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喚涛追念の会のお知らせ

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 今年の川上喚涛追念の会は11月4日(日)に行います。午前中は佐渡市和木の川上家の追念碑とその周辺の清掃。午後からは慰労会を兼ねて島内外の有識者を招集して勉強会をする予定です。勉強会といってもお酒を飲みながらの和気藹々としたものですので、興味のある方は遊びに来てください。

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【川上喚涛】
川上喚濤(賢吉)は、安政3年(1856)8月3日に和泉村(佐渡市泉)字畑田の川上太左衛門家に田之吉の長男として出生しました。 母ミノは同村荒貴の根岸こと北見与右衛門家から出ています。 彼は本名賢吉のほか、喚濤(かんとう)・文馨(ぶんけい)・白水庵(はくすいあん)などとも署名しています。


川上喚濤は79年の生涯のなかで数々の偉業を遺しました。 政治面に於いては青年時代佐渡に於ける政党の組織並に其成長伸展に関して功績を遺し、産業面に於いては佐渡水産界および日本水産界の発展に力を注ぎ、佐渡山林業並に竹林業発展に貢献しました。 また佐渡の通信交通機関改善および発達に貢献し、佐渡各地に於ける治水灌漑土地開墾の指導をしました。
 文化面に於いては佐渡に於ける御陵墓御遺跡に関する調査研究、佐渡考古学会の大家であり其道の功労者として崇めらています。 佐渡地史学及民俗史研究の権威者にして功労者、佐渡に於ける古美術工芸研究の功労者、佐渡先哲及義民事蹟研究の功労者、正風俳諧及正風遠州流生花の大家にして之を社会教育に活用したる功労者、などと佐渡の歴史文化を語る時「川上喚濤」の名前が登場します。
 川上喚濤は当時の佐渡の歩むべき道を「何をすればよいか」と熱心に考えていたのかもしれません。 昭和9年に「先ずさらば、暫く昼寝いたします」 という辞世の句を残して旅立った喚濤翁が、もし昼寝から目を醒まして現在の混沌とした世の中を見渡したとしたら、開口一番どんな言葉を発するのでしょうか。 興味あるところです。

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