れない日本語が常に用いられてきた。それは「ヘボさ」というものが、動画などの視覚的な情報を通して、何か予測不能で翻訳しづらい独特な概念として伝わり、新しいスタンダードになったことを示しているかのようにも思える。

ヘボさを楽しむ文化──。それはテクノロジーやイノベーションの不完全さや不穏さを受け入れながら生きている現代のわたしたちに、オルタナティブな道を示す光なのかもしれない。

(Edited by Daisuke Takimoto)

※『WIRED』によるロボットの関連記事はこちら。


Related Articles
article image
日本のファミリーレストランなどで見かけるネコ型配膳ロボットを手がけた中国メーカーのPudu Robotics(普渡科技)が、世界市場で存在感を強めている。こうした業務用ロボットは今後どのように進化し、人間とロボットの関係はどうなっていくのか。創業者でCEOの張涛に訊いた。
Hyodol Child Dolls
高齢者向けにインタラクティブな“デジタルの友達”の役割を果たすソーシャルロボットが注目されるようになってきた。まだ市場は初期段階で課題も多いが、生成AIの進歩に伴って会話型ロボットの開発は加速しそうだ。

雑誌『WIRED』日本版 VOL.54
「The Regenerative City」 好評発売中!

今後、都市への人口集中はますます進み、2050年には、世界人口の約70%が都市で暮らしていると予想されている。「都市の未来」を考えることは、つまり「わたしたちの暮らしの未来」を考えることと同義なのだ。だからこそ、都市が直面する課題──気候変動に伴う災害の激甚化や文化の喪失、貧困や格差──に「いまこそ」向き合う必要がある。そして、課題に立ち向かうために重要なのが、自然本来の生成力を生かして都市を再生する「リジェネラティブ」 の視点だと『WIRED』日本版は考える。「100年に一度」とも称される大規模再開発が進む東京で、次代の「リジェネラティブ・シティ」の姿を描き出す、総力特集! 詳細はこちら。