選択的夫婦別姓の反対派が信奉する
「伝統的家族」を根拠を示して反証することを、
「不用意にカチカンを否定して反発を招く」と
反対派を擁護するツイートについてです。
これまでにお話したようなことを、
わたしはツイッターで直接ご本人に反論しました。
https://t.co/gCF0vFOpJe これのことかな? https://t.co/CwswY4EeF8 。そうであれば、「夫婦同姓は日本の伝統」は「間違った認識」であって「価値観の違い」ではない。「間違った認識」なら根拠を示して反証する必要があるし、また反証することは「価値観の否定」ではない
— たんぽぽ (@pissenlit_10) February 1, 2020
https://t.co/gCF0vFOpJe 選択的夫婦別姓の反対派は「選択的だから夫婦同姓を選びたい人は選べますよ」では絶対に納得しない。「夫婦同姓は日本の伝統だから、のぞまない人にも夫婦同姓を強制させる必要がある」と考える
— たんぽぽ (@pissenlit_10) February 1, 2020
https://t.co/gCF0vFOpJe 選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は「間違った認識」にもとづいて、「他者の価値観を侵害」していることになる。これに対処するためにも、反対派(非共存派)の「伝統的家族」論には反論する必要がある
— たんぽぽ (@pissenlit_10) February 1, 2020
そうしたら反対派(非共存派)を擁護す
ツイートのかたは、「『あなたが伝統だと
思っているものは伝統でない』と言われて
納得する人は、はじめからそれに価値を
見出さない人だ」と言ってきました。
普通に考えて『お前が伝統だと思っているものは伝統ではない』なんて言われて納得する人は最初からそれに価値を見出だしてない人だけですよ。『50年では伝統ではないなら何年からなら伝統になるんです?真の伝統なら良いの?』みたいな不毛な議論になるだけです。
— うなぎ(steel_eel) (@dancing_eel) February 1, 2020
そんなことはないでしょう。
「自分が伝統だと思っていたものが
実は伝統でない」と根拠をもって証明されれば、
納得するのは「理性的、実証的に
ものごとを考えられる人」です。
その対象に価値を見出している人でも、
伝統でないことを証明されれば、
それに納得することはあると思います。
「伝統」だと思わないと価値を
見出せないという人は、「伝統」という
一種の権威に頼らないと自分の信奉を
維持できない脆弱な人だろうと思います。
間違った認識にもとづいた「信奉」なので、
不健全であるとも言えます。
反対派の信奉する「伝統的家族」は
他者のカチカンを侵害します。
脆弱な精神構造のために、他者がカチカンを
侵害されるいわれはないです。
その選択的夫婦別姓の反対派本人が、
自分で自分の精神構造の脆弱さを
克服することで、解決していただきたいです。