2013-10-21(Mon)
希望
日曜日に行った孫崎享さんと糸数慶子さんの講演会は、なんと160人近い方に集まっていただきました。
9条国際会議とか色々な企画とバッティングしていたのでどれだけ来てもらえるか心配していたのですが、おかげさまで熱気溢れる良い会になりました。なかでも糸数さんのおっしゃっていた言葉は胸に刺さりました。
「解釈改憲で戦争をするような日本に復帰したつもりはない。」
「精神的には独立をしたいという思いは大きな課題になっている。」
「大きな兆しは沖縄の言葉を復活させようという流れになっています。」
「自立するためには、その民族の言葉をもたなければならない。」
「まず精神的に自立して、それから経済的な自立につなげていく」
平和の国、日本に復帰したい と熱望した沖縄。熱望された日本。その「平和の国」はどこへ行ってしまったのでしょう。日本に生きる私たちには重い重い言葉でした。
と同時に、糸数さんは何回もこの言葉を言われました。
「現状は厳しいですよ。ですけど希望を持てると思っています。」
今、真っ暗闇にいるような気分の私たちにも、なにか光が差し込んでくるような気がしました。夜は西から明けるのかもしれません。
関西の私たちも、小さなことからできることを捜したいと思います。「私たちの言葉」を取りもどしたいと思います。
講演の詳しい内容は、IWJさんが配信して下さっているので、ご覧下さい
Video streaming by Ustream
ちなみに、日本の市民メディアの先頭を走る岩上安身さんのIWJは、現在、最低ラインの会員5000人を割り込んで資金難、存亡の危機にあります。
IWJの無い日本を想像してみて下さい。こんな恐ろしいことがあって良いのでしょうか。
いくら温和しい日本人でも、たった5000人で市民メディアを支えることができるのです。1万人いれば、もっと自由に報道することができるのです。
会員じゃない人はすぐ登録を。私も会員コンテンツ見ている時間ないけど最低限のカンパと思って登録済みです
詳しくは → http://iwj.co.jp/join/
これもまた、希望をつなぐための行動です。
話を少し戻します。
糸数さんの言われた「自分たちの言葉」「希望が持てる」
この発言をこの1週間ずっと考えています。
そして、集会とか運動のレベルではなく、自分たちの日常のレベルで「自分たちの言葉」を取り戻すことなんじゃないか と思い始めています。
私の日常は、木の家の設計をすること。
「木の家プロデュース 明月社」という事務所を作って、かれこれ8年半。一体全体、どうやって食いつないできたのか自分でも不思議ながら、何故かお客さんに恵まれて、どうにかこうにか家族ともどもこれまで生きてきました。
そんな私であれば「家づくり」として、あるいは食べ物を扱っている方であれば食べ物として、あらゆる仕事や日常を送っている人たちが、そのことを通して小さくても「希望」をもてる何かを実現していくこと。
上司に気に入られ、顧客の目をくらまし、下請けを叩きまくらなければ生きていけないこの世の中で、「あれ、もしかしたら」という希望の欠片を作り出すこと。
そんな希望の家、木の家だけじゃなくて希の家がつくれないか、本気で考え始めています。
これまでこのブログにも、木の家なんて経済的にとても建てられない人が多いんだ というような指摘はかなりありました。たしかにそれはその通りです。かくいう私自身、土地を買って家を建てることなどできずに、中古のマンションに木を貼りつけて暮らしています。
しかし反面、賃貸と持ち家を比較した場合、賃貸のほうが限りなくホームレスに近いという現実もあります。
借家法が改正されてしまった今日、賃貸は家賃が払えなくなったら即ホームレスになるリスクと隣り合わせです。しかし、持ち家の場合、金利だけでも払うということと高価に処分できないという条件があると、そう簡単に路頭に追い出されない可能性もあるのです。
これは極論としても、賃貸は家主の利益を住人が負担するわけですが、持ち家の場合は負担するのは銀行の金利です。やりようによっては、持ち家のほうが負担が少なくてすむはずです。
人が生きるための道具であるはずの家。ところが現代は、家を「買う」ことが人生の目的という逆転現象が起きています。この構図を壊すことが、希望の家の第一歩なのではないかと思っています。
と、きれい事の希望ではなく、こうした赤裸々な実態に即した希望の家、希の家を作りたい。
もちろん、こんな経済的なことだけではなく、あんまりいいことがなくても、朝起きると、あるいは家に帰ってくると ちょっとがんばってみようかな と思ってしまう そんな家を作りたいと思っています。
もちろん木の力を借りることになるでしょう。
私の中古マンションの家は、壁一面に杉の木を貼っています。とくに廊下は狭い空間に杉が張り巡らされ、1個100円の間接照明がそれをホワッと照らしています。
明日の分からぬ不安にさいなまれたとき、この壁に両手をついてじっとしていると、「なんとかなる」そんな気持ちが湧いてくるのです。
子どもたちもこの壁に両手を突っ張り、登ったり降りたりしながら大きくなりました。節穴を覗き、指を突っ込みながら、自分なりの「わがまま」を言える子に育ってくれたように思います。
希の家プロデュース と言えるように、今猛烈に考え中です。
希望 それがすべての源なのだと 思えてなりません。
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9条国際会議とか色々な企画とバッティングしていたのでどれだけ来てもらえるか心配していたのですが、おかげさまで熱気溢れる良い会になりました。なかでも糸数さんのおっしゃっていた言葉は胸に刺さりました。
「解釈改憲で戦争をするような日本に復帰したつもりはない。」
「精神的には独立をしたいという思いは大きな課題になっている。」
「大きな兆しは沖縄の言葉を復活させようという流れになっています。」
「自立するためには、その民族の言葉をもたなければならない。」
「まず精神的に自立して、それから経済的な自立につなげていく」
平和の国、日本に復帰したい と熱望した沖縄。熱望された日本。その「平和の国」はどこへ行ってしまったのでしょう。日本に生きる私たちには重い重い言葉でした。
と同時に、糸数さんは何回もこの言葉を言われました。
「現状は厳しいですよ。ですけど希望を持てると思っています。」
今、真っ暗闇にいるような気分の私たちにも、なにか光が差し込んでくるような気がしました。夜は西から明けるのかもしれません。
関西の私たちも、小さなことからできることを捜したいと思います。「私たちの言葉」を取りもどしたいと思います。
講演の詳しい内容は、IWJさんが配信して下さっているので、ご覧下さい
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ちなみに、日本の市民メディアの先頭を走る岩上安身さんのIWJは、現在、最低ラインの会員5000人を割り込んで資金難、存亡の危機にあります。
IWJの無い日本を想像してみて下さい。こんな恐ろしいことがあって良いのでしょうか。
いくら温和しい日本人でも、たった5000人で市民メディアを支えることができるのです。1万人いれば、もっと自由に報道することができるのです。
会員じゃない人はすぐ登録を。私も会員コンテンツ見ている時間ないけど最低限のカンパと思って登録済みです
詳しくは → http://iwj.co.jp/join/
これもまた、希望をつなぐための行動です。
話を少し戻します。
糸数さんの言われた「自分たちの言葉」「希望が持てる」
この発言をこの1週間ずっと考えています。
そして、集会とか運動のレベルではなく、自分たちの日常のレベルで「自分たちの言葉」を取り戻すことなんじゃないか と思い始めています。
私の日常は、木の家の設計をすること。
「木の家プロデュース 明月社」という事務所を作って、かれこれ8年半。一体全体、どうやって食いつないできたのか自分でも不思議ながら、何故かお客さんに恵まれて、どうにかこうにか家族ともどもこれまで生きてきました。
そんな私であれば「家づくり」として、あるいは食べ物を扱っている方であれば食べ物として、あらゆる仕事や日常を送っている人たちが、そのことを通して小さくても「希望」をもてる何かを実現していくこと。
上司に気に入られ、顧客の目をくらまし、下請けを叩きまくらなければ生きていけないこの世の中で、「あれ、もしかしたら」という希望の欠片を作り出すこと。
そんな希望の家、木の家だけじゃなくて希の家がつくれないか、本気で考え始めています。
これまでこのブログにも、木の家なんて経済的にとても建てられない人が多いんだ というような指摘はかなりありました。たしかにそれはその通りです。かくいう私自身、土地を買って家を建てることなどできずに、中古のマンションに木を貼りつけて暮らしています。
しかし反面、賃貸と持ち家を比較した場合、賃貸のほうが限りなくホームレスに近いという現実もあります。
借家法が改正されてしまった今日、賃貸は家賃が払えなくなったら即ホームレスになるリスクと隣り合わせです。しかし、持ち家の場合、金利だけでも払うということと高価に処分できないという条件があると、そう簡単に路頭に追い出されない可能性もあるのです。
これは極論としても、賃貸は家主の利益を住人が負担するわけですが、持ち家の場合は負担するのは銀行の金利です。やりようによっては、持ち家のほうが負担が少なくてすむはずです。
人が生きるための道具であるはずの家。ところが現代は、家を「買う」ことが人生の目的という逆転現象が起きています。この構図を壊すことが、希望の家の第一歩なのではないかと思っています。
と、きれい事の希望ではなく、こうした赤裸々な実態に即した希望の家、希の家を作りたい。
もちろん、こんな経済的なことだけではなく、あんまりいいことがなくても、朝起きると、あるいは家に帰ってくると ちょっとがんばってみようかな と思ってしまう そんな家を作りたいと思っています。
もちろん木の力を借りることになるでしょう。
私の中古マンションの家は、壁一面に杉の木を貼っています。とくに廊下は狭い空間に杉が張り巡らされ、1個100円の間接照明がそれをホワッと照らしています。
明日の分からぬ不安にさいなまれたとき、この壁に両手をついてじっとしていると、「なんとかなる」そんな気持ちが湧いてくるのです。
子どもたちもこの壁に両手を突っ張り、登ったり降りたりしながら大きくなりました。節穴を覗き、指を突っ込みながら、自分なりの「わがまま」を言える子に育ってくれたように思います。
希の家プロデュース と言えるように、今猛烈に考え中です。
希望 それがすべての源なのだと 思えてなりません。
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