今回ご紹介する碧海寿広先生は、法藏館から『近代仏教のなかの真宗』を刊行されて以降、『入門 近代仏教思想』(ちくま新書)や『仏像と日本人』(中公新書)といった一般向け書籍を上梓。各所で講演を行うなど、近代仏教の「布教」にも積極的に取り組んでおられるお一人だ。
元々はお寺が苦手だった……。
先生は大谷派のお寺のご出身。幼い頃から仏教が身近にあった環境が、今の研究につながったのだろうか。「実は宗派やお寺にはかなり苦手意識がありました。なかなかその文化に馴染めず、いつか外に出てやろうと常に考えていましたね(笑)」。
お寺の文化に馴染めずにいたところに転機が訪れた。それが、現在も評論家として活躍する宮崎哲弥氏の著作を読み、講演を聴いたことだったそうだ。「講演などで宮崎さんが「仏教は面白い」と仰ってたんです。それまでも読書は好きで仏教関係の本は読んでいて、知識だけはありましたけど、その宮崎さんの考えに背中を押されて、本格的に勉強してみようと思いました。ただ、やはりお寺や宗派からは離れた仏教研究をしたいなという思いがあったので、興味を持ったのが「お寺から飛び出した仏教」とも言われる近代仏教だったんです」。
曖昧な部分こそ魅力であり、本質?
では、先生にとって近代仏教の魅力はどこにあるのだろうか?
「近代仏教って色んなものを媒介にして、曖昧に広がって今日まで続いている部分があるんですよ。例えば仏像を鑑賞するという今僕らが何気なくする行為だって近代仏教の産物で、そうみていくと、『見仏記』や『マイ仏教』のみうらじゅんさんは、和辻哲郎らの系譜に並べることができるかもしれない。このように今、意識はしないものの、確実に続いているものがあって、時には意外なところにつながってしまうというところが大きな魅力かなと思いますし、こういった曖昧な部分こそ、近代仏教の本質だと思います。もちろん、教団の中には明確な形で現代まで続いている教えや活動もあり、それもかなり重要なのですが、でもそれは近代仏教のすべてじゃなくてほんの一部にすぎません。むしろ外に広がっていった部分をみることこそ、より重要と考えています。だから今後は教団内に残る明確な部分だけでなく、そういった曖昧な部分をとらえていく研究がもっと出てきてくれることを願っています」。
先生の言葉からは、お寺への苦手意識が、近代仏教という領域ではむしろ原動力のような役割を果たしてきたようにも思えた。最後には、今後について「その曖昧な部分について、学界だけではなく、一般の読者の皆さんと共有できるような仕事を進めて行きたい」とも語ってくれた。今後もその斬新な視点で、私たちの好奇心を刺激してくださることだろう。
教団・宗派に縛られない近代仏教の多様な姿を広めていきたいと語る碧海先生。インタビューでは、宗派の今後に留まらず、法藏館の未来にまで話が及びました(龍谷大学大宮 白亜館にて)。
148『ひとりふたり‥』2018 報恩講号「著者に会いたい」に掲載。
法事でお坊さんが読むお経を聞いて、「何を言っているのだろう」と疑問に思ったことはないだろうか。今回ご紹介する戸次公正先生は、漢文のお経が読まれるのが当たり前の中で、オリジナルの日本語訳の勤行本『真宗の法要』を作り、日本語のお経で仏事を行うという画期的な活動を十数年も前から行われている。
お経に対する疑問
最初のきっかけは、中学生の時。真宗大谷派の寺院に生まれ育ち九歳で得度を受け、お参りに行くようになった戸次先生は、自分でも意味不明の漢文をむにゃむにゃと称えるだけで、なぜ褒められお金(お布施)をもらえるのかと、後ろめたくなったそうだ。
そして高校の時、友だちに誘われ見学に行った教会で出会った聖書が、日・英対訳でとてもわかりやすく、その教えがすんなり心に届いてきた。その出会いをきっかけに、「仏教は、なぜお経を日本語で読まないのか」と考え始めるようになっていった。
日本語訳の原動力
大学では東洋仏教史を専攻。その頃、法主の宗憲違反行為による大谷派教団の混乱、難波別院輪番の差別発言による部落解放同盟からの糾弾、そして靖国問題が始まり、自然とそれらの問題に取り組むようになる。
「闘志あふれる怖い人だと思っていたと、よく言われます」。差別や靖国問題について攻撃的な発言も多い戸次先生は、初対面の人にそう言われることが多いと笑う。
実際の先生は、小柄でやわらかな笑顔が似合う。大の猫好きで、猫を抱いてとろけそうな笑顔を浮かべていると好々爺然として見える。一方で、人間や様々な物事への興味関心が強く、いったん興味がわくと瞳が輝き皆が驚くような行動力を発揮する。恐らくこれが、誰もしたことがなかったであろう日本語訳のお経で儀式を行う原動力となったのではないだろうか。
これからの仏教の儀式
実際にお経の意訳を作るきっかけになったのは、三十代後半に中学生の集いに講師として参加した時、「いったい何が書いてあるの。僕らにわかる言葉で書いてよ」と言われたことだった。そこで四年がかりで作ったのが、小中学生が読んでもわかる「正信偈」の意訳本『いのち』(真宗大谷派児童教化連盟)。当時は「勝手に意訳なんてしていいのか。しかも真宗学の専門家でもない自分が」という恐れが先生にもあったそうだ。この『いのち』からの転載で、一九九八年に意訳付きの経本『同朋唱和 正信偈』が出版され、現在とても多くのお寺・門徒の間で使われている。
「近年、お経の現代語訳の本は多く出版されるようになりましたが、実際の儀式の現場ではほとんど使われていません。『同朋唱和 正信偈』のように『真宗の法要』が広く使われ、お経の意味を理解しながらお勤めできるようになればいいなと思います」。
◆ご自宅にて
梯信暁先生プロフィール:一九五八年大阪市生まれ。大阪大谷大学教授。主著に『新訳往生要集(上・下)』、『インド・中国・朝鮮・日本浄土教思想史』(いずれも法藏館)など多数。
閻魔王に舌を抜かれ、針の山や鬼の責め苦にのたうち回る……。「地獄」と聞くと、おどろおどろしい世界を思い浮かべる。こうした地獄のイメージは、平安時代の僧、源信が書いた『往生要集』という書物での描写に負うところが大きい。今回ご登場頂く梯信暁先生は、この『往生要集』を十年間かけて現代語訳し、昨年法藏館から刊行された。発売直後から大好評で、書店でのトークイベントにも多くの読者が来場した。『往生要集』の魅力について梯先生に語って頂いた。
苦心の末に全体を訳し直す
元々は、『安養集』という浄土教の典籍を研究されている梯先生だが、この全貌を知るには、『往生要集』をマスターする必要があったという。そこで、過去の研究者の訳を何度もひもといたが、表現や用語など難解な箇所が多く、読み解くのに苦労されたという。「今回の現代語訳では、私の若い頃の苦心も踏まえて、本文はとにかくやさしく訳すことを心がけました。ですが、どうしても仏教用語などには註が必要になります。表現は平易さを意識しつつ、註には最新の研究を盛り込むなど、かなり詳しく仕上がったと思います」。構想に十年を費やした『新訳往生要集』は、「浄土や地獄のイメージを分かりやすく伝えたい」という梯先生の思いが実を結び、博物館や一般書店でも大いに話題を呼んだ。
地獄は一定すみかぞかし
現代人にとっては、地獄や浄土は縁遠い存在のようにも捉えられがちだが、本書の好評ぶりを見ると、やはり心のどこかでそうした世界に惹かれているのだろうか。
「仏教の世界では、地獄とはこの世で罪を犯した人が自ら思い描く世界と考えます。大切なのは、罪の自覚への有無といえるでしょうか。その自覚がない人は、犯した対象へも償いようがないですが、罪の自覚が芽生えると、地獄のイメージが立ち現れます。だから、極楽往生のために善行を積もうとします。私が思うに、地獄とは生き方を変えるきっかけになる存在かなとも思います。子どもたちは、お寺にある地獄絵図を怖がりながらも興味深く見ますね。ビジュアルに惹かれるのももちろんですが、罪の意識が大人ほど強くはないともいえるわけです。大人になると、誰だって、それが実体的ではないと分かっていても、地獄のような場所に行きたいとは思わないでしょ(笑)。「現世での行いによって、こんな地獄に堕ちてしまう」と『往生要集』にも説明があるし、大人であれば誰にでも思い当たることがあるからです(笑)。
『往生要集』には、実は地獄の描写はそんなに多くないんです。むしろ、それを避けて浄土へ行くための方法が具体的に書かれています。『歎異抄』に「地獄は一定すみかぞかし」という有名な一節がありますね。少しの修行も出来ない自分は地獄が住処となって当然だ、という親鸞の苦悩です。『往生要集』は、読者の人生が地獄に向かいつつあることを気付かせ、その生き方を修正して、極楽へと方向転換してゆくことを勧めた書だと言えます。親鸞は源信の執筆の意図をそのように理解したのだと思います。」。
惨たらしい地獄の様子は、この世を生きる私たちへの戒め。本書で地獄・極楽の世界を散策しながら、「私ならどう生きるか」を考え直す機会としたい。
趣味は落語を聞くこと。「桂米朝師匠の「地獄八景亡者戯」はよく聴きました」。(法藏館編集部にて)
146『ひとりふたり‥』2018 春彼岸号「著者に会いたい」に掲載。
プロフィール:三島清円(みしま・きよまる)一九四九年岐阜県生まれ。一九七九年ハワイ開教区の開教使として約十年間渡米。現在、真宗大谷派西念寺住職。同朋会館教導。
真宗門徒の伝えてきた言葉
今年七月に刊行された『門徒ことば――語り継がれる真宗民語――』が、予想以上の反響を呼んでいます。刊行後約一ヶ月で重版、特に真宗門徒の方々に好評を博しています。著者の三島清円先生に伺いました。
(歴史の結晶)本願の土着化としての「門徒ことば」
本書はどのようなきっかけで書かれたのでしょうか?
「永く語り継がれてきた門徒ことばが近年死語化しつつあることへの危機感が、執筆の動機です。今回、この本が多くの反響を頂いているのは、全国の門徒の中に今なお「門徒ことば」が命を保ち続けて来たことの証明ではないかと、真宗の未来に私なりの光明を感じています」。
長い真宗の歴史の中で育まれてきた結晶として、門徒ことばがあるわけですね?「そうですね。最近、「おもてなしの心」「心くばり」などの言葉がメディアで取り挙げられるようになりましたが、それらの言葉の背景にも「門徒ことば」を生み出して来たような土着の真宗文化や仏教文化があるように感じています。もしこの国に、世界に誇れる美徳があるとすれば、それは仏教が長い時間をかけて育んで来たものに違いありません。その意味では、今回の本はわたしが書いたものと云うよりも、全国の門徒の遺産が書いたものともいえます」。
海外の生活から学んだ言語の問題
ところで先生はハワイやロサンゼルスで開教に従事されてきましたが、海外でも「門徒ことば」に相当する言葉はあったのでしょうか?
「私が開教使だったのはハワイでの二年間だけで、ロスに移ってからは旅行会社に勤めながら個人的に開教をしていました。しかし日系の門徒たちが「門徒ことば」のようなものを使っていたかどうかは記憶にありません。移民から三世四世の時代になっていて、日本語はすでに片言でしたからね。ある開教使は、念仏のこころをI am sorryとthank youだと説明しておられました。sorryに気づけなければthank youが出てこない。二種深心ですね。この心持ちを正義に立ちやすい彼らに伝えることは難中の難でした。
また、翻訳にも苦心しました。御文は「それ…」から始まりますが、その「それ」は「listen」と訳すんですね。それから、「念仏申せ」という言葉もなかなか深い。数年前、ある補導さんがブラジル生まれの開教使さんに「念仏申せ」は「Say Namuamidabutu」と云うんですかと尋ねたことがあります。するとその開教使さんは「Accept Namuamidabutu」だと答えました。「Accept」は「受ける」という意味です。わが身にナムアミダブツを受けたら、ちゃんと念仏が申せるじゃないか、という意味です。「Say」と訳したら単なる命令になってしまうのです。西欧の言語や哲学を通して初めて、こちらの言葉の世界が見えてくる。そういうことを外国生活で学びました」。
長い時間をかけて培われてきた言葉も、使わなければ消失してしまいます。三島先生は、そうした危機感の中で本書を刊行されました。是非一度手にとって、「門徒ことば」の世界を味わいたいものです。
三島先生の自坊での夏休み子ども会(2016年7月、ラジオ体操の後)にて。
145『ひとりふたり‥』 2018 お正月号「著者に会いたい」に掲載
布教人生六十年
浄土真宗では、日々の勤行で、『正信偈』とともに「和讃」が唱和される。耳慣れたメロディーながら、唱えられている言葉の意味はよく分からない…そんな悩みを解消するべく、このほど『浄土和讃のおしえ』(下)が刊行された(上巻は二〇一六年四月刊行)。著者の澤田秀丸先生は、真宗の布教一筋に、全国を飛び回ってこられた。学者の世界とは違う、ご門徒の方々に密着した仏教者の役割を常に考えてこられた澤田先生にとっての「仏教の伝え方」をうかがった。
日夜布教に励む日々
「日常の生活の中で仏の教えをともに味わっていく。これが布教に携わる者の使命ではないかと思います」。インタビューの冒頭より、キッパリと話される。「布教の仕事というと、教えをご門徒に話し伝えていく、とイメージされるかもしれません。確かにそれは基本でありますが、心がまえとしては、布教は教えを布(し)くと書くように、阿弥陀様が教えを布き述べて下さっているそのお手伝いに寄せて頂く、というのが一番大切にしたい心です」。澤田先生は、二十四歳で住職を継職した後、船場(姫路)・広島・茨木・岡崎(京都)・旭川の各別院の輪番も勤めてこられた。また、そんな激務の最中にあっても、自坊では『正信偈』『歎異抄』をはじめとして聖典の法座を五十年間欠かさず開かれてきた。参加者の中には、第一回目から出席されている方もあるようで、それも「教化が口からついて出るだけのものではなく、生活全体から滲み出るもの」という、澤田先生の生き様がご門徒にも確実に伝わっているからだろう。
法は如来にあり、話は衆生にあり
澤田先生をして、布教への熱意を抱かせたきっかけには何があったのだろうか。「私が学生の頃、日曜学校研究会という集まりがありましてね。それが二十七歳で迎えた大谷派の同朋会運動などにつながっていくわけですが、文字通り子どもに向けて仏教の教えをどう表すか、とにかく色んな議論・実践をしたものです。自坊でも紙芝居や人形劇などをやりましたが、その様子をこっそり見ていた先輩に、「あれでは難しすぎる」とか後で突っ込まれたりもしてね(笑)。でも、あの当時の模索が私の布教の原点になっているのは間違いないでしょうね。やはり、長年布教を続けていると、お寺の姿というのが見えてきます。熱心に聴聞に来られるご門徒のためにも、勉強は欠かせませんが、こればかりでなく境内から本堂のお荘厳にまで聞法の道場に整えていくことが大切だと思います。それも阿弥陀様のお手伝いと思えば苦になりません」。
「法は如来にあり、話は衆生にあり」という。その間を取り持つのが布教使の仕事、という澤田先生の姿からは、長年の伝道生活から滲み出る法味が確かに伝わってきた。
澤田先生は、普段着も和服で通される。「四〇年くらいずっと和服生活です。インドへも和服で行きましたよ」(自坊の清澤寺にて)。
144『ひとりふたり‥』 2017 報恩講号「著者に会いたい」に掲載