« アカデミーコモンからリバティタワーを見る | トップページ | 中山競馬場昭和40年頃のパドックなど »

ジョルジュ・ブラッサンスのこと

若い頃から、名前は知っていたしあるイメージは持っていたけれども、それほど良くは知らないままにきたというのが、実のところ。ただ、そのイメージは記憶の中にしっかりとありつづけたということで、その時間にはまた何かしらあるんだろうと思うけれども。                                         何年か前の年の終わり頃、、ビデオの貸出をやっている市立北図書館から、ルネ・クレール監督のフランス映画、「リラの門 Porte des Lilas」のVHSビデオを借りてきた。そこで見て、そして彼の歌を聴いて、シャンソン歌手Georges Brassensを漸くにして確かめ見た、というようなことになるだろうか。映画の最初の場面が映し出されると共に、彼の歌が聴こえてくる。曲は、Au bois de mon coeur。酒場の一角で、ギターを弾きながら歌う彼の姿が見えてくる。カウンター前に、友達のピエール・ブラッスール演じるジュジュ。客はもう誰もいない時間。誰に聴かせるともなく歌い、弾いているという、自分の世界だけがそこにあるという風情。役名は、アルティスト Artiste。芸術家という名前が合っている風貌を見せている。貧しいギター弾き。この映画、繰り返し見ました。返却日になると、また新たに借りる。50回以上は見たのではないだろうか。ブラッスールも好きだったし、ギターつま弾きながらのブラッサンスの歌も聴きたかった。それにフランス語への関心も湧いてきていた。モノクロの映画。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

ブラッサンスは1921年の10月22日、南仏のモンペリエ近くの町で生まれている。この映画は1957年制作のものだから、この当時35、6才。生年を知る前には、40代に入っているのではないかと思っていた。額のあたりの髪は後退気味だったし、感情の変化を表情に見せない、思索家のような精神性を感じさせる雰囲気。映画を通して、ほんの僅かな笑みすら見せない、どこかいかめしくデリケートな内面を感じさせる男を、演じているのか、普段の彼もそれに近いのか、と想わせてしまうような印象。俳優というよりは、詩人であり歌手であるブラッサンスがその地のままに、なんとか演技をしているというところだったのだろうか。俳優であるブラッスールとは、対照的。その彼が歌う、何曲かの曲。これが、ブラッサンスなんだという思いで、こちらは関心をもって聴いていた。

ここにきてビデオで、彼の曲を聴いている。また聴いてみたい、ということからだったのだけれども、最初に聴いたのが、確かLes Passantes 。早いテンポで弾きながら歌っていく彼の曲のイメージとは異なる、抒情的に爪弾かれるギターのメロデーに、心をこめて言葉を区切るように歌いあげられていく、彼の晩年のものと思われるような一曲。1981年の10月29日に60才で亡くなっている彼だから、歌っている彼は50代。この曲に強い印象を覚えて、繰り返して聴きながら、映画「リラの門」の中で歌っていた Au bois de mon coeur、あるいは、La marine、Chanson pour l'Auvergnat など、あれこれの曲などを聴いてみた。ブラッサンスという人のイメージに、膨らむものがでてきたように思う。

                                                                                       彼が作曲をしたのは、およそ250曲。そのうちの50曲は未完成ということのようである。歌うスタイルは、ずっと変わらなかったのではないだろうか。ギターを弾きながらの、力のある強い投げかけをもって歌う半面、どこか内気、内省的なパーソナリティを感じさせもするステージパフォーマンス。そうしたスタイルというのか、本来の姿のままとも思える彼。                                        ある晩年のビデオで、それはステージではなく観客に囲まれながらの、トークも入る仲間たちと一緒の中のもので、そのひとりのリクエストで Les passantes を歌うのであるが、そこではちょっと笑みを見せる場面もあった。どこか抑えられた、控え目に見せているような笑み。印象としては、やっぱり映画の中でのようなArtiste、普段も芸術家風貌のちょっといかめしくとっつきにくいような彼なのではないかな、と思わせる、そんな変わらない彼がいつもいるような印象。もちろん、こちらは、その一端しか知らないわけであるけれども。

                                                                                                    そのLes passantesを聴いていて感じたのだが、南フランス出身の影響濃いというその発音。一語一語区切るように、こちらには口真似のできないような微妙なフランス語発音をされるので、時によっては、ちょっとストレスを感じてしまいかねないところも初めの頃はあった。だが、思いこめて、刻み込むように歌いあげられているということでもある。まさに、ブラッサンスというところであるだろう。同じ曲を1958年生まれのFrancis Cabrelの歌できいて、こちらの滑らかな普通のフランス語の調子、そしてギターを弾きながらの曲に、魅了されてしまった。こちらに心地良さを感じて繰り返し聴くうち、歌詞にも慣れてきて、またブラッサンスの方を聴くと、今度は前と違って、とても分かりやすい覚えやすい発音に聴こえる。言葉を大切にする、彼を感じる。                                

                                                             

ブラッサンス。彼の経歴なども読んでみる。ああ、そういう人だったのか、と思うことも多い。結婚は、望まなかったとか。独身人生。彼らしい一面を、そうしたところにも見ることができるのだろうか。フランスの生んだ歌手の中では、特別な位置を占めている人のように思える。他とは、非常に異なるその個性、魅力。 

032_2 

|

« アカデミーコモンからリバティタワーを見る | トップページ | 中山競馬場昭和40年頃のパドックなど »

文化・芸術」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コラム」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジョルジュ・ブラッサンスのこと:

« アカデミーコモンからリバティタワーを見る | トップページ | 中山競馬場昭和40年頃のパドックなど »