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2012年7月10日 (火)

骨細胞のバランスと民主主義

人間は、一年間に5%~10%の骨組織が新しい骨組織に置き換わるそうだ。全体の骨は10年から20年で置き変わることになる。骨が置き換わるためには、二種類の異なる働きがある、つまり骨の破壊と創造と再構築、医学的には破骨細胞と骨芽細胞と呼ばれている。

 

歴史の転換期というのも、やはり10年から20年単位で起こっているのだろうか。骨細胞と同じように、破壊と創造のような二極が対立しあう構図がよく見られる。長い歴史の中で、都合よく、破壊と創造がバランスよく進んだ無血革命というのは、世界史を振り返っても数は少ない。やはり、バランスを崩しながら、圧政で革命を押しつぶそうとする力と、政権を打倒して革命を起こそうという力が相互に競い、結局、流血沙汰は免れられないこととなる。どちらかが勝利を収め、保守的な政権になる場合と、革新政権になる場合がある。

 

骨を政府の屋台骨だと比喩するなら、国内で起こる乱は、骨をゆるがすまでいたっていない訳だから、ウィルスや内臓疾患による身体の不調と言ってよいかもしれない。どこの国でもそういった身体内部のようなトラブルは一国の歴史の中で、何度も抱えてきた。

 

中国の歴史上でも、長期安定政権を築いても、かならず現政権を脅かす集団は数十年に一度は、現れている。白蓮という集団がその一例だろう。古いところでは402年の東晋時代に僧俗による白蓮社という集団が現れている。その後も南宋の白蓮教は反税運動を行い、弾圧される。元代、明代、清代は、白蓮を名乗る集団は邪教として禁じられ、非合法集団とみなされた。18-19世紀には白蓮教徒の乱として有名な乱が、四川、湖北、陜西、河南、甘粛にかけて起きている。長期政権をもくろむ為政者にとっては、政府を転覆しかねない危険な集団でしかない、つまり身体で言うなら、為政者は免疫機能にあたる警察機能を高めて、白蓮教徒のようなウィルスに対処しなければならなかった。

 

さらに中国の歴史をひも解くと、1840年の阿片戦争から近代の夜明けが始まった。それは外国からの侵略、脅威が中国に襲いかかったことを意味する。ところが、敵は外からばかりではなかった。国内での内乱も始まり、内憂外患となる。延命措置を施してきた清王朝もいよいよ末期的な症状となる。身体で言えば、外的環境からの刺激があり、それに対応しきれない身体構造に、危機感をもった、内部造反分子が暴れだしたようなものだろう。

 

世界史で学んだ太平天国の乱が始まったのはこのころだ。1851年1月に洪秀全を指導者とする秘密結社「排上帝会」は広西省桂平県金田村の挙兵し、新国家「太平天国」の樹立。清朝の打倒、土地私有制の廃止、辮髪を廃止など国家建設の理念を持ち、数十万人の武装集団が各地の役所を襲い、金銀食料を奪い、官軍を蹴散らした。しかし、所詮は暴徒の集団で、組織だった軍隊にかなうわけはない。

 

清王朝である咸豊帝は林則徐を全権大使で派遣したが、林則徐は任地途中で病死。その後、曾国藩は義勇兵を募って、湘軍(しょうぐん)を組織し、太平天国軍に勝利した。報復を恐れた太平天国の残党はアメリカに渡り移民となり、大陸横断鉄道建設に寄与した。一方、この湘軍が後の袁世凱や張作霖などの軍閥の始まりとなり、それぞれが覇権を競い合い、群雄割拠の時代を呼ぶ。

 

1900年には、義和団事件が起こる。義和団は山東省の農民に生まれた秘密結社。彼らは自分たちの武術を「梅花拳」とか「義和拳」と呼び、鍛錬すれば銃弾さえあたらないとさえ信じた。「扶清滅洋」清朝を助け、外国を滅ぼすと言って、暴動を起こし暴徒化し、北京に進み、占領した。眼に着いた西洋文明はなんでも破壊し、外国人を殺し、キリスト教徒を殺害した。太平天国と同じように暴徒の集まりであり、組織だっていなく、国家理念もなかった。武器は刀剣と拳のみで、銃はなかった。やがて八カ国連合軍がこの義和団を鎮めるために北京に入り、連合軍が圧勝し、西太后は光緒帝と西安に逃げた。この義和団は、やがて清朝にも見捨てられて、鎮圧されていった。

 

こういった歴史を身体にたとえると、外国からの侵略が、ウィルスが身体に入り込もうとしていて、身体に外部刺激を与えているように見える。やがて、ウィルスはついに身体の中に入り込み、免疫細胞がウィルスを排除するために戦いを始める。当然、ウィルスと免疫の戦いは、発熱、咳を引き起こし、「清朝」という病人が病の床に伏せることとなり、やがて、屋台骨である清が倒れ、破骨細胞と骨芽細胞との対立が続くように、軍閥時代となる。その後、やっと共産党と国民党が現れ合同政権を樹立するが、最後には、内戦となり、共産党が国民党を追い払い、粛清する。骨芽細胞のように骨の成長というものは、破骨細胞と骨芽細胞のバランスの上で成長するものだが、一方のみが活躍の場を独占すると、当然バランスが崩れ、骨粗鬆症を引き起こすことが多い。毛沢東がやっと築き上げたシステムは、まったくの反対勢力のない純粋培養組織となったため、骨密度の薄い骨を築き上げ、さらに「大躍進運動」をすすめた結果、数千万という餓死者をだし、骨であれば重大な骨折にあたる、政権の失脚をもたらした。

 

一方、幕末の日本では、外国からの新ウィルスが脅威となっていた点では、中国と同じだった。ただ、異なった点は、中国という良い臨床例があったので、中国を観察していれば、外来からのウィルスにどう対処をするべきかを学ぶことができた。幕末の黒船来航は、新しい西洋文化が押し寄せてくる魁(さきがけ)であった。自分の国より、優れた技術が怒涛のように押し寄せ、このままだと、自分達が築きあげてきた文化が破壊されそうだという危機感にあった。だから、発熱や咳を適度に抑えながら、外界からのウィルスに対処する方法を模索し、最後は、旧幕府軍であった会津藩や新撰組のような保守派である骨芽細胞と、革新派であった官軍という破骨細胞との戦いとなって、官軍が戊辰戦争で勝利し、明治維新へ道を歩み始めたのである。

 

こういった日本や中国の歴史を振り返ると、現代では、イスラム社会でのアラブの春を思い起こさせる。世界が急速な勢いで変化していくと、国という身体は、外の環境に敏感に反応し、バランスを崩し、二つの反応を表す。文化を守ろうとする復古運動か、革命による現政権の打倒。イラン革命は復古運動に変化した。仮に戊辰戦争で、旧幕府軍が官軍に勝利した場合は、当時の日本はどうなっていただろうか。ひょっとしたら、イランが革命以降に歩んだ歴史に類似したような経緯を進んでいたかもしれない。あるいは、列強の侵略により弱体化した中国のような経緯だったのだろうか。

 

こう考えると、破骨細胞には、それなりの役目があるのだということに気付く。実は、破壊と構築という二種類のバランスが程よく保たれてこそ、身体は成長していけるのではないか。新しい骨細胞が形成されなければ、当然、古い細胞だけでは、外界の変化に対応できないことになる。古い細胞だけではやがては老化現象をおこし、密度が薄くなり、骨折を引き起こす。ひどい場合には、骨を形成すべき場所ではない所に骨を形成し、やがて、変形し歩くことさえ困難となる、或は骨に関わる悪性の癌となる場合もある。

 

一つの国でも、やはり同じではないだろうか。破壊分子と構築分子の二種類が平和にバランスよく働いてこそ、国の内外に対処していける。破壊分子は、野放しすぎるとテロとなり、取り締まりすぎると秘密警察が横行し、圧政となる。この二極のバランスを、うまく保っていくことに、理想の政府をめざすヒントがありそうだ。

 

どうも国の中のウィルスや内臓疾患というのは、乱であり、国に意見をものもうす反対派の人のようだ。それは、ひとつのインジケーターのような役割を果たしているようにも思える。ひたすら、国の構築のみに励んでいる骨芽細胞に対して、環境が変わりつつあるよ。外部要因によって身体のバランスが崩れつつあるよ、だから対応できる身体に変えないといけないよとアドバイスしているようなものだろう。

 

阿刀田高著の「ユーモア革命」という本で増原良彦著の<あべこべの論理>を引用して次のような要旨を述べてある。少し長いが引用してみよう。

 

“「ユダヤ教の律法には、おもしろい規定があるのですよ。ご存知ありませんか?」

「いいえ、知りません。」

「それはね、『全員一致の判決は無効とす』というのです。これはまさに満場一致の原則と正反対の考えですね」

「しかし、・・・・・・・・・どうしてそんな規則があるのですか?」

「いや、ユダヤ教のことは、ちょっとわたしにもわかりかねるのですが、こう考えてみたらどうでしょうか・・・・・・・。全員一致ということは対立意見がないことですね。対立意見がないことは、その構成メンバーが一党一派に偏している。あるいは一個の特定のイズム、主義主張にこり固まっていることだと、そう考えられませんか・・・・・・・・」

「そうですね、そう思います」

私は頷いた。

「会議の構成メンバーが一つの意見にまとまるのは、かえって危険です。その会議に歯止めがなくなり、一つの方向に驀進して行く。そんな全体主義的な危険を避けるために、この規定がつくられたのでしょうよ。つまり、少数意見があるということは非情に大事なことなのです。少数意見があってこそ、はじめて民主主義が生きてくるわけです」

「はい、よくわかりました」“

 

上記の引用から学ぶべきは、民主主義の本当の働きというのは、こういった反対勢力と保守勢力の両方をバランスよく保てることに主眼があるのではないだろうか。逆にどちらかに偏ってしまったときに、悲劇が起きるようだ。ユダヤの教えは、この点に警告を発しているように思う。

 

中国の民主化、中国の春はいつ訪れるのだろうか。いま、政府は国に中にはびこるウィルス的な働きをする者を圧政でコントロールしている。これは、決して健全な動きではあるまい。保守である骨芽細胞だけが活性化する社会は、既に毛沢東が失敗例を示した。骨のバランスが崩れるのは、決して骨粗鬆症だけではない。関節リウマチ、歯周炎、癌の骨転移など様々な要因が考えられる。バランスの崩れた社会というのは理想国家からはほど遠くなり、やがて国外の変化に対応できなくなる日も近い。なぜなら、反社会運動は、環境の変化に合わせて活動するインジケーターだからだ。そのインジケーターを抑え込めば、外界の刺激が届かなくなり、骨芽細胞のみとなり、必要としない場所に骨を構成し、骨格が変形し、やがて歩行困難となる。あるいは、運動不足となり、やはり骨粗鬆症とならざるをえない。

 

だからといって、破骨細胞を野放しにすることが、必ずしも良いことではないだろう。破骨細胞の動きを制限するものがなければ、積極的に骨が溶かされてしまい、やがては骨粗鬆症に進むことになる。この二つのバランスを保ちながら、自己の成長と外界の変化のバランスを調和よく進めることこそが大切なのだ。

 

中国人論やらというものを数多く読んできた。その結果は、著者のほとんどが、中国が好きで、大好きだからこそ、モノ申す人々だった。そういった人々を弾圧する政府では、先行きはない。そういった辛口の批評家を大事にする文化を持つ政府こそ、誰もが期待している理想政府ではないのか。その時がやってきたら、中国文化が世界に発信できるときだろう。

 

日本も中国も、いまだに全体主義的な傾向性は消えない。「全人代」の満場一致しかり、反対意見を抑え込んで時間内に終わろうという株主総会、さらに九州電力であった玄海原子力発電所の運転再開の是非を問うための番組での、子会社へ再開を支持するように依頼したという「やらせメール」事件など、数限りない。常に反対派をいかに抑え込んで、満場一致にこぎつけようとするのが理想であるかのような錯覚に陥っている。

 

人間の身体の成長が、破壊と創造という、ほどよいバランスの上に、成り立って骨の成長があるように、反対する人、批判する人がいてこそ、国や組織の成長があるのだという別の視点から物事を見てほしいものだ。

 

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