出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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リューク、塾ってものは親の自己満足のため行っているものなんだよ
塾 について、夜神月

(じゅく)とは、は単に子どもに餌付けを行う飼育係ではなく、教育者でもなければならないことを自覚しつつも、若いころの不勉強のため、後者の能力において全く欠けているか、またはわずかしか有していないために、嫌がる子どもをむりやり放り込み、子どもがまともに育たないことの責任を全て押し付け、以て自らを飼育係に特化するための民間教育機関である。親はそのことの対価として、授業料あるいは受講料、月謝などの名目で、提供されたサービスの何倍もの法外な金銭を支払い、塾は親が期待する効果が全く現れずとも、その金銭を何らの罪悪感を伴わずに平然と受け取ることが許されるという等価交換の原理からかけ離れた常識が好不況を問わずいまだにまかり通るという、魚屋や八百屋には考えられない夢の世界である。 また後述の学歴至上主義(通称学歴教)においてはキリスト教の教会のような役割であり、より高位(高学歴)の神(中学・高校・大学)の元へ仕えさせる(入学させる)事こそが正義とされ、大手の塾ほどその傾向がある。

概要[編集]

塾には、大別して二つのタイプがある。

ひとつは、学業成績のよろしくない子を受け入れ、学校の授業についていけるようにするための補習塾である。このタイプの塾では、多くの場合よろしくないのはその子の資質と性格で、通った時点においてもはや偏差値60以上の大学合格は不可能なのだが、母親は頑としてそれを認めないため、「もう少し時間を頂ければお子様は何とかなります。私たちに任せて下さい。」という塾側の商業主義な部分においてのみ熱意ある要望に屈したが最後、世帯主の晩酌をビールから発泡酒に転落させてでもせっせと塾に喜捨することになる。もちろんその程度の親にしてその子ありで、たいていは、親より下か、せいぜい親と同等の社会的ステイタスしか得られない。

もうひとつは、学業成績のよろしい子、または親の欲目で本来他より学業成績がよろしいはずなのだが、何らかの事情でよろしくないと勝手に思いこんでいるただのバカ息子(娘)を受け入れ、学校の授業よりも進んだ教育を理解力の有無に関わらずうけさせ、あわよくば実力以上の学校に入学させようという塾である。昨今のゆとり教育とそれに伴う国際比較における学力低下に危機感を覚える親は、子どもを積極的にこの塾に通わせようとする。塾としての収益が高いのはこちらの方で、塾は「~特訓」、「~対策講座」と称して親の焦りを煽り、その子の役に立つ立たないはお構いなしに受講させ親から容赦なく多額の金銭をむしり取る。学業成績のよろしい子はそれでも元は取れるが、悲惨なのはそうでない子で、もちろん塾もそんなバカが本当に合格するなどとは露ほどにも思っていず、むしり取れるだけむしり取った後は不合格になっても「実力は足りていたのに、運がなかったね。」と逃げ口上を用意して、不合格による親から返金要求を免れる。詐欺ではないのかと親から指摘されても「お子様は受験直前は合格レベルに達していました。」と親の心をくすぐる殺し文句を言いさえすれば全てが許される世界は、他に宗教界をおいて類例を見ない。そのためか、しばしば塾の講師は学校の教職員をさしおいて「本当の教育者」と聖職者扱いされる。ちなみに世に三大スケベ稼業というものがあって弁護士、医者、そして最後が教育者であることを、この手の塾に通わせている本当に教育熱心な親たちこそ、むしろ知らない。

その他に、英語書道そろばんを教える塾もある。同じようなものだがピアノバレエ水泳などの場合は塾とは呼ばない場合が多い。

塾の仕組み[編集]

少なくともたてまえ上、塾は学校の授業では不足する教育を受けることができる場所ということになっている。しかしその効果については、他の条件を全く同じにして「塾へ通った場合」「塾へ通わなかった場合」を比較することが事実上不可能であるため、誰も正しく評価をくだすことができない(子どもが塾に通っていた時期と成績の上がった時期とが仮に一致したとしても、それが塾の効果によるものであると判断するのは早計であろう)。にもかかわらず塾が必要とされ、また親がそれに対して少なくない金額を支払っているのは、日本人特有の「横並び主義」と、前述のとおり親としてのつとめを十分に果たしていないという批判に対する言い訳としての責任転嫁先として、である。このことについては、一部の母の間でのみ問題になっている。 

学歴至上主義での塾[編集]

とある漫画作品では「○○主義者とは○○主義を神として崇める信者のような存在である」といった記述がある。たとえば共産主義者にとって共産主義は「」と同然の存在であり、そうでない経済の形態は認められないのである。同じように学歴至上主義(以下学歴教)においては学歴こそが「神」なので、当然学歴を上げてくれる存在は尊く素晴らしい存在であり、その「学歴を上げてくれる存在」として主に対象となるのが塾・予備校となる。なので学歴教の信者である親からすれば、自分の子供をより良い進学先に進学させる専門家(笑)となる塾講師は聖職者扱いされ「本当の教育者」とされることもある。またたとえ子供が志望校に不合格となってしまっても、そこは本物の聖職者よろしく上手いこと励まし「運がなかった」とすることで矛先をそらすこともある。

また大手の塾になるとどれだけ難関学校へ進学者を輩出できたか、が重要になってくる。なので例えば模試を受けに来た人の成績が良かった場合本人の第一志望は「もったいない」「もっと上が目指せる」と否定(塾にとって十分プラスとなるような難関学校である場合を除く)して「君は○○高校に行ける」「○○大学を目指せる」とより上位の学校を(実際に行けるかどうかに関わらず)勧めることがある。まだ入塾していない人であれば「特待生」と称して料金を割引するので入塾を勧めることもあるが所詮その「特待生」という制度があろうとなかろうと、多くの場合「あなたのため」ではなく「塾のため」である。なぜならばそもそも塾はビジネスであるため生徒に対して心に響くことを言っていても、親身になってくれているようでも「金稼ぎ」という根幹によって動かされていることがほとんどだからである。それから学歴教においては当然難関大学への進学がゴールということになる。具体的に言うと

東京一工(最難関国立)→旧帝大(難関国立)、早慶上理ICU(最難関私立)→GMARCH、関関同立(難関私立)→地方国立→成成明國武、日東駒専(私立)…

当然この序列は前後し得るもののおおよそこんな感じである。そして大手の塾の場合上記のいずれかを目指させることになり、中学・高校受験の場合は上記大学(東京一工を指すことが多い)に進学者数が多い中学・高校を勧めることが多い。だが結局の所、学歴教にとらわれるのでは無く、その大学で何がしたいのかということが大事なのだが勧める際にこのことが明言されることは少ない。

塾講師にいたるまで[編集]

塾講師が親たちからしばしば「聖職者」と崇められるのは前述したところである。しかし、どのような人物がいかなる紆余曲折を経た上で塾講師になるのか、という点において世間はあまりに無知である。そこで、以下においては人がどのようにしてはからずも塾講師になるのかを詳述する。

資格試験連続不合格なれの果て型
旧司法試験を3年以上、それも5月に実施される択一試験にすら合格できなかった者が、落ち武者として塾講師になるケースである。もちろん文系科目担当講師で、社会の公民分野に異常に強い講師がいたらまずこれだと思って間違いない。そこそこ偏差値の高い大学を出ており、プライドが高く、しかし司法試験には合格できなかったコンプレックスのせいで、授業には熱心であるが、自分より優秀な生徒は認めたがらないという、およそ塾講師と要求される全ての資質を高い次元で有する一つの理想形である。
学校教師何らかの理由で退職型
公立学校の教師の職に一旦はつきながら、強制わいせつ等何らかの自己都合で退職に追い込まれ、その後食わんがためにやむにやまれず塾講師になるケースである。これは理系科目担当男性講師のみならず、零細進学塾の塾長に圧倒的に多い。理系のわいせつ系元教師は専門的知識においてはそんじょそこらの現役ベテラン教師の比ではなく、また教え方も上手であることから、成績上位の生徒から変態の先輩としてだけでなく、名講師としての評価を得ることもままあるが、反面バカからの評判は悪く、陰湿な暴言を吐いて生徒をやめさせたり、あるいは自分が退職させられたり、また胸ポケットにさしたボールペンをわざと落としてその際、女子生徒のスカートの中を覗き見たことが露見して退職に追い込まれることも少なくない。
学生時代のバイト継続型
大学生の時に小遣い稼ぎで始めた塾講師のバイトが、就職活動に失敗するなど専ら当該学生の不勉強ないしは社会的不適格に起因する事由でそのままバイト先に就職してしまうケースである。上記のケースと違い、実社会において挫折を味わっていないため、生徒に対する接し方はいささか柔らかいが、バイト感覚がいつまでも抜け切れず、生徒が宿題を忘れても叱らず、なあなあで授業を進める。生徒にとっては最も与し易い講師だが、最も自分の役に立たない講師であることは志望校に落ちることでしか気づかせてもらえない。

合格実績の仕組み[編集]

大概、誇大広告である。この文化は、代々木ゼミナールが始める。現在はおもに東進ハイスクールがその文化を引き継ぐ。大事な日本の文化である。仕組みを説明しよう。例えば、東進の場合日曜朝に多いCMを見た高校生は間違いなく、合格実績になる。またこの頃、調子に乗ってる林修がテレビにで出るのを見た高校生も間違いなく、カウントされている。またこの手の合格実績にある「東大」とはいわゆる東京大学ではなく、東京医科大、東京歯科大、東京工科大、東京アニメ大学校、東大等も含まれているから注意である。(ほんとの東京大学生は全体の5人も満たない)

個人面談[編集]

狭い個室で行われる。この塾、予備校にいれば必ず大学に行けることを生徒に教え込ませるためのもの。いわゆる洗脳である。ちなみにここでいう大学とは第一志望校ではないことに注意。平成の世は大学全入時代であることを忘れない。

関連項目[編集]