「病院に何よりも求められることは、患者に危害を加えないことである」。ナイチンゲールの言葉は、現代の医療者も肝に銘ずるべき格言であろう。感染症の治療にはたくさんの方法があり、どのような場面でも絶対的に正しい方法というものはない。しかし、明らかに不適切で患者さんの害になる、あるいはベネフィットが全くないという方法は存在する。こういった治療を行うべきでないことは自明であるはずだ。
その代表例が不適切な抗菌薬の使用だ。かぜなどのウイルス性疾患に抗菌薬は効かないし、副作用が出る可能性を無視できない。細菌感染であっても広域抗菌薬を不用意に使えば、耐性菌を生むことになる。
心臓の手術を素人の私が行えば危険極まりないので、心臓外科医に任せるべきである。同様に、感染症診療も専門家に委ねたほうが治療成績が良くなるのは当然のことだ。北米の歴史ある小児病院で続々と感染症科が開設されたのは1960~70年代のこと。以来、感染症に関するコンサルテーションを各科から受けて、最適な治療を推奨するという診療スタイルが主流になっている。できるだけ早期の感染症科へのコンサルテーションが患者の死亡率を下げて入院期間を短縮できることは最近の報告でも示されている1)。
近年、耐性菌の蔓延による感染症治療の難渋化および失敗は世界的な脅威である。耐性菌に効く新規抗菌薬の開発は追いついておらず、WHOも世界的に危急の課題として耐性菌を挙げている。米国も国を挙げて耐性菌の問題に取り組んでいる姿勢が見受けられ、CDCは“Get smart:Know when antibiotics work”(賢くなろう:抗菌薬が効くときを知ろう)という啓発に力を入れる。医療従事者のみならず国民全体に適正使用を呼びかけるという週間も設けていて、今年は11月18~24日にキャンペーンが行われる予定だ。
途上国でも進む抗菌薬適正使用、日本は…
病院としてできる耐性菌対策に、Antimicrobial Stewardship Program(ASP)がある。日本語に訳すと、「抗菌薬の適正使用と管理のプログラム」といったところで、個々の主治医に任されていた抗菌薬の処方について、病院のシステムとして包括的に介入し適正化するプログラムのことである。いろいろな介入方法があり、米国感染症学会からガイドラインも出されている2)。
感染症の国際学会に行けば、日本より医療状況が恵まれていない開発途上国からもASP導入の成果が発表されている。個々の医師が抗菌薬を好き勝手に処方できる病院は、もはや世界の潮流から取り残されている。感染制御チーム(ICT)およびインフェクションコントロールドクター(ICD)がいる中規模以上の病院は、実効性のある何らかのASPを導入すべきであろう。
米国の小児病院から遅れること、ほぼ50年。2010年8月に立ち上がった東京都立小児総合医療センターの感染症科に着任した私自身にとっても、大きな課題の一つは世界標準のASPを導入して機能させることであった。例えば、ある慢性疾患の患児が熱を出して、主治医が習慣的にカルバペネム系抗菌薬を使うとする。そして多くの場合、発熱は治まるので、その治療は「効果があった」と認識されてしまう。
感染症診療の原則は、熱の原因が感染症であるとすれば、どの臓器が何の微生物に侵されているかを判断し、それに効くであろう抗菌薬を選択することだ。そういった選択の結果がカルバペネム系であれば、この医師の処方は適正使用である。
そういったプロセスを経ることなく、誤った抗菌薬を処方していれば誤用で、頻度が高ければ乱用である。一般の感染症治療は、絨毯爆撃のような広域抗菌薬でなく、ピンポイント爆撃のような狭域抗菌薬で済むことが多い。残念ながら現状は、適正使用よりも誤用や乱用が圧倒的に多く、その状況を適正使用のほうに傾けるために、ASPは有用な手段となる。
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著者プロフィール
堀越裕歩氏(東京都立小児総合医療センター感染症科)●2001年昭和大卒。沖縄県立中部病院、昭和大学小児科、国立成育医療センター(当時)などを経て、08年7月カナダ・トロント小児病院にクリニカルフェローとして留学。10年8月から現職。
連載の紹介
堀越裕歩の「小児感染症科はじめて物語」
カナダでの2年の臨床留学から帰国し、小児専門病院で与えられたミッションは「小児の感染症科の立ち上げ」。手指衛生の徹底から始まり、時には抗菌薬処方をめぐって衝突…。国際標準の小児感染症診療を日本で実践する中での奮闘をご紹介します。
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