狂育
狂育(きょういく、英 : education)とは全世界で広く行われている洗脳・マインドコントロール行為である。上からの命令に疑問を抱かずに動き、大人しく税金を納める社畜型ロボットを量産する為の工場で実施される。
常識と誰かが名づけた偏見をいつ役に立つのか分からないのに「人生(多数派や既存の価値基準に盲従する社会と教育ビジネス)のためだ!」といういまいち納得できない理由により植えつけている。偏見と差別精神を育み、徹底した個性の破壊と全体主義のみに対応させる為に同一化型思考停止人間の大量生産を目的とする。狂育者(洗脳をする側)にそもそも頭が狂っている人間が大量にいるため、その洗脳を受けた側も当然狂った人間になりがちである。まさに狂育とは「バカな大人がバカな子供を量産する世界共通の儀式」となっているのだ。そんな儀式に各国は毎年大量のお金をつぎ込み、今日もまたバカが1人世に生み出されるという仕組みが継続されている。
かつては生徒を脅して教えることから脅育と呼ばれたこともある。ただし、脅育は偏見の植え付けというよりかは自分の好きなように育て上げる嫌いがあるため調教に分類されることが多い。
狂育は主に学校と呼ばれる閉鎖空間で行われる脅迫的なものと、家庭・社会で行われる放任的なものの二つに分類される。
日本では、洗脳に反抗する者はDQNと呼ばれる傾向の人たちが多いということと、洗脳を解いた所で、安定と程遠い生活を強いられるため、逆らう物は減少傾向にある。
学校における狂育[編集]
学校における狂育は主に狂師と呼ばれる、自分の事を何か一段高い存在だと勘違いした曲がりなりにも大学を卒業したらしい、無能な下っ端公務員によって行われる。また、学校狂育では常識という名の偏見の植え付けにも力を入れている。常識を外れる者は容赦なく「校則」という偏見の言い換えによりこの無能らが矯正するが、常識を外れる者への矯正それ自体や校則の妥当性、必要性を無能に問うても、無能だからこそ明確な理由を話せる者はいない。日本ではこの偏見をどれだけコレクションされたかによって、その後のその人物の評価が決まってくることがしばしばある。近年、いじめ問題などがマスコミに露呈しているが責任の所在をはっきりさせず、説明責任を十分に果たしていない場合が多い。その場合、世論からの激しいバッシングが行われることが予想される。
学校における教育では、校則を通じて児童や生徒をいじめる主体にもなっており、例えば「風紀が乱れる」といった、どんな実態なのかも分からない概念を持ち出す以外で正当性を語ろうとせず(脅迫により)屈服(洗脳)させる。校則は法律で、社会一般的に許容されている行為が禁止されることが多い。染髪をしてはいけないはその典型例だが、これは紛れもなく(染髪をした人間の)排除であり、学校がいじめとして糾弾する仲間はずれに該当する。いじめを許さない態度である学校側が平気でいじめを肯定するのである。
また、一部の学校では服装が規定され、食事も決まったものを食べないといけない。授業を欠席することは基本的に許されず、敷地内を自由に出ることもできないため、刑務所生活と何ら変わらない状況でもある。家庭に帰れば今度は親のもとで同様の生活を強いられるため、看守が教師と親と入れ替わる違いはあるが、概ね刑務所での生活と違いはない。
ここでは主に日本の例を取り上げている。
狂育[編集]
自習や実践を重視した狂育の典型例である。現在主に学校外で秘密裏に行われている。もし同様の教育を保健体育の授業で行おうとすれば、普段は微妙な関係である日教組、PTA、モンスターペアレンツなどが何故か一致団結の上抗議する。
スパルタ狂育[編集]
古代ギリシアの原始共産制ポリススパルタを一応の発祥地とする。「弱い奴をいじめて何が悪い」「強き者はどんなに中二病行為をやっても偉大なる英雄だ」という明快な理念を持ち、笑いながら体罰を振るう教育作法である。もちろん、教え子の成果はすべて教師の薫陶の賜物だが、教え子の悪行はすべて教え子の自己責任である。この理念に対する批判は強いが、子育ての手を抜きたい上位者からの人気は根強く、軍国教育や管理教育、最近では日勤教育はこの教育の不可分の一部である。
義務狂育[編集]
「教育を受けさせることは保護者の義務である」という日本国憲法の条文を勘違いしたことから生まれた。この教育方法を実施する者の間では「子供は学校で教育を受けることが義務」という解釈で一致しており、不登校や引きこもりを目の敵にしている。
平和狂育[編集]
社会科教師にこの狂育方法を好む者が多い。かつては絶大な指導効果があり、新左翼の登場にも一役買ったが、近年はマンネリ気味であるためにその効果が薄れている。
管理狂育[編集]
「不条理な校則を厳格に適用すれば従順な人間になるに違いない」という安直な発想から生まれた教育法。だが生徒に見られる思春期特有の反発行動によって、逆に暴走族などの不良を育てることになってしまい失敗に終わった。
日勤狂育[編集]
詳細は「日勤教育」を参照
スパルタ教育や強制収容所における労働を参考に西日本旅客鉄道が開発した新たな教育手法。社内における日勤教育の徹底的な実施によって、2005年にエクストリーム・謝罪での優勝を勝ち取った。
詰め込み狂育[編集]
詳細は「詰め込み教育」を参照
心身に過剰な負担をかけることで機能を低下または停止させ、団塊の世代と呼ばれる理想的な奴隷を養成する方法として、おもに戦後大幅に採用された教育方法である。
ゆとり狂育[編集]
詳細は「ゆとり教育」を参照
詰め込み教育や管理教育では不良を大量生産することになったという反省の下、ゆとり教育という方向に変更された。これは、社会で生きていくために必要な考える力を養い、責任ある大人に育て上げる計画であった。不良の数は減少した一方で、ゆとりと呼ばれ問題化している人間の大量生産を招いたとして現在再検討されている。
家庭・社会における狂育[編集]
家庭における教育では主に礼儀作法など生活していくうえで最低限必要とされることを教え込むことがいままで慣例であった。
しかし、昨今叫ばれている家庭崩壊によりそういった教育を放棄し、さらに学校側に教育の全責任を押し付ける親が増殖している(モンスターペアレント)。
また、礼儀作法を教える際に子供に暴力を振るいすぎると児童虐待と判断され、マスコミのいいネタになってしまう。
全体的には頭の悪い大人が頭の悪い子供を量産する仕組みとなっており、例えば「迷惑をかけるのはよくないこと」という意味合いの狂育が、各家庭、そして学校でなされている。しかし、迷惑をかけずに人間が生きることは現実的に不可能なこと、「迷惑をかけてはいけない」という言動自体が、言った相手にとって義務を生んでいることから迷惑になっているという状況に、全く気付かない大人が大量にいるのである。
日本においてはこの謳い文句が正しいことのように扱われ、実際に他人に迷惑をかける人間に対して厳しい言葉が投げかけられる。しかし、当然ながら「(その謳い文句によって他人に迷惑をかけている)お前が言うな」という指摘は正当性を帯びるわけである。こういった状況により、頭の悪い大人が頭の悪い子供を量産し、その子供が大人になったときに同じことを繰り返すのである。
テレビ番組における狂育[編集]
NHK Eテレなどでも、狂育が行われている。例えば、いないいないばあっ!のうーたん、ワンワンやみいつけた!のコッシーなどである。
狂育番組同士の戦いは「狂育バトル」と呼ばれる。ただし、狂育バトルは有志によって制作されており、NHKとはあまり関係ない。 狂育バトルと狂育番組の例。
関連項目[編集]