『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!~映画になってちょーだいします~』にちょーだいされました!
なんともイケてる名前じゃないか。
怪盗ファントマと快傑ミラージュが好きな私は、「正義の怪盗ファントミラージュ」というネーミングにワクワクした。
四人の可愛い怪盗が活躍する『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』は、観れば観るほど、知れば知るほど感心する作品だ。
■ロールモデルとしてのガールズ×戦士
そもそも、2017年の『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』にはじまり、2018年の『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』、2019年から1年以上の長期放映になった『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』と続くガールズ×戦士シリーズのコンセプトが、非常によくできている。
もとをたどれば、東映と石ノ森章太郎氏が『好き! すき!! 魔女先生』(1971年)や『美少女仮面ポワトリン』(1990年)等の実写作品で切り拓いた美少女戦士路線であるが、『美少女戦士セーラームーン』(1992年~1997年)やプリキュアシリーズ(2004年~)に代表されるアニメーション作品に人気が移って久しい。実写関連では、長いあいだこの路線に空白が生じていた。
その穴をただ埋めようとしても、アニメーション作品に押されて苦戦したかもしれないが、ガールズ×戦士シリーズは、アイドルになりたくて、ダンスをやりたくて活動している現実の子供たちを主役につけることで 全国に数多いる同じような子供たちのロールモデルを示すことに成功した。
シリーズ第一作『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』は、主人公の少女がアイドルのオーディションを受けたら、オーディションに合格してアイドルになるだけでなくアイドル戦士にも抜擢され、芸能活動をしながら魔王と戦うことになる物語だった。ここには、美少女戦士として敵と戦う物語と、無名の子がアイドルになって人気を得る物語の二つのフィクションが重ねられている。
加えて、主人公一ノ瀬カノン役の内田亜紗香さんをはじめ、『ミラクルちゅーんず!』を演じた少女たち自身もオーディションで選ばれており、劇中と同名のアイドルグループを結成して、本作の主題歌を歌い、イベントで踊り、一年にわたるテレビドラマの主役を務めるという現実のサクセスストーリーまでもが重ねられている。
従来の作品は、美少女戦士が敵と戦うファンタジーの部分が中心だったのに対し、このシリーズではそれに留まらず、現実の世界で歌やダンスのレッスンに励んでいる(又は励んでみたいと思っている)子供たちに、本当にドラマの主役になれたりアイドルになれることを――夢は実現することを――目に見える形で示せたことが重要な点になっている。主役を務める子供たちが、作品を見る多くの子供のロールモデルになるとともに、作品そのものが多くの子供にとっての目標になったといえるだろう。これはアニメーションではできない、実写ならではの企みだ。
私の住む街でも、ダンスや歌を練習した少女たちの成果を披露するイベントがしばしば開かれる。そういう少女たちにとって、ガールズ×戦士シリーズという場があることは大いに励みになるだろう。
以前の記事で紹介したように、男の子に将来就きたい職業を尋ねるとTV・アニメキャラクター(仮面ライダーとか戦隊ヒーローとか)が回答の上位に食い込むのに対し、同じ質問について女の子が上位に挙げるのは現実の職業ばかりである。しかし、ガールズ×戦士であれば、現実の職業として女の子が就くことができる。将来就きたい職業の第二位に女の子が挙げる「芸能人・歌手・モデル」と、それは被ってくる。
プリキュアシリーズのプロデューサーを務めた後、ガールズ×戦士シリーズに携わったプロジェクトマネージャーの佐々木礼子氏は、シリーズ第二作『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』放映時のインタビューで次のように語っている。
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大きなポイントとしては、制作委員会に、LDHさん(EXILE等のアーティストを擁する芸能事務所:引用者註)が展開するダンス&ボーカルスクールの『EXPG』さんがダンス監修や子どものキャスティングで入っていることです。“歌って踊る”というダンスブームが来ていたのもあって、それを作品の中に取り込み、さらにどうしたらこの玩具が売れるのかをみんなで考えて、シナリオに落とし込みました。
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ガールズ×戦士シリーズの主役を務める少女たちは、いずれもEXPG STUDIOの出身だ。
練習の成果を活かしてガールズ×戦士の座を射止めた彼女らは嬉しいだろうし、EXPGにとってもダンスやボーカルを練習した先にテレビドラマの主役や主題歌を歌ってのアイドルデビューがあるという道筋を示せる意義は大きいだろう。
『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』放映前のインタビュー[*1]で、シリーズ全作の総監督であり、回によっては監督も務める三池崇史監督が、こんなことを云っている。
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(見どころは)キャストですよね。毎回そうだけど。物語もそうなんだけど、でも、たぶん物語は我々大人に必要なもので、その物語から溢れ出てくる役者たちの魅力っていうのが、やっぱりホントはテーマなんじゃないかなと。可愛さだったり、ダンスとか歌とかっていう。物語はあくまでも出演者の、本人たちの魅力を子供たちにダイレクトに伝えてくための道具というか方法っていう、そのへんが結構普通のドラマとは違うところかなっていうのは思いますね。」
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ファントミラージュを教え導くファンディーが、劇中で主人公の少女たちに「君はファントミリスティに選ばれた」と告げるのは、変身アイテムであるファントミリスティの力でファントミラージュに変身できるようになったという劇中の意味だけでなく、オーディションで選ばれてファントミラージュの主役を射止めたことにも通じよう。
彼女たちは、まさに「選ばれた」のだ。
三池監督は「キラッと光るものがあって、選ばれて、みんなそれぞれ個性が違って、撮っていて楽しいですよね!」とも語っている。
■虚構と現実の曖昧な境界
こうしたことを背景に、『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』は一種独特の作風を確立している。虚構と現実の境界が緩やかで、現実の要素が作中世界を侵食するのだ。
たとえば、EXILEやGENERATIONS from EXILE TRIBE等のメンバーとして活躍する関口メンディーさんの役名はファンディーであり、小栗旬さんが演じるのは日本を代表する俳優・大栗純(おおぐり じゅん)――又の名をファンディーの兄ファングリ――である。役名が、本人の名をもじったものになっているのは、ファンディーを演じているのが関口メンディーさんであり、大栗純を演じているのが小栗旬さんであることを出演者にも視聴者に印象づけるためだろう。
普通のドラマは、作品が描く世界を大切にする。視聴者が作中世界に入り込めるように――現実を忘れて作品に没入できるように配慮する。だが、本作は、作中世界を描くだけでなく、オーディションに合格して主役に抜擢された少女たちがダンサーの関口メンディーさんや俳優の小栗旬さんと共演できたことを強調している。その事実が、主役の少女や芸能界に憧れる子供たちにとって――子供をダンス&ボーカルスクールに通わせる親御さんにとっても――夢のような物語だから。
シリーズ終盤には、ファントミラージュが戦い続けた逆逆警察のボス、サカサーマ様が真の姿を現した。その"真の姿"にダンディ坂野さんが起用されたのは、名前に「サカ」が含まれているという単なる駄洒落じゃないかと思うのだが、本人も登場するたびに昔からの持ちネタである「Get's!!」を連発したり、ファントミラージュから「一発屋」だの「『あの人は今』とかに出てる人」などとダンディ坂野本人として散々にいじられたりと、虚構のキャラクターとして以上に現実の存在として楽しく振舞った。
サカサーマ様の本名が「坂野ダン」と明かされるに至っては、もはや名前をもじることさえ放棄されている。
この、虚構と現実の境目の曖昧な作風が、本シリーズを非常にコメディ色の強いものにしている。現実に侵食された虚構なんて、笑ってしまうしかないではないか。
お笑いタレントの出演も多く、サンシャイン池崎さんが持ち前の芸風を活かして演技した際には、ファントミハートは明らかに素で笑っていた。
本シリーズは「可愛さ」「楽しさ」を重視して作られているが、コメディ調であることと、現実感があるのかないのか判らない不思議な雰囲気は、『美少女仮面ポワトリン』を含む東映不思議コメディーシリーズに通じるものがあろう。
そもそも、ファントミラージュの正体がバレるとポップコーンになってしまうというシュールな設定からして、正体がバレるとカエルになってしまうポワトリンや、正体がバレるとローストチキンになってしまうシュシュトリアンにならったものだろう。随所に散りばめられた脱力系のギャグや、上下が逆さまになった逆逆警察のセットや、右半身と左半身で違う格好をしている逆逆警察のギャンヌ署長、年齢も性別もよく判らないアベコベ刑事(デカ)、30歳を過ぎて幼稚園児の格好をしているマギャク巡査らのユニークなキャラクターも、妙な感じで実に良い。
■「台本を読みながらドキッとしました」
その上このシリーズは、大人が見てもハッとするところがある。
戦士たちが戦う相手は、いわゆる「悪人」ではない。
『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』は、ネガティブなことばかり口にするようになったネガティブジュエラーに前向きな気持ちを取り戻させるために戦った。
『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』が戦う相手は、「そんなの無理」「やっても無駄」「どうせ駄目」と諦めてしまうアキラメスト。
『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』は、イケないことをするイケナイヤーを、イケてる人に戻そうと奮闘した。たとえば、第42話「サキとちひろの神隠し!?」は、アニメーション映画で世界的に有名な○崎ハヤ○監督が「もうアニメーション映画を作らない」と云い出して皆を困らせるという洒落にならない話だった。
ファントミラージュの活躍により、○崎ハヤ○監督はまたアニメーション映画を作る意欲を取り戻すのだが、私たちが「もうアニメーション映画を作らない」と云い出す世界的に有名な監督に心当たりがあるように、ネガティブジュエラーもアキラメストもイケナイヤーも、大人が何かの拍子に陥ってしまう状態を表している。子供には退治すべき敵に見えるかもしれないが、大人の視聴者の中には身につまされる人もいるのではなかろうか。
『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』の主人公桜衣ココミのパパであり、第1話で逆逆警察によってイケナイヤーにされ、人々に不味いケーキを食べさせるようになるパティシエ桜衣慎一を演じた斎藤工さんは、台本を読んでドキッとしたという。[*1]
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(敵役として)別のキャラクターになるというよりは、普段優しそうな慎一の中にどこか持っているイケナイヤーの血というか、そういうものがね、現れたんじゃないかなと思って。彼の中の、実は持ってた部分、外に出していないだけの何かが溢れ出したんじゃないかなっていう。たぶんね、人間って、凄く両極端な対極のものを同時に持ってたりすると思うんで、それが何かのキッカケで、こうグラデーションじゃなくて逆に振り切れちゃうっていうのは、ある真理を突いてるんじゃないかなと思って、ドキッとしましたね、実は。台本を読みながら。
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イケナイヤーになった人たちは、ファントミラージュにイケない心を盗んでもらって立ち直る。
挙句、右半身と左半身で違う格好をしていたギャンヌ署長が、自分に自信が持てずに、夢に向かって踏み出すべきか諦めるべきか進路に悩んでいたことが知れ、年齢も性別もよく判らないアベコベ刑事は、自分らしく生きることをためらって悩んでいたことが知れ、30歳を過ぎて幼稚園児の格好をしていたマギャク巡査は、役者になってヒーローを演じたいという子供のような夢を抱き続けた実直な人間だったことが知れ、サカサーマ様に至っては、真面目過ぎるがゆえにその真面目ををからかわれたことが生涯のトラウマになっていたことが知れ、人がどんな人生を歩むかはまさに「何かのキッカケ」次第であること、そして、やり直せるかどうかも「何かのキッカケ」次第であることが明らかになっていく。
人はいつだってまたやり直せる。人と人との関係はきっと修復できるはず。本シリーズを貫くこのメッセージは、ときに涙を誘う感動的なエピソードをもって語られる(第48話「サライの探し物見つけた!」とか)。
もしも、美少女戦士が活躍するファンタジーや、歌やダンスを楽しむだけに終わった視聴者がいたとしても、いつか本作を思い出したとき、きっと感じることがあるはずだ。
このように、『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』は重層的な構造を持ち、美少女戦士が敵と戦う虚構と、ダンサーや歌手やモデルに憧れる子供たちにロールモデルを示す現実と、駄洒落でも何でもありの変なコメディと、大人をドキッとさせる奥深さを兼ね備え、見る人がそれぞれの立場で、それぞれの思いで堪能できる懐の深い作品になっている。
■映画ならではの味付け
その構造は映画になっても変わらない。それどころか、ガールズ×戦士シリーズ初の劇場用映画たる『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!~映画になってちょーだいします~』は、テレビシリーズに輪をかけて重層的な構造になっている。
オーディションに合格してテレビドラマの主役に抜擢された少女たちにとって、そして彼女らを憧れと共感をもって見ている視聴者の子供たちにとって、ファントミの主演映画が作られ、公開されること自体が大事件だ。
だから本作は、ファントミラージュが主演する映画を作る映画になっている。世界的に有名な映画監督が、ファントミラージュに映画の主演をオファーしてくるところからはじまるのだ。
もとよりファントミラージュたちは、子供らしい承認欲求の塊だ。
大人になると、他人に認められることや夢が叶うかどうかはあまり重要ではなくなるけれど、子供はそうはいかない。ファントミたちは、普段から動画配信サイトを見ては、自分たちの動画の再生回数が多い少ないで一喜一憂している。
そんな彼女らが有名監督からオファーされたら、天にも昇る心地に違いない。
本作は、そんなファントミラージュたちの、映画作りの現場での大騒動を物語の中心に据える。
もちろん、三池崇史監督が云うように、物語はあくまでもファントミラージュ役の少女たちの魅力を伝えるための道具に過ぎない。
見どころは、映画のセットを訪れた彼女たちが撮影の裏側を見て驚いたり楽しんだりする様子だ。ファントミのファンの子供たちも、映画の中の少女たちと一緒になって撮影の現場に立ち会える。オーディションに合格すれば、こんなところで撮影してもらえる可能性に、ワクワクすることだろう。
エンドクレジットでファントミたちがちょん髷のカツラを付ける様子を映してしまうのも、撮影に臨む彼女たちを見ることが、客席の子供に面白いと判っているからだ。
でも、ファントミラージュの衣装に着替えるところ等は絶対に映らない。あのコスチュームはファントミリスティの力で変身しているのであって、控室で着替えてるわけではないからだ。この映画は底抜けでメチャクチャをやっているようでいて、何を映して何を映さないか、その判断は、幅広い客層を意識して極めて慎重になされている。
往々にして、バックステージものの映画が、普段は観客が知ることのできない裏舞台をさらすことで観客の興味を引こうとするのに対し、本作は客席の子供たちが抱く夢や憧れの延長線上に映画の撮影現場を置く。テレビドラマ『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』が持つ重層的な構造を保ちつつ、映画ならではの更なる層を付け加えたのだ。『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』の劇場版として、これ以上ない作りだろう。
しかも、本作を観た映画ファンは、ときにニヤリとし、ときに感慨を抱くに違いない。
ファントミラージュに声をかける世界的に有名な監督の名は黒沢ピヨシ。眼から炎を噴き上げながら云う「オレの映画魂、ボーボーしてる!」が口癖の彼の事務所には、過去の監督作のポスターが飾られており、その中には『人間失敗』なんて作品もある。
これは、1999年に映画『ニンゲン合格』を発表した黒沢清監督のもじりであろう。黒沢清監督はカンヌをはじめ世界中で賞を贈られているから、世界的に有名な映画監督に当てはまる。
だが、黒いサングラスがトレードマークで、「世界のクロサワ……」と呼ばれる黒沢ピヨシに、多くの人は黒澤明監督も重ねて見るはずだ。この設定は、三池崇史監督が同時代人の黒沢清監督に、そして偉大な先達である黒澤明監督に敬意を表したものだろう。
同時に、これもまた映画を観る子供たちへの配慮と云える。
世界的に有名な映画監督として黒澤明監督をモデルにすることに、誰も異存はないだろう。けれども、子供たちが黒澤明の存在を知ったとき、20年以上も前に没した人であったならどう思うだろうか。子供にとって、20年以上も前に亡くなった人なんて有史以前の化石に等しい。その作品は、古い地層から出土した土器か何かと同じように遠いものに感じられるだろう。
だから、まだ存命中の、子供にも生きた人間として感じられる存在を重ねる必要があったのだと思う。
また、本作は、黒沢ピヨシ監督をギャグでいじりまくるから、そのキャラクターを存命中の実在の人物に寄せすぎると、それはそれでやりにくかったろう。
黒澤明監督と黒沢清監督をミックスした黒沢ピヨシというキャラクターは、現実と虚構の曖昧な境界を泳いでいる本シリーズらしく、現実からのほどよい距離感を演出するのに役立っている。
■黒澤映画の嫡流
さらに、本作は、黒澤明監督のファンにはたまらない展開を見せる。
逆逆警察に「アツい想いでステキな映画を作って世の中のみんなを元気づけるなんて素晴らしいことをしようとしている罪!!」で逆逮捕され、イケナイヤー「ヘンナエイガトルヤー」にされた黒沢ピヨシ監督。ファントミラージュは、観ると元気がなくなる変な映画を撮りはじめた黒沢監督と対決するが、忍者役のキャストたちを「イケない忍者軍団」に変身させて攻勢をかける監督の前に、さしものファントミラージュも力尽き、地面に倒れ伏してしまう。
そのとき、ファントミの仲間のくまちぃが、客席に向かって叫ぶのだ。みんなの応援が必要だと。「ファントミ、がんばって~」の声が届かなければ、ファントミたちは立ち上がれないのだと。
このシーンに、黒澤明の監督六作目の映画、1947年公開の『素晴らしき日曜日』を思い出す人もいるだろう。
貧しく、金も何も持たない若いカップルが、せめて週に一度だけデートできる日曜日くらいは素敵な時間を過ごそうとするのに、運の悪いことばかりが続き、ろくな目に遭わない。なけなしの金で買おうとしたコンサートのB席チケットは目の前で売り切れてしまい、カフェに入ればぼったくられる。やることなすこと上手くいかず、せっかくの日曜日が散々な日になってしまう。男は、女を明るい気持ちにさせようと、聴けなかったコンサートの代わりに無人の野外音楽堂に立って指揮の真似事をしようとするが、かえってむなしさが募るばかり。生きる気力さえ萎えてしまう。
そのとき、ヒロイン昌子が、スクリーン越しに観客に訴えるのだ。
「みなさん、お願いです!どうか拍手をしてやってください!みなさんの温かいお心で、どうか励ましてやってください。」
残念ながら当時の日本の映画館では、このシーンに拍手は起こらなかったという。[*2]
けれども、フランスの名匠アラン・レネ監督は「これまで見た世界の映画のなかで最も美しいシーンだ」と称賛する。[*3]
観客を、不特定多数の人の善意を信じたこのシーンは、あまりにも有名だ。たとえ観客が手を打つことをしなかったとしても、その胸のうちには、若い二人を応援する気持ちがきっとあったに違いない。私はそう思っている。
『素晴らしき日曜日』の公開から七十余年を経た現在、黒澤明監督が考案したこの野心的な演出は、プリキュアシリーズに取り入れられ、『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』でも再現された。
脚本家植草圭之助の考えたストーリーを変えさせてまで黒澤監督が撮ることにこだわったこのシーンが、今もこうして受け継がれ、新作のクライマックスになっている。そのことに、私は深い感慨を覚えた。
本作は他にも、『2001年宇宙の旅』の映像と音楽を思わせる幕開けや(一見、本編には関係なさそうだが、実は宇宙のシーンを挿入することでラストの隕石落下の導入になっている)、歴代のガールズ×戦士が登場するシーンでは『アベンジャーズ』の如き重厚な曲が流れたり、背景のあちこちに貼られた映画のポスターが凝りまくっていたりで本当に楽しい(黒沢ピヨシの監督作『はらへり一等兵』は、『野火』のパロディですね)。
かくして本作は、ファントミラージュがかつてない強敵と戦う冒険ファンタジーであるとともに、テレビシリーズのこれまでのオープニング曲やエンディング曲に映画の主題歌『ABCDEFガール』を加えた歌とダンスが楽しめる音楽映画でもあり、脱力系のギャグがてんこ盛りな上に、映画ファンの胸にグッとくる要素も詰め込まれた、一大エンターテイメントになっている。
ノリが良くって楽しくて、幼児でも大人でも愉快な時間を過ごせるとてつもない映画なのだ。
本作の主人公、桜衣ココミのセリフは、こんなときこそ相応しい。
「私のハート、ファンファンしてる!」
[*1] 「ひみつ×戦士 ファントミラージュ!」特別インタビュー:豪華キャスト&監督編 2019/02/25
[*2] DVD-BOX「黒澤明 THE MASTERWORKS 3」解説書収録 「私の素晴らしい一日」 カトリーヌ・カドゥ
[*3] DVD-BOX「黒澤明 THE MASTERWORKS 3」解説書 山田宏一
『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!~映画になってちょーだいします~』 [か行]
監督/三池崇史
出演/菱田未渚美 山口綺羅 原田都愛 石井蘭 山口莉愛 中尾明慶 石田ニコル 黒石高大 ぺえ 本田翼 関口メンディー 大鶴佐助 斎藤工 小浦一優 ダンディ坂野 今井隆文 南出凌嘉 小田柚葉 隅谷百花 鶴屋美咲 小川桜花 増田來亜 豊永利行
日本公開/2020年7月23日
ジャンル/[ファンタジー] [スーパーヒーロー] [音楽]
怪盗ファントマと快傑ミラージュが好きな私は、「正義の怪盗ファントミラージュ」というネーミングにワクワクした。
四人の可愛い怪盗が活躍する『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』は、観れば観るほど、知れば知るほど感心する作品だ。
■ロールモデルとしてのガールズ×戦士
そもそも、2017年の『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』にはじまり、2018年の『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』、2019年から1年以上の長期放映になった『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』と続くガールズ×戦士シリーズのコンセプトが、非常によくできている。
もとをたどれば、東映と石ノ森章太郎氏が『好き! すき!! 魔女先生』(1971年)や『美少女仮面ポワトリン』(1990年)等の実写作品で切り拓いた美少女戦士路線であるが、『美少女戦士セーラームーン』(1992年~1997年)やプリキュアシリーズ(2004年~)に代表されるアニメーション作品に人気が移って久しい。実写関連では、長いあいだこの路線に空白が生じていた。
その穴をただ埋めようとしても、アニメーション作品に押されて苦戦したかもしれないが、ガールズ×戦士シリーズは、アイドルになりたくて、ダンスをやりたくて活動している現実の子供たちを主役につけることで 全国に数多いる同じような子供たちのロールモデルを示すことに成功した。
シリーズ第一作『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』は、主人公の少女がアイドルのオーディションを受けたら、オーディションに合格してアイドルになるだけでなくアイドル戦士にも抜擢され、芸能活動をしながら魔王と戦うことになる物語だった。ここには、美少女戦士として敵と戦う物語と、無名の子がアイドルになって人気を得る物語の二つのフィクションが重ねられている。
加えて、主人公一ノ瀬カノン役の内田亜紗香さんをはじめ、『ミラクルちゅーんず!』を演じた少女たち自身もオーディションで選ばれており、劇中と同名のアイドルグループを結成して、本作の主題歌を歌い、イベントで踊り、一年にわたるテレビドラマの主役を務めるという現実のサクセスストーリーまでもが重ねられている。
従来の作品は、美少女戦士が敵と戦うファンタジーの部分が中心だったのに対し、このシリーズではそれに留まらず、現実の世界で歌やダンスのレッスンに励んでいる(又は励んでみたいと思っている)子供たちに、本当にドラマの主役になれたりアイドルになれることを――夢は実現することを――目に見える形で示せたことが重要な点になっている。主役を務める子供たちが、作品を見る多くの子供のロールモデルになるとともに、作品そのものが多くの子供にとっての目標になったといえるだろう。これはアニメーションではできない、実写ならではの企みだ。
私の住む街でも、ダンスや歌を練習した少女たちの成果を披露するイベントがしばしば開かれる。そういう少女たちにとって、ガールズ×戦士シリーズという場があることは大いに励みになるだろう。
以前の記事で紹介したように、男の子に将来就きたい職業を尋ねるとTV・アニメキャラクター(仮面ライダーとか戦隊ヒーローとか)が回答の上位に食い込むのに対し、同じ質問について女の子が上位に挙げるのは現実の職業ばかりである。しかし、ガールズ×戦士であれば、現実の職業として女の子が就くことができる。将来就きたい職業の第二位に女の子が挙げる「芸能人・歌手・モデル」と、それは被ってくる。
プリキュアシリーズのプロデューサーを務めた後、ガールズ×戦士シリーズに携わったプロジェクトマネージャーの佐々木礼子氏は、シリーズ第二作『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』放映時のインタビューで次のように語っている。
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大きなポイントとしては、制作委員会に、LDHさん(EXILE等のアーティストを擁する芸能事務所:引用者註)が展開するダンス&ボーカルスクールの『EXPG』さんがダンス監修や子どものキャスティングで入っていることです。“歌って踊る”というダンスブームが来ていたのもあって、それを作品の中に取り込み、さらにどうしたらこの玩具が売れるのかをみんなで考えて、シナリオに落とし込みました。
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ガールズ×戦士シリーズの主役を務める少女たちは、いずれもEXPG STUDIOの出身だ。
練習の成果を活かしてガールズ×戦士の座を射止めた彼女らは嬉しいだろうし、EXPGにとってもダンスやボーカルを練習した先にテレビドラマの主役や主題歌を歌ってのアイドルデビューがあるという道筋を示せる意義は大きいだろう。
『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』放映前のインタビュー[*1]で、シリーズ全作の総監督であり、回によっては監督も務める三池崇史監督が、こんなことを云っている。
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(見どころは)キャストですよね。毎回そうだけど。物語もそうなんだけど、でも、たぶん物語は我々大人に必要なもので、その物語から溢れ出てくる役者たちの魅力っていうのが、やっぱりホントはテーマなんじゃないかなと。可愛さだったり、ダンスとか歌とかっていう。物語はあくまでも出演者の、本人たちの魅力を子供たちにダイレクトに伝えてくための道具というか方法っていう、そのへんが結構普通のドラマとは違うところかなっていうのは思いますね。」
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ファントミラージュを教え導くファンディーが、劇中で主人公の少女たちに「君はファントミリスティに選ばれた」と告げるのは、変身アイテムであるファントミリスティの力でファントミラージュに変身できるようになったという劇中の意味だけでなく、オーディションで選ばれてファントミラージュの主役を射止めたことにも通じよう。
彼女たちは、まさに「選ばれた」のだ。
三池監督は「キラッと光るものがあって、選ばれて、みんなそれぞれ個性が違って、撮っていて楽しいですよね!」とも語っている。
■虚構と現実の曖昧な境界
こうしたことを背景に、『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』は一種独特の作風を確立している。虚構と現実の境界が緩やかで、現実の要素が作中世界を侵食するのだ。
たとえば、EXILEやGENERATIONS from EXILE TRIBE等のメンバーとして活躍する関口メンディーさんの役名はファンディーであり、小栗旬さんが演じるのは日本を代表する俳優・大栗純(おおぐり じゅん)――又の名をファンディーの兄ファングリ――である。役名が、本人の名をもじったものになっているのは、ファンディーを演じているのが関口メンディーさんであり、大栗純を演じているのが小栗旬さんであることを出演者にも視聴者に印象づけるためだろう。
普通のドラマは、作品が描く世界を大切にする。視聴者が作中世界に入り込めるように――現実を忘れて作品に没入できるように配慮する。だが、本作は、作中世界を描くだけでなく、オーディションに合格して主役に抜擢された少女たちがダンサーの関口メンディーさんや俳優の小栗旬さんと共演できたことを強調している。その事実が、主役の少女や芸能界に憧れる子供たちにとって――子供をダンス&ボーカルスクールに通わせる親御さんにとっても――夢のような物語だから。
シリーズ終盤には、ファントミラージュが戦い続けた逆逆警察のボス、サカサーマ様が真の姿を現した。その"真の姿"にダンディ坂野さんが起用されたのは、名前に「サカ」が含まれているという単なる駄洒落じゃないかと思うのだが、本人も登場するたびに昔からの持ちネタである「Get's!!」を連発したり、ファントミラージュから「一発屋」だの「『あの人は今』とかに出てる人」などとダンディ坂野本人として散々にいじられたりと、虚構のキャラクターとして以上に現実の存在として楽しく振舞った。
サカサーマ様の本名が「坂野ダン」と明かされるに至っては、もはや名前をもじることさえ放棄されている。
この、虚構と現実の境目の曖昧な作風が、本シリーズを非常にコメディ色の強いものにしている。現実に侵食された虚構なんて、笑ってしまうしかないではないか。
お笑いタレントの出演も多く、サンシャイン池崎さんが持ち前の芸風を活かして演技した際には、ファントミハートは明らかに素で笑っていた。
本シリーズは「可愛さ」「楽しさ」を重視して作られているが、コメディ調であることと、現実感があるのかないのか判らない不思議な雰囲気は、『美少女仮面ポワトリン』を含む東映不思議コメディーシリーズに通じるものがあろう。
そもそも、ファントミラージュの正体がバレるとポップコーンになってしまうというシュールな設定からして、正体がバレるとカエルになってしまうポワトリンや、正体がバレるとローストチキンになってしまうシュシュトリアンにならったものだろう。随所に散りばめられた脱力系のギャグや、上下が逆さまになった逆逆警察のセットや、右半身と左半身で違う格好をしている逆逆警察のギャンヌ署長、年齢も性別もよく判らないアベコベ刑事(デカ)、30歳を過ぎて幼稚園児の格好をしているマギャク巡査らのユニークなキャラクターも、妙な感じで実に良い。
■「台本を読みながらドキッとしました」
その上このシリーズは、大人が見てもハッとするところがある。
戦士たちが戦う相手は、いわゆる「悪人」ではない。
『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』は、ネガティブなことばかり口にするようになったネガティブジュエラーに前向きな気持ちを取り戻させるために戦った。
『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』が戦う相手は、「そんなの無理」「やっても無駄」「どうせ駄目」と諦めてしまうアキラメスト。
『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』は、イケないことをするイケナイヤーを、イケてる人に戻そうと奮闘した。たとえば、第42話「サキとちひろの神隠し!?」は、アニメーション映画で世界的に有名な○崎ハヤ○監督が「もうアニメーション映画を作らない」と云い出して皆を困らせるという洒落にならない話だった。
ファントミラージュの活躍により、○崎ハヤ○監督はまたアニメーション映画を作る意欲を取り戻すのだが、私たちが「もうアニメーション映画を作らない」と云い出す世界的に有名な監督に心当たりがあるように、ネガティブジュエラーもアキラメストもイケナイヤーも、大人が何かの拍子に陥ってしまう状態を表している。子供には退治すべき敵に見えるかもしれないが、大人の視聴者の中には身につまされる人もいるのではなかろうか。
『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』の主人公桜衣ココミのパパであり、第1話で逆逆警察によってイケナイヤーにされ、人々に不味いケーキを食べさせるようになるパティシエ桜衣慎一を演じた斎藤工さんは、台本を読んでドキッとしたという。[*1]
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(敵役として)別のキャラクターになるというよりは、普段優しそうな慎一の中にどこか持っているイケナイヤーの血というか、そういうものがね、現れたんじゃないかなと思って。彼の中の、実は持ってた部分、外に出していないだけの何かが溢れ出したんじゃないかなっていう。たぶんね、人間って、凄く両極端な対極のものを同時に持ってたりすると思うんで、それが何かのキッカケで、こうグラデーションじゃなくて逆に振り切れちゃうっていうのは、ある真理を突いてるんじゃないかなと思って、ドキッとしましたね、実は。台本を読みながら。
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イケナイヤーになった人たちは、ファントミラージュにイケない心を盗んでもらって立ち直る。
挙句、右半身と左半身で違う格好をしていたギャンヌ署長が、自分に自信が持てずに、夢に向かって踏み出すべきか諦めるべきか進路に悩んでいたことが知れ、年齢も性別もよく判らないアベコベ刑事は、自分らしく生きることをためらって悩んでいたことが知れ、30歳を過ぎて幼稚園児の格好をしていたマギャク巡査は、役者になってヒーローを演じたいという子供のような夢を抱き続けた実直な人間だったことが知れ、サカサーマ様に至っては、真面目過ぎるがゆえにその真面目ををからかわれたことが生涯のトラウマになっていたことが知れ、人がどんな人生を歩むかはまさに「何かのキッカケ」次第であること、そして、やり直せるかどうかも「何かのキッカケ」次第であることが明らかになっていく。
人はいつだってまたやり直せる。人と人との関係はきっと修復できるはず。本シリーズを貫くこのメッセージは、ときに涙を誘う感動的なエピソードをもって語られる(第48話「サライの探し物見つけた!」とか)。
もしも、美少女戦士が活躍するファンタジーや、歌やダンスを楽しむだけに終わった視聴者がいたとしても、いつか本作を思い出したとき、きっと感じることがあるはずだ。
このように、『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』は重層的な構造を持ち、美少女戦士が敵と戦う虚構と、ダンサーや歌手やモデルに憧れる子供たちにロールモデルを示す現実と、駄洒落でも何でもありの変なコメディと、大人をドキッとさせる奥深さを兼ね備え、見る人がそれぞれの立場で、それぞれの思いで堪能できる懐の深い作品になっている。
■映画ならではの味付け
その構造は映画になっても変わらない。それどころか、ガールズ×戦士シリーズ初の劇場用映画たる『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!~映画になってちょーだいします~』は、テレビシリーズに輪をかけて重層的な構造になっている。
オーディションに合格してテレビドラマの主役に抜擢された少女たちにとって、そして彼女らを憧れと共感をもって見ている視聴者の子供たちにとって、ファントミの主演映画が作られ、公開されること自体が大事件だ。
だから本作は、ファントミラージュが主演する映画を作る映画になっている。世界的に有名な映画監督が、ファントミラージュに映画の主演をオファーしてくるところからはじまるのだ。
もとよりファントミラージュたちは、子供らしい承認欲求の塊だ。
大人になると、他人に認められることや夢が叶うかどうかはあまり重要ではなくなるけれど、子供はそうはいかない。ファントミたちは、普段から動画配信サイトを見ては、自分たちの動画の再生回数が多い少ないで一喜一憂している。
そんな彼女らが有名監督からオファーされたら、天にも昇る心地に違いない。
本作は、そんなファントミラージュたちの、映画作りの現場での大騒動を物語の中心に据える。
もちろん、三池崇史監督が云うように、物語はあくまでもファントミラージュ役の少女たちの魅力を伝えるための道具に過ぎない。
見どころは、映画のセットを訪れた彼女たちが撮影の裏側を見て驚いたり楽しんだりする様子だ。ファントミのファンの子供たちも、映画の中の少女たちと一緒になって撮影の現場に立ち会える。オーディションに合格すれば、こんなところで撮影してもらえる可能性に、ワクワクすることだろう。
エンドクレジットでファントミたちがちょん髷のカツラを付ける様子を映してしまうのも、撮影に臨む彼女たちを見ることが、客席の子供に面白いと判っているからだ。
でも、ファントミラージュの衣装に着替えるところ等は絶対に映らない。あのコスチュームはファントミリスティの力で変身しているのであって、控室で着替えてるわけではないからだ。この映画は底抜けでメチャクチャをやっているようでいて、何を映して何を映さないか、その判断は、幅広い客層を意識して極めて慎重になされている。
往々にして、バックステージものの映画が、普段は観客が知ることのできない裏舞台をさらすことで観客の興味を引こうとするのに対し、本作は客席の子供たちが抱く夢や憧れの延長線上に映画の撮影現場を置く。テレビドラマ『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』が持つ重層的な構造を保ちつつ、映画ならではの更なる層を付け加えたのだ。『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』の劇場版として、これ以上ない作りだろう。
しかも、本作を観た映画ファンは、ときにニヤリとし、ときに感慨を抱くに違いない。
ファントミラージュに声をかける世界的に有名な監督の名は黒沢ピヨシ。眼から炎を噴き上げながら云う「オレの映画魂、ボーボーしてる!」が口癖の彼の事務所には、過去の監督作のポスターが飾られており、その中には『人間失敗』なんて作品もある。
これは、1999年に映画『ニンゲン合格』を発表した黒沢清監督のもじりであろう。黒沢清監督はカンヌをはじめ世界中で賞を贈られているから、世界的に有名な映画監督に当てはまる。
だが、黒いサングラスがトレードマークで、「世界のクロサワ……」と呼ばれる黒沢ピヨシに、多くの人は黒澤明監督も重ねて見るはずだ。この設定は、三池崇史監督が同時代人の黒沢清監督に、そして偉大な先達である黒澤明監督に敬意を表したものだろう。
同時に、これもまた映画を観る子供たちへの配慮と云える。
世界的に有名な映画監督として黒澤明監督をモデルにすることに、誰も異存はないだろう。けれども、子供たちが黒澤明の存在を知ったとき、20年以上も前に没した人であったならどう思うだろうか。子供にとって、20年以上も前に亡くなった人なんて有史以前の化石に等しい。その作品は、古い地層から出土した土器か何かと同じように遠いものに感じられるだろう。
だから、まだ存命中の、子供にも生きた人間として感じられる存在を重ねる必要があったのだと思う。
また、本作は、黒沢ピヨシ監督をギャグでいじりまくるから、そのキャラクターを存命中の実在の人物に寄せすぎると、それはそれでやりにくかったろう。
黒澤明監督と黒沢清監督をミックスした黒沢ピヨシというキャラクターは、現実と虚構の曖昧な境界を泳いでいる本シリーズらしく、現実からのほどよい距離感を演出するのに役立っている。
■黒澤映画の嫡流
さらに、本作は、黒澤明監督のファンにはたまらない展開を見せる。
逆逆警察に「アツい想いでステキな映画を作って世の中のみんなを元気づけるなんて素晴らしいことをしようとしている罪!!」で逆逮捕され、イケナイヤー「ヘンナエイガトルヤー」にされた黒沢ピヨシ監督。ファントミラージュは、観ると元気がなくなる変な映画を撮りはじめた黒沢監督と対決するが、忍者役のキャストたちを「イケない忍者軍団」に変身させて攻勢をかける監督の前に、さしものファントミラージュも力尽き、地面に倒れ伏してしまう。
そのとき、ファントミの仲間のくまちぃが、客席に向かって叫ぶのだ。みんなの応援が必要だと。「ファントミ、がんばって~」の声が届かなければ、ファントミたちは立ち上がれないのだと。
このシーンに、黒澤明の監督六作目の映画、1947年公開の『素晴らしき日曜日』を思い出す人もいるだろう。
貧しく、金も何も持たない若いカップルが、せめて週に一度だけデートできる日曜日くらいは素敵な時間を過ごそうとするのに、運の悪いことばかりが続き、ろくな目に遭わない。なけなしの金で買おうとしたコンサートのB席チケットは目の前で売り切れてしまい、カフェに入ればぼったくられる。やることなすこと上手くいかず、せっかくの日曜日が散々な日になってしまう。男は、女を明るい気持ちにさせようと、聴けなかったコンサートの代わりに無人の野外音楽堂に立って指揮の真似事をしようとするが、かえってむなしさが募るばかり。生きる気力さえ萎えてしまう。
そのとき、ヒロイン昌子が、スクリーン越しに観客に訴えるのだ。
「みなさん、お願いです!どうか拍手をしてやってください!みなさんの温かいお心で、どうか励ましてやってください。」
残念ながら当時の日本の映画館では、このシーンに拍手は起こらなかったという。[*2]
けれども、フランスの名匠アラン・レネ監督は「これまで見た世界の映画のなかで最も美しいシーンだ」と称賛する。[*3]
観客を、不特定多数の人の善意を信じたこのシーンは、あまりにも有名だ。たとえ観客が手を打つことをしなかったとしても、その胸のうちには、若い二人を応援する気持ちがきっとあったに違いない。私はそう思っている。
『素晴らしき日曜日』の公開から七十余年を経た現在、黒澤明監督が考案したこの野心的な演出は、プリキュアシリーズに取り入れられ、『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』でも再現された。
脚本家植草圭之助の考えたストーリーを変えさせてまで黒澤監督が撮ることにこだわったこのシーンが、今もこうして受け継がれ、新作のクライマックスになっている。そのことに、私は深い感慨を覚えた。
本作は他にも、『2001年宇宙の旅』の映像と音楽を思わせる幕開けや(一見、本編には関係なさそうだが、実は宇宙のシーンを挿入することでラストの隕石落下の導入になっている)、歴代のガールズ×戦士が登場するシーンでは『アベンジャーズ』の如き重厚な曲が流れたり、背景のあちこちに貼られた映画のポスターが凝りまくっていたりで本当に楽しい(黒沢ピヨシの監督作『はらへり一等兵』は、『野火』のパロディですね)。
かくして本作は、ファントミラージュがかつてない強敵と戦う冒険ファンタジーであるとともに、テレビシリーズのこれまでのオープニング曲やエンディング曲に映画の主題歌『ABCDEFガール』を加えた歌とダンスが楽しめる音楽映画でもあり、脱力系のギャグがてんこ盛りな上に、映画ファンの胸にグッとくる要素も詰め込まれた、一大エンターテイメントになっている。
ノリが良くって楽しくて、幼児でも大人でも愉快な時間を過ごせるとてつもない映画なのだ。
本作の主人公、桜衣ココミのセリフは、こんなときこそ相応しい。
「私のハート、ファンファンしてる!」
[*1] 「ひみつ×戦士 ファントミラージュ!」特別インタビュー:豪華キャスト&監督編 2019/02/25
[*2] DVD-BOX「黒澤明 THE MASTERWORKS 3」解説書収録 「私の素晴らしい一日」 カトリーヌ・カドゥ
同 特典映像収録の座談会
[*3] DVD-BOX「黒澤明 THE MASTERWORKS 3」解説書 山田宏一
『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!~映画になってちょーだいします~』 [か行]
監督/三池崇史
出演/菱田未渚美 山口綺羅 原田都愛 石井蘭 山口莉愛 中尾明慶 石田ニコル 黒石高大 ぺえ 本田翼 関口メンディー 大鶴佐助 斎藤工 小浦一優 ダンディ坂野 今井隆文 南出凌嘉 小田柚葉 隅谷百花 鶴屋美咲 小川桜花 増田來亜 豊永利行
日本公開/2020年7月23日
ジャンル/[ファンタジー] [スーパーヒーロー] [音楽]
【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】