ヴィルヘルム・バックハウス~ベートーヴェン/ディアベリ変奏曲
2009, 04. 13 (Mon) 12:49
バックハウスのディアベリ変奏曲を収録したCDは少ない。ピアノ・ソナタ全集には収録されていないし、昔はディアベリだけが収録された国内盤があったが、生産中止の様子。(USEDなら入手可能)
残るは、イッセルシュテット指揮ウィーンフィル伴奏によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(国内盤)にカップリングされている録音。この全集よりも、協奏曲だけの分売盤の方が良く売れているはずなので、バックハウスのディアベリを聴く機会はやっぱり少ないと思う。
バックハウスのピアノ協奏曲集は10年以上前に購入したので、ディアベリ変奏曲が入っているのをすっかり忘れて、あやうく別のCDを買うところだった。
これはバックハウスが71歳頃の1955年のモノラル録音。ステレオ録音のような響きのきらめきはないけれど、モノラル録音とは思えないほどに音が澄んでいてクリアでとても綺麗な音がする。
ベートーヴェン : ピアノ協奏曲全集 (新リマスタリング) (1999/04/22) バックハウス(ウィルヘルム) 試聴する(別の国内盤にリンク) |
テンポはかなり速いけれど、これほど自然に音楽が流れているような演奏が聴けるとは思わなかったほどに、このディアベリの演奏は素晴らしく良い。
バックハウスの演奏時間は43分台。普通は50分~55分くらいで弾いているピアニストが多い。滅法速いと思ったカッチェンは46分台。おそらくバックハウスの演奏が、今入手できる録音のなかで最速じゃないかと思う。
概してバックハウスの演奏は、ベートーヴェンでもブラームスでもテンポが速いので、聴き慣れていればディアベリの速さは気にはならない。
かえってこれくらいテンポの方が、変奏が次々に展開していくので音楽の流れが滑らか。重々しさや厳つさがなくて、生き生きとして弾むような軽やかさがある。あの単純な主題が変転していく様子が本当に良くわかる。
他のピアニストがこのテンポで弾くと音楽を損ねかねないけれど、バックハウスが弾くと無理のないというか、これがあるべき速さだと納得してしまう。
とかく退屈とか眠気を催すとか言われるこのディアベリ変奏曲でも、バックハウスが弾くと躍動感のある生気と自由闊達さのあるとても風通しの良い曲に聴こえる。
ディアベリを聴いて途中で寝てしまった経験のある人でも、この演奏なら大丈夫かもしれない(演奏時間も短いし。それでも眠くなるのなら、そもそもこの曲と相性が悪いのかも。)
フォルテはしっかりした重みがあるけれど、余計な力の入っていないような響きがする。バックハウスの弾く音は響きに柔らかさがあって、ペダリングで伸ばした響きも濁りがなくて美しい。たぶんベーゼンドルファーで弾いているに違いない。
タッチは歯切れ良く軽快。テンポの速さのわりには、緩急や強弱のコントラストがついてはいるけれど、くどくないさっぱりした表情のつけ方なのでかなり淡白な演奏に聴こえるはず。
といっても、音の質感や響きの厚みが曲想にあわせて変わるように弾いているので、これだけあっさりと弾いているようで、かなり表情が豊かだと思う。
長調の変奏だと明るい色調で軽やかで、なんて楽しげに弾いているんだろうと思ってしまう。第16変奏は、曲が自在に動き回っているような躍動感がとても爽快。
第3・4・8変奏などの柔らかい雰囲気の変奏だと、優しい表情がとてもさりげない。ユーモアやシニカルさのある変奏(第9変奏など)だと、ストレートにそういう雰囲気を出さずにさらっと弾いているけれど、どことなく変な心地がする。
最も美しい変奏(だと思っている)の24番目のフガート。バックハウスが弾くと、シンプルな響きのなかに包み込むような柔らかさがあって、とても穏やかで綺麗なフーガ。
短調の変奏になると抑えた表現の情感が美しい。特に叙情的な第29・30・31変奏は、ことさら哀しげに弾いている風ではないのでさらっとしてはいるが、このさらさらと流れる哀感には透明感と気品があってとても美しいピアノ。
最終変奏のフーガはわりと力が入るところだけれど力感はおさえ気味で、それよりもリズム感が冴えていて、柔らかな光が差しているような明るさと開放感がある。
最後のメヌエットは、全てが調和のなかで終焉していくような穏やかさ。一つ一つの変奏ならもっと個性的な演奏はいろいろあると思うけれど、バックハウスが弾くと一つの連続したストーリーをピアノの音で聴いているような気になってくる。
少なくとも、”ベートーヴェンは深遠で哲学的で云々”というような解釈調の演奏ではないとは思うけれど、音がもとから持っている表情が、弾いていたら自然に現れてきたような感覚がする。
まるで”仙人のような”とは言わないけれど、何の気負いもなく、音楽が途切れることなく自然に流れている。ディアベリ変奏曲でこういう弾き方をする(できる)ピアニストは、そうそういるものではないと思う。