紀伊半島大水害と十津川の木の家プロジェクト
あまりにも巨大な災害の陰に隠れて、注目されない大災害がある。
東日本大震災の翌日におきた長野北部地震と、半年後におきた紀伊半島大水害である。
栄村で震度6強を記録した長野県北部地震は、人口密度の低い地域で死者3名、重軽傷数十名という、かなりの大きな災害だった。
また、紀伊半島大水害は死者行方不明者が80人近い大災害だった。その傷跡は未だに目に痛い。深層崩壊により山ごと崩れ落ちた斜面。大量の土砂に埋まった川。
2枚目の写真、左端の家の壁に小さな黄色いものが見える。これは近寄ってみるとビールケースだった。つまり、ここまで水かさが上がっていたのである。
ここは奈良県天川村の天河辨財天社のすぐ近く。家を流されたという方に当日の写真を見せてもらったが、信じられない光景だった。その方は、たまたま街に出かけていて帰れなくなり、おかげで命は助かったと言っておられた。
3枚目は、奈良県十津川村が発行している 台風12号災害記録写真集「十津川村・大水害の記録」 の中から。(詳しくは こちらから購入していただきたい。)
こうした巨大な深層崩壊が、いたる所にある。車で走ってみれば、まさに山と川が崩壊したという様子が実感できる。
人口密度が低いために、人的な被害は比較的に少なかったが、山と川の破壊という意味では、紀伊半島大水害は東日本の津波被害に匹敵するほどの大災害だったのである。
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奈良県のことばかり書いたが、被害は実は和歌山県側のほうが大きかった。ただ、私が奈良県側のことに詳しいのは、この地域から伐りだした木で、家を作っているからだ。
天の川~十津川~熊野川 と名前を替えながら太平洋に流れ下るこの流域は、平地がほとんど無いために、主要産業はほぼ必然的に林業と観光になる。
そして、大水害はこの二つの産業に大打撃を与えた。
長年育ててきた杉や桧への被害もあるが、何よりも作業用の林道をズタズタにした。いくら木が助かっても、作業道がないと切り出すことができない。作業道は林業のライフラインなのである。
現在は、ある程度復旧して搬出もされているが、一時期は木材の供給がストップしてしまった。
かれこれ6年ほどこの地域の木にお世話になってきたこともあり、何か役に立つことはないかと考えてきたが、結局は「木を使う」ことが一番だということに行き着いた。
木が売れることが、復興への何よりの処方箋なのである。
そんな折り、たまたま十津川村の施設で相談員を引き受けることになった。十津川村は、橿原市のショッピングモールの敷地内に「木灯館」という十津川材の家の公営モデルハウスのような施設を持っている。
そこで、月に2回ほど見学者に説明をしたり、セミナーを開催するお役目だ。
そんなわけで、いよいよこの地域ともつながりも深くなり、本腰を入れて十津川材を売り出そうと考え始めた。
まだ計画の全体は固まっていないのだが、頭を整理する意味で一部ここで書いておきたい。
私は色々合計すると足かけ15年ほど産直住宅に関わっている。
高知県土佐町、梼原町、大正町(現四万十町)、奈良県天川村、十津川村など、多くの山にお世話になってきた。
その経験から感じるのは、産直住宅が生産者の都合が優先されすぎることだ。
もともと林業の復興のために始まった産直住宅だから、生産者の都合が優先されるのはある意味当然ではある。
しかし、それでは住宅に住む人がかわいそうだ。というか、そこまでボランティア精神で大枚はたいて家を建てる人は滅多にいない。
やはり、家は住む人のものだし、林業の都合だけで何もかも決められてしまってはかなわない。
納期、価格、品質はもちろん、設計や施工の体制が充分に確保されているか。住み手の都合によって選択する幅が担保されているか。などなど、既存の産直住宅にはかなり問題は多い。
木の伸縮やひび割れを完全に無くすことはできないが、かと言って「木は生きている」などと、技術的に克服できるはずの欠点まで開き直ることは問題だ。
切り刻んで高温処理した木材が、生きているわけはない。情緒的な面と、材料工学とは別の次元で考えなくてはならない。
また、材料は良くても、設計や施工がおざなりでは、当たり前だがまともな家はできない。ちなみに、イマドキの普通の工務店や設計事務所では、国産の無垢の木材を使いこなすことは、かなり難しい。
それなりのノウハウやら経験やら技術などが必要になる。
そうしたハードルを越えたとしても、設計者や施工店の選択肢が一つしかないのでは、色んな住み手に対応することができない。
やはり、人間はセンスとか相性というものがあるので、供給側にも色んなメンバーがそろっている必要がある。
その上で、やはり大事なことは、設計者も施工店ももちろん住まい手も、関係する人々が山を想うことだ。
想うだけでなく、実際に山に行き、林業の現場を体験し、継続的に山との関係を続けていくことだ。
山の木を売る側は住まい手のことを思いやり、住まい手は山に想いを馳せる。そうした相互関係があって始めて、産直住宅は成立する。
(だから、私が設計してきた家のほとんどは、住まい手が山に行き、自分で木を伐る体験をしてもらっている。)
■■
こうした考えから、復興支援・十津川材の家プロジェクトは、3つの柱で構成される。
①ナチュロジー(ナチュラル+テクノロジー)住宅
②厳選された設計者&施工者のグループ
③十津川サポータークラブ
自然素材の良さはもちろん活かしつつ、それを言い訳にして材料や工学としての技術面をなおざりにしない。
特に、建築構造という点では、自然だからという言い訳は一切通用しない。
天然の木材であっても、一本一本材料強度を測定したグレーディング材であること。
家全体は、かならず構造計算によって耐震強度を確保すること。
そんなことは当然だと思われるかもしれないが、国産の木材でちゃんと強度測定されているものはほんのわずか。構造計算されている住宅も、3階建て以外ではこれまた極々わずかなのである。
その他、ナチュロジー住宅の具体的なことは、近々にモデルプランを描いてみる予定。
施工店については、現時点でも関西圏でそれなりの数を確保している。
価格面でのバラツキが問題だが、モデルプランを用いて調整していく。
設計者は実は不足している。
アベノミクスなんてどこ吹く風の不景気で、設計事務所はあり余っているのだが、国産材を使いこなし、技術的に信頼でき、住み手とのコミュニケーションが充分にとれて、山側との付き合いを楽しむ設計者となると、これがいるようでいない。
我こそはと思われる方は、ぜひご連絡いただきたい。
(構造計算はこちらでやるので自前でできる必要はありません。また、当然ながらこれで仕事が増えるかどうかは神のみぞ知る です。期待してもらっても、何も保証はできかねます。)
2ヶ月に1回程度、設計者・施工店のグループが様々なテーマでシンポジウムや討論会を開催し、そこで住み手とのコミュニケーションをはかることになる 予定。
そして、復興支援のもう一つの要は、サポーターを増やすこと。
サポータクラブは、住み手や関係者はもちろん、住宅とは直接関係ない人ももちろん募集していく。
林業作業や熊野古道の道普請などの楽しみながらやるボランティア作業から、2年間程度の契約社員(もちろん有給)まで、やることは多種多彩。
作業ばかりではなく、サポーターを集めるための情報拡散も重要なお仕事だし、放射能の心配のない十津川の原木シイタケを食べるなんていうのもアリだ。
さまざまなプログラムを用意して、とにかく積極的に楽しみながら十津川村と関わってもらい、最終的には過疎化を食い止めることが、中山間地域の本当の復興になる。
と、まあこんな感じで復興支援・十津川の木の家プロジェクトは進行していく はず。
あとは、どれだけ賛同してくれる人が集まるかにかかっている。
今日のところは、このへんで。


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