L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
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ネットの普及こそ恋愛を阻むもの【後編】

前編からの流れとして、ネットの普及により時代はネットでの出会いが一気に拡大化しました。
日本はおろか全世界にまで出会いの可能性は広まり、それまでは知り合うことがとうてい不可能であった人たちと交流をもつチャンスを全人類は手に入れたのです。
しかし、ここまで交流ネットワークが広がりながらも、実際には恋愛という意味では阻害されてしまい、従来よりも出会うことが難しくなってきているというのが、この記事の主旨なのです。

では、どうしてこんなことになってしまったのか考えていきましょうか。
そもそも人は恋愛や結婚する相手にどんなことを求めているのかということを考えると、だれでもいいというわけではないですよね。
どんな人にも相手に求める条件があるのです。そして、その条件に満たない相手とは無理に付き合ったり、結婚したいとは思わないわけです。
これに拍車をかけているのは、男性側からするとアダルトコンテンツの氾濫であり、女性側からすると社会的地位の向上だったりします。
昨今は美容整形技術の向上などもあってAV女優(セクシー女優)はアイドルでもおかしくないほどの綺麗な女性で溢れていますよね。
そんな綺麗な女性たちの露わな姿を無料かつ手軽にいくらでも視聴できるわけですから、リアルに付き合わなくても性欲は満たせるのです。
かつて性欲を満たすには高い対価を支払う風俗か、恋愛や結婚するしかなかった状況ですから庶民としては性欲を満たすためにも結婚というものへの意欲が強く、相手女性への妥協も多かったわけですが、それはもはや意味を失ってしまいました。
また女性側としては独身女性が独りでも暮らしていけるだけの収入を得ることが可能な社会となり、昔のように暮らしが立ちゆかないから生活の糧を男に頼るべく結婚を焦るといったことはなくなり、あえて条件の悪い男性と結婚する必要もなくなりました。
また女性向けアダルトコンテンツが充実しだしたのも一要因でしょうか。

男女双方が無理して恋愛や結婚をする必要が希薄になりつつある中、システムとしての【出会い系】は今この瞬間もどんどん拡大していっているわけです。
そうした拡大した環境下で出会うきっかけが誰しも平等に提供されるということは、つまり実社会での身の回りにはいないような高水準のライバルたちもまた自分と同じ土俵に立ってしまうということになってしまったわけです。
相手の求める条件に合わない場合は完全にスルーされてしまうという弱肉強食の性質が強化されてしまったわけです。
出会い系サイトではやはり好みの差はあれどイケメン、美人が圧倒的に有利であり、そんな上位者がネットでは尽きることがないかのごとく無数にネットに現れ続けています。
条件のいい人からマッチングしてゆくと仮定した場合、実社会なら学校のクラス、サークル、会社など限定されていたので数に限りがあったでしょうから上位者ではなくても、そのうちチャンスが順番に巡ってきた可能性が高かった。
しかし圧倒的に上位者が多数いる場合、そこそこの者に巡ってくる順番はかなり厳しく、いわゆるブサイクにとっては永遠に巡ってこない順番待ちになります。

下世話に言ってしまえば、イケメン、美人はネット出会い系においては、その気さえあればウハウハの入れ食い状態となり、その恩恵を最大限に享受できることができるようになりました。
このネットの恩恵はシステムの規模の大きさからそこそこの中位者くらいにまでは従来よりもずっと多くの出会いの場を提供し続け、今後もその傾向は続いてゆくことでしょう。
しかし一方で出会いのマッチングは中位者あたりで打ち止めになってしまうので、下位者にチャンスは巡ってくることはもうありません。

でも理論的にはブサイクなら同じレベルのブサイクと付き合えばいいじゃないかという暴論もあるでしょうが、上でも書いた通り、条件のよくない相手と無理して付き合うこともないという、悪い意味での目の肥えてしまった人たちの「あきらめ」が増加していることからも、お互いにマッチングしようとはしない、かえってそのような相手を嫌悪さえする傾向が見受けられるわけです。
まさに自由主義そのものです。
すべての人に機会は平等に与えるが本人の資質や努力により結果には雲泥の差が生じてもやむなしであると。
反対にお見合い結婚が盛んだった頃こそ、システム的には社会主義的だったんだなとつくづく思います。
双方の家柄や格式などで相手は限定されるものの(同性愛者にですら)半強制的に異性の結婚相手が提供されていたわけですから。

今後もネットも出会い系も衰退することはないでしょう。
その時代ごとに最適の形態をともなって出会い系は進化してゆくことになります。
そしてその甘美な恩恵は上位者ほど優遇され、下位者は完全排除されてゆくことになります。
こうなってしまうと一夫多妻あるいは一妻多夫のような結婚ではない限り歪なマッチングを生じさせ格差を拡げていきます。

あなたはこのようなネットによりますます拡大する恋愛格差をいかに生き抜きますか? <!–permanent_area–> <!–/permanent_area–>

ネットの普及こそ恋愛を阻むもの【前編】

最近はネット婚活なんていうサービスも多くなってきてきました。
そんなニュースを聞くと、ネットの普及により出会いの幅が従来より拡がっているように思えて、よくよく考えてみるとインターネットの普及は結局のところ男女間に出会いにおける格差を生んだだけなのではないかと思えてなりません。

昭和の頃はいわゆる「全婚時代」というくらい適齢期になると結婚するということが当たり前で、その割合は本来同性愛者が占めているべき割合(8%程度)を越えての90%以上の高水準でしたから、たとえ同性愛者であってもしかたなく結婚していた時代でさえありました。
どんなヤバい人でもなんとか結婚できた最後の時代だったわけです!

翻って現在はどうでしょうか?
インターネットが若い世代にとっては当たり前のものとなり、SNSなどにより一昔よりは圧倒的に人と人とのつながりは増え、またつながりやすくなっています。
その昔は、それこそ学生時代の友人関係が職場関係の人間、およびその紹介くらいしか男女の出会いってなかったわけです。
趣味の会とかナンパで出会うというのは今も昔もあるにはありましたが、今よりもずっとマイナーでした。
ナンパをするにしても繁華街あるいは夏のビーチ、冬のスキー場といったスポットに足を運ばなければなりませんでした。
かつて猫も杓子も海水浴やらスキーやらをやっていたのは、物理的に男女が出会うチャンスをできるだけ増やすことが主要な目的で、べつにみんながみんな海水浴やスキーが好きだったわけではなかったんですよ。
よってナンパするのにネットにより物理的に集まる必要がなくなるのと反比例して、これらのレジャーは一気に下火になりましたよね。

そして、さらにそれ昔となると、お見合い結婚ということになりますが、お見合い結婚が恋愛結婚と逆転するのは遅いのか早いのかわかりませんが1960年代半ばです。
現在は恋愛結婚が95%に対してお見合い結婚は5%ほどと圧倒的に少数となっていますし、本来の近所の世話焼きおばさんや親族の勧めによる「お見合い」は80年代には既に死語となってしまいました。
いまお見合いというとTV番組『ねるとん紅鯨団』によって一般化した”お見合いパーティー”(後のカップリングパーティー)や結婚相談所のようなものじゃないでしょうか
。この出会いのかたちもネット全盛の今ではすっかり下火になってしまいましたが……婚活市場では細々と続いているようです。

さて、ほぼ全ての若者が携帯電話を持ち、Eメールを使うようになり、iモードなど手軽なインターネットコンテンツが普及すると、まず最初に盛り上がったのは、もちろん「出会い系」でした。
それまでも文通やテレクラやダイヤルQ2などの出会い系サービスがありましたが、その手軽さ、敷居の低さには勝てるはずもなく一気に衰退してしまい、今では出会い系といえば「ネット」を利用したものを意味しているくらいです。
余談ですが最初の大規模な出会い系ツールはリクルートの雑誌『じゃマール』でした。
当時はもうケータイこそ普及していましたが、まだネット環境はほぼなかったので、数百円でこの雑誌を買って、そこに掲載されている何千名もの個人やサークルなどの「友達(仲間)募集」の記事(基本無料掲載)から気になる記事に対してリクルート宛に手紙を送ると相手に転送して届けてくれるという今のネット出会い系と同じながら完全にアナログなシステムでした。
この雑誌も後続のネット出会い系に押されまくり、その後、紙媒体からネットに移行しましたが今はもうありません。

そんな過渡期の時代を経て、恋愛結婚が主流となり交際相手は自分からゲットしてゆくことが求められる時代を協力に後押しするようにインターネットは誰にも平等にそしてどこまでも広く出会いの場を提供してくれました。こ
の傾向はmixiが廃ったいま、FacebookやTwitterが他のSNSにとって代わられたとしても普遍であり続けるでしょう。
なぜなら男女の出会いを求めるニーズは絶対なくならないからです。

しかし、そんなネットによる出会いの拡大化は万民を幸せにすることなく、逆の結果を生み出す結果になってしまったのです。
どうしてネット出会い系は多くの人を不幸にすることなってしまったのかという理由は次回に述べたいと思います。

つづく


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2018年はガンダム、スタンプラリーに立つ!(キャラクター編)

JR東日本が毎年冬にやっている大人向けスタンプラリーの第4弾はついに『機動戦士ガンダム』となりました。
もちろんいわゆる”ファースト”のみが対象です。
しかもパンフレットを見ると表紙のイメージイラスト以外はすべて初期アニメ版のカットや設定画を使ってるので
初代ガンダム世代にとっては懐かしいかぎりですね。
ウルトラマンのときもそうでしたが、やはり最初から対象を拡げすぎないほうがマニアックなスタンプがあって面白いんですよね。
そこで今回、私見ですが特にマニアックすぎだなと思ったチョイスを抜き出してみました。

・ウッディ・マルデン(マチルダの婚約者)
・カマリア・レイ(アムロの母)
・コンスコン(ジオン軍少将)
・タムラ(ホワイトベースの料理長)
・ジョブ・ジョン(ホワイトベースのオペレーター1)
・オスカ・ダブリン(ホワイトベースのオペレーター2)
・マーカー・クラン(ホワイトベースのオペレーター3)


正直、ガンダムを一通り観たくらいの人だとまったく印象に残らないメンツですよね。
シャアのズゴックにファンファンで突撃するウッディ大尉とどこか精神を病んでるアムロの母は、そこそこメジャーですかね。
シャアに対抗意識を燃やして自滅したコンスコン少将はネタとして、以下のセリフだけが印象的でした。
「ぜ、全滅? 12機のリック・ドムが全滅? 3分もたたずにか?」
「き、傷ついた戦艦一隻にリック・ドムが12機も? ば、化け物か……」
やられ役として覚醒したアムロ(ガンダム)の当て馬以上の役割はありませんでしたよね。
タムラ料理長については「塩」に尽きます。ちなみに声はナレーションとの兼任で故永井一郎さんでした。
地球に降下したホワイトベース隊に起こった大事件として艦内の塩不足という兵站それも食料の欠乏という
ロボットアニメらしからぬ展開は初めて観たときはマヌケそのものでしたが、やけにリアルで興味深いエピソードでした。
塩がなければ最強のガンダムがあっても全滅しかねないという大事なことを我々に教えてくれたのがタムラ料理長なのです!
オペレータ3人は登場回こそ多いけれど、印象は薄いですよね。声優も兼任ですしね。
3人の中ではジョブ・ジョンは金髪で美形だし、パイロットとして搭乗もしているのである程度は記憶に残るんですけれど。
眼鏡のオスカと点眼のマーカーはブライト艦長の無茶ぶりに愚痴っぽく抗議してるくらいの印象しかありません。
そんなマニアックなメンツのチョイスだったのに選から漏れてしまった主要キャラもいるわけです。

・クラウレ・ハモン(ランバ・ラルの内縁の妻)
・ミハル・ラトキエ(女スパイ)
・ドレン(シャアの副官→パトロール艦隊司令)
・ククルス・ドアン(ジオン脱走兵)
・レビル(連邦の最高司令官、ニュータイプの理解者)
・ジーン(ガンダムに最初に倒されたザクのパイロット)


オリジンでの一年戦争前のエピソードでも大活躍だったハモンさんは完全に漏れですよね。
アムロとの関わりもある数少ないジオン側の人だったし、アムロの人格形成に大きな影響を与えたんですけどね。
同じくカイ・シデンの初恋?の相手で人格形成に最も影響を与えたミハルもまたいません。
幼い弟や妹と生きるため仕方なくスパイをやっていた悲劇のヒロインは印象的だったんですけどね。
シャアの副官としてシリーズを通して最も有能だったドレンもスタンプがありませんでした。
声はタムラと同じく永井一郎さんなんでがね。
さらにガンダムのレアキャラの代名詞ククルス・ドアンがいないのも残念!
そもそも映画版ではカットされちゃいましたしね。でもコミックでは彼が主人公の作品もあるようです。
レビル将軍もまた結構出番の多かった人なのに落選……
物語のなかではゼネラル・レビルとしてスタンプではなく48機ものMSを格納する超大型戦艦に名を残しています。
あと忘れてならないのはジーンの存在。
功を焦ってホワイトベースに搬入中のガンダムを破壊しようと独断で攻撃したザクのパイロット。
そしてガンダムに最初に倒されてしまった最初の敵として印象深いザコでした。

選ばれたキャラ、選ばれなかったキャラに思いを馳せながらスタンプラリーに参加するのもおもしろいですよね。 <!–permanent_area–> <!–/permanent_area–>

今年のJRスタンプラリーはドラゴンボール!

毎年恒例のJR東日本のスタンプラリーは2年連続のウルトラマンに変わってドラゴンボールが1月10日からはじまります!

連載終了後も未だキャラクタービジネスでは怪獣のような存在のドラゴンボールなので、今回のスタンプラリーも盛況でしょうね。
今年は去年の大混乱を緩和しようとしてかプレゼントがもらえるスタンプ数は10個から30個となりました。
これでさすがに配布日当日の朝7:00には品切れになってしまうなんてこともなくなるんでしょうか?
ちなみに今年も去年と同じく賞品はピンバッジでデザインは「四星球」1種類のみとのこと。

ちなみにスタンプ設置駅は去年と同じだと思われ、北は赤羽、西は西荻窪と近場ですが東は取手、南は羽田空港と
都区内パスでは回れない範囲まで含まれているのが憎いところですよね。最低でも全駅制覇には3000円程かかります。
まあ、JRも慈善事業ではないので、おとな750円の都区内パスの売上だけでは割に合わないんでしょう。
ただし全駅制覇すれば、四星球以外の6種のドラゴンボールのピンバッジがもらえますので納得してください。

わたくしこと日昌晶は一昨年は全駅制覇し、去年は都区内パスで廻れるところを中心に回ってみましたが、
今年はウルトラマンではないので、そこまで熱中して廻りはしないかなというのが率直な気持ちです。
世代的にはウルトラマンよりドラゴンボールのほうがどんぴしゃだし、連載は欠かさず読んでいたくらい好きでしたが
なぜか関連グッズに対しては昔からそれほど興味はなかったんですよね……
残念ながら怪獣スタンプのように集めてやろうという情熱はかきたてられませんでした。
これで『キン肉マン』スタンプラリーだったら、たぶんかなり集めていたんじゃないかなとは思うんですよ。
「うわっ、そういえばこんな超人いたな!」みたいな話題性があるんですよね、キン肉マンの超人には。怪獣と同じです。
作品的には『キン肉マン』より『ドラゴンボール』のほうが圧倒的に好きなのですがスタンプラリーとなると別なんですよ!
怪獣なんかと同じくキン消しを集めていた記憶なんかが呼び起こされて集めたくなるんじゃないかな?
実際、今回のスタンプに採用されたDBキャラについては60以上の数を埋めるのに苦しいチョイスが見受けられますしね。
アニメ版準拠のチョイスで原作ファンにはピンとこないキャラも多いんですよね。
あと完全にバトル漫画としての人気が高いため、それ以前のギャグ漫画時代の個性的なキャラは出しにくいんでしょう。
個人的にはゴジータとかブロリーを出すなら兎人参化、バクテリアン、アックマンなんかを出せよと思ってしまうわけですw

それから40代、50代のオジサンたちが熱狂したウルトラマンスタンプラリーとは参加者層が異なりますから
もういい年したサラリーマンがスタンプ台に行列を作っているという風景はあまり見られないかもしれませんねw
参加者の中心は20代、30代になってゆくんじゃないかと思われますし、でもそういう比較的若い層だと
去年までのようにスタンプラリーに熱狂してくれるのかはまだ未知数だなと思うのです。
意外とこういうのはおじさん世代のほうがウケそうで、若くなるほど関心が薄らぐんじゃないかという危惧もあります。
夏休みによくやっている子供向けのポケモンスタンプラリーの延長的な盛り上がりなのではと予想しています。
やはり、こういう企画においてはウルトラマンは別格だったと再認識することになる気がするんですよね。
とはいえ天下のドラゴンボールでしょうから不人気ということは絶対ないでしょうけど。

ドラゴンボール好きなら愉しめる企画なので、ぜひ参加してみてください!
通勤通学定期券内、徒歩や自転車で廻れば完全無料で前駅制覇することだってできますしねw



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マスコミのヒラリー氏ゴリ推しの末路

ご存知の通りトランプ氏が大統領に当選しました。
なぜかマスコミではこぞって「大番狂わせ」などと言っていますが別にそんなことはないんですよね。
過去3回の大統領選で最も精確だった分析によれば、選挙期間中ずっとトランプ優位だったわけです。
しかし米国のマスコミは基本的に民主党好きなので、プロパガンダを含んだ偏向でヒラリー有利と報道し続けただけのこと。
ニューヨークタイムスに至っては開票中、決定的にトランプ優位の中でもヒラリー優位と報道していたくらいですから。
トランプ勝利の理由は「トランプよりヒラリーのほうがもっと嫌いだから」に尽きるでしょうね。
トランプはわざと憎まれ役をやっていますが、ヒラリーは好かれようとしているのに嫌われてしまう人柄のようです。

翻って日本のマスコミも似たようなもので、主に外信をほぼ直訳するだけみたいな報道姿勢なのと
やはりなぜか民主党好きという傾向から、やたらヒラリーを持ち上げ、トランプへのネガティブな報道を繰り返していました。
日本のジャーナリストとずっとトランプ当選を主張していたのは木村太郎さんくらいでしたね。

日米ともマスコミはこぞって反トランプキャンペーンを打っていたせいで、あまりものを考えない人たちはすっかりコントロールされ、
よくわからないけどトランプという酷いやつが大統領になるから大変なことになるみたいな漠然とした不安に支配されたことで
ついには経済にも大きく影を落としてしまう結果となってしまいました。
今もマスコミは「トランプ・ショック」などと不安や恐怖や煽って視聴率を稼ごうとしています。なんともバカげた話です。

とはいえ、私がもっとも評価するのは従来メディアのこうしたコントロールが既に有効ではなくなった象徴的なケースだということですね。
原因はインターネットによって従来マスコミの短絡的なウソが簡単に見破られてしまうようになったことでしょうね。
日本でも政治家の発言などはすぐに過去のアーカイブから間違いや整合性を確認され矛盾を指摘されるようになりました。
この傾向はもう止めようがなく、小手先のウソはもう通用しないとなれば、選挙も含めよりよい傾向ではないでしょうか。

私見ではトランプ大統領は過激な発言は多いですが政治経験が皆無のため、
百戦錬磨の共和党議員や議会に抑えられてしまい良くも悪くもそれほど大それたことをやることはできないでしょうね。
意外と細かい所だけは政策が実現できて、アメリカにとっても日本にとっても比較的よい方向に動くのではないでしょうか。


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【不正選挙か!?】三宅洋平くんの選挙ボランティアやるってよ(2)【選挙フェスは都市伝説?】

2016夏の参院選が終わりました!
私が応援していた三宅洋平候補は25万票越え、東京選挙区(定数6)で9位の大健闘を果たしたといってよいでしょう。
準備不足から前回と異なり無所属で支持団体がなくなってしまった三宅候補の場合、組織票が皆無の状態からはじまったので
私の予想では奇跡が起きないかぎり20~30万票と見積もっていましたが、だいたい予想通りの結果でした。
山本太郎議員と異なり、はなから当選は厳しいと思っていましたが有権者の判断は選挙前の下馬評通り順当でしたよね。

ただ選挙フェスの盛り上がりしだいでは40万は厳しいが30万を越えてくるかもしれないという淡い期待もありましたし
ほぼ過去の人になっていた元あいのり出演者だった横粂勝仁候補よりは上回ると予想していたわけですが
無所属ながら横粂さんの底堅さはさすが元国会議員でした。あと「議員報酬ゼロ」がキャッチーだったんでしょうね。
私のなかでは東大卒弁護士という優秀を絵に描いたような横粂議員の頼りないおぼつかない国会答弁とは正反対に
同期当選ながら学歴のない小泉進次郎議員の堂々とした国会答弁と比較された動画のイメージでしかなかったのですが……

今回の三宅洋平候補の注目点としては【選挙フェス】に集票効果がはたしてあったのかどうかということですが
実際に観に行ったり、ネット中継を観たりした実感も踏まえた分析としては「それなりにあった」という程度だったようです。
たしかに今まで選挙に行かない、投票してこなかった無関心層の一部を掘り起こしたのは事実でしょう。
ただし三宅候補の音楽性というのはレゲエということもあり、選挙フェスで演奏される音楽に関しても
必ずしもメジャーではなく、かなりマイナーであり、ニッチなジャンルになってしまっているため、
票を掘り起こせた層というのもまた、その手の音楽への嗜好が強い30代40代の人たちだけだったのではないかと思います。
観衆やボランティアスタッフもまた見たからにそういうマイナー音楽が好きそうだなというタイプの男性が多かったですしね。
女性はエコとか自然食、ベジタリアンとかそういうのが好きそうなタイプも多く見受けられました。
意外なのかどうか演奏される音楽的な問題か、票の掘り起こしを狙った10代20代の若者は非常に少なく見えましたね。

さらに平日夜の新橋や品川というサラリーマンしかいないような街中でもスーツやワイシャツ姿の観衆は稀だったようですし
集まってきた人々は通りかかった人を巻き込むというより、連日リピーターとして集まってきている人が多数派だったんでしょうね。
音楽ビジネス的には一見さんよりいかにリピーターを集めるかが成功の鍵となりますが、選挙ということになりますと逆で
AKBではないのでひとり1票しかないため、より多くの一見さんを引きこむことが肝心だったのがミスマッチだったかもしれません。
また渋谷の選挙フェスなど繁華街の長時間占拠では単に通行のじゃま扱いされ、潜在的な票をかなり失っていた感もあります。

あと公約や政策に関しては本人の政治信条や夢などがあるので、あまり深くは追求しませんが
「改憲反対」といった10年後20年後に結果が出てくるようなことに対して大多数の有権者はあまり重視していないこと、
「反原発」についても東京都民は原発受益者なので、一部の原発恐怖症の人たち以外には訴求力がなかったこと、
それらを含めて音楽性ともども政策に共感してくれる人が絶対的に少数派であったがために、すべて票をさらえたとしても
当選はおぼつかなかっただろうことは確実で、もう少し現実路線でいけばよかったかなとも思いますが
そうすると他の大政党の候補の中に埋没してしまい、個性を発揮できないというジレンマもあるんですよね。

三宅洋平さんをまた選挙の中で見かけるのは、おそらく3年後の山本太郎議員改選のときでしょう。
それまで臥薪嘗胆して次なるチャンスに向けて頑張ってほしいものです!
もっとも有効な手はミュージシャンとして大成功して全国的に知名度をあげることだと思います。

ちなみに私は自民に投票してしまいました。ごめんなさい……
残念ながら私の出自は、明治時代から議員を輩出していて戦後は一貫して自民党議員を歴任してましたし
大臣クラスの議員の後援会長なんかもずっとやってきたり、中央官僚もいる家系なのです。
利権的に自民以外に投票するわけにはいかないんですよね。でも心は三宅候補をずっと応援していました!




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【今回ばかりは】三宅洋平くんの選挙ボランティアやるってよ(1)【ヤバいらしい】

わたくし日昌晶は2016年夏の参院選、東京選挙区において三宅洋平くんのボランティアに参加してみようと思い立ったのです。

政策や政治思想に強く共鳴したというわけではありませんが、第一に手作り選挙というものに携わってみたかったというのと、
第二に今回から18歳以上に選挙権が与えられることもあり、投票先を問わずに投票率をアップしようという主張については
深く同意するものがありまして、かつ選挙事務所へのアクセスもよいということも考慮して判断させてもらいました。
要するに参加しやすそうで楽しそうかなというフィーリングです♪

やはり投票率は特定の組織票による偏向を緩和するためにも70~75%くらいが妥当だと個人的には考えています。
それ以上だとパレートの法則などにもあるように、マトモに候補者を選べない人まで投票することになってしまい
結局はテレビでよく観るタレントだとか容姿が好みだとかいうような安易な判断で投票してしまう人が多くなりすぎて
組織票の偏向は防げても、あまり好ましからぬ結果になりかねないリスクを抱えてしまうというのが持論だからです。

さて公示前でまだ確定ではありませんが、現状での東京選挙区は1増の定員6名となり、かなり混戦模様のようです。
もともと自民公認のふたりめは乙武くんの予定で、そんなに選挙活動をしなくても浮動票をとりこんで楽勝だったはずが
御存知のとおり不倫騒動で不出馬となった結果、元ビーチバレー日本代表の朝日健太郎くんが公認となりました。
しかし銅メダルさえとっていない朝日くんでは世間的な知名度はかなり低く、自民支持者も現職中川候補を推すため
選挙協力するための余力はあまりないとのことで、当選はかなり危ういのかなと思っています。

そういうわけで今回の東京選挙区では既に6枠のうち4枠はほぼ確定しています。
中川(自民)、竹谷(公明)、蓮舫(民進)、山添(共産)は組織固めもできているので不動でしょう。
残る5位、6位に誰が来るのか、そこがかなり注目されるのではないかと思います。
ここに田中康夫元長野県知事、自民のふたりめ、民進のふたりめ、そして無所属の三宅洋平のうち上位2名が
議席を獲得する展開が予想されまして、それ以外の社民党候補やマック赤坂氏ら泡沫候補は圏外でしょうね。

しかし洋平くんはこの混戦の4候補のうち、かなり後塵を拝しているのは否めません。
盟友、山本太郎くんと二人三脚での選挙活動になるのですが、やはりミュージシャンとしてはほぼ無名です。
しかも与党候補は3名のみなのに野党候補が乱立しているというのが足枷になってしまっています。
3年前の比例での洋平くんの得票数は約17万票でしたが今回の当落ラインは60万弱と予想されているので
どれだけ野党同士で票割れを起こさずに得票してゆくかというのが課題となっているようです。
三宅陣営では既存政党支持者ではなく今まで選挙に行かなかった人や興味のなかった人たちを取りこもうとしているようですが
現代のネット情報に精通する十代、二十代の若者世代は保守傾向(≒自民支持)が強いので過度に期待してはいけないでしょう。

しかしながら、もちろんボランティアに参加する以上は頑張ってほしいと心から思っています!
今回ばかりはヤバいらしいのです。詳しくは下記リンク先へGO!

  ジーク・ヤーマン!

毎週土曜日夜、渋谷にて選挙フェスを開催するよ~





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俺のウルトラ怪獣20選

ウルトラマンスタンプラリーに参加中の日昌晶です。
現時点での達成度は山手線は半分ウォーキングしながら踏破した感じです。
賞品のピンバッジは午前中に各1万個がほぼ配布終了するほど、かつてのちびっ子たちに大人気みたいですね。
私もどうにか科特隊、ウルトラ警備隊、MATと3種類のピンバッジを入手することができました。

去年と同じく私の怪獣ブームもふつふつと沸きあがり、huluで『ウルトラセブン』全話を視聴してみました。
子供の頃、再放送を観ていたはずで、ところどころ憶えている回もあるのですが『ウルトラマン』ほど憶えてないんですよね。
やっぱり小さい子にはやや難しいストーリーと予算不足で怪獣が活躍しないことが多いこともあり印象が薄いみたいです。
とはいえ、より新しい『帰ってきたウルトラマン』はそれ以上に思い出はないし、さらに後続のエースやタロウ、レオに至っては
あまりの子供だましな内容と陳腐な怪獣デザインのため子供ながら観たいとさえ思わなかったのでした。
でもなぜか怪獣プロレス5分番組(実質2分40秒)の『ウルトラファイト』は再放送が少なかったのによく憶えてるんですよ。
私にとってのガッツ星人とイカルス星人はセブン本編ではなく、よれよれでマヌケ顔をしていたウルトラファイトの彼らなのです。
余談ですがイカルスはエレキングの彼女で、ウーの彼氏という設定です。
……何を言っているのかわからないかもしれませんが理屈とか関係ない世界観が『ウルトラファイト』なのです!

そういうこともあって自分なりの【ウルトラ怪獣ベスト20】を改めて考えてみました。
基準は自分の好みというか印象深さも含めて、一般的な知名度や人気、キャラクターグッズの多寡など総合的に考察して
『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』、『帰ってきたウルトラマン』の4作品の登場怪獣から選んでみました。
ティガ以降の新しめのウルトラマンは観ていないのでまったくわかりません……。

1位 宇宙忍者 バルタン星人
2位 宇宙恐竜 ゼットン
3位 コイン怪獣 カネゴン
4位 宇宙怪獣 エレキング
5位 古代怪獣 ゴモラ


ベスト5は、さすがにグッズなどが作られたとき、ほぼ必ずラインナップに入る人気怪獣たちです。
日本では宇宙人の代名詞となっているバルタン星人は今や川崎の怪獣酒場の店長として働いてますよね。
ゼットンも怪獣とも宇宙人、ロボットともつかない無貌、無機質なデザインと最強設定がたまりません。
白黒だった『ウルトラQ』のカネゴンなんて実際にちゃんと登場回を観たことがある人なんて数少ないんでしょうし
その後もウルトラマンの世界観にはいない存在のため他のシリーズで再登場するということもほぼなかったわけですが
ゆるキャラの元祖みたいな感じで未だ高い人気を誇っています。でもどちらかというと怪獣より妖怪です。
あと『ウルトラマン』というとバルタン星人と並んでレッドキングが紹介されることも多いのですが
ソフビ怪獣などグッズ展開から見るとウルトラ怪獣の中で最も怪獣らしいゴモラのほうが人気あるみたいですね。
対照的に目、牙、爪といった怪獣の強さを象徴するものを凡て排除したことで従来の怪獣の概念をくつがえし
しかも目の位置にある角が回転することで宇宙怪獣らしさをデザインしきったエレキングが大好きだったりします。

6位 宇宙ロボット キングジョー
7位 幻覚宇宙人 メトロン星人
8位 古代怪獣 ツインテール
9位 隕石怪獣 ガラモン/友好怪獣 ピグモン
10位 どくろ怪獣 レッドキング
11位 棲星怪獣 ジャミラ
12位 三面怪人 ダダ
13位 誘拐怪人 ケムール人
14位 亡霊怪獣 シーボーズ
15位 冷凍怪獣 ペギラ
16位 宇宙大怪獣 ベムスター
17位 用心棒怪獣 ブラックキング
18位 カプセル怪獣 ミクラス
19位 磁力怪獣 アントラー
20位 分身宇宙人 ガッツ星人
選外 悪質宇宙人 メフィラス星人
選外 戦車怪獣 恐竜戦車

10位くらいまでは知名度バツグンの人気怪獣が、15位くらいまではグッズ展開としては人気商品にはなりにくいけど
知名度が高く他作品にオマージュされたり、著作権がゆるい時代にはよくカメオ出演したりしてた怪獣たちが多いですね。
ツインテールみたいに怪獣図鑑で「肉はエビに似た味で美味」という解説によってブレークした例もあります。
当時はウルトラマン放送終了後10年経った時代でも、たいていの男の子の家にはウルトラ怪獣図鑑があったんですよ。
ペギラも『ウルトラQ』の怪獣ですが80年代の漫画を読むと頻繁に登場していたので(今は版権的に難しいんでしょうね)
子供だった私の中では本物は知らないけど、漫画やアニメの片隅によく描かれている古い怪獣という認識でした。
『ペギミンH』(森山塔)なんて有名エロ漫画もありましたね。
ペギミンHとはペギラが苦手な物質のことですが漫画の内容は無関係です。
あと江口寿史の『ジャミラおじさん』は特に印象的でした。Tシャツを中途半端に着てるだけの変態おじさんなだけですがw
さらに下位となると、これはもう個人の趣味でいろいろ入れ替わってくるんじゃないでしょうかね。
私もどの怪獣を入れるべきなのかよくわかりませんが、グッズ展開が多いとか印象深いといった怪獣を基準に選んでみました。
こうしてベストを考えてみると、やっぱりセブンくらいまでに怪獣デザインのパターンは出きっていたのかなと思うわけです。
あとはもう奇をてらうかゴテゴテ装飾するかしかなく、シンプルながらも斬新でかっこいい怪獣はあまり登場してこなくなります。

※ガラモンとピグモンは同じキグルミなので同一怪獣としてカウントしています。
細かく見れば、ガラモン2体の胸には個体識別マークがあったり、ピグモンは中の人の関係で脚が少し長いし
設定的にもガラモンはセミ人間が地球に送りこんだ侵略用巨大ロボで、ピグモンは人間より小さな怪獣と全然ちがいますけどね。

エレキング御一行
今年のウルトラマンスタンプラリーによるマイ怪獣ブームの結果、さらにエレキングコレクションが増えましたw
食玩やガチャガチャのフィギュア中心だったラインナップに、現行の定番ソフビ、往年のソフビを再現したミニチュア、
『ウルトラファイト』に登場した角がヘナヘナで垂れたアトラクション用キグルミを忠実に再現したフィギュアの3体が追加!
ウルトラファイト版エレキングはガチャ確率1/40のレアのため、同じく1/40のハサミをはずして素手で棒きれを持ったバルタンを含めて
フルコンプ6種類(他はセブン、ウー、キーラー、イカルス)をプレミア価格で購入したので高くつきました……
そんなこんなで書棚にエレキングたち大小7体(+カノジョのイカルス)が背の順でずらっと並んでいます。



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帰ってきたぞ!我らのウルトラマンスタンプラリーに参戦す

2016年初のエントリーですが、あまり創作とは関係なく私事です。
そう、みうらじゅん先生もコンプリートしたというあのウルトラマンスタンプラリーに今年も参戦してきました!
とりあえず利用路線の駅を中心にスタンプ10個集めて記念品をもらってきましたよ。

帰ってきた!我らのウルトラマンスタンプラリー
(今回と前回のスタンプ台紙と賞品の科特隊ピンバッジ そして山手線の運転手はメトロン星人)

今年のスタンプは『ウルトラQ』がはずれて『ウルトラマンエース』と『ウルトラマンタロウ』が参戦し、ウルトラ6兄弟が揃い踏み。
そして同じ第二期シリーズとされる『ウルトラマンレオ』だけが仲間はずれに……
スタンプの種類は怪獣とウルトラマンだけではなく科特隊のビートルなどメカ系も登場してきたところが目新しいところ。
前回は有名怪獣なのに選から漏れていた怪獣もいれば、「二代目」とか「ニセ」とか付いた怪獣も多めのラインナップ。
だいたい二代目●●みたいな怪獣は初代の撮影用キグルミではなく(他の怪獣に改造されるか腐ってしまい廃棄されるため)
アトラクション用のチープなキグルミを撮影に使っていたりと質が良くないんですよね……後期シリーズは低予算なのでw
怪獣たちの造形は初代と比べるともっさり垢抜けてなくてパチモンっぽい哀愁が漂っているものが多いんですよね。
そうでなくても「ウス怪獣モチロン」とか「わんぱく星人ピッコロ」とか子供だまし的な名前の怪獣が多いのに……

そしてスタンプラリーで回る駅は羽田空港ルートの運賃の高い東京モノレール2駅が追加で1駅増えての全65駅に!
ということは、どこか1駅減っているわけですが調べてみると南柏駅がはずれてしまったようですが理由はわかりません。
あの利用客が非常に少ない超マイナー駅の尾久駅なんて去年はバルタン星人で今年はバルタン星人(二代目)ですからね。
バルタンの場合、二代目でもアトラクション用ではなく新規造形のキグルミで、より当初の設定画に近いシャープな造形ですから。
それにしても各駅の担当怪獣は一応アンケートの上、抽選で決まるそうですが、2年連続で超人気怪獣が当選しているのは
きっと尾久駅には何らかの力、ユダヤやフリーメイソンの陰謀が働いているに違いありません。
余談ですが去年の神田駅は「カンダ」にちなんで「ガンダー」でしたが今年は「ダンガー」とこだわりを見せています。

なんといっても今回、最大の注目は【10駅達成ゴール】の賞品ですよ。
無料でもらえるのはシール(全3種ブラインド)なのですが、正直なところ去年のメンコと比べてもちょっとショボい……
しかしゴールの売店でスイカを利用して500円以上の買い物をすると追加でもらえる景品はかなりよいものですよ。
前回は怪獣のアクリルスタンド(全5種類)を各500個ずつ配布という完全にウルトラマン人気の高さを読み違いしてしまったために
開始3日目にはもう転売ヤー等の暗躍もあってか、なくなってしまう悲劇が生じたわけですが今回はそこそこ潤沢です。
ゴールのお店でもらえるのは科特隊やウルトラ警備隊のマークのピンバッジ(紙製スタンド付き)です。
各駅に1000個ずつ配布してゆき、日程をずらしつつ全5種類合計5万個を配布するそうです。
特に初回は劇中でアンテナを伸ばして超小型無線機としても活躍していた科特隊バッジなのでダントツの人気でしょう!
そのためピンバッジの在庫は今週末まで持つかどうかといったところで小学生参加者には厳しいかもしれません。
もうね、ウルトラマン世代のかつての「ちびっ子たち」が朝から晩までほぼ途切れずスタンプ台に来てますからね。
ちなみに【全駅制覇ウルトラ証】プラ製カードは縦デザインから横デザインになりました。特に目新しさはないようです。

去年の人気ぶりから今年はスタンプラリーとしてだけではなくて他にも川崎の居酒屋「怪獣酒場」などともコラボしていて、
台紙にはこのお店のスタンプ欄(ラリー対象外)などもあったりと商売っ気も出てきましたね。それはいいんですけどね。
残念なのは初日の朝から転売ヤーたち(いずれもいい年した男女)が何十冊も台紙を抱えてスタンプ押しまくってましたね……
しかし一部の駅では駅員さんが常に見張っているところもあり、あからさまに押しまくりできないようになってはいました。

そんなわけで今回は全駅制覇するかどうかは不透明ですが、ピンバッジは全種類欲しいなと思っています。 <!–permanent_area–> <!–/permanent_area–>

苦手な小説のタイプ

あくまで個人的な意見ですが、最近ひとつ苦手なタイプの小説があります。
またそういう作品が意外と人気なようで、その面白さについて理解しないといけないなとは思うんですけどね。

具体的に言うと、こう思春期の主人公が本気のトラウマを抱えてしまっているような青春小説ってやつです。
青春小説というジャンルは好きなんですよね。でも、主人公が鬱々としたタイプの作品はどうも個人的に共感できないのです。

そもそも私の青春時代は一言で言えば「アホ」そのものでした。
中学生になっても幼少期特有の万能感に満ちあふれていたし、今にしてみればアホなことばかりしていました。
BB弾を爆竹で発射する銃を作ってみたり、紙飛行機にロケット花火をつけて飛ばしたら危うく通行人にぶつかりそうなったり、
思春期に突入しても彼女こそいませんでしたが、男子校だったので文化祭で女子高生をナンパしても先輩に横取りされたり……
順調に「神童から凡人コース」を歩んできた身にとっては、過去に虐待されていたとか複雑な家庭環境のトラウマを語られても
どう共感していいのかさっぱりわからないというのが本音なんですよね。
青春の悩みなんて、いかに女の子にモテるかと進学先をどこにするかくらいのものでしたから。

当時の夢は防衛大学校に進んで軍人になって30前にはお国のために名誉の戦死をすることで
小学校低学年以来からの希望でしたから将来に対する不安とか微塵もありませんでした。
戦後教育を受けてましたが少年時代は「天皇陛下やお国のために死ぬこと」こそが最善だと当たり前に信じてましたからね。
将来に対する不安といえば、いかに多くの敵を道連れにして、いかにカッコよく死ぬかくらいのものですよ。
(余談ですが、なので今の「徴兵は嫌だ!」とかデモしてる人の気持ちもよくわかりません。)
とはいえ結局、防衛大の受験に失敗して早稲田に入ったことで周りに感化され文学の道に足を突っこんで今も生きながらえてますけどね。

そんなわけですから、そんなふうにのほほんと暮らしてきた身にとってはトラウマと無縁な青春時代のため
恋愛とか将来とかありがちな悩み以外で悲壮な悩み多き主人公では、あまり作品の中にはいってゆきません。
『私を知らないで』みたいな相手役のヒロインがそういうトラウマを持っているっていうのは、まだいいんですけどね。
逆にアホな青春小説は大好物なんですけどね。
特に森見登美彦作品はのような勉強はできるけどダメ人間の屁理屈ばかりで不器用な青春小説なんていうのは
自分の若き頃とダブるところが多々あって、いささか恥ずかしさを覚えつつも共感してしまうんですよね。

とはいえ何を悩んでるかさえよくわからない悩み多き青春を送った読者もいるわけでしょうから
トラウマを抱えつつも健気に、ときに大胆に生きる主人公の作品というのも需要があるんでしょうね。
とはいえ、そういうネガティブな作品を書く作家というのは、やはりどこか自分自身を投影しているんだろうなと思うと
ちょっといたたまれない気持ちになってしまうのも共感できない理由のひとつです。

幸いにして塾生の中にはそういった作品を書きたいという人はいないので助かっています。
あなたには苦手なタイプの作品がありますか?




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