ものの考え方で人物がわかる
作品にて人物を描写をする際にその人となりを表現するためにどういう工夫をしていますか?
たとえば、そのキャラAが「バカ正直」という設定だった場合、どのように表現することが可能でしょうか?
もっとも単刀直入なのが、地の文で「Aは正直者だ」と書いてしまうことですね。
ですが、これでは文章表現として、あまり能がありません。
児童文学などでなければ、もう少し工夫を凝らしたいですね。
ほかの方法としては別の人物に「Aはバカ正直だな」とセリフで言わせてしまう方法もあります。
自分で自分事を「私は正直者だ」と言ってしまうと、それは正直者というより詐欺師にみえてしまいます。
ここは誰か別の人物や世間の噂として「Aがバカ正直」であるとすれば、他者の評価は信憑性が増します。
しかしAという人物は表面的に正直者を装っているだけで、実は裏の顔があるといった場合には
こういう書き方では、どうしても片手落ちになってしまいかねません。
逆手をとってミスリーディングに利用することもできますけどね。
さらに工夫するなら、彼自身のセリフやエピソードにおいて、バカ正直だとわかるシーンを挿入することです。
「正直」という単語は抽象的な語彙ですから、ひとくちに正直といってもいろいろなタイプがあるし
読者にとっても基準というのがわかりにくいという側面があります。
それを補ううえでも、こういうことがバカ正直というんだよと具体的に例示してしまえば、より理解しやすいですよね。
特に正直者のフリをしているという誤解をとりのぞきたい、もっと緻密に表現したい場合は
もっと踏みこんで、その人物の内面である思考そのものによって表現すればいいでしょう。
たとえば口では荒っぽいことを言っているし、人を小馬鹿にしたような減らず口のキャラがいたとしても
なにかを判断する際にまずは自分以外の人の立場から考えるような思考展開をいつもするようならば
これは口は汚いがやさしいおもいやりのある人物だと読者にも容易にわかってもらると思います。
私が個人的にうまいなと思った表現としては、ある生物学者の主人公の日記という体裁の小説の中で
なにかと妻の仕事に理解を示したり、妻への愛情や家庭の大切さについていろいろ語るわけなのですが
パラグラフの最後の一文で妻を自分の研究対象としているトビケラにたとえて同列にあつかっているんですね。
このことから、ああこの人物は自分では家庭を大切にしているんだといろいろ言いわけはするけど
結局ところは自分の仕事である研究のほうを重視してしまうタイプなんだなとよくわかるわけです。
この最後の一文がなければ、いい夫という印象を残すのに、最後の最後で特に仕事が大事だと言ってるわけじゃないのに
根っからの仕事人間であるという彼の性格を如実に表現できているところがすごくテクニカルだと感じました。
ただし、あまりに婉曲的に表現してしまうと、読解力のない人には理解されないというリスクがあります。
まして中高生をターゲットとしているライトノベルにおいてはその斟酌が非常に難しいので注意してくださいね。
たとえば、そのキャラAが「バカ正直」という設定だった場合、どのように表現することが可能でしょうか?
もっとも単刀直入なのが、地の文で「Aは正直者だ」と書いてしまうことですね。
ですが、これでは文章表現として、あまり能がありません。
児童文学などでなければ、もう少し工夫を凝らしたいですね。
ほかの方法としては別の人物に「Aはバカ正直だな」とセリフで言わせてしまう方法もあります。
自分で自分事を「私は正直者だ」と言ってしまうと、それは正直者というより詐欺師にみえてしまいます。
ここは誰か別の人物や世間の噂として「Aがバカ正直」であるとすれば、他者の評価は信憑性が増します。
しかしAという人物は表面的に正直者を装っているだけで、実は裏の顔があるといった場合には
こういう書き方では、どうしても片手落ちになってしまいかねません。
逆手をとってミスリーディングに利用することもできますけどね。
さらに工夫するなら、彼自身のセリフやエピソードにおいて、バカ正直だとわかるシーンを挿入することです。
「正直」という単語は抽象的な語彙ですから、ひとくちに正直といってもいろいろなタイプがあるし
読者にとっても基準というのがわかりにくいという側面があります。
それを補ううえでも、こういうことがバカ正直というんだよと具体的に例示してしまえば、より理解しやすいですよね。
特に正直者のフリをしているという誤解をとりのぞきたい、もっと緻密に表現したい場合は
もっと踏みこんで、その人物の内面である思考そのものによって表現すればいいでしょう。
たとえば口では荒っぽいことを言っているし、人を小馬鹿にしたような減らず口のキャラがいたとしても
なにかを判断する際にまずは自分以外の人の立場から考えるような思考展開をいつもするようならば
これは口は汚いがやさしいおもいやりのある人物だと読者にも容易にわかってもらると思います。
私が個人的にうまいなと思った表現としては、ある生物学者の主人公の日記という体裁の小説の中で
なにかと妻の仕事に理解を示したり、妻への愛情や家庭の大切さについていろいろ語るわけなのですが
パラグラフの最後の一文で妻を自分の研究対象としているトビケラにたとえて同列にあつかっているんですね。
このことから、ああこの人物は自分では家庭を大切にしているんだといろいろ言いわけはするけど
結局ところは自分の仕事である研究のほうを重視してしまうタイプなんだなとよくわかるわけです。
この最後の一文がなければ、いい夫という印象を残すのに、最後の最後で特に仕事が大事だと言ってるわけじゃないのに
根っからの仕事人間であるという彼の性格を如実に表現できているところがすごくテクニカルだと感じました。
ただし、あまりに婉曲的に表現してしまうと、読解力のない人には理解されないというリスクがあります。
まして中高生をターゲットとしているライトノベルにおいてはその斟酌が非常に難しいので注意してくださいね。
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