2016年07月11日 10:35
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1467193365/
何を書いても構いませんので@生活板 28
- 692 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)01:11:32 ID:Stg
- この季節になると思いだす祖父との会話。
数十年前の夏休みの夜、当時小学生だった私と祖父は二人でスイカを食べながら
「火垂るの墓」を視ていた。
叔母さんの家で邪険に扱われる清太を見た私は「悲しいよね、おじいちゃん。
昔は疎開先で同じ目に遭って死んだ子がいっぱいいたんだろうね」と嗚咽してしまった。
すると祖父はため息をついて
「こんな話聞いたことないわ。ここもド田舎の農村じゃからな、都会から疎開者が押し寄せとったが
清太とかいうのより年下の奴でも畑を借りてナスやらジャガイモやら育てて生計たてとったぞ。
そもそも村社会で厄介者がぶらぶらできるわけないやろ。
村の青年団に首根っこつかまれて勤労奉仕に強制参加させられとるわい」と断言した。
- でも叔母さんのあの扱いは虐待じゃんと言い返すと
「そりゃ今の基準からしたらな。でも昭和10年代いうたら貧しい農村じゃ
実の親の元で清太よりずっと酷い待遇受けて育つのが普通なんじゃぞ。
あのおばさんの家は裕福な方じゃろ。
おしんなんて戦争に関係なく清太より10倍過酷な環境で育っとるじゃろが。
あれの何処が辛いんじゃ。昔のガキはあんなに軟やない」と吐き捨てられた。https://ja.wikipedia.org/wiki/火垂るの墓
『火垂るの墓』(ほたるのはか)は、野坂昭如の短編小説。野坂自身の戦争原体験を題材した作品である。兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に、戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語。愛情と無情が交錯する中、蛍のように儚く消えた二つの命の悲しみと鎮魂を、独特の文体と世界観で表現している。 - 693 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)01:19:15 ID:6fK
- ネタ臭いなあ
火垂るの墓、子供が見ると清太に肩入れしてオバサンが鬼に見えるけど
大人になって見るとピアノ弾いて遊んで言われないかぎり
手伝いしない清太に批判的に、それでも面倒見るオバサンがいい人に見え、
さらに年とってから見ると、オバサンも清太もそれなりに精一杯頑張ってた、
誰が悪いって話でもないと変わる
爺ちゃんの年で子供が苦労してるのをアニメであろうと批判的になるのは、
ちょっとないと思うわ - 694 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)01:28:01 ID:Stg
- >>693
ネタじゃなくて現に祖父がそう言ってましたからね。
清太を批判というより作品そのものにリアリティがないと言ったんだと思います。
疎開して来た家の子供たちも(たいてい父親が出征していて母親と子供だけで疎開に来た)
みんな自力で畑を耕したり魚釣ったりしてたくましくやってたそうです。 - 696 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)01:46:12 ID:67Q
- 火垂るの墓じたいが野坂昭如の懺悔みたいな作品だからかなあ?
作品では妹を守ろうとする優しい兄だけど野坂昭如は
自分の取り分の粥を多くしたりして結局妹は栄養失調で亡くなった
戦中の厳しい状況の中兄妹の面倒みるおばさんは優しいと思うし
食料不足なのに食べさせてもらってる身の人間が
何かしてくださいってねだるって贅沢だし迷惑だと思う - 698 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)02:33:33 ID:QSQ
- 火垂るの墓はWikipediaなんか見てるとざっと矛盾点リストアップされてるくらいの
悲惨でむごたらしい悲劇を作るために描かれた創作作品だと思えばいいよ。
現代で例えるなら一流企業の社長一家が戦争で死に絶えて、
唯一生き延びた息子が何百億ある遺産を半年で使い切って生活保護を受けたけど
そういう支援も断って数年後に餓死しました…みたいな話だよ。 - 699 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)02:46:02 ID:67Q
- それにしても火垂るの墓ってアメリカ人も見るのな。
いろんな日本映画(アニメ含む)を見てはその感想を話す動画を
YouTubeに載っけてるアメリカ男性がいて
「すごく悪い映画…これは逆の意味で」って言ってたな。 - 704 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)09:57:11 ID:Stg
- >>698
wikiにも矛盾点がリストアップされてるんですか。
祖父は「戦時中でも田舎にはちゃんと食べ物があった。
都会から疎開してきた奴らは着物と交換したり畑仕事を手伝ったりして野菜をもらって
配給だけでやりくりしていた疎開前より栄養をとってた。
地元の俺たちは着物や調度品を手に入れて安価で若者に畑仕事を手伝ってもらえた。
疎開はする方は受け入れる方にも徳がある有益なものだったんだよ」と言ってました。
学校の授業で習った疎開は陰惨なイメージしかなかったのでかなり意外でした。
都会の人に畑仕事の手伝いが出来たのかと聞くと
「俺らも最初は町で良い生活してたモヤシに農作業は務まらねェと思ってた
実際最初連中はモタモタしていてろくすっぽ草刈もできなかったが
飯がかかっているから皆死に者狂いで努力して覚えんだな。
数か月で使い者になったんだよ。
小学生でも村の子と変わらないくらいに稲刈りができるようになってな。
俺も母ちゃんに疎開者があれだけ畑で働いてるがにあんたは追い抜かれたねって
ハッパかけられたわ。」と笑ってました。 - 706 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)10:24:05 ID:cOz
- >>704
良い話だなぁ
ネタだと思って済みませんでした - 711 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)11:13:05 ID:wtZ
- >>704
うちの祖母は田舎でだいぶ意地悪されたって言ってたなあ。東京もん東京もんって馬鹿にされてたって。
日の丸弁当のご飯が少なくて、片方に寄ってるのを笑われて、より弁ってあだ名つけられたらしい。
当時のひもじい記憶が鮮烈なので、ご飯一粒でも粗末にしない。 - 732 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)17:54:22 ID:qBZ
- >>711
かなりお年の芸能人で何人か「疎開でひどいイジメに遭って語りたくもない」とか
雑誌のインタビューか何かで見たことある。
人により環境により疎開の思い出がいいものかどうかはだいぶ異なるだろうね。 - 760 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/11(月)01:32:01 ID:UbX
- >>732
疎開先の田舎者は、安くてこきつかえる労働者が来てラッキー
あいつらも食べなきゃいけないから死にものぐるいで働いてた
都会じゃ何食ってたか知らないが、笑って食べてたから、街ぐらしよりもたくさん食べられたんだろう
疎開した人からしたら、田舎者に足元を見られて、安い賃金で死ぬほど働かされた
都会者と馬鹿にされ、くず野菜を掴まされたけど、生きなきゃいけないからそれで必死に食いつないだ
こっちが暗い顔してるとあいつらますます調子に乗るから、愛想笑いしてたけど、あんな生活最悪だ
ってことだろうね - 764 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/11(月)02:05:33 ID:Bzs
- 同じとこに疎開して同じ対応受けるわけじゃなし、
きちんと受け入れる人もいれば、いじめをする人もいたんじゃないの - 765 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/11(月)03:08:21 ID:xVN
- 自分の家に何にもできないヤツが転がり込んで来て、ろくに手伝いもしなかったらどう思う?
または、自分の職場に畑違いのヤツ
(肉体労働の現場に元事務職 or 知的労働の会社に身体しか使ったことない みたいな)を
指導しなきゃいけなくなったらどうする?
なかなか、きちんと対応ってできないんじゃないかな?
ましてや、その相手は自分の給料から養わなきゃいけないとしたら。
集落に入ってくるだけでも大変だろうに自宅に居候までされるんだから、
やっぱりどうしても摩擦は起きちゃうよな。
- 766 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/11(月)03:11:31 ID:K6i
- >>765
摩擦はどうしても生まれると思うがなぁ。
仕事に関しては、やる気次第としか言えないわな
コメント
創作乙
全ての地域で自分と同じ生活をしていたと思うのが間違い
地域によるとしか。
田舎でも食べ物はあるところにあっただけ。戦争で若手が男子は兵隊、女子は勤労奉仕で徴用されていたから人手のなさから生産性がかなり下がっていた。
疎開にしても然りで、割と食べ物に余裕がある地域に疎開したひとは、食べ物に困った記憶がないというけど、食うや食わずの学童疎開も多かった。
私の知り合いの祖母が疎開中は縁故疎開ということで、食べ物に苦労しなかったので、栄養失調とか疎開で大変だったと聞いても事実とは思えないといってた。なるほど、人は自分の経験が全てなんだなと納得
西宮は、火垂るの墓のせいで全国的にはイメージ悪くなってる気がする(笑)
実際は関西の中で大きな都市の大阪、神戸の両面アクセスがいいってので、
人気の街なんだけどね。
号泣議員で更にイメージ悪くなっただろうな(笑)
百姓貴族みててもさ、農家の生活って中の人が悪い人たちでなくてもきついっておもうわ
そら都会育ちが戦中の農家に放り込まれたらいじめだっておもうんじゃない?
それに俺らが朝鮮人や移民を嫌うように、疎開で貧しいよそ者が大量に流れ込んでくれば治安も悪化するし(別の人間だったとしても)農作物も盗まれることはあるし、村のリソースは食われるし、元々都会育ちが田舎者を馬鹿にしていた風潮も相まって、普段意地が悪くない人でもよそ者を邪険に扱ったりすることもあるんじゃないか。昔は差別も人を馬鹿にする態度も普通に横行してたし
そしてそれを都会育ちが良く思うはずなく、お互いに嫌いあううちに誤解と排斥のデススパイラルが起きるんじゃないか。別に珍しい事じゃない。世界中、民族や故郷が違う人間混ぜればどこでも起きてるよ
そもそも海軍士官の遺児は大事にされてたらしいけどな
父親が戦死したという知らせも届かず、遺族年金?も受け取れてない様なら
おそらくあの二人は妾の子だったのではという考察を読んだことある
清太は自分たちの町が空襲であっけなく燃え尽きるのを見て、
消火訓練なんて役に立たん、いざと言うときは節子を抱いて逃げねばと思って
いたそうだが、
それならそれで頼み込んで節子をそばに置きつつ働いたりできなかったのかと思った
何歳になっても自分の周囲の基準が世界の基準だと思いこんでいる人はいる
ジジイ口調で書いてるのがウケるw
あと終戦は昭和20年だっての
戦争の話だと特にそうだと思うけど、自分のところが運が良かったのかもとかその逆パターンを考えずに、十把一からげに語って「事実と違う」ということ多い気がするよ。
同じことしてても、疎開に行った方と受け入れた方とで認識が違うだろう。
>都会から疎開してきた奴らは着物と交換したり畑仕事を手伝ったりして野菜をもらって
>配給だけでやりくりしていた疎開前より栄養をとってた。
>地元の俺たちは着物や調度品を手に入れて安価で若者に畑仕事を手伝ってもらえた。
食べ物があるだけましだろう、といえば確かに事実だが、
だから着物や調度品を手に入れた上に畑仕事をさせて他の書き込みのようにいじめられても、「そんなの普通じゃ。昔の子は軟じゃない」といって内容を否定できるかどうかね。
なんか、うさん臭さを感じるな
疎開先の当たり外れ、疎開者の立ち位置で関係がどっちでも転ぶなんてすぐわかる話なのに
なぜそれがわかってないんだろうこの祖父と孫
揃ってバカなのか…
小学生時代はそりゃもう怖い映画ナンバーワンだったが、今見ると清太さんはひどいなと思う
どうして頭ひとつさげることが出来なかったのか…幼い妹の命を粗末にしたよね
実際節子ちゃんはほとんど赤子で、そりゃもう大変だったらしいけど…所詮アニメーションだもんね
お母さんが包帯グルグルなってるシーン今じゃもう放送されてないよね
戦争映画で最近トラウマになったのはリリーフランキーの「野火」
見るんじゃなかったもう…
コミュニティに入れないはみ出し兄妹が懸命に生きていくフィクションなのにww
史実どおり、脚色ゼロのノンフィクションしか認めないような頭の固い年寄りですね
食べ物があったって、それは(恵まれた)田舎だからだよ。
西宮は都会で焼け野原にされたんだよw
幸せなじじいだな。
そもそもジブリ版はひ弱な現代人が
戦時中にタイムスリップしてしまった様な悲劇を描いた作品だから
爺さんの感想は完全に正しい
都市部と農村ではぜんぜん違うとのこと。
祖父は農家、祖母は地方都市部。
祖父は銀シャリ以外食べたことがないとのこと。
祖母は例に漏れず飢えた経験があり、近所に住んでた超有名作詞家はそこでの貧しい疎開生活をよく語っていたぐらいらしい。
砂浜にいる時、米軍機が機銃で打ってきて普通に身内の子供が殺されたそうな。
本当のおじいちゃんだったら戦争知らない孫が作品見て「清太かわいそう」って素直に思う気持ちを尊重すると思うんだが…
そこが創作臭いんだろうな
とにかく作品を否定したいって気持ちが前出過ぎというか
昔は女子供には人権なんてなかったんだから
昔は普通でも現代の感覚で見たらイジメってことだろ
野坂の息子.小学生の時,授業で「火垂るの墓」が出てきて,作者の思いを質問されたとき,
「締め切りに追われてたって言ってました」って答えたら「そうじゃないだろ!」と怒られたそうな.
ようするに,締め切りに追われて適当な悲劇をでっちあげたってのが真相.
そもそもあの作品がノンフィクションだなんて誰も言ってないし、自分の経験が
世界のすべてでないってことくらい爺様になるくらい生きてるならわかるだろうに。
海軍のえらいさんの子供は手厚い介護を受けるって聞くけどさ、あの状況ってコミュニティを
兄が抜け出したからなあ・・自分から申請しなくても探し出してくれるもんなの?軍人遺族会って
戦争経験者が我が村の醜聞を後世に遺すことを良しとしないのは当然の思考
孫に嘘つくなんて当たり前、場合によっちゃ自分自身さえも騙している
史実を知りたかったら地元の図書館に行って地域史などの資料に当たるべき
戦争遺児や孤児の統計的データを照らし合わせてからその口を開くように
こんな漫画みたいな〜じゃよとか〜じゃわいなんて話す老人いるわけない。
祖父の体験が事実だったとして、何でそれを疎開の全部が
そうだったかのような捉え方してしまうんだろう。
戦争がすべて悪いんだぽ
農村の人間ならみんなやってることでも都会もんにいきなりやらせたらそりゃきついに決まってる
それをいじめだ意地悪だと言われても田舎の人間だってどうしようもないわな
床の間に飾って上げ膳据え膳しろとでも言うのかね
※22 私もそればっかり気になってた
※17
爺さんが孫の気持ちを尊重しないから創作って、馬鹿なんじゃないの?
作者もなんかフィクションで適当書いたらしいとかなんとか
※8
一応、広島出身者ならジジイ口調でもおかしくはない。
江戸時代で創作物で広島弁=ジジイ口調というお約束が作られたのは、当時江戸では広島方面出身者の老人が多かったのが由来だそうだからな。
勿論実際の老人はジジイ口調では話さない。ジジイ口調で話す老人は広島出身者だけ。
田舎者にとっては自分の周りが世界のすべて
外の人間とつながりをもたないから
だから実際に確かめもせずに「こんなことはない」とか平気で言っちゃう
自分が知らないことは「そんなことはこの世に存在しない」と
相手を嘘つき呼ばわりする
それが田舎者
※28
いや、原作は作者の体験談やぞ。
そして原作の清太はアニメとは似ても似つかぬ外道で、作者は自分のせいで妹を死なせた事の罪悪感から罪滅ぼしで原作を書いた。
なお、原作では清太は行き倒れる事無く、ちゃんと最後には保護されて終わってる。
他の人も散々指摘されてるけど、海軍将校の遺族には多額の遺族年金出るし、手厚く保護されるから、本来飢え死になんてするわけがないんだよ。
単に作者=清太のわがままで妹と家出して妹が飢え死にしただけ。
なお、そういう自分の愚かさをつづったのが原作だったのに、アニメでは美談に作り替えられていて、作者自身も「まさかあの話が美談になるとは」と驚いたという。
岐阜に勤労奉仕に出てた祖母は、政府命令で集められた食糧が人手不足で汽車で
運べんからたぁ~んと余っていた。腐らすのは勿体ないから市場に流したり、奉仕手当で配られたりしていたって言っていた。
八幡やら恵那やら関でも集めたけど男衆おらんし、軍隊さんのを運ばなあかんから小屋や駅に置きっぱ。駅も邪魔くそうてメリケンさんにやられる前に配ってまえって
集めては配りでホンに無駄やった、手当弾んでもらい子供達のええ小遣い稼ぎにならんだら
無駄もええとこや。疎開してきたおかげで先生も増えて、人手も増えて収穫増えて都会の行儀作法が学べた。
蛍の墓は作者がそれなりに楽しく戦時下を過ごしてた中で
遠くにいた妹が死んじゃって、その罪悪感から出来た創作話だとかなんだとか聞いたことある
作者が適当に書いた物語を持ち出して、戦争経験者の発言を否定する米とか頭悪いなと思った
浮浪児なんか戦後酷い目にあわれたけど、すべての子供が浮浪児になったわけではない
その浮浪児にしても親がいなかったり、親戚から酷いイジメがあって逃げ出した方から見たら
清太は物語だからだというのではないだろうか
「より弁」ってまた秀逸なあだ名だな
うちの親父や伯母がいってたけど、其の日の食うものに困ることはあっても餓死するような程酷くはなかったって話だしな
そもそも将官の遺族が食うに困るってことはあり得ん
裕福ってわけじゃないけど普通に暮らすなら一生食いっぱぐれないわ
あれはもうアメリカ人が見て、この悲惨な状況を終わらせるためにも核は必要だったんだよ!と言うための映画になってると思う
※31
作者が浮浪児だったわけでも、浮浪児に取材したわけでもないのに体験談とかw
※33
いや、妹が二人いて、その内片方とは仲良く楽しく一緒に過ごしたが、もう片方は作者が邪険に扱ったせいで死んでしまったと聞いたぞ。
その贖罪を込めて、仲が良かった方の妹と、自分が殺した方の妹との思い出を混ぜあわせて作られたのが蛍の墓だと。
じいちゃん批判厨w
疎開話hは少年時代を藤子不二雄のマンガで読んだけど
田舎の子供社会という点でリアリティあって面白かった
都市部と田舎、教育や生活の水準なんかも全然違うしね
それなりに裕福でエリート、矜持を持った少年が
いきなり放り出され鍬持たされたら逃げ出す奴だって多数いただろうさ
誤解もあると思う。
富山県に疎開した子が現地で書いた作文が残っているんだけど、
「農家の人に『ボウフラ食べろ』と言われて、走って逃げた」
って書いてる
富山の方言で、カボチャのことを「ボブラ」「ボゥブラ」って言うんだよね
農家の人は親切に、おなかをすかせた子供にカボチャを食べさせてやろうと思って声をかけたのに
ボウフラ(虫)を食べさせられるいじめと思って逃げたんだよ
見たのが大昔で内容あまり覚えてないけど、感動どころか不快感しか残らない映画だった
妹はかわいそうだったが、主人公にはカケラも同情できなかったわ
妹が死んだのは、戦争のせいでも疎開先の親戚のせいでもなく、この兄がアホすぎたせいなのに、
なんか美しい映像にに紛れて終始自分かわいそう語りしてて不快だった
ゆとりは方言も知らないんだな
こんな時こそ「他所は他所、ウチはウチ」
地域格差があるんを解らんのかね
>数十年前の夏休みの夜、当時小学生だった私と祖父は二人でスイカを食べながら「火垂るの墓」を視ていた。
この「数十年前」が一番ショックだったww
この映画途中で嫌になるので一度もまともに見たこと無いわ
まあ、フィクションだから、悲惨さを強調するよな。
実の戦争体験者は一般的じゃない事を、さらっと言うよ。実際に何も経験してない人程、流布してるような事を言うね。
回天の中の指揮官の一人だった人には、「下士官だけが特攻してたんじゃないよ。指揮官も一緒に行ってたんだよ。戦争に負けたってわかった時、真っ先に部下をはよ返さなって思った。とにかく親元に帰したら、無謀なこと(責任とって自 殺)はしないからと。でもな、あかんかった奴もおる。目離した隙に逝って(自 殺して)しもてな。」とか言うてずっと涙目だったし。
航空隊の衛生兵だった人は、「とにかく爆撃と追いかけっこだったわ。基地でて出張先で爆撃とか、戻ったら煙あがてったり(爆撃後)。えらいめにおうた。」とか。
一回も話がかぶったことない。皆所属する場所、部隊、職種で経験が100%変わる。同じ部隊でも言うこと違うから。
四人も五人も同じような事を言う証言者が居たら、その人達は可笑しいて思った方がいい。
以上経験談だ。
そういう人もいた
でもそうじゃない人もいた
って考えられない年寄りらしさがよく出てるね
これ作者が20分ぐらいでササーッと書いたんだよね
※29
~じゃよ、なんて広島弁などないわ
この話の場合、実話ではない物語について荒唐無稽だという爺の言い分は正しいんだが
作者の戦争実体験に基づいて描かれたってのは聞いたけど、そして妹は生きているって
聞いていたけれど??
清太は、お金持ちのボンボンがプライド高すぎて妹をみごろしにしたとしか思えなかった
映画だわ。
ちなみに泣いたことは一度もない。
※54
浮浪児ではない作者の戦争実体験に基づいてるんだとか
すっごい頭悪いこと書いてる自覚ってないの?
まあ本当か分からないが、事実は想像をこえる物だからね
裕福な場所だったから~なんていっても事実は貧しい所が少なかったかもしれない
結局その時代を生きてない人間が、想像の戦争中の疎開先を想像して言ってるに過ぎない
火垂るの墓は可哀想でちゃんと観ていなかったのでおばさんの言動はよく覚えていないんだけど、
姉が、おばさんが清太達にお味噌汁をよそう時にわざと具を入れないようにしてたって言ってた
さすがにそれはひどいなと思った
戦災孤児の生活を研究している学者ならともかく、個人の体験なんて何の根拠にもならん
作者自身が戦争体験者なんだから「俺の回りではこうだった」って言えば平行線じゃん
戦時中祖母が住んでた場所は中国地方の山中で
皆それぞれ自給自足してたから食べ物には殆ど困ってなかったらしい。
ちなみに近所の畑にできた作物を荒らしにきたのがいたから
猪だと思って銃で撃ったら人間だった、ということはあったそうだ。
戦時中の畑泥棒ってことでお咎めなしだったと聞いたが実際どうだったかは知らない。
蛍のはかがクソ作品だときちんと言える時代になったのは良い
昔はひどかった
実際に戦争行った世代がいなくなったから好戦的な人間が増えてきたんじゃないの。
百田みたいなのから順番に最前線に行けば平和なのに。
実際には安全な後方から他人の背中押すことしかしない連中。
いや、普通にこの作品は小説だし。
締め切りに追われてウンウン苦しみながらまとめた話だし。
※61
民進党や共産党をこんなとこでディスるなよ。
子供の頃に銃後の暮らしに興味があって、集団学童疎開の記録なんかも沢山集めて読んでたが(戦時中に子供だった人の手記が一番多かったせいでもある)
学童疎開の典型例をまとめると
田舎の寺に数学年まとめて放り込まれて集団生活、川遊びに行ってみれば早々に事故死が発生して以後禁止、食事量は常に足りないから遊び時間はずっと食べられる草花あさり、親への手紙を書かされれば持ってきてほしい食べ物の名前で埋まる、ノミシラミが大量発生し夜も満足に眠れない、
とひどいものだった。
それ考えると、縁故疎開した清太達はまだ恵まれてたなって確かに思えるわ
※58
作者の野坂は戦争の悲惨さを伝えるために実体験より脚色してるって明言してる。
何より執筆当時に超多忙で、そのプレッシャーや編集への憎しみも多分に作品に含まれてると
笑って言ってたからな。
トトロのさつきだったらちゃんと自分からおばさんを手伝って働いて頑張っただろうなと思うとやっぱり清太さんに問題が…
食って遊んでごろ寝生活の逆ギレ小僧にブツクサ言いながらも部屋貸して洗い物放置を片付けてあげたおばさんは悪い人ではないよ
孫を慰める?気持ちもあったんじゃないかと思った。
おじいちゃんの優しさ。
長野県の山奥にばあちゃんの家があるけど
戦時中は田舎も食料ほんとにカツカツで本当に大変だったって言ってたぞ
食えるモンならなんでもって感じで、雑草なんか生えてなかったらしい
街は更に悲惨らしくて、徒歩2日かかる山道越えて村に物乞いに来る人も居たとか
※62 何かのインタビューで野坂自身が「私の妹は生きてますよ?」とちゃんと説明してるしね
戦時中は油不足で民間の流通が死んでたのかね
それとも農村部の危機感から農作物の流出がなかったのか
地域格差が酷いってことは政府にそれを是正する力がなかったということになるが
なんか疎開の話になると途端にブサヨだらけになるのか?
1種類の話しかない時点で戦後の創作が大部分ってことに気づけよ
田舎側からすれば、自分たちは米の飯を食べ放題だったんだから言うわけないだろ(高度成長期にすら食べるのに困る東北や山の中は知らん)
その証拠に戦後はヤミ市で買ったり、田舎に買い出しに行ったりで物を手に入れていただろ
物はあるところにはあったの、労働力もカネも出さない奴に食べさせなかっただけ
なんで一方的にボランティアで提供しないといけないと考えるんだろ?
そういうところも共産主義者の思考か
このあたり、小学校時代の年配の先生が口を揃えて言っていたからな
師範学校の面接で「麦飯はおいしいですか?」と聞かれて答えるのに困ったとか(そもそも白米しか食べてない)
いまだと日教組の関係で喋れないことだらけなんだろうが
ただのアニメの話にめんどくせえ反応するジジイだな
※67
長野の山間部なら特に貧しい地域だっただろ?
昆虫食や蕎麦などの食文化も、そういった環境に挑戦した先人の知恵
※69
米国が飢餓作戦と呼ばれる輸送路断絶作戦で、B29から大量に機雷を設置したので輸送困難になったんだ
米軍は戦後も機雷を放置したため、自衛隊の前身が撤去した
現在でも自衛隊の掃海技術は高いとされている
地域によるとは思うけど、火垂るの墓が嘘臭いと感じるのは仕方ないと思うわ
疎開先が西日本、特に九州とかだと、結構食料は潤沢だったらしいよ
本州から九州に疎開してきたって老人の話を聞いたことがあるけど、その人の好物が芋飴で
それが本州にいたころは食べたことも無い贅沢品だったのに、九州に来たら普通にお仕事のご褒美に貰えて驚いた、食べたらすごく甘くてもっと驚いた、って話だった
甘い物も、野菜も、米も、食べたいと思える分だけ食べることが出来て、天国に来たのかと思ったらしい
逆に東北の方に行くと、今ほど暖房器具も発達してないし、作物も作れる量に限界があって、冬場は本当に厳しくて、相当の人が疎開先でお亡くなりになったんだとか
堕落論を読んでご覧よ。当時の東京のことが書いてある。疎開しなかった人々の生活が。
戦死した艦長の維持があんな扱いになるわけない!
とは下級士官だったじーさんの弁
海軍は草の根わけてでも探し出すと言われているよね。
親族のうちにいたわけだから、探せないわけがないし。
どこのエリアの方か知らないが、それこそ公開当時に子供だった人の祖父ならおそらく鬼籍に入られていてもおかしくない。
ネットも普及前。自分の経験が全てでおかしくない世代だし、逆に映画を見てこれが全てだと
孫が思い込む危険性を感じて経験を語ったでいいと思うのだけどなあ。
この祖父の言う事が正論かどうかは置いといてあの物語の世界の中のみで見るとすれば
清太は良くも悪くもお坊ちゃんだったんだろうな
お父さんは軍でも高そうなポジションにいたっぽいしお母さんの着物も
値打ちものばかりみたいだったし…
悪い子ではないけど親に任せきり言いなりな生活がいきなり終わって
何をすべきかも分からなかったんじゃないかな?
おばさんも清太と同じ年頃の子はああしてるのにこうしてるのにって言っても
仕事与えるほど面倒みてやるつもりも余裕もなかったとかさ
お父さんは絶対帰ってくるという根拠のない希望があった部分もあるだろうけど
幼い妹連れ出して防空壕なんかに移り住んで残してあった貯金を
湯水のごとく使ってしまった部分もお坊ちゃんゆえかなあと
だからこそ終戦と一緒にお父さんの死亡知って詰みを覚悟した気がする
戦争なんて虚しくてあんなものだって泣く作品でいいじゃないか
こういうおじいさんの話を、「自分の周りがすべてだと思うバカ」としか評価できない奴は、将来の老害候補だろうな。若いうちから頭が硬すぎる。
なぜに「貴重な体験談を聞かせてもらった」とおもえないのか。
子供の頃は「清太が可哀想、おばさん嫌な奴!」と思い
中二病で「清太ただのニートじゃんw」と笑い
大人になってから漸く、14才という少年の無力さ、無知さとオバサンの感情も理解し、
「名作だなぁ」と感じる
戦時中のモノ不足は、3.11の被災地と同じで、流通経路の寸断や買占めによる混乱が原因。
英国で米兵がストッキングを餌にナンパし放題だった頃、日本の生糸生産地では毎日絹の衣類を着てた。
ディスカバリー(多分)の「ある日突然原油が枯渇したら?」みたいな番組で
交通機関の麻痺で輸出入がストップしたらどうなるか、ってやってたけど、それと状況は同じ。
なんでか、火垂るの墓はビデオ持ってるのに、途中で眠ってしまって最後まで見た覚えが無い。三度ほどチャレンジしたけど。(笑)
疎開…家は某大空襲にあった都市の郊外にあるのだが、町中の燃えては困る貴重品のような物を預かったらしい。
…でも、預けた人は戦後取りに来たのだが、感謝するどころか素っ気ない態度で、爺ぃは「恩知らず」と後々言っていた。
爺ぃの性格もアレだから、どうだか真実は分からないけどね。
693のジジイはこうあるべき!感が哀しいな。
どこにでも悪い奴はいるっていうレベルの話が、日本人は悪みたいな刷り込みになるのは、GHQの占領政策に端を発し、現代のパヨクに至る日本を壊したい日本人その他外国人に受け継がれた洗脳教育によるところが大きい。
少なくとも、うちの元ニッテイ軍人はクソ爺ぃだったな。(笑)
まだガキの俺をこきつかいやがって、友達と遊ぶ暇も持たせないで、隠れていれば鉄拳。(て、お絵描き芸人じゃないよ)
…まあ、婿入りで、分家から見張りのための爺ぃが同居しに来てたりしたから、鬱憤もあったんだろうけど。
…おかげで、コミ障だわ、苛められるわ。(遊び誘っても来ない。約束しても破る)
時代背景が理解できない人なら「かわいそう~」だろうけど、色々学ぶなり雑学で耳にするなりと時代背景をある程度知る事ができてる人がアレを見れば、戦争経験の無い人でも清太のどこまでも甘っちょろい考え方や言動に苛立ちを感じる。
子ども向けだから・・とか戦争の悲惨さを伝えるため・・とか、何だかんだと理由がくっついて、作品としては「良」が付くという感じだ。
だからお祖父さんが初めてアレを見たとしたら、第一印象としては「何じゃこれは?」と思っただろうね。
愚者は経験に学ぶ
自分の見聞きした範囲のことを一般化してるじいさんも馬鹿なら
常識を覆す特別な話を聞いたつもりになってそれだけで押し通そうとする孫もその愚かさを受け継いでいるな
もちろん火垂るの墓の描写が絶対ということもない
同じ時代同じ出来事でも場所と場合によって全く変わって当たり前なのに
うちの今は亡きじい様やばあ様も、こんな田舎の親戚ないなと言ってた。疎開してきた親戚をみんな引き取って、農作業一緒にしたり、漁に行ったりして自活できる術を教えながら一緒に暮らした言ってたよ。ま、ドラマ的に意地悪い人が出てくるのが流行りだったんじゃない?
艦長クラスの人間の家族なら軍から支援あるんじゃないの?
※68
いや、面倒を見きれずに死なせた妹がいてだな、
その贖罪として「妹の面倒をちゃんと見たのに死なせてしまった兄」の話を書いた。
それを後年、飄々と語ってはいたけれども、生涯、飢えて死んだ者たちへの気持ちがあって、
有名作家になって接待ご馳走が出ても、絶対に手を付けずに意地になって水だけ飲んでいたとか。
野坂昭如に続いて、えいろくすけも亡くなったね。
えいさんの番組には、野坂もよく出ていた。
昭和一桁っていうのは気の毒な世代だよ。
戦争教育を受けながら、中途で突然真逆の教育を受けさせられ、誇りたるべき教科書を黒墨で自ら塗り潰させられる。…長じて左に転ぶのも分からないではないけどね。
(後の【プロ市民】には同情出来ん)
その子供の俺はいい迷惑。(しかも、ニッテイクソ爺ぃ付きwww)
※89
宴席で酒呑んで暴れることで有名だった人に何言うてんの?
今だって住みやすい田舎と陰惨な田舎あるじゃん。当時も同じだ。
実際の野坂氏は酷い扱いは受けてないし、わずか一歳の妹殴って脳震盪起こさせたり妹の食糧まで奪って食べたそうだ。
あの話は贖罪ぽい。
せめて祖父の口調がわざとらしくなければなあ
自分がいじめられてない&いじめてない=みんなもそう! ってのがやばいね^^;
戦時中よりずっと恵まれてる今現在だって、いい奴もいれば性格悪い奴もいる。平気で陰湿ないじめ、嫌がらせをする奴もいれば、そのせいで重度の鬱になったり中には死を選ぶ奴もいる。
戦時中の疎開農村だけそういうことが一切なかったなんてありえないだろ(自分が常にいじめる側、虐げる側だった場合はそう思えるかも知れん)
爺さんところはマトモだったんだろうな
今の世の中ですら、「つけびして煙り喜ぶ田舎者」の事件のような陰湿なジジババが居る集落もある
人それぞれとしか言いようがないわ
サツキが清太のような人だったならば
トウモロコシを盗もうとしておばあちゃんに叩かれ、妹が行方不明になっても皆無視し、トトロも助けてくれなかったんだろうね。
逆に清太がサツキのような人だったならば
親戚のおばちゃんに気に入られ、妹が倒れてもみんな助けてくれたろうし、畑の人も野菜を恵んでくれたんだろうね。
火垂るの墓を見たあとにとなりのトトロを見ると「この子すごく素晴らしい子だな。」と感じるよねえ。義務でもないのにおばあちゃんの手伝いをして、一度も文句を言わない。とてもいい子だと思うよ。
清太の両親はせめて自分の息子に「盗みはいけない」「人の言うことはちゃんと聞く」事を教えていて欲しかったなあ・・・相当甘やかしていたんだろうな・・
野坂の妹は福井県で餓死してるんだな。ウィキみた。
兄妹で野をさまよったわけではないようだが、助けることもできず死なせているのは事実のようだ。
死に行く妹をどうしようもなく助けられなかった体験はしている。
野坂も事実を書いているわけじゃないだろうけど、全否定するほどあの時代が豊かなわけでもなかったと思う。
老人たちは、苦労した人は「俺なんかもっと悲惨だった、悲惨なものを見た」とか、「あの時代をあしざまに言われたくない」とか、まあ、感情的な反発はあると思う。子供だったし、あの時代を正確に把握していたとはちょっと思えない。話半分で聴くべきだと思う。
田舎でも食い物はあるが隔たっていて栄養失調にはなる。ただ子どもがストリート・チルドレン化するような要素はスラム街以外にはない。田舎だと全員知り合いだし。
あと、当時を生きた知識人、作家の野坂が無理のない設定で書いただろう小説を、生半可な知識で否定するのは恥ずかしいと思う。
少なくとも彼の体験では、あれはありうる設定だったのだろう。
海軍が慈悲深いとかも、終戦末期の最も厳しい時期まで適用されるのか疑わしい。
どんな矛盾点があろうと、清太に問題があろうと、ババアがクズなのは間違いない。
※39が※31を嘲笑している意味がわからんのですが・・・
※101 お前ガキだろ。10年後にもう一回見てみろよ。どっちがクズかわかるから。
田舎でも餓死したんだぞ。どこも同じ境遇じゃない
うちの祖父がこういう〜っていうならうちの祖母の兄弟3人餓死したわ
田舎=畑でもなし
実際にそれを体験した人間がそんなんじゃねーよって鼻で笑って孫に実際のところを解説してやったって話だろうに
何でどうでもいい議論に発展してんだコメント欄
兄ちゃんの我が儘で妹が不憫なことになるアニメだもんよ
見てておもろいもんじゃないよな
cOzはカス
これはどう見てもジジイの話の方が事実だろ
あの兄貴の設定は元からいろいろ突っ込まれてた
キャラ立てようとして頑張りすぎじゃね?
じいちゃんの言った言葉を端的に書き連ねるだけでよかったんだよ
話しっぷりが自分の体験こそが全て、正しい歴史と言わんばかりだが、これも692の文章化ノイズだと思いたいな
野坂は在日だから、自分の都合のよいように、というか息をするようにうそをつく。
どう書けば同情心を煽ることができるか、計算して書いている。
だから面白いし、かつ真実ではない。
清太と節子は田舎に疎開したんじゃないだろ
子供が清太を憐れむことが情操教育になるのか?
一体誰の入れ知恵なんだろう
それと、あの映画は教材にでもなっているのかよ
悪い意味のマニュアル型の人間が増えたな
自分の脳内マニュアルと引き比べて、
「これは●●●となるもんだ。よって創作。ネタ乙」
人生経験が薄いのを更に薄っぺらいマニュアルで補っているだけなのに、それを聖典のごとく振りかざして断罪しているのだからペラッペラにも程がある
うちの爺さん、戦時中ちょうど舞台になった神戸に居たそうだが火垂るの墓見てボロボロ泣いとったぞ
三宮の駅前には映画の冒頭と同じように行き倒れの死体がいっぱいあったそうな
wikipeiaに火垂るの墓見に行ったのに、矛盾点の箇条書きがなかった…
でも、野坂が間接的にだけどかなり濃厚に自分の末の妹を餓死させた原因になったのは知ってた。
疎開先で、きれいな娘さんに夢中になってて、妹を邪険にしてたんでしょ。
うちの母方祖母は戦時中小学生で、地方都市の街中に居たらしいけど火垂るの墓の空襲描写は真に迫ると云っていた。今と違って食べ物は大事で粗末にしなかったとは聞いたが、食べるにも事欠いたとは云わなかったな。
父方祖父は兵隊でロシアに。平地をひたすらスキーで行軍した話と、寒冷地で金物を素手で触って剥がれなくて、手の皮が全部剥けたんだよとか、行軍があまりに凄惨で、敵に捕まった時は助かったと思ったとか教えてくれた。
じいさんはこんな話聞いたことないと言ってるだけなんだろ?w
戦時中っていってもみんな同じくらしじゃないしね
うちの祖母が奉公にいってた家は戦時中も犬にステーキ肉やってたって言ってたし
※67
ウチの実家も長野の須坂だけど
婆ちゃんに聞いた話では、戦時中も畑作やったりして普通に飯食えてたってよ
買い出しに行った長野駅でグラマンの空襲にあって目の前に着弾したって話してた
ガキはバカで身勝手で世の中舐めててそれが自分じゃなくて親やコミュニティの力だと言うことにも無自覚なまんまにある種の万能感持ってるから、親や社会から切り離されるととんでもねえ失敗をやらかすっちゅうことでしょ?
…広島は疎開するいとまもなく都市の中枢機能をそれを支える人材ごと一気に失ったので戦後25年くらいに渡って混乱期が続く異常事態になったし、海軍の本拠地があった呉だってめちゃくちゃになったよ。
清太みたいな立場の子は、保護者を見つけられなかったら餓死かヒットマンのどっちか。
うちの土地では、山か海に行けば二時間くらいでその日のご飯はとれたとのこと。捕まえた泥棒にみかん持たせてかえしてたそうな
パヨク発狂
昔っから「自分の知る世界が全て」で、なんもかんも否定する奴っていたんだな。
終戦体験したろうに、他地域,他価値観を学び取れなかったんだろうか。
お爺さん、今に生きてたらネット書き込みにしっくり馴染んでいそう。
個人の記憶は、その人に取っては事実のすべてでも、第三者的には単なるサンプル体験だからな
もっと色んな土地で何人ものサンプルを集めないと状況はわからん
それよか「火垂るの墓」を「反戦作品」として扱われるのが違和感
兄貴は空襲のたびに空き巣に入って快哉上げてたじゃん
あの兄貴のせいで妹は弱っていって死んだのは明白で、
兄貴のわがままを押し通した結果の馬鹿な悲劇の物語だよ
リアリティなんかあるわけない
北陸に住んでいた父方祖母から聞いた話は、これまで誰に言っても信じてもらえないどころか、作り話と怒られたり、自分の祖父母の体験談と比較して泣かれたことばかりだった。なお、祖父母は特権階級ではない。その不評だらけの体験談は、
・祖父母は終戦の数年前に見合い結婚。白無垢は作ってもらえなかったけれど、黒い振袖と紋付き袴で式をあげた
・祖父は医学の心得があったので病気のふりで徴兵を避けた(最後には徴兵されたけど、戦地到着前に終戦で帰還)
・祖父の母は茶道の師範で戦中も人数は減ったけれど弟子がきていた
・祖母の趣味はピアノ。戦中も暇さえあればピアノを弾いていた
・戦争中にピアノなんて敵性音楽は不謹慎と言われなかったのかと聞いたら「そんなこと誰が言うの?」
・農家ではなかったけれど、食べ物に不自由はなかった
繰り返すけど、ほんとに祖父母は特権階級とかではない。戦中に茶道とかピアノとか金持ち道楽に聞こえるかもしれないけれど、もともと「大工や植木職人が仕事の合間に謡を口ずさむ」と言われるくらい伝統的に文化的な趣味にいそしむ人が多い町なんで、特別なことではなかったそうだ。
狭い日本、場所によって違いがあるのは当然なのに、戦中の体験談だけは悲惨なものしか認めない傾向が強い気がする。
祖父母の体験も間違いなく戦争体験談なのに。嘘と決めつけられるのが嫌だ。
米125
特権階級ではないだろうが、中流という感じだね
米126
金持ちではないけど、困窮はしていなかった、って感じじゃないかな。戦中は祖父だけが働き手の自営業で、そんなに手広くやってた訳ではないらしいし。祖父の母がやってた茶道教室も、趣味の延長、社交場みたいな感じで、儲け目的ではなかったんじゃないかな。その当時のご近所さんもみんな同じような暮らしぶりだったそうだ。
こんな話はありえないではなく、爺さんの周りでは見聞きしなかったって意味でしょ
食べ物がなくて野草を煮て食べた人もいるし、贅沢は言えなくてもお腹いっぱい食べていた人もいるし、旦那も兄弟も男はすべて徴兵で戦死した家もあれば、誰一人徴兵に行かずに毎日一緒に寝てた家だっているんだし、本当に戦争体験は人それぞれだからね
元スレや※欄を見て改めて思った。
常に視野は広く持つべきだと。
まあ田舎から見た厚遇が都会から見ればイジメまがいの冷遇だったってのはありそう
wiki見ると、妹は福井で餓死してる。
野坂は助けることもできず、亡くなる妹を見ているしかなかったようだ。
米ラン見てると、妹が餓死するような状況は妄想ファンタジーか何かなのかな?w
作家の野坂が設定に無理があると思わなかったんだから、完全じゃないにしても、ありうる設定だったとみるべきでは?
安い知識で批判するやつが多すぎ。
じいさんがぼけてるだけ
配給や刑務所なんかの公的機関の食料配給量の記録が残ってて、それは現代人が想像するより遥かに多い
戦前の標準食事量が1日米5.5合相当という現代基準では信じられない量を食べてたせいでそれが3.5合相当に減ってしまった戦時中は空腹を感じるようになってしまったというだけの話だったりする
>>131
原作読んでないのか?
小説に書かれていない所で実は妹を虐待していたという野坂の回顧を考慮しなかったとしても、完全にワガママで家出して食料供給を自ら断って結果的に妹殺した話だからな?
自分からそうしない限り餓死なんてまずせんがな
戦中の餓死者はほぼいなくて、戦後になって日本が支配を失ってから一気に餓死者が増えだすんだよ
そこを混同した創作が多いせいで今でも勘違いされてるわけ
長野だけど、食べ物がとにかくなくて、その辺の雑草はむしられてたから
峠へ行って取りに行ったとうちの婆さん言ってた
午後歩くと憲兵が、どこ行くだの色々詰問されるから夜行って朝帰るようにコッソリ出て行って
草を刈って帰る時間には大勢の村人で刈ったので一時そこも雑草なかったとか
そもそも海軍のお偉いさんの直系親族が食いっぱぐれるなんてありえないんだけどな
軍人である父や兄が死んでも残った子や妻を軍の身内で面倒みるから
そうしないと心おきなく戦えないからね
でもあれはフィクションなんだしフィクションとしての面白さがあればいいんだよ
あと散々指摘されてるけど報告者の祖父の話はザルもいいところだな
あの作品と報告者祖父の話では状況が違いすぎるのに比較しても意味がない
まぁ口調が胡散臭くて釣りっぽいけど
そういう場所も事実としてあったってことでしょ
おじいさんが過ごした田舎は戦中にそういう所だったのでおじいさんが知る風景はそうだし
他の場所は人も環境も違うから同じようだったのか全く違ってたのかは分からない
日本中どこでも同じじゃないと気が済まない人は浅はか
燃えろ、全部燃えちまえ
現実問題として、当時食料は潤沢にあった。あくまでも当時のレベルでな。
流通が米軍の爆撃でマヒしてたので、食料生産機能を持たない都会地で飢えが発生した。
あと、東北、信州は元々貧しくてしょっちゅう飢饉が発生していた。
これは国土整備費の大半を朝鮮半島に投資していたためである。朝鮮半島の大発展は信州・東北の犠牲の上にある。
一番の問題は都会人の無知なんだよ。虐めじゃないんだよ。田舎のやつが同じ事すれば、同じ文句言われるんだよ。田舎は働かざる者食うべからずが徹底してるからな。避難民だからという甘えと、厳しい自然相手に甘えが許されなかった田舎との認識の違いだよ。どんなコミュニティーでも甘えで対抗できん人間は被害者意識の塊になってヒスるもんだよ。現代でもいっぱいいるだろw
ちなみに、都会の食糧不足は戦後のほうが深刻だったというオチ。もちろん生産能力の問題じゃないぞ。
リアル清太の作者は病弱な妹を顧みず、毎日遊び呆けていたそうなw
父たる海軍将校は早々に戦死していたが海軍の事情で秘密にされ戦死を知ったのは戦後とか
>>139
ほぼ事実ではありますが時系列に問題がw
朝鮮半島を属国として、一番の問題が安いコメと安い労働力との流入w
半島からコメは消え、東北の農家はコメが売れず娘を売った
で、帝国政府は半島へ資金注入
ちなみに、野坂自身は〆切に追われまくってる中
喫茶店にこもって半日で書き上げたから
同作の執筆に関する記憶が全くなく、
後日読んで号泣したそうな。
だって、あれはどう見てもあの兄貴がクソだから。
生きるのに必死であんな今の子みたいなことは言ってられない時代だったよね。
結局原作者より美談に改変した高畑監督(脚本もこの人)が悪くね?
うちの祖父も「昔は子どもでも働くのが当たり前。今は世の中
変わったけど、昔に戻って考えると清太がおかしい」
と言ってた。あと、田舎のほうが食べ物があったというのは
事実みたいだけど、終戦前後は田舎でも食べ物も少なくなって
終戦前後に生まれたおばさんはやや栄養失調気味だったらしい。
コロナ禍の今だって、コロナ受け入れ病院の医療スタッフ、
そうでない病院のスタッフ、コロナに感染した当事者や身内、と
コロナに一歳関わらず生活してる人、で感想は全然違うから
戦争もそれと一緒じゃないんかな。戦災孤児は餓死した人も
多いだろうけど、田舎の農家で親が高齢だった人とかは
両親が揃った家で普通に親元で生活できただろうし。
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