オウム真理教の残した課題
広島の平和記念公園に「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから。」という記述が刻まれた石碑がある。
同じ過ちを犯す可能性があるのは、日本人だろうか、原爆を投下したアメリカ人だろうか。主語はあいまいだ。主旨は、誰もが同じ過ちを犯さないように、お互いに平和を構築するために努力するという誓いだろう。
日本人は本当に、あの戦争から学んで、悲惨な戦争を二度と起こさないと言えるだろうか?
私は、若いころ、あれだけ悲惨な経験をした日本が戦争という同じ過ちをしでかすと思えないと楽観的に考えていたものだが、オウム真理教の事件が起こってからというもの、その自信はゆらぎつつある。
オウム真理教による犯罪があって、既に十五年もたつ。この事件は、戦中の軍国国家と似ている点が多いので、下記に思いつくまま、類似点を挙げて見よう。麻原の頭の中に、戦争の歴史をたどり、史実の一部を利用したかどうかはわからない。しかし、戦中の軍事国家をモデルとして、ある程度の伏線をはったことは、間違いがなかろう。
指導者: |
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東條内閣 |
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麻原彰晃 |
圧政 |
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警察、憲兵による数多くの拷問死。 |
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信者の拉致、拷問、苅谷、坂本弁護士一家殺人 |
謀略(謀略によって、外部がやったかのように装う) |
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朝鮮国王高宗の王妃、閔妃(みんぴ)殺害事件、張作霖爆破事件、満州国傀儡政権。 |
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建物内でサリンを開発しながら、漏出したガス対策のために毒ガス攻撃を受けたと装う。地下鉄サリン事件で陽動作戦を行う。 |
思想統制 |
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特高による思想統制 |
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LSD、ヘッドギア、イニシエーション |
教育統制 |
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教育統制 |
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サティアンで独自教育を施す |
優位性 |
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天皇を頂点として、日本民族に優位性を持たせ、他国を植民地化することを正当化した。 |
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麻原を頂点として、出家者にランク付けで優位性をもたせ、一般の人を殺害しても、救いと称した。 |
科学者・医学者 の関わり |
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満州第七三一部隊、戦闘機や新兵器開発 |
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サリン開発、武器開発、自白剤、ポリグラフ、電気ショックによる記憶除去 |
国外出兵 |
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アジアでの覇権をめざした。 |
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始めにロシアでの布教拡大をめざした。 |
未遂もしくは一部遂行疑惑 |
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ペスト菌の空中散布、チフス菌の軍事利用 |
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松本サリン事件、サリンの東京上空、空中散布未遂 |
理想 |
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王道楽土、五族協和、八紘一宇、大東亜共栄圏 |
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解脱、阿羅漢、超能力、人体浮遊 |
資金調達 |
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占領地域での軍票の発行、国内で金属類回収令、軍による接収 |
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信徒の全財産の教団への布施を強制。 |
戦後処理 |
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満州からの引き揚げ、帰国。 |
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山梨県の上九一色村にあるサティアンの解体と、撤収。 |
思いつくまま類似点をあげてみたが、探せば、まだまだでてくるような気がする。すべては、麻原の頭脳の中にあった虚構を現実につくりあげたものと言えるだろう。それでは、太平洋戦争はどうだったのだろうか。やはり、大本営が作り上げた虚構に当時の日本国民が踊らされたと、同じように言えるかもしれない。
オウム真理教の信者を擁護する訳ではないが、私には彼らが純粋に真理や超能力を求めて出家していったことが、多少なりとも理解できるような気がする。なぜなら、日常の中で、私たちは、本当の自分を見失いがちだからだ。自分が何者なのか、本当の自分とは何なのか、もし、解答があるとしたら、だれしもが求めるだろう。しかも、なんらかの修行を行う事で、以前の自分とは違う自分の内面を発見できたとしたら、それは何物にも替え難い貴重な体験となる。その場を提供したのが、オウム真理教だったのだろう。ただ、方法論的に言えば、小乗的な自分本位の解脱を求めたところに間違いがあろう。
日蓮大聖人はそういう輩を次のような文句で断じていられる。
「鶏の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや」
拙訳を下記に述べてみよう。「朝に鶏が時の声を上げるのは、それなりに有益だが、夜中に鳴く鶏は役にたたないどころか奇怪だ。末法にはいって、思想が乱れているとき、法華経の敵を責めないで、世俗から離れ、山々に閉じこもって、自分だけの修行を行うのは、夜中に鳴く鶏と同じで、奇怪で時をわきまえない妖怪のようなものだ。」
こう考えると、俗世間と切り離して、別世界を作り上げ、さらに別世界から現実世界を変えようとした麻原は、確かに妖怪のような存在だった。その妖怪に、一流の分野で活躍する医者や科学者がどうして、従ったのか疑問に思う人も多いだろう。
それについては、もうひとつ日蓮大聖人の御書から引用してみよう。
「唯仏の遺言の如く一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は権経に宿習ありて実経に入らざらん者は或は魔にたぼらかされて通を現ずるか、但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず。」
拙訳では、「正しい宗教を広めずに、仏の仮の教えのみ広める人は、仮の教えに縁があり、魔にだまされて神通力を現すことがある。教えが正しいかどうかで、判断するべきで、その人の才能や超能力に頼って、判断するべきではない。」と解釈した。
麻原が仏の仮の教えを広めたとは言わない。なにしろ、麻原には体系的な宗教はまったくなく、瞑想、チベット密教、ヨガや阿含経などの修行を寄せ集めて、弟子に解脱をめざすための修行を課し、さらに薬物にたよってまで解脱をめざしたのだから、仏教とはまったく関係ないとも言える。ただ、オウムを設立する前に、阿含経の千座行や呼吸法を経験したと言われているため、まったく仏教と無関係とは言えなかろう。注目してほしいのは、「魔にたぼらかされて通を現ずる」という表現である。麻原もかなりの激しい修行を自ら行って、他人の心を見通せる力は多少なりとも身につけたようだ。もちろん、逮捕寸前まで、やっていたことは支離滅裂なことが多いにしても。
それを林郁夫は、「オウムと私」という著書で「他心通」という表現をしている。仏や菩薩などが持っている六種の超人能力の一つだが、他人の心を見通せる力と理解しても、あながち間違いではなかろう。他にも、過去世を知る力、遠くの音を聞く力などがあるが、麻原が才能を特に発揮したのは、この他人の心を見抜く力であったろう。人は、自分の心の内を知っている人間には、弱い。心のガードを下げた瞬間から、信徒は言いなりになったにちがいない。麻原の言ったことは、すべてが正しいことのように思えてくる。たとえ、第三者が聞いたら、詭弁で、嘘っぱちだったとしても。
こういった超能力的な力に頼るのではなく、教えが正しいかどうかによって判断するべきであると日蓮大聖人はおっしゃっている。さもなければ、魔に騙される結果となると。太平洋戦争当時の兵士でも、オウムの信者でも、共通していることがある。それは考えるとこを破棄していることである。戦争という極限状況でも、オウムの暗殺指令でも、その点は同じだった。誰かが天皇という言葉を吐けば、それは天皇の言葉にすり替えられ、絶対的な命令となる。上官が天皇の命に従って、捕虜を殺せと言えば、従わざるを得ない。したがって、実行犯は、考えることを破棄せざるを得ない状況まで追い込まれる。
そう考えると、太平洋戦争で起きたようなケースが、オウムの行った信者拉致事件や、サリン事件で繰り返されていたことになる。平和な世の中で、戦争など二度と起こりそうもないと誰もが考える日本で、実は、形を変えて似たような事が起きていたと想像すると、戦慄が走る。オウムで起こったということは、また別の形を変えて近い未来に、起こりうる可能性があるのではないか。そう思わずにいられない。
これらの事件を通して、思う事は、私たちは、権威にひたすら服従してはならない。たとえ、権威が正しくとも、その側近が権威を利用して、間違ったことをしでかしたことは、歴史をひも解けばたくさんある。信ずるということは、盲目であってはならないのだろう。常に、何が正しく、何が正しくないのか自分の中で、「なぜ」「どうして」と検証作業をやりながら、信を深めなければ、権威に利用されてしまうし、本当に「信」を深めることにはならないのではなかろうか。
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