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素直に「過去」の過ちは認めようよ

「確かな野党」と自ら言っている以上、政権に入ることは100年ぐらいなさそうな共産党。
でも、その共産党の議席が増えない、支持が広がらないなどを口惜しく思っている人たちも少なくない。まぁ、「共産党こそが正しい」と信じて疑わない人ならば、確かにこの状況は納得できないだろうし、有権者に共産党を支持してくれるように勧めたい気持ちもわからないではないが、次の点をきちんと洗っておかないと、一般有権者からの支持は受けることはないように思う。


1.冷戦期にソ連や中国、北朝鮮を擁護していたこと。

朝鮮戦争では一貫して北朝鮮を擁護し、国連決議に基づいた「国連軍」(国連憲章上の国連軍ではない)の行動について批判をしてしまっている。
また、1962年10月号の「前衛」では、故上田耕一郎氏が、1964年10月31日の衆議院予算委員会において、岩間正男議員が「社会主義の核」を正当化した。特に岩間議員の発言は、現在も議事録から削除されていない。この発言が、原水爆禁止運動に分裂をもたらしたのであるが、このときの反省が共産党の執行部からなされたことはない。
もし、本当に「世界から核兵器を廃絶したい」とするならば、少なくとも、これらの発言について「誤りであった」と明言し、その上で「核廃絶を」と主張すべきであろう。しかし、この自己批判がないどころか、これらの主張をネグレクトして「核廃絶運動」をしているのだから、共産党を信頼しないことが「反共」とレッテルを貼られるいわれなどないのである。


2.社会主義思想の学生が火炎瓶やゲバ棒を持って暴力的な運動を展開してきたこと。
3.社会主義者の一部が、三菱重工爆破事件や日航機ハイジャック事件などのテロをガンガンやっていたこと。


この件は、共産党と関係があるともないとも言えない。共産党の分派だったり、あるいは支持者でこれらを展開したのは歴史的事実である。
これに関しては共産党は「無関係である」と声明を発しているわけだが、一般有権者の「信頼」を勝ち得るまでには至っていない。これは、党員が党外で「みんな同じ発言をしている」という、ある意味宗教団体のような胡散臭さがあるからである。
テレビで共産党の国会議員が共産党に関して批判したことを聞いたことがない。別に批判しろとは思わないが、「私個人としては、ここをこうすれば、もっと国民のみなさんに、より正確に伝わるんじゃないかなと思う」という程度の発言ですら許されない状況では、旧ソ連の情報秘匿状態をイメージするのは無理からぬところである。
自民党も民主党も、党首選に関して各々支持不支持、批判をしている。そして党首選が終われば、一応まとまりをつけている。共産党も内情はそうなのであろうが、自民・民主と共産の違いは「それがオープンかどうか」という点にある。党としての、党員としての主張が全員一致しているのは構わないが、議論オープンではない=プロセスが見えないというのは、一般有権者に対しては、武力闘争時代の胡散臭さを払拭するにはマイナスでしかない。
そして、「やってはいけない弁明」をしまくっている。マルクスやエンゲルスが暴力を肯定しているかどうかについて弁明するのではなく、仮に暴力は否定しているというのであれば、「暴力を肯定していると解するのも無理はない。だが・・・」という姿勢が必要であり、暴力を肯定しているというのであれば「マルクスは暴力を肯定しているが、日本共産党はこの部分に関しては否定的であり、絶対に支持できない」という批判を、より明確に、より厳しく展開すべきであった。
私はマルクスもエンゲルスも詳しく研究していないので、どちらが正しいのかはわからないが、いずれにしても、共産党の姿勢には明確さと謙虚さが足りない。


4.徳田球一や野坂参三などの「不正」について、「党として謝罪」したことがないこと。
5.「共産党は一度も誤りをしたことがありません」と解釈される声明しか出していないこと。
6.「間違っていました。すみません。態度を改めます。」という言葉での謝罪がないくせに、「現在は議会制民主主義の態度をとっているので、問題ない」と思考し、擁護し、支持を訴え、過去のことに対する弁明や反省を表明することを求める人間を逆に批判する「宗教信者」のような輩が支持者に多いこと。


こちらは致命的欠陥である。徳田とは訣別しているし、野坂は処分した。しかし、これはあくまでも「共産党内」「共産主義者内」の話であって、一般有権者とは関係ない話である。
しかも徳田も野坂も1945年当時の日本共産党の中心人物である。旧憲法下での衆議院議員でもあり、現憲法制定に「代議士として」直接関与したほどの人物でもある。「もはや関係ない」といくら言われても、肝心の「明確な謝罪」がなければ、本当に反省しているのか、本当に誤りだと思っているのか、疑うのは当然であろう。ただ単にごまかしているだけ、謝罪したくないのであろう、というイメージを一般有権者に持たれてしまっては、どんなに「国民が主人公」だの「弱者救済」だの掲げても、信用されないのは、一般社会にとって当然である。
本当に一般有権者に信用されたいのであれば、「党として行動した」徳田や野坂の行為に対して、不破氏なり志位氏なりが「党として」謝罪すべきであろう。何も特別なことは言っていない。前任者の不祥事を後任の社長が謝罪するのと同じことであって、それをせよ、というだけの話なのだが、これを不問にして共産党批判を封じようというバカブロガーがいるわけで、このバカブロガーの思考と感情が、共産党の支持を減らしているということに気づかないで、私に逆らっているのである。まさに「自爆」以外のなにものでもない。


7.共産党を妄信している人ほど、「草の根」で周辺住民にえらい迷惑をかけていること。

刑事事件としては、マンションでのビラ配りの事例がある。
これを「表現の自由の侵害」と捉える人もいるが、誰もそんなことを問題視しているのではない。マンションの共用部とは「住人にとっての共用部」なのであって、部外者の出入りが自由なのではない。いろいろ屁理屈をつけてビラ配りを正当化しようとするバカも多いが、ピッキングや宅配を装う強盗殺人事件が起こっている状況において、部外者がウロウロしていることが、いかに住民の不安を招くことになるのか、その配慮があまりにもなさすぎる。管理組合や管理人を通してビラを配るべきであり、もしそれを拒絶されたのであれば拒絶されてから抗議なり主張なりをすべきであろう。


これらの指摘を受けて「反共」とレッテルを貼って私を非難したいのであれば、思う存分すればいいと思う。しかし、それは、自分が支持する日本共産党の支持を、自らが失う原因を作っているだけである。今は「蟹工船」ブームや派遣労働者の一方的解雇問題で共産党支持が増えているが、こんなのは「バブル」であって、一時的なものでしかない。これを「バブル」で終わらせるのか、それとも「高度成長のきっかけ」にするのかは、謙虚に上記の点を代々木の本部が取り組むかどうかにあるであろう。

私は共産党支持者ではないので、議席が増えようが消滅しようが、はっきりいってどうでもいいことではあるが。

田母神論文こそ文民統制のチャンス

何をいまさら、という感じもしなくもないが、思いついたのでエントリーする。

今回、「田母神論文問題」に関して田母神前航空幕僚長は、テレビで「自分の考え」を披露している。ただし、国会の外交防衛委員会で参考人として呼ばれたものの、ほとんどが浜田防衛大臣の責任問題に終始してしまい、現場の生の声が国政に何ら反映せず、それどころか単なる「政争の具」に使っただけであった。
これが「軍国主義に対する反省」として肯定されるのであれば、それこそ「誤った歴史認識」と言わざるをえないだろう。

ただ、今回は「Civilian」の定義づけについては特に触れないでおきたい。(論文を書くまでの労力は使う気力がない上に、「Civilian」の定義づけだけで、エントリーどころか論文が書けるので。)

と、一応、言い訳だけをしておいて本論へ・・・。






そもそも「文民」という言葉自体、現憲法制定の際に、ソ連から「9条の条文では再軍備が可能である。国務大臣をcivilianに限定するべきである。」という要求があったものの、日本語で「civilian」に対応する単語がなく、急ごしらえで慌てて作った単語である。このため、日本語の「文民」に対する理解が日本国民の中において、必ずしも共通認識として確立されたとはいえない。

それを承知であえて「Civilian Control Over the Military(Civilian Supremacy)」として日本国内で理解されているものを具体的に言うとすれば、それは『Political Control』であって『Democratic Control Over the Military』ではないと考えている。

旧憲法下においても、軍に関しては「Political control」が基本であった。軍部大臣が武官に限定されていたため、「Civilian Control」ではなく、また、「統帥権」の範囲があいまいであったことから、土台が弱い「Political Control」ではあったが、人事、予算等、軍に関する最重要事項は「軍政」として陸軍省と海軍省の管轄であり、開戦、停戦、講和については、それこそ内閣の管轄事項であった。宣戦布告やポツダム宣言受諾の詔勅には、陸軍大臣と海軍大臣の副署はあるが、参謀総長と軍令部総長の副署はない。これをみても、戦前においてですら、「軍を動かす」のは「政治」であったことは明らかである。

余談だが、「軍部の独走」が起こったのは、満州事変や統帥権干犯問題がきっかけであるが、満州事変は、関東軍の独走であって、軍中央にすら秘匿されて行われたものである。
「統帥権干犯問題」に至っては、「軍と政治の対立」ではなく、「海軍内部の権力闘争」と「議会内の権力闘争」がシンクロした産物であり、軍と政治が対立した結果ではないということである。
海軍内部でもロンドン海軍軍縮条約推進の「条約派」と条約反対の「艦隊派」があり、条約派には、当時の財部海軍大臣をはじめ、谷口尚真、山梨勝之進、左近司政三、寺島健、堀悌吉、下村正助、米内光政、井上成美、山本五十六などがあげられる。しかし、「大角人事」と呼ばれる粛清人事によって、これらは予備役にされたり、あるいは左遷人事の憂き目に遭い、軍拡に傾いていった。
帝国議会においては、与党憲政会・民政党と野党政友会が権力闘争をしており、政友会側が若槻内閣を攻撃する材料として、この条約を「統帥権干犯である」と非難し、これにより政治の自殺行為が行われたのである。

先の太平洋戦争において東條英機が1944年2月に陸軍大臣と参謀総長を兼任し、嶋田繁太郎が海軍大臣と軍令部総長を兼任したことがある。これは、軍政と軍令のトップを1人が兼任することで、統帥権干犯問題で露見した『軍政が軍令をコントロールしきれない』状態を阻止し、「軍の作戦は政治の従属下におかれ、政治は軍の状況をみて対処する」という、軍政と軍令のいい意味での一体化を図ったものである。

これも余談だが、よく反戦平和運動の連中が「歴史を美化する」と歴史修正主義サイドを非難するが、反戦平和運動の連中も、実に都合のいい「美化」をしている。
反戦平和運動の連中が猛烈に批判する「軍国主義」のきっかけとなった『統帥権干犯問題』。ロンドン海軍軍縮条約を統帥権干犯だとして、若槻内閣を帝国議会で猛攻撃したのは、政友会の総裁で「話せばわかる」という言葉で有名な元総理大臣・犬養毅であり、孫が「民主党の創設者」と「友達の友達がアルカイダ」である日ソ国交回復・国連加盟に尽力した元総理大臣・鳩山一郎であることは、特に記しておかねばならないだろう。






長々と「Political Control」について記述したわけだが、なぜ、これと田母神論文問題がつながるのか。

『Democratic Control Over the Military』

「民主的統制」と直訳され、具体的には、単に「Civilianであればよい」という消極的なものではなく、「Democratic」、すなわち、国民の代表者たる国会議員が、国会における公開の質疑と答弁を通じて、効果的な法律を制定するなどを通じて統制することである。
もちろん、そのためには、機密が漏えいしない程度に、最大限の正確な情報を国会議員を通じて国民が得て、その情報をもとに質疑を行い、法律案を審議することが欠かせない。

そして、これはにわかに信じがたい話であるが、「Democratic Control」は、実は戦後よりも戦前の方が機能していた、というのが事実なのである。

戦前は、確かに軍部大臣は現役の武官であった。しかし、このために「現役の武官が、議会に出席して、議員の質疑に答弁していた」のである。
この一例として有名なのが、1937年1月21日、第70回帝国議会における「腹切り問答」である。
政友会に所属する浜田国松代議士が、当時陸軍大臣だった寺内寿一に対して、「軍の政治介入が度が過ぎるんじゃないのかね?」と質問を行い、寺内陸軍大臣は「それは軍に対する侮辱だ!」と激怒したところ、浜田代議士が「どこに軍を侮辱する発言があるのだ?あったら俺は腹を切ってお詫びする。もし、そんな発言がなかったら、寺内大臣、君が割腹しろ!」と応酬したため、論破された寺内大臣が逆切れをして議会の解散を求めたものの、論破された寺内大臣の発言を取り入れる人など存在せず、逆に寺内は陸軍大臣を辞任したため、内閣は総辞職に追い込まれたという、まさに「議会が軍を追い込んだ」すごい事件である。

これ以外にも、斎藤隆夫代議士による「粛軍演説」「反軍演説」事件がある。
これは、直接軍に対するものではなく、また、議会の議決により議員除名の憂き目にあったので、「Control」という点では事例とはならないものの、日中戦争をやめようとしない近衛内閣や軍にいらだちを覚えた代議士の代表質問を、現役武官(陸軍大臣と海軍大臣)が直接耳にするわけであり、少なくとも議会が軍と直接質問し、答弁を得るという仕組みは成立していた。

では、戦後はどうであろうか。
防衛庁~防衛省の大臣と「背広組」は、国会に出席して国会議員の質疑に対して答弁している。が、制服組が国会議員の質問を受け、答弁した例は極めて少ない。
官僚は優秀ではある。しかし、国家一種を通過しただけの話であって、専門知識は素人に毛が生えた程度でしかない。
大臣・副大臣・政務官は、与党内の人間関係論に左右されるため、素人に毛が生えた程度の官僚よりも、さらに専門知識がないことも珍しくはない。つまり、軍事問題に関して日本の国会は、専門知識が心もとないCivilianだけで質疑と答弁を行っているのである。専門知識がないということは、「言っていいことと隠すべきことの区別がつかない」ということでもある。この区別がつかなければ、機密漏洩の危険性を回避しようと思えば、「機密に関わるため、お答えできません」という答弁しかできない。でも、これでは情報が一切公開されないのだから、国会や国民の監視なんてできるわけがない。従って、戦後の方がむしろ、国会議員が軍の統制を困難にしてしまっているのである。

では、「制服組が国会に説明員として出席し、議員と直接質疑応答できるか」というと、実は「できる」のである。源田実航空自衛隊航空司令は、F-104戦闘機導入に関して、その説明を国会で行っている。(もっとも、航空機選定のため、直接渡米して説明を受けてきた、ということで呼ばれたわけだが。)

『Democratic Control Over the Military』を発揮するならば、むしろ幕僚長クラスは、外交防衛委員会には常時出席しておくことが望ましい。「軍政」に関する事項を背広組がイニシアティブを握るのはいいとしても、「軍令」に関する事項は、やはり専門知識がある制服組しかできないことであり、その制服組を、国会議員が直接コントロールするのであれば、すぐに質問・答弁できる形が好ましいことは言うまでもない。
そして、これは嫌らしい言い方ではあるが、「腹切り問答」での浜田代議士のように、質問者の技量によっては、防衛省内の「矛盾」をあぶりだし、これによって、さらなる統制を行うことも可能になるというメリットもある。

田母神さんは、テレビで「思い」を余すところなく話してくれた。
「論文」そのものは、とても「論文」と呼べるような代物ではないし、「歴史認識」以前に「歴史の知識」が弱いのは確かである。田母神さんを支持する方々には申し訳ないが、「田母神論文」そのものは、私はまったく評価はしていない。しかし、田母神さんは、現場の自衛官の不平不満を、国民に包み隠さず示してくれた。「不平不満」というよりは「悲鳴・切なる思い」という方が適切なのかも知れない。
自衛官の歴史観や国防観が正しいか正しくないか、自衛官の「教育」の在り方が正しいか正しくないか、そのことについては議論があるところだと思うが、少なくとも、田母神さんが公の場で発言しなければ、国民は誰も気づかなかっただろうし、Civilian Controlについて考える機会もなかっただろう。

いくら「戦前の反省」があるとはいえ、自衛官も感情を持った人間である。「軍は無条件にCivilianに従え」という態度で無理やり抑え込んでも、不満が爆発してしまったらCivilian Controlもあったもんじゃない。制度上で「文が武の上位に位置し、武は文に常に従う」ものであったとしても、できれば、相互に理解しあい、問題を共同で解決して、お互いに敬意を持って社会に共存することで、自衛官が自らに誇りを持ち、「国民に奉仕する公務員としての自衛官」としていてくれる方が、より平和でよりCivilian Controlが機能すると、私は考えるがどうだろうか。

ソマリアと海上自衛隊

ソマリアへの海上自衛隊派遣反対の人、本当に無知も大概にせい、というところである。

海上保安庁の巡視船で、ソマリア付近の公海を通行するタンカーなどの安全を図れるのか、答えは「NO」である。






その前に、軽く触れておきたいことが2つ。

1.領空侵犯と領海侵犯

領空侵犯とは、その国の許可なしに勝手に領空内に進入することを意味する。このため「入っただけ」で強制着陸や退去命令(要請)を行うことができ、それに従わない場合は、何らかの措置を講じることが可能である。仮に軍事行動(スパイ行為であっても)を行っているのであれば、撃墜もまた法的には許可されている。

海域については、沿岸国は外国の船舶を基本的には通航させなければならない。(国連海洋法条約第17条)
ただし、これは「無害通航」、つまり、沿岸国の国益を侵犯しないという範囲の通航に関して、沿岸国は外国船舶を通航させなければならないのであって、無害ではない通航(武力の行使または威嚇・軍事演習など、スパイ行為、プロパガンダの流布、航空機や軍事機器の発着や積み込み、測量や情報収集、漁獲、通関上・財政上・出入国管理・衛生上の法令違反など)をした場合は『領海侵犯』として扱うことができる。また、潜水艦などについても、潜水してはならず、かつ、国旗を掲げなければ「無害通航」とはされない。(国連海洋法条約第18条、第19条、第20条 「無害通航権」


2.領海と公海

領海は、文字通り、沿岸国の主権が及ぶ海域のことである。
ただし、主権のすべてが適用されるわけではなく、国連海洋法条約で認められた範囲での主権行使となる。領海は、直線基線から最大12カイリ設定されるが、一部例外もある。(他国と重複する海域が出てきた場合は、その中間線までとされる。また、国際海峡が設定されたときは、12カイリ以内であっても領海とすることができない。)

領海は直線基線から最大12カイリ設定されるが、接続水域は、直線基線から最大24カイリ設定することができる。
ちなみに、「領海」と「接続水域」の違いは、「領海」は、制限があるとはいえ、その国の主権が及ぶ範囲の海域であり、「接続水域」とは、基本的には公海ではあるが、通関・財政・出入国管理・衛生に関する国内法の適用を受ける海域を指す。(国連海洋法条約第33条)






なぜ、「領海」の概念を持ち出したのかといえば、『ソマリア側が、無害通航を侵害している』ため、その「護衛措置」が否定されうるものではないからである。

ソマリアの歴史は、まさに「日本の戦国時代」といってもいいような群雄割拠の歴史である。
北部の「ソマリランド」はイギリスの植民地、南部はイタリアの植民地であったが、独立後に統一され、一応「ソマリア」という形の国家が成立した。といっても、ソマリアは、元々、60もの氏族が、それぞれ軍事力を保有して散在している。
第3代大統領バーレは、銀行の国有化・農業政策・ソマリ語の文字化・男女平等の推進などといった近代化を図っていたが、これだけの氏族社会にあって急進的すぎたため、抵抗も激しく、何度も暗殺未遂事件などが起こっていた。それでも、改革による福祉の向上により、なんとか「ガラスの土台」ではあったものの、統一国家としての体をなしていたわけである。

エチオピアの東部は「ソマリ地方」と呼ばれ、ソマリアと同一の民族が居住している。
このソマリ地方で、エチオピアとの分離独立運動が発生し、そのバックアップを行ったため、1977年7月、エチオピアと戦争が開始された。(オガデン戦争)
ところが、エチオピアに撃退され、1988年にエチオピアと停戦。しかし、元々少数氏族社会のソマリアで、バーレ大統領の求心力は急激に低下し、軍と警察による弾圧を行い、国際社会からの援助も停止され、ますます孤立し、1991年、ついに内戦勃発、バーレはケニアに逃亡(のちにナイジェリアに亡命)するハメとなる。

この内戦は、まさに戦国時代そのものであり、北部の旧イギリス領は「ソマリランド」として独立を宣言。(ただし、エチオピアは大使を派遣し、IMFも直接交渉の当事国としてはいるが、ソマリランドを正式に国家承認している国はない。)
さらに、バーレー大統領を追放したUSC(統一ソマリア会議)内でも、モハメドとアイディードが対立して武力闘争が勃発。このために、モハメドは国連にPKOを要請することになるが、これが後の「ブラックホーク・ダウン」を招くきっかけとなった。






映画「ブラックホーク・ダウン」。
2001年にリリースされたアメリカ映画は、1993年にアイディード将軍逮捕に向かった米特殊部隊の失敗を描いており、かなり史実に近い形で演出されている。

米軍がソマリアに介入したのは、1992年、ソマリア国内に入った国連や赤十字、NGOなどの「非軍事活動」に対するアイディード派の非道な行為に端を発する。
援助物資は奪われ、医療活動は阻害され、難民どころか国連、赤十字の職員やNGOの人たちが誘拐、殺害、暴行などをされたわけである。ソマリアでは、反戦平和や自衛隊派遣反対を唱える愚か者どもの理論は一切通用しないことが証明された。(UNOSOMⅠ)
このため、「非軍事援助のための軍事作戦」が必要となり、米軍を主力とする多国籍軍(UNITAF)が、ブトロス・ガリ事務総長の構想である「平和執行部隊」の応用型であるPKF(UNOSOMⅡ)と共同作戦を展開。この軍事介入によって、やっと非軍事支援が進んだ。当初は、当然のことながら、「話し合いによる解決」の道を模索していたので、多国籍軍もPKFも、各派に対して停戦を呼びかけた。

ところが、あろうことか、アイディード将軍はこの呼びかけを拒否し、それどころか国連に対して宣戦布告をする有様。経済制裁も、そもそも貧困に慣れたソマリアにおいて、SNAという資金力をバックにしたアイディードに効果があるわけもなく、話しあいのテーブルに着かせるには、「強制力」を講じる以外に手がなくなり、クリントン大統領はアイディード将軍の逮捕に踏み切ることになる。そして失敗して挫折したのが「ブラックホークダウン」である。この失敗は米国内での反響も大きく、国連においても、加盟国の協力が得られず、田国籍軍もPKFも撤退することとなり、再び内戦が激化してしまう。
(ちなみに、旧ユーゴでの「平和執行部隊」と、ソマリアPKFの失敗により、ブトロス・ガリは、以前発表した論文「平和への課題」を修正する論文「平和への課題・補遺」を表すこととなる。)


その後、南西ソマリアやブントランドといった独立宣言が行われたものの、アフリカ連合と協働しながら、隣国のジブチやケニアなどで暫定政権を作ったりして、和平の道に光がさした・・・といきたいところ、世の中そんなに甘くはなく、「イスラム法廷連合」という、アフガニスタンのタリバン政権に似た思想信条の強烈な武装集団が結成され、これが首都モガディッシオを占領してしまうこととなる。

今度は、これに対応するために、2006年1月、国連はPKOをソマリアに派遣することを決定。2007年1月にエチオピア軍がイスラム法廷連合を制圧し、2008年8月、ようやく暫定政権とイスラム法廷会議が停戦したが、依然として北部のソマリランドはこの統一とは関係ないところで独立独歩で存在しているのみならず、いまだ、外務省の海外安全情報にもあるように、全土を実効支配する政権が存在せず、反暫定政府勢力も武装テロを行っているために、いまだに治安はイラクやアフガンに匹敵する悪さを見せている。もちろん、警察活動などないに等しい。






こういう「失敗国家」においては、国内のみならず「海賊」もまた、ただの犯罪集団ではない。
AK-47やRPG-7という、「軍事兵器」を保有する『海賊』なのである。この軍事兵器に対応できる船舶は、日本では海上自衛隊の艦船しかなく、海上保安庁の巡視船で対応できるレベルではない。
そして、この海賊は、アメリカやイギリスはもとより、フランス、スペイン、中国、ロシアはおろか、なんと、北朝鮮の船舶まで襲撃したのである。もちろん、日本船籍の船舶も何度か襲撃され、11月に襲撃された船舶の乗組員は、現在もなお、人質である。


これを語ると、よくある発言で、「海賊は警察行動で対処せよ。憲法違反の自衛隊派兵はダメだ。」と思考するのがいる。
論外である。
前述のように、相手は「軍事兵器」を持った連中である。商船構造の巡視船で「防御」などできるわけがない。それを知っててあえて、このような発言で海上自衛隊の派遣に反対するというのは、結局は「日本は何もするな、海賊対策は他国にやってもらおう」と言っているだけである。

で、これを言うと、マラッカ海峡の事例を持ち出して「巡視船」を求めるのが、反戦平和の愚か者どもである。
マラッカ海峡については、シンガポールとの軋轢はあるが、タイやマレーシア、インドネシアが日本に要望したのは「Navyの派遣」であって「Coast Guardの派遣」ではない。
マラッカ海峡の海賊も、一部には、軍事兵器を持った集団がいる。これについてはインドネシアなどは「海軍」で対応しているのだ。(警察力では対処できないため)

これを機に、マラッカ海峡でも海上自衛隊がASEANと共同で活動を行うように主張するのが正解なのであって、この反対の見解に立つのは、「襲撃されたら死んでくださいね、日本国憲法のために」と言っているようなものである。私が海上保安庁の親類家族ならば、「じゃ、お前が巡視船で行け。」と言ってやりたいところである。

で、これを言うと、今度は何を言い出すのか。
「憲法第9条」を金科玉条のごとく掲げあげ、「この悲劇は、軍産複合体のアメリカが引き起こしたものだ。これをやめさせないと、問題は解決しない。」とのたまう愚か者がいる。
アメリカが完全撤退すれば、武装勢力は武器を捨て、話し合いのテーブルにつくという確証があれば、それでよい。でも、その確証を提示された記憶は、私にはない。第一、アメリカを引き合いに出す場合、疾病に例えれば「病原菌はこれだ!」と言ってるにすぎないことを、この愚か者どもはわかっていない。必要なのはワクチンや治療法、抗生物質なのであって、「具体的かつ根拠の明確な解決策」を提示しなければならないが、私にこれを指摘されると「あなたとは冷静な議論ができないと判断しました」というバカブロガーもいて、タチが悪い。

最悪の思考と感情は、『和平努力に協力し、警察活動などに協力し、貧困と破壊を食い止めるためのあらゆる可能な援助を行う。』という類のものである。

なぜ最悪なのか?
具体的ではない。このひとことに尽きる。
「それって、いったい何なの?」というものもなければ、「それができるの?」という根拠もない。挙句の果てには「達成までの過渡期はどうするの?」という応急措置的なものを考慮していない。つまり、『何もしない』と言っているに等しいのだ。

しかし、こういう主張をすれば、必ず「好戦的だ」だとか「軍国的だ」、果ては「軍産複合体の手先」とまで言われてしまう。(手先なら、もっとカネあるけどな。)

そこまで言うならば、私は逆に聞きたい。
「それを全部やれば、確実に海賊はなくなるのか?」
「いつ、海賊がいなくなるのか?」
「今現在、その海域を通る船舶は安全になのか?」
「ならないなら、その船舶はどうしたらいいのか?」
これに対して、具体的かつ明確な、責任のある根拠を提示しての回答がないなら、やはり、反戦平和の思想と思考、感情と感性は、スローガンと正反対の「自分がかわいいだけ」であり、「無責任なだけのもの」でしかないわけだが、こういうコメントは、反戦平和の連中からすれば、反論に窮するのであろう、私のコメントを禁止にしてしまう。

ちなみに、ソマリアの海賊対策に関しては、国連決議1816が「国連憲章第7章に基づく」ということで発出されている。(さらに決議1838で期間延長が決定されている。)すなわち、国連において、武力行使が容認された決議であるので、海上自衛隊が派遣されても、国連決議違反には決してならない。
そして、IMO(国際海事機関)においても、ソマリア暫定政権に対して、この決議を受諾することを要請しており、日本もその決議には同意している。
ソマリア沖の海賊対策に海軍を派遣する国は、日本以外に、アメリカ、イギリス、イタリア、オランダ、カナダ、スペイン、デンマーク、ドイツ、トルコ、フランス、ポルトガル、インド、オーストラリア、サウジアラビア、ニュージーランド、バーレーン、パキスタン、南アフリカ、マレーシア、ロシア、中国、イランであること付記しておこう。この事実を知っても、まだ「対米追従」と唱えて派遣に反対したり、「自衛隊海外派遣は憲法違反だ」といって改憲を望まないのであれば、「君は、本音では、国際協調を望んでいないんだね」という言葉しか適切な日本語しかない。

堂々と公開コメントにせんかい!

鍵コメントは次の2つです。
私に対して「わくわくは、モノを知らないね。私が正確なことを教えてあげるから、勉強しなさいね。」という割には、持説を批判されたくないのか、卑怯にも鍵コメでよこしました。
そして、このブログにて、「堂々と開陳しろ」と言ったにも関わらず、2度までも鍵コメ。しかも10日経過したので、当方でさらします。






09/01/11 まる出し馬鹿

読んだ?
「反米大陸」読みましたか?
戦争を如何にして作るのかわかりましたか?
後は国連の拒否権絡みのネタをネットから集めて読んでくださいね。アメリカ=イスラエルだってわかるから。
ガザの人はあの地に産まれたばっかりに土地を追われ、なんとか生き延びれば経済封鎖だの爆撃だので死んでいるんですよ。
日本に産まれた我々には関係無いと思いがちだけど、輸出企業のために円安誘導され、ドル買い介入(日銀引き受けの国債で日本人全員から借金)でドルを買いながら、それは無価値(売りたくても売れない物=紙屑、ゴミ)のアメリカ国債に変えられました。アメリカ政府はイスラエルヘの援助を予算の1/3も出しているので、はっきり言えば日本はイスラエルに貢いでいるんです。
もう一つ、イスラム教について誤解しているかもしれないので、モンゴル帝国の侵攻がアラブの辺りで止まったのか調べてみることを奨めます。
私自身、歴史に学ぶってのは難しいことだと思っています。でも愚者は体験するまで学ばず、賢者は歴史から学ぶとかいう事を聞くから、歴史を見ることは不可欠だと思います。今問題の派遣だって戦前の制度で、その結果が焼け野原からの再スタートでしたから、派遣制度が良いわけありません。持ち株会社もそうですよ。
歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、です。






09/01/17 まる出し馬鹿

一部訂正
予算の1/3との記述は海外援助の1/3の誤りです。訂正とともにお詫び申し上げます。

どうやらわくわくさんは私より余程知識をお持ちのようです。…では何故イスラエルを非難できないのでしょうか?
ハマスのロケット弾で死亡したのは8年で20人。昨年11月には停戦中にも関わらず爆撃。12月の停戦延長の申し入れを拒否し、年末から今に至るまでは報道の通り。しかし、イスラエルはハマスが政権に関与する以前から経済封鎖をしていた事は報道されない…。
わくわくさんなら理解して頂けると思い、こうして書き込んだ次第ですが、私の説明不足だったようですね。
とりあえず以上です。






以上のコメントは、このやりとりから発生しています。

『ガザ 「死者100人は子供」 一刻も早くやめろ!バカタレ!』(わんばらんす)

イスラエルを一方的に非難しているココロさんに対して、その発言は適切ではない、ということを述べているわけだが、どういう国語力をしているんだか、私がイスラエルを擁護していると受け止め、バカな抵抗が行われたのです。






あまりに頭にきたので、鍵コメの部分について、こいつを論破します。


>輸出企業のために円安誘導され、ドル買い介入(日銀引き受けの国債で日本人全員から借金)でドルを買いながら、それは無価値(売りたくても売れない物=紙屑、ゴミ)のアメリカ国債に変えられました

日本だけがそうなら、その指摘に妥当性がなくはない。
しかし、現在、財務省証券の購入は中国の方が上である。日本の米国債購入を批判するのであれば、この状態をどう説明するつもりなのか、この愚か者は考慮していないのであろう。
しかも「売りたくても売れない」理由を、この愚か者はわかっていない。「日本が大量に購入している」という事実は、米国債の信用が高い理由の1つである。(もちろん、経済や軍事といったアメリカ自身のパワーも信用が高い理由であるが)この日本が「売る」というのは、世界からみれば「あの日本ですら売った」ということで、米国債の暴落を招くだけである。米国債の暴落は世界恐慌を引き起こす理由として十分であり、当然、日本の国益にも反するのだ。

かといって、米国債が日本にとって無価値だという思考は、実に愚かな思考である。
日本が「できない」のは、「期限前の償却」であって、満期になれば元本はリターンされる。そして、金利が発生しているので、保有していれば利子は日本に入ってくる。現在はアメリカの公定歩合がゼロ金利であるが、それまでは「金利の安いFDで調達した資金を、金利が高い米国債の購入で運用」していたのである。このため「利ざや」が発生しており、これが『埋蔵金』の1つになっている。そして、この理論は「円キャリー」としてヨーロッパでも行われている。(金利の安い日本の銀行から日本円で融資を受け、それを外貨に変換して欧米諸国の高い金利の債券を買う。これにより、金利差(利ざや)と為替で利益を得るというもの。)

つまり、私に対して「教えてあげるよ」的な態度で発言したいという欲求は、完全に不当かつ不正な欲求であって、発言や態度はもちろん、そういう感情を抱いたことに対しても謝罪するのが、この愚か者の義務であることは論を待たない。

>今問題の派遣だって戦前の制度で、その結果が焼け野原からの再スタートでしたから、派遣制度が良いわけありません。持ち株会社もそうですよ。
>歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、です。

おそらく職業安定法で禁止とされた「労働者供給事業」のことを指しているのだろうが、「焼け野原からの再スタート」となった原因が「派遣制度」なのか?その因果関係は何か、それを具体的に言えずして、何が「反米大陸を読め」だ。
「戦前の制度だから、良いわけありません」と言えるなら、民法や商法などを含めて、日本国内の法制度のほとんどが「良いわけありません」となるが、これを説明してみろ。できないなら、私に対して非礼な態度、言動、感情および行動全般について、無条件に謝罪せよ。

>ハマスのロケット弾で死亡したのは8年で20人。昨年11月には停戦中にも関わらず爆撃。12月の停戦延長の申し入れを拒否し、年末から今に至るまでは報道の通り。しかし、イスラエルはハマスが政権に関与する以前から経済封鎖をしていた事は報道されない…。

イスラエルとパレスチナは、ハマスが政権に関与する以前から対立が激化している。経済封鎖のニュースは、私も確認していないので、「された」と断言することはできないが、テロと報復の連鎖が勃発しているイスラエル-パレスチナ関係において、特に経済封鎖を報道しないからといって「日本の報道はイスラエル寄り」とはいえない。
そして、ハマスが政権に関与したことについて、日本は欧米と共同歩調で非難をし、一斉に支援をストップさせたが、アメリカどころか欧米が支援を再開していないうちから、日本はパレスチナへの支援をすぐに再開している。

ということで完全に論破しました。

「まる出し馬鹿」よ。文句があるなら、堂々と公開コメントで寄こせ。それができないなら、二度と私に対して不当な思考と不正な感情を抱くな。以上。
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地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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