Evernoteがデジタル・フィジカル境界消滅宣言:バッグや財布、ソックスを売り始めた理由とは?

人気メモアプリを開発する企業が、フィジカルな製品の販売を始めた。世界中から厳選したメーカーと共同で、財布やリュックサック、PCバッグなどをデザイン。あのポストイットとの共同開発も実現した。なぜ彼らはフィジカルな製品の開発に乗り出したのか? フィル・リービンCEOが、その意図を特別にWIREDのために語ってくれた。
Evernoteがデジタル・フィジカル境界消滅宣言:バッグや財布、ソックスを売り始めた理由とは?
PHOTOGRAPH BY YASUHIRO SHIMOKA,

フィル・リービン

フィル・リービン | PHIL LIBIN
Evernote CEO。サンフランシスコで9月末に開催されたEvernote Conferenceののちに来日。「Evernote Market」で発売される製品が並ぶ、日本のオフィスにて撮影。


WIRED Lifestyle
「Luxury, but Comfort—素晴らしき未来のライフデザイン 10人からの提言」と題した“ラグジュアリーの新定義”を考える連載を、2014年1月からスタート。ものを所有することとは違う“自分にとって本当に大切なものとは何か”を考えるヒントを、10人のゲストとともに考える。

第1回「ちょっとだけ社会をよくする、自分だけのやり方でーフィル・リービン(Evernote CEO)」


ちょっとしたメモから、名刺やビジネス書類、プライヴェートでは子どもの写真や料理のレシピなど、何でもクラウドに記憶できるソフトウェアアプリケーションを提供するEvernoteが、財布やメッセンジャーバッグなどのフィジカルな製品を販売するオンラインマーケットプレイス「Evernote Market」をオープンした。なぜソフトウェアを開発してきた彼らが、フィジカルプロダクトの販売をスタートしたのか。フィル・リービンCEOに訊いた。

──なぜEvernoteがフィジカルなプロダクトを?

約2年前、わたしはEvernoteのロゴが入ったものを勝手につくることを禁止したんです。きっかけは、ある日スタッフがEvernoteのロゴが入ったプラスチック製のウォーターボトルをつくったことでした。製品のクオリティは低く、間違いなく自分では買わないようなものでした。それにEvernoteのロゴが入っていることが許せませんでした。それ以来、一般に発売しても問題ないほど優れた製品でなければEvernoteのロゴを付けてはならないことにしたのです。

──そこからすべてがスタートしたわけですね。

それから2年間かけて、世界中を巡り、優れた製品を見つけては、それらの企業と共同でカスタマイズとデザインをしていきました。1〜2カ月のカスタマイズ作業で済んだものもあれば、1年以上もかけて共同開発をしたものもあります。そのなかにはウォーターボトルもありますが、2年前に社内で見つけたものとは違い、本当に自分でも買いたいと思うようなものに仕上がっています。

──発表された製品のなかで、ソックスだけ何か特別な印象を受けます。

実はこのソックスが、社内で最初にデザインしたものなんです。すべての製品が真面目である必要はありません。わたしは何かをするときは、いつも少し行き過ぎたものに挑戦すべきだと思っています。そこである日、うちのスタッフを集めて「ビジネスソックスをつくってみて」と試しに宿題を出してみたのです。理由は、「Evernote Business」を立ち上げるときだったから、ビジネスソックスがあるとなんとなく楽しいと思ったからです。売ることにするかどうかも決めずに、とりあえずしばらく取り組んでみました。そうすると、あるデザインに行き着き、日本のあるソックスメーカーと出合い、一般に発売してもいいと思えるほどのソックスをつくることができたのです。

「Evernote ビジネスソックス」。踝から上は黒なので、スーツでも違和感なく履くことができる。靴を脱いだときは、カラフルな色で遊び心をアピール。しかも、基本のグレーと緑のカラーで統一感があるため、異なる色の組み合わせでも大丈夫。「朝急いでいるときに色を合わせるのは面倒だからね」(リービン)。

──フィジカルな製品を販売する、Evernote Marketの発表には驚きました。

アプリだけの会社にはしたくないと創業当初からずっと思っていました。そこで昨年、初めてモレスキンと共同開発をしてフィジカルなノートを発売しました。ビジネスソックスづくりから始めた構想の、初の”パブリックリリース”のようなものでした。それがお陰さまで大成功を収めることができたので、今年はより多くのフィジカルな製品を販売してみることにしたのです。

実はわたしは最近、これから5年〜10年かけて起こるだろう2つの仮説を立てています。まだほとんどの企業が対応できていないものだと思います。もちろんあくまでも仮説なので間違っている可能性もあります。でもわたしは正しいと信じていますし、もし正しければ、それにいち早く対応しているEvernoteは、いずれ世界で最も重要な企業のひとつになれると確信しています。

──興味深いですね。その2つの仮説とは?

「仮説1」は、デジタルとフィジカルのプロダクトの境目が消滅することです。「仮説2」は、仮説1ともリンクしているのですが、コンシューマーとエンタープライズの境界がなくなることです。つまり、パーソナルライフとワークライフのどちらにおいても、同じプロダクトを使うということです。Evernoteでは今年やることのすべてにおいて、この2つの仮説を念頭に置いてプロジェクトを進めてきました。

──「仮説1」を立てたきっかけは?

この会社を立ち上げたころからずっと考えていたことです。わたしはソフトウェアエンジニアとして大学で教育を受けてきました。人生における何十年もの間、何か解決したい問題があったとき、いつもプログラミングでソリューションをみつけようとしてきました。でもそれだけでは不十分だということに気づいたのです。ハードウェアやフィジカルな何かのほうが効果的な場合も多々あると。Evernoteのエンジニアやデザイナーには、ソフトウェアに限らず、幅広いツールセットを扱えるようにしたい。問題をみつけたときに、それを解決するために何でも扱えるように。その自由は、時に強制的に彼らに与えなければならないものです。「あなたはソフトウェアデザイナーでもハードウェアデザイナーでもなく、すべてをデザインする人なのだ」と。そうした自由を与えたほうがよりよい製品ができると思うのです。

人気のモレスキンシリーズには、罫線のない「Evernote スケッチブック by Moleskine」が新たにラインナップに加わった。
Evernoteのロゴは決して主張することはなく、注意して見ないとわからないほど小さい。「このバッグはEvernoteの宣伝グッズではないので、ロゴを大きく見せることに意味はないんです」(リービン)。

──Evernote Marketの開発には、元アップルのデザイナーでもあるジェフ・ズワーナーが大きく貢献しているようですね?

ジェフは約1年前から「Branded Products and Experiences」のヴァイスプレジデントとしてEvernoteに加わりました。Evernote Marketのデザインを任せていたチームのリーダーです。彼は以前アップルでiPodなどのパッケージデザインを任されていました。うちに加わってから彼は知り合いを何人か引き連れてきていますし、Evernoteのデザインチームは、いまや世界で最も優れたチームのひとつだと思いますよ。

しかもジェフのチームは、プロダクトのデザインをしているだけではないんです。Evernoteのオフィスのデザインもすべて彼らに任せています。オフィスの家具やインテリアデザインだけでなく、ゴミ箱やランチまでデザインさせています。そんな企業はほかになかなかないと思いますよ。

──どうしてそこまで彼らにデザインさせているのですか?

前回お会いしたときに確かご説明したかと思いますが、Evernoteは「100年スタートアップ」という企業ミッションを掲げています。100年を見据えると、最も重要視しなければならないのは企業文化です。いまのプロダクトよりもカルチャーのほうが大事なのです。カルチャーは次の1,000のプロダクトをつくりますからね。それに多くの新製品は、オフィスの中で自分たちのためにつくってみたところ、もっと多くの人にも使ってもらいたいと思って生まれるものなので。


<a href="/2013/06/12/evernote-phil-libin/" target="_blank"><strong>INTERVIEW Evernote CEOに訊く:スタートアップ成功の極意は日本企業に学べ</strong>

──Evernoteのスタッフにとっては、すでにデジタルとフィジカルの境界はなさそうですね。

20年後にはWIREDの読者も、「2013年に語られていた、デジタルとフィジカルの境界って何のこと?」と思うことでしょう。2つが分かれていることをとても奇妙に感じるはずだからです。10年以上前のソフトウェアとデザインの関係とよく似ています。昔のソフトウェア会社は、デザインについてほとんど気にしていませんでした。それが、アップルなどの企業が真剣にデザインに取り組み始めてから、大きく状況が変わり、いまやどのソフトウェア企業に訊いても「デザインは超重要だ」と語ります。フィジカルのデザインも今後同様に重要視されていき、デジタルとフィジカルの融合が進んでいくだろうとわたしは仮説を立てています。Evernoteはその最先端をいくカルチャーを備えた企業でありたいのです。

Evernoteと長期にわたりコラボレーションしてきた南和繁(abrAsus)によってつくられた「Evernoteスリムウォレット」。機能を必要最少限まで削ぎ落とすことで、ポケットに入れてもかさばらないほどの薄さを実現している。
同じく日本のabrAsusとつくった、「EvernoteひらくPCバッグ」。いままでのメッセンジャーバッグの不便さを解消し、二等辺三角形のフォルムで、自立し、開いたままバッグの中身がすべて見える構造になっている。

──「仮説2」のコンシューマーとエンタープライズの境界が消滅するとは?

境界がなくなるという意味では、仮説1と同じような話です。20年前の“ナレッジワーカー”といえば、限られた業界のなかで限られた人数しかいなくて、しかも世界で最も裕福な国にしかいませんでした。でもいまその数は世界中で急激に増加しています。現代のナレッジワーカーは、常に仕事をしていて、土曜日の夜11時でも仕事のことを考えているでしょう。ただそれと同時に、趣味や家族のことなど、パーソナルライフについても考えています。いまやナレッジワーカーは、仕事において私生活と同じくらい快適な体験を望んでいます。業務用ソフトウェアアプリケーションを開発している企業は、いまのままだと今後10年以内にすべて倒産してしまうと思いますよ。「コンシューマーDNA」のない企業、つまり、ひとりの人間が選びたくなるほど優れた製品を開発できない企業は、どんどん淘汰されていくでしょう。

──今回発表されたEvernote for Salesforceでは何を実現しようとしているのですか?

ひとつは、セールスフォースのユーザー体験をモバイルでも強化させることです。Evernoteと連携することで、外出先でのエクスペリエンスがより快適になります。もうひとつは先ほどの仮説に沿って、エンタープライズ用のソフトウェアにEvernoteのコンシューマークォリティの要素を追加することです。セールスフォースでは、フィールドに詳細項目を一つひとつ入力していかなければなりませんでした。Evernoteはもっとフリースタイルで、どんな情報でも自由に入力することができ、それと関連する顧客情報などを読み出すことができます。

ただし、われわれもセキュリティ機能の強化など、今回の共同開発でセールスフォース側からいろいろと学べたことがありました。コンシューマーとエンタープライズの境界が消滅するというのは、その両者のいいところを併せもつ新時代のソフトウェアが生まれるという意味です。エンタープライズ用ソフトウェアに備わる高度なセキュリティ・プライヴァシー機能などと、コンシューマー用ソフトウェアの優れたユーザー体験を組み合わせたものを、セールスフォースとともにつくろうとしているのです。

会社の同僚とメモを共有するための「Evernote Business」がヴァージョン2.0にアップグレードされた。飛行機のビジネスクラスでは快適な空の旅になるのに、業務用ソフトは逆に操作性が悪くなるのは問題だ。リービンは、“Evernoteのビジネスクラス”を用意することで、その状況を変えようとしている。
Evernoteの「ポスト・イット ノートカメラ機能」でポストイットの写真を撮ると、実物そっくりのデジタル版コピーが作成される。

──今回のポストイットとの取り組みにも驚きました。どのようにして実現したのですか?

ポストイットはずっとわたしたちにとって憧れの商品だったのです。最初のころのEvernoteのUIは結構ひどいものでした。エンジニアたちとわたしでデザインしたものだったからです。それを変えるために数年前から「エクスペリエンスファーストのデザイン哲学」を提唱しています。まずユーザーの体験を想像して、それを実現するためのプロダクトをデザインするという考え方です。それを始めたときに、目指すべき最高の体験を提供している製品、いわゆる「ヒーロープロダクト」がポストイットだったのです。完璧にデザインされていて、多目的に使用でき、とてもシンプルで誰が見てもすぐにその使い方がわかるもの。それはまさにEvernoteが目指すべきユーザー体験です。当時わたしはスタッフ全員を集めて、「ポストイットを目指す」と宣言したのを覚えています。そうしてずっと憧れてはいたのですが、ポストイットと一緒に何かをやろうと思ったのは、モレスキンとの共同開発で成功して自信がついたのがきっかけです。彼らにもそろそろ声をかけてみてもいいのではないかと思い、今年1月のCESで話し合ってみました。すると、実は彼らもデジタル化についていろいろと考えていて、わたしたちと一緒に何かをしたいと思っていたようで、「じゃあ一緒に開発しよう」と意気投合しました。

──開発を進めるにあたって工夫したことは?

ポストイットのシンプルなユーザー体験を損なうことのないよう特に気をつけました。新しいiOS7アプリにはポストイットカメラが備わっています。ユーザーはそれを立ち上げて、記録したいポストイットノートを撮影するだけ。あとの複雑なことはすべて自動的にシステム側のバックエンドで処理するようにしました。まずポストイットの縁を認識して、自動的に周囲をカットします。一度画像からポストイットの色を取り除いてテキストのみを抽出し、あとで検索できるように処理します。そしてデジタル版のきれいな背景色を再びそのテキストの裏に敷きます。ポストイットの色によって、ノートブックやタグを分けて管理することもできるようにしました。例えば、黄色は自分へのリマインダーで、青は共有ノートブックに入れて同僚とシェアする、といったような使い方ができます。

──憧れのポストイットと共同開発が実現したわけですが、手応えはいかがですか?

この取り組みには本当に大きな可能性を感じています。ポストイットは年間何十億個も売れている、完全に“メインストリーム”の商品だからです。しかもポストイットを買う人は、日常的にメモをとっている人たちで、彼らは家でもオフィスでも使用します。つまり、これは先ほど挙げた2つの仮説に沿った最適なプロダクトでもあるのです。しばらく時間はかかると思いますが、世の中のすべてのポストイットの裏にEvernoteのロゴを入れていくことが当面のゴールです。

リービンは、Evernote Conferenceで同社のウェアラブルデヴァイスに対する見通しを語った。

──EvernoteのCEOとして、次は何を狙っていますか?

今回のEvernote Conferenceで発表したときにも話した“ウェアラブル”ですね。わたしの読みではおそらく、あと1〜2年ほどでメインストリームになっていくのではないかと思います。ウェアラブルで、人々が本当に欲しいものは何なのか、最近相当なエネルギーを注いで研究しています。

──研究の結果、何かわかったことはありますか?

少しはみえてきました。ひとつは、これまでのようなデヴァイス単独で動くことを想定して設計されたアプリは意味をなさなくなるだろうということです。グーグルやサムスンなど、いち早く乗り出したメーカーは、まだそのようなアプリを想定しています。例えばユーザーにそのデヴァイスのために特別に開発されたEvernoteアプリをダウンロードしてもらうというやり方です。でも未来では、それは主流にはならないでしょう。ウェアラブルデヴァイスで、スマホのようにアプリを探して立ち上げて……というような操作をしたいと思う人は誰もいないからです。アプリは「デヴァイスのため」ではなく、「人のため」に開発されるべきだと思います。

──「人のため」とは?

エクスペリエンスが人を中心に設計され、その人が携帯しているすべての端末が、そのユーザー体験を形成するために働くということです。それを実現するためには、まったく新しいプロダクトデザインの方法が必要になります。自分たちも含めて、誰もそれを実現できる方法をまだ知りません。でも日々学んではいるので、今後1〜2年のうちに、誰かがこれまでのプロダクトデザインの常識とは、まったく異なる新たなパラダイムを生み出すことでしょう。それができる企業は、これから相当優位なポジションに立つことができるはずです。

──Evernoteが独自のウェアラブルデヴァイスを開発する可能性は?

Evernoteは、いきなり自分たちのヴァージョンをつくってみようとはしません。「ユーザーにとって最も理想的なエクスペリエンスとは何なのか」をまず最初に考え、それを実現するための最適な方法を模索するのです。そのため、いま開発が進んでいるグーグルやサムスン、ソニーなどのほか、もし何か新しいウェアラブルデヴァイスが開発されればアップルと、おそらく共同で取り組むことになるでしょう。Evernoteにしか見えていない理想的なスマートウォッチなどがあれば、独自開発もありえなくははいですが、可能性としては限りなく低いでしょう。


WIRED Lifestyle
「Luxury, but Comfort—素晴らしき未来のライフデザイン 10人からの提言」と題した“ラグジュアリーの新定義”を考える連載を、2014年1月からスタート。ものを所有することとは違う“自分にとって本当に大切なものとは何か”を考えるヒントを、10人のゲストとともに考える。

第1回「ちょっとだけ社会をよくする、自分だけのやり方でーフィル・リービン(Evernote CEO)」


TEXT BY HIROKI MARUYAMA

PORTRAIT PHOTOGRAPH BY YASUHIRO SHIMOKA

OTHER PHOTOS COURTESY OF EVERNOTE