素直に「過去」の過ちは認めようよ
「確かな野党」と自ら言っている以上、政権に入ることは100年ぐらいなさそうな共産党。
でも、その共産党の議席が増えない、支持が広がらないなどを口惜しく思っている人たちも少なくない。まぁ、「共産党こそが正しい」と信じて疑わない人ならば、確かにこの状況は納得できないだろうし、有権者に共産党を支持してくれるように勧めたい気持ちもわからないではないが、次の点をきちんと洗っておかないと、一般有権者からの支持は受けることはないように思う。
1.冷戦期にソ連や中国、北朝鮮を擁護していたこと。
朝鮮戦争では一貫して北朝鮮を擁護し、国連決議に基づいた「国連軍」(国連憲章上の国連軍ではない)の行動について批判をしてしまっている。
また、1962年10月号の「前衛」では、故上田耕一郎氏が、1964年10月31日の衆議院予算委員会において、岩間正男議員が「社会主義の核」を正当化した。特に岩間議員の発言は、現在も議事録から削除されていない。この発言が、原水爆禁止運動に分裂をもたらしたのであるが、このときの反省が共産党の執行部からなされたことはない。
もし、本当に「世界から核兵器を廃絶したい」とするならば、少なくとも、これらの発言について「誤りであった」と明言し、その上で「核廃絶を」と主張すべきであろう。しかし、この自己批判がないどころか、これらの主張をネグレクトして「核廃絶運動」をしているのだから、共産党を信頼しないことが「反共」とレッテルを貼られるいわれなどないのである。
2.社会主義思想の学生が火炎瓶やゲバ棒を持って暴力的な運動を展開してきたこと。
3.社会主義者の一部が、三菱重工爆破事件や日航機ハイジャック事件などのテロをガンガンやっていたこと。
この件は、共産党と関係があるともないとも言えない。共産党の分派だったり、あるいは支持者でこれらを展開したのは歴史的事実である。
これに関しては共産党は「無関係である」と声明を発しているわけだが、一般有権者の「信頼」を勝ち得るまでには至っていない。これは、党員が党外で「みんな同じ発言をしている」という、ある意味宗教団体のような胡散臭さがあるからである。
テレビで共産党の国会議員が共産党に関して批判したことを聞いたことがない。別に批判しろとは思わないが、「私個人としては、ここをこうすれば、もっと国民のみなさんに、より正確に伝わるんじゃないかなと思う」という程度の発言ですら許されない状況では、旧ソ連の情報秘匿状態をイメージするのは無理からぬところである。
自民党も民主党も、党首選に関して各々支持不支持、批判をしている。そして党首選が終われば、一応まとまりをつけている。共産党も内情はそうなのであろうが、自民・民主と共産の違いは「それがオープンかどうか」という点にある。党としての、党員としての主張が全員一致しているのは構わないが、議論オープンではない=プロセスが見えないというのは、一般有権者に対しては、武力闘争時代の胡散臭さを払拭するにはマイナスでしかない。
そして、「やってはいけない弁明」をしまくっている。マルクスやエンゲルスが暴力を肯定しているかどうかについて弁明するのではなく、仮に暴力は否定しているというのであれば、「暴力を肯定していると解するのも無理はない。だが・・・」という姿勢が必要であり、暴力を肯定しているというのであれば「マルクスは暴力を肯定しているが、日本共産党はこの部分に関しては否定的であり、絶対に支持できない」という批判を、より明確に、より厳しく展開すべきであった。
私はマルクスもエンゲルスも詳しく研究していないので、どちらが正しいのかはわからないが、いずれにしても、共産党の姿勢には明確さと謙虚さが足りない。
4.徳田球一や野坂参三などの「不正」について、「党として謝罪」したことがないこと。
5.「共産党は一度も誤りをしたことがありません」と解釈される声明しか出していないこと。
6.「間違っていました。すみません。態度を改めます。」という言葉での謝罪がないくせに、「現在は議会制民主主義の態度をとっているので、問題ない」と思考し、擁護し、支持を訴え、過去のことに対する弁明や反省を表明することを求める人間を逆に批判する「宗教信者」のような輩が支持者に多いこと。
こちらは致命的欠陥である。徳田とは訣別しているし、野坂は処分した。しかし、これはあくまでも「共産党内」「共産主義者内」の話であって、一般有権者とは関係ない話である。
しかも徳田も野坂も1945年当時の日本共産党の中心人物である。旧憲法下での衆議院議員でもあり、現憲法制定に「代議士として」直接関与したほどの人物でもある。「もはや関係ない」といくら言われても、肝心の「明確な謝罪」がなければ、本当に反省しているのか、本当に誤りだと思っているのか、疑うのは当然であろう。ただ単にごまかしているだけ、謝罪したくないのであろう、というイメージを一般有権者に持たれてしまっては、どんなに「国民が主人公」だの「弱者救済」だの掲げても、信用されないのは、一般社会にとって当然である。
本当に一般有権者に信用されたいのであれば、「党として行動した」徳田や野坂の行為に対して、不破氏なり志位氏なりが「党として」謝罪すべきであろう。何も特別なことは言っていない。前任者の不祥事を後任の社長が謝罪するのと同じことであって、それをせよ、というだけの話なのだが、これを不問にして共産党批判を封じようというバカブロガーがいるわけで、このバカブロガーの思考と感情が、共産党の支持を減らしているということに気づかないで、私に逆らっているのである。まさに「自爆」以外のなにものでもない。
7.共産党を妄信している人ほど、「草の根」で周辺住民にえらい迷惑をかけていること。
刑事事件としては、マンションでのビラ配りの事例がある。
これを「表現の自由の侵害」と捉える人もいるが、誰もそんなことを問題視しているのではない。マンションの共用部とは「住人にとっての共用部」なのであって、部外者の出入りが自由なのではない。いろいろ屁理屈をつけてビラ配りを正当化しようとするバカも多いが、ピッキングや宅配を装う強盗殺人事件が起こっている状況において、部外者がウロウロしていることが、いかに住民の不安を招くことになるのか、その配慮があまりにもなさすぎる。管理組合や管理人を通してビラを配るべきであり、もしそれを拒絶されたのであれば、拒絶されてから抗議なり主張なりをすべきであろう。
これらの指摘を受けて「反共」とレッテルを貼って私を非難したいのであれば、思う存分すればいいと思う。しかし、それは、自分が支持する日本共産党の支持を、自らが失う原因を作っているだけである。今は「蟹工船」ブームや派遣労働者の一方的解雇問題で共産党支持が増えているが、こんなのは「バブル」であって、一時的なものでしかない。これを「バブル」で終わらせるのか、それとも「高度成長のきっかけ」にするのかは、謙虚に上記の点を代々木の本部が取り組むかどうかにあるであろう。
私は共産党支持者ではないので、議席が増えようが消滅しようが、はっきりいってどうでもいいことではあるが。
でも、その共産党の議席が増えない、支持が広がらないなどを口惜しく思っている人たちも少なくない。まぁ、「共産党こそが正しい」と信じて疑わない人ならば、確かにこの状況は納得できないだろうし、有権者に共産党を支持してくれるように勧めたい気持ちもわからないではないが、次の点をきちんと洗っておかないと、一般有権者からの支持は受けることはないように思う。
1.冷戦期にソ連や中国、北朝鮮を擁護していたこと。
朝鮮戦争では一貫して北朝鮮を擁護し、国連決議に基づいた「国連軍」(国連憲章上の国連軍ではない)の行動について批判をしてしまっている。
また、1962年10月号の「前衛」では、故上田耕一郎氏が、1964年10月31日の衆議院予算委員会において、岩間正男議員が「社会主義の核」を正当化した。特に岩間議員の発言は、現在も議事録から削除されていない。この発言が、原水爆禁止運動に分裂をもたらしたのであるが、このときの反省が共産党の執行部からなされたことはない。
もし、本当に「世界から核兵器を廃絶したい」とするならば、少なくとも、これらの発言について「誤りであった」と明言し、その上で「核廃絶を」と主張すべきであろう。しかし、この自己批判がないどころか、これらの主張をネグレクトして「核廃絶運動」をしているのだから、共産党を信頼しないことが「反共」とレッテルを貼られるいわれなどないのである。
2.社会主義思想の学生が火炎瓶やゲバ棒を持って暴力的な運動を展開してきたこと。
3.社会主義者の一部が、三菱重工爆破事件や日航機ハイジャック事件などのテロをガンガンやっていたこと。
この件は、共産党と関係があるともないとも言えない。共産党の分派だったり、あるいは支持者でこれらを展開したのは歴史的事実である。
これに関しては共産党は「無関係である」と声明を発しているわけだが、一般有権者の「信頼」を勝ち得るまでには至っていない。これは、党員が党外で「みんな同じ発言をしている」という、ある意味宗教団体のような胡散臭さがあるからである。
テレビで共産党の国会議員が共産党に関して批判したことを聞いたことがない。別に批判しろとは思わないが、「私個人としては、ここをこうすれば、もっと国民のみなさんに、より正確に伝わるんじゃないかなと思う」という程度の発言ですら許されない状況では、旧ソ連の情報秘匿状態をイメージするのは無理からぬところである。
自民党も民主党も、党首選に関して各々支持不支持、批判をしている。そして党首選が終われば、一応まとまりをつけている。共産党も内情はそうなのであろうが、自民・民主と共産の違いは「それがオープンかどうか」という点にある。党としての、党員としての主張が全員一致しているのは構わないが、議論オープンではない=プロセスが見えないというのは、一般有権者に対しては、武力闘争時代の胡散臭さを払拭するにはマイナスでしかない。
そして、「やってはいけない弁明」をしまくっている。マルクスやエンゲルスが暴力を肯定しているかどうかについて弁明するのではなく、仮に暴力は否定しているというのであれば、「暴力を肯定していると解するのも無理はない。だが・・・」という姿勢が必要であり、暴力を肯定しているというのであれば「マルクスは暴力を肯定しているが、日本共産党はこの部分に関しては否定的であり、絶対に支持できない」という批判を、より明確に、より厳しく展開すべきであった。
私はマルクスもエンゲルスも詳しく研究していないので、どちらが正しいのかはわからないが、いずれにしても、共産党の姿勢には明確さと謙虚さが足りない。
4.徳田球一や野坂参三などの「不正」について、「党として謝罪」したことがないこと。
5.「共産党は一度も誤りをしたことがありません」と解釈される声明しか出していないこと。
6.「間違っていました。すみません。態度を改めます。」という言葉での謝罪がないくせに、「現在は議会制民主主義の態度をとっているので、問題ない」と思考し、擁護し、支持を訴え、過去のことに対する弁明や反省を表明することを求める人間を逆に批判する「宗教信者」のような輩が支持者に多いこと。
こちらは致命的欠陥である。徳田とは訣別しているし、野坂は処分した。しかし、これはあくまでも「共産党内」「共産主義者内」の話であって、一般有権者とは関係ない話である。
しかも徳田も野坂も1945年当時の日本共産党の中心人物である。旧憲法下での衆議院議員でもあり、現憲法制定に「代議士として」直接関与したほどの人物でもある。「もはや関係ない」といくら言われても、肝心の「明確な謝罪」がなければ、本当に反省しているのか、本当に誤りだと思っているのか、疑うのは当然であろう。ただ単にごまかしているだけ、謝罪したくないのであろう、というイメージを一般有権者に持たれてしまっては、どんなに「国民が主人公」だの「弱者救済」だの掲げても、信用されないのは、一般社会にとって当然である。
本当に一般有権者に信用されたいのであれば、「党として行動した」徳田や野坂の行為に対して、不破氏なり志位氏なりが「党として」謝罪すべきであろう。何も特別なことは言っていない。前任者の不祥事を後任の社長が謝罪するのと同じことであって、それをせよ、というだけの話なのだが、これを不問にして共産党批判を封じようというバカブロガーがいるわけで、このバカブロガーの思考と感情が、共産党の支持を減らしているということに気づかないで、私に逆らっているのである。まさに「自爆」以外のなにものでもない。
7.共産党を妄信している人ほど、「草の根」で周辺住民にえらい迷惑をかけていること。
刑事事件としては、マンションでのビラ配りの事例がある。
これを「表現の自由の侵害」と捉える人もいるが、誰もそんなことを問題視しているのではない。マンションの共用部とは「住人にとっての共用部」なのであって、部外者の出入りが自由なのではない。いろいろ屁理屈をつけてビラ配りを正当化しようとするバカも多いが、ピッキングや宅配を装う強盗殺人事件が起こっている状況において、部外者がウロウロしていることが、いかに住民の不安を招くことになるのか、その配慮があまりにもなさすぎる。管理組合や管理人を通してビラを配るべきであり、もしそれを拒絶されたのであれば、拒絶されてから抗議なり主張なりをすべきであろう。
これらの指摘を受けて「反共」とレッテルを貼って私を非難したいのであれば、思う存分すればいいと思う。しかし、それは、自分が支持する日本共産党の支持を、自らが失う原因を作っているだけである。今は「蟹工船」ブームや派遣労働者の一方的解雇問題で共産党支持が増えているが、こんなのは「バブル」であって、一時的なものでしかない。これを「バブル」で終わらせるのか、それとも「高度成長のきっかけ」にするのかは、謙虚に上記の点を代々木の本部が取り組むかどうかにあるであろう。
私は共産党支持者ではないので、議席が増えようが消滅しようが、はっきりいってどうでもいいことではあるが。