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緊急 感染症情報

中東呼吸器症候群のことをMERS(マーズ)と言う。

SARSウイルスに似たコロナウイルスで、2012年9月にサウジなどの中東地域で報告された。

肺炎を主症状とし、SARSの死亡率が約9%だったのに対し、MERSの死亡率は40~50%と極めて高い。

中東地域と交通が盛んなヨーロッパ各地に患者が発生し、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどで確認されている。



2015年5月、中東で感染した韓国人男性(68)が感染の事実を知らないまま韓国に帰国し、韓国国内で二次感染者を出す。

5月29日までに妻および医師ら計12人に感染拡大。

この12人のうちの一人である男性会社員(44)が発熱の事実を隠したまま空路にて香港入りしたのち、陸路で広東省へ移動。

その後韓国政府が中国政府へ通報し、中国政府が広東省恵州市で身柄を確保。検査の結果感染が確認され隔離された。

香港政府は29日、男性と同じ仁川発香港行きのアシアナ航空機に搭乗し席が近かった「濃厚接触者」の韓国人3名と中国人9名を強制隔離すると発表。

出国を阻止できなかった韓国当局への批判が高まっている。



韓国聯合ニュースは、5月31日未明までに感染者が計15名になったと伝えている。

香港の衛生当局が強制隔離した対象者は、計18名に達した。



韓国の聯合ニュースが伝えるところでは、韓国保健福祉部(厚生労働省に相当)のムン長官は31日午前に記者会見を開き「今後1週間が拡散か沈静化かの岐路になる」とした上で「ウイルスの感染力に対する判断に手落ちがあったことで国民に不安を与えた」として謝罪したという。



なおこれらのMERS関連の報道は、日本国内では産経新聞のみであり、他のメディアは一切を無視しており、肝腎の厚労省のホームページ上の「感染症情報」にも特段の表示はなされていない、(5月31日午後4時現在)



韓国にある日本大使館では在留邦人に感染予防の注意を呼びかけている。





一刀両断

韓国の輸出企業・・・「円安対策」の不足が露呈=韓国メディア
2015年5月27日 6時36分 サーチナ

韓国メディアの朝鮮ビズは26日、韓国国内の輸出製造業が日本への輸出に対し、すでに価格競争力を失っているとし、大韓商工会議所が韓国国内の輸出企業を対象に行なった調査結果を掲載したほか、多くの輸出企業が「損害がある」と回答したと報じた。
(中略)
大韓商工会議所の調査で明らかになったことは、韓国政府が輸出企業のために重点的に推進すべき政策として、52.3%の企業が「為替レートの危機管理支援」と回答したほか、44.0%の企業が「輸出企業に対する金融支援の強化」を挙げており、韓国政府の政策が対応しきれていない状況を表した。

この状況について、大韓商工会議所のジョン・スボン経済調査本部長は「アベノミクスの初期に懸念していた近隣窮乏化政策(他国の経済を犠牲にして自国の経済的利益を狙う政策)が現実化してきている」とし「韓国企業が価格競争力で押されてはいるが、事業構造を効率化し、製品の付加価値を向上させることで、この厳しい状況を克服していけなければならない」と述べたと報じた。(編集担当:李樹香)

(引用ここまで)

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やっぱりわかってないようだ。
いまだに「価格競争力」とだけ言っている。
だから韓国製品が売れない理由は為替変動だけが原因だと思い込んでいる。

「輸出企業に対する金融支援の強化」だ? 笑わせてもらっては困る。
ウォン高が進んだから値引き販売する他に手がないから、政府にその分を補わせようという魂胆だが、それはお門違いもはなはだしい。

たとえばだ、日本製紙オムツよりももっと高品質な紙オムツを開発すれば、中国からの観光客が「爆買」してくれるだろうよ。
あいつらは転売で利ザヤを稼ごうとしているだけなんだから、売れる商品であることが大原則。
そこには「価格競争力」ではなく「品質」が重要なポイントになっている。
そのことにいつまでたっても気が付かない。

トヨタやホンダを上回るような上級車を現代自動車が作れば、そりゃヨーロッパなどでも売れるだろうよ。
しかし開発途上国でしか売れないような玩具に毛が生えたようなゴミしか作れないようでは仕方がない。
これって「価格競争力」以前の話なんだが・・・

ニッカを超えるようなウイスキーを作ってみなよ。
キャノンをしのぐようなカメラを作ってみなよ。
ホンダに負けないバイクを作ってみなよ。
価格はいくらであろうと世界が買うさ。
お前ら映画はどこのカメラで撮影してる? SONYだろ? 国産は持ってないの?

なに?
アベノミクスは「近隣窮乏化政策」だと?
アホぬかせ。
高品質な製品が適正価格で輸出されないから、適正に戻そうとしてやっただけのこと。近隣への窮乏化政策なんてひがみも良いとこだ。
円安になって窮乏化しているのは、お前ら「近隣」ではなく、日本国民そのものなんだよ。
こういう「お子様ランチ」だからいつまでたっても先進国にはなれんのさ。

わかったかい。
ツラでも洗って出直して来な。





枯葉剤戦友会

韓国でハンギョレ新聞株式会社が設立されたのは1987年12月のことだった。

資本金は円にして約31億円、創刊日は翌年の5月だった。
姉妹誌には、週刊誌「ハンギョレ21」や映画週刊誌の「シネ21」、経済誌「エコノミーインサイト」などがある。
ウェブサイトの日本語版では japan.hani.co.kr というものもあるらしい。

株主構成は圧倒的に小口株主が多く、公開株の95.3%までが200株以下である。
このことは、大規模資本にゆだねる新聞ではないことを意味していて、信頼度のアンケート調査では堂々の7年連続1位に輝いている。
そのパーセンテージは1位のハンギョレが23.4%に対して、京郷新聞が3位10%、朝鮮日報は8位1.9%、中央日報が9位1.5%となっている。(中間位は放送局)

我々日本人は、聯合ニュース(5位6.3%)や中央日報などの社説や論調に接する機会が多いが、実際に韓国の民衆が信用して選んでいるのは実はハンギョレなのである。

このハンギョレが出している週刊誌「ハンギョレ21」が1999年5月6日の第256号において特集記事を掲載した。
その名は『ああ、震撼の韓国軍』、ベトナム戦争に参戦した韓国軍のことである。

そこでは現地取材をおこなった記者ク・スジョンによる写真付きの取材記事が数ページにわたって、韓国兵士による民間人への虐殺と暴行と強姦と焼き払いのことなどが詳細につづられていた。
(詳しい記事を日本語でお読みになりたければ↓をコピペしてください。ただし、かなり刺激的な記事なので閲覧注意といったところでしょう)
 http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm
本文ではこう結んでいる。
「歴史は私たちに疑問符ひとつを投げかけている 果たしてあなたたちに真の反省はあるのか」と。

その後同年10月の第278号においては『ベトナムの怨みの霊を記憶せよ』
11月の第282号では『兄さんの重荷を減らしてください 韓国とベトナムの読者の手紙』
12月の第287号では『ベトナムの熱い感動』
2000年6月の第312号では『勲章を捨てた父』と連載が続く。

韓国陸軍および海兵隊の退役軍人で組織する「枯葉剤戦友会」という団体がある。正式名称は「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」という。我々は加害者ではなくあくまでも被害者だという意味である。
これがハンギョレ21の特集記事に激怒し、ハンギョレ本社を包囲したのが2000年6月27日午後2時のことだった。
彼らは迷彩服に身を包み、鉄パイプや角材などを手に2400名が集まった。

機動隊とのにらみ合いが続いたが、大声で抗議活動を続けている内に徐々に興奮がピークに達し、ハンギョレ本社の窓ガラスを叩き割り、建物内部の事務機器や印刷機などを破壊。
16万枚に及ぶ書類を燃やし、送電を遮断して同社の業務を半日にわたって中断させた。

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この団体は今年2015年の4月9日に韓国・大邱(テグ)の慶北大学キャンパスで開かれた講演会「ベトナム戦争時に、韓国軍兵士による民間人への暴行・虐殺を受けたベトナム人の証言」に駆け付けた。
講演のために韓国を訪れたのは、虐殺事件の生き残りであるグエン・タン・ラン氏(63)とグエン・ティ・タン氏(54)の二人だったが、戦友会は主催者に対して「殺してしまえ!」「学長は辞任しろ!」などの怒号を浴びせ、講演会場を騒然とさせている。

ベトナム戦争時の韓国軍による民間人の犠牲者は9000人にのぼると推計されているが、韓国社会では長くタブーとされていた。

この戦友会はそもそも朴正煕政権時に派兵された組織であって、その娘である朴槿恵大統領の強力な支持母体となっている。

コレがあるからこそ朴大統領は「被害者」を演じ続ける必要があるわけだ。

迷彩服を着て、ソウルの路上で安倍首相や橋下大阪市長の顔写真を燃やし、キジを引き裂き、旭日旗を踏みにじる。そうしたパフォーマンスを繰り返す団体とは彼らのことなのだ。

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朴大統領が直視しているのは、歴史の真実ではなく、作られた被害者という虚像なのである。

よって朴政権が国民全体の支持を失い失速することになれば、自動的に浮上してくるのがこの「ベトナム戦争時の虐殺」および「韓国軍によるベトナム慰安所」の問題なのである。


皆さん、ご機嫌よう。



唇を噛みしめて

「ええかげんな奴じゃけん」で始まる吉田拓郎の歌「唇を噛みしめて」。
武田鉄矢主演の「刑事物語」の主題歌に使われて、耳にしたことがある人は少なくないと思う。
しかしこの歌詞は広島弁で構成されているために、あまり良く理解されていないのではないだろうか。

実際私も広島出身ではないので正確な理解はできていないのだが、同じ西日本の人間として解釈するならばこういうことである。
標準語に直すとこうなる。

「いいかげんな人間だから、放っておいてください
 貴方と一緒に泣きたくはありません
 
 どこへ行くのですか 何か良いことでもあったのですか
 定住する気になったら手紙でも出すと良いよ

 季節もいくつか やって来ただろうけれど
 時間がたつのもわからないほどに
 目まぐるしい日々だったのです

 人が好きだからね 人が好きだからね
 裁くも裁かないも 天に任せました
 人がいるんです 人がそこにいるんです

 何かはわからないけれど 足りないことがあったのでしょう
 生きてみたのも 許されることではないでしょうか

 自分の明日もわかりはしないけれど
 おせっかいな奴だと 笑わないでください

 理屈で愛を手に入れることができるなら
 この身を賭けても すべてを捨てても
 幸せになってやる

 人が泣くんです 人が泣くんです
 選ぶも 選ばれないも 風に任せました
 人がいるんです 人がそこにいるんです

 心が寒すぎて 旅にも出ることができなかった
 貴方は行きなさい 遠くへ行きなさい
 (私たちの間には)何もなかったのですから

 人が呼んでるね 人が呼んでるね
 行くも留まるも それぞれが決めることです
 人がいるんです 人がそこにいるんです」

私の解釈だと、この歌はふるさとを離れようとする男を見送る女性のことではないか。
いきなり「ええかげんな奴じゃけん」で始まるから「え?」となって性別がつかなくなるのだが、歌詞の内容は明らかに女性の一人称である。

「あんたと一緒に泣きとうはありません」と突っぱねながらも「何かはわからん 足りんもんがあったけん」と自分を責めている。
なかなか魅力的な女性ではある。
そして最後に「行くんも留まるもそれぞれの道なんよ」と男を諭している。なかなかできることではない。

ではお聴き頂こう。

https://www.youtube.com/watch?v=XwvH8meVjYE

(申し訳ない リンクしていないのでコピペでお願いする)



 

寿命

やぶ医者が言っていた。

多くの哺乳類に共通しているのは、一生の間に打つ心拍数がほぼ15億回なのだそうだ。

ネズミにしてもアフリカ象にしてもそこは変わらないんだとか。

確かに小鳥を手の中に入れると、鼓動がとても速くて早鐘のように打っている。

まだ象を手の中に入れたことはないが。

「ムツゴロウさんの動物王国」が放送されていた頃、彼が言っていたことを思い出した。

「馬場(ばんば)レースなどに出るようないわゆる『使役』動物は短命なんですよ」と。

「だから犬ぞりを曳く犬たちも、あまり長生きしない」のだとか。

動物の寿命とは一生の心拍数と関連があるらしい。

ところが人間だけが例外になっているとやぶは言う。

「およそすべての哺乳類を例にとれば、人類だけが異状になっている」のだとか。

どういうことかと聞くと「15億回が一生分の心拍数だとして、人間に置き換えると50歳に達しないのだ」と答える。



「計算してみるか? オヤジ、電卓を貸してくれ」

仮に1分間の脈拍を60としよう。安静時に近い。

60を60倍すると1時間の脈拍数が出る。3,600だ。

すると1日が24倍だから 86,400。

1年は365倍だから 31,536,000。

電卓の桁数が足りんから1000を切って15億を150万に置き換えて、31,536で割ってみる。

するとほら、47.56 。

つまり50歳に満たない段階で15億回の心拍数を超えるわけだ。

織田信長が言っていたことは本当だったのだよ。

しかも奴らサムライは激しい殺し合いをやるから、とても安静時の脈拍になれるはずがない。

人類を他の動物と同じレベルにすると、運動したり労働したり戦ったり逃げたり恋したりして心拍数の残高が切れるのはそうさなぁ、40代の初めってところか?

「それって女性で言う、出産の限界ってことになる」と私は言った。

「おめぇ今日は冴えてるな、良いところに気が付いた、誉めてつかわす。動物は何のために生きているかと言うと、子孫を残すためだ。だから生殖能力が落ちれば、それ以上生きててもムダだと言うことさ」

「ところが人間だけが例外に?」

「うん、そっちの専門家ではないから詳しい理由はわからんが、人間だけは生殖以外の目的があるらしい」

「人生の深み・・・とか?」

「そこまで言わせるな、こそばゆくなっちまう」

二人のくたびれた初老の男が、小汚い酒場の隅でこんな話をしていました、とさ。


安倍談話とNPT

戦後70年。
この節目で安倍首相が談話を出す出さないといった論議が一部に上がっている。

その内容は兎も角として(つまり中韓が納得する内容になるか否かは兎も角として、という意味)、「70という数字が中途半端だ」という意見がある。

こうした考えが不足する者共が多すぎるから情けない。

戦争を実体験し、召集令状を受け取ったり身内を見送ったような人々は、戦後70年を迎えることによって年代はすでに90歳代に至っているという意味であって、そうした国民にとって生きているうちの最期の談話になるかも知れないということを理解しなければならない。
これが80年談話まで待つとすれば、すでに実体験として大東亜戦争を体験した人々は(おそらく)日本から去っているだろうと思われる。

だから今年70年目の談話発表は意味合いが重い。私はそう考える。

さらに、中韓両国が謝罪を要求しているが、謝罪と許容は一連のものであり、そのことで未来が拓かれる。
ところが謝罪を要求している両国には、そもそも許す気がない。
許す気がないのに「謝れ謝れ」と言っている。これでは相手が「謝っても意味がない」と考えるのは当然のことだ。
だから安倍談話を出すとすれば、あまり過分な(中韓への)配慮は不必要だと思われる。

河野や村山が謝罪をしても、何の効果もなかったことをこそ語るべき段階に来ている。




少し違う話だが、核拡散防止条約いわゆるNPTだが、最終文書が採択されずに決裂した。
これは核保有国と非保有国との対立が主な原因だったのだが、被爆国日本の提案に対して中国が反対したという面もあった。

日本は核兵器の実態を理解するためにヒロシマ・ナガサキに世界中の人々が来ることが意味ある未来を作るのではないかとした。
これに対して中国は、日本の立場を被害者のごとくにすり替えようとする思惑がある、と非難した。

私はかつて俳優の渡辺謙が、核兵器廃絶を目指す『高校生1万人署名運動』のリーダーである高校生の男女二人に対して「原爆だけが戦争じゃないよ」と吐き捨てたあの場面を強く非難したことがある。
渡辺は確かに硫黄島を舞台にした映画作品の主演を演じたが、彼ら高校生は「戦争」を語っているのではない。「核兵器」を語っているのである。

だから今回決裂したNPTにおいても、「核兵器」を語る者に対して「戦争」にすり替えようとする非論理的な者がいることが決裂の最大の原因だと思う。

「戦争」の是非ならばおよそ世界中の人々が語り合い考え合いしていることだろう。
しかし核兵器の実態はあまりにも知られなさ過ぎている。
だから誰が加害者で誰が被害者だとかといった低レベルなことではなく、正しく原爆を知る、あるいは知識を広めるという作業は意義があることだと考える。


核兵器の実態を知らない連中ばかりが核保有国になっている。(世界で唯一の被爆国は日本だが、逆に核攻撃に踏み切ったのは米国だけだ。米国はその意味では核兵器の実態を他国よりは少しは知っているらしい)
これは危険だと言う他はない。
中国人とはけっこう頭が良い民族だと思っていたが、今回に限っては小学生のようにしか見えなかった。



毎日新聞の寝ぼけた社説

5月23日、毎日新聞が寝ぼけた社説を載せた。
見出しは『日韓正常化50年 このまま素通りなのか』
日韓両国は最も近い隣国だから、50周年という節目を活用して局面の打開を図るべきだ、とする意見だが残念ながら筆者が誰であるかの氏名が載せられていない。

この名無しの権兵衛さんはこうも語っている。
「日本政府内に韓国など放っておけばいいという雰囲気が充満している現状は不健全だ」と。

幼稚もここまで来ればあきれ返るしか方法がない。
国家間の外交とは地理的な距離が問題なのではなく、互いの国益をどのように追及するかという一点にかかっている。
距離が近いのだから友好関係を築けというのであれば、インドとパキスタンはどうだ。
中国とベトナムはどうだ。
イランとイラクはどうだ。
イスラエルとパレスチナはどうだ。
まったくお話にならない。

国益の問題で言うならば、韓国経済は日本の存在が無くてはならないものであることは確かだ。
しかし逆に日本の経済が韓国を必要としているかは疑わしい。

ましてやあれだけの反日活動が毎週のように行われている中で、しかも大統領や外相らが「歴史認識を改めるなら」といった傍若無人のコメントを寄せる中で、なぜ日本が一方的に折れる必要があるのだろう。

韓国の新聞は非論理的な方法で徹底的に日本への非難を繰り返して来た。
それは国内向けだから、いわゆる販売部数を稼ごうとするだけの意味のない論調だったのかも知れない。
しかしIT技術が発達し、自動翻訳などが可能になって来ると、韓国の新聞が韓国国内に向けた記事が、リアルタイムで日本のネットに流れ込んで来るようになった。
だから朝日や毎日などの記者が、日本語に変換する際に校閲するのではなく、ありのままの韓国の論調が日本のネット社会を刺激した。
日本に嫌韓ブームが沸き起こった原因の一つには、韓国紙が何を言っているかがわかるようになったからだ。
もう朝日や毎日は存在意義がなくなった。

どうしても政府批判がしたいのであれば、最低でも自分の氏名くらいは名乗るべきだ。

また、韓国の大統領があまりにも自国民に向き合っていないから、どんどん支持率が急降下している。
逆に日本は国民の民意で韓国を嫌っているのであって政府が誘導しているのではない。自民党政府はこの民意があるからこそそれをバックにして、韓国への態度を選んでいる。
その両国の差は小さくない。
この差というものが圧倒的に存在していることを理解した上で社説とやらを書くが良い。

ちがうかな?




ギャンブル依存症

ギャンブル依存症とはギャンブル全般のことを言っており、現在の日本における合法なギャンブルとは①パチンコ ②スロット ③競馬 ④競艇 ⑤競輪 ⑥オートレースなどがある。
これらの内、公営なのは③から以後のことであって①と②は民間が運営している。
したがって①②と③から以降は別物として考える必要がある。

パチンコは不況に強いと一般的に言われている。つまり所得が減った立場の人が足を向けやすい施設だということができるだろう。
しかしこの業界とは、パチンコ店そのものを経営する人、パチンコ台を作る人、消費者金融業を営む人、景品交換所を監督する地元警察、この四者が一体となって構築されている。
その構造体に、小金を持って人々が集まって来る。雨の日も風の日も。
乞食は三日やったらやめられないと言うが、パチンコ屋はもっとそうかも知れない。見事な利権の構造ができあがっている。

日本ではギャンブルは法律によって規制されていて、違法賭博は禁じられている。
だから警察は厳しく取り締まる。が、一方で警察はパチンコを「遊技業」のジャンルに分けて賭博性を認めていない。
景品が現金化されることは誰でも知っているのに、警察は「そうではない」と言い張る。
同じ穴のムジナだからである。
上記四者が結託してパチンコ業界という利権にひと役買っているからだ。
だからゲーム賭博やポーカー賭博などで儲けが外へ流れ出ないように、必死になって取り締まりを強化する。
自分たちの取り分のために、邪魔者を排除しているわけだ。

こうしてギャンブル依存症はパチンコ業界から生み出され続けている。
ホールを徘徊する裏金融の手によって多重債務者が量産される。
「あの店の客が、また一人首を吊った」
あちこちでそんなひそひそ話が聞こえて来る。
それはもう競馬や競艇の比較ではない。

ギャンブルと借金と警察は常に足並みを揃えていて、その中のメンバーの誰かがつまずこうとすれば互いに補い合うシステムになっている。
そしてそこで得られた利益は、全員で山分けする一方で朝鮮半島へと送られる。
警察はそこまではタッチしない。
自分の取り分さえもらえればそれで良い。
パチンコ業者と裏金融は朝鮮系だから、後は自分らで勝手にやれということだ。

戦後の日本はそれでずっと営(や)って来た。
腐れ縁かも知れないが、けっこう美味い目に合って来たから止められない。
ギャンブル依存症で、誰が死のうが家庭を壊そうが知ったことではないということを日本はもう70年も続けて来た。

だがここへ来て、政治家が本気になって「カジノ」を言い始めた。
複合型レジャー施設と銘打って。
飛び上がったのはパチンコ業界だった。
独占的に甘い汁を吸っていた縄張りが、一気に壊される恐れが出て来た。
朝鮮・韓国へ送金する方法が半減するかも知れない。
業界から袖の下が入って来なくなるかも知れない。

そこで、これまで日本にはなかったかのような論調で「ギャンブル依存症」を声高に叫んで「カジノ反対」を主張し出した。
つまり警察が違法賭博を取り締まるように、「カジノ=依存症」というセオリーで反対の声を出す者どもはただパチンコ業界の既得権益を守ろうとしているに過ぎない。

確かにパチンコと公営カジノが併存すれば、裏金融のビジネスマーケットは広がる一方だろう。
だからこうすればどうだろう。
複合型レジャー産業としてのカジノを合法化する一方でパチンコを全面禁止にするという方法だ。

かつて高級ライター(Cartier)を輸出していたフランスは、自国民用の安い使い捨てライター(big)を製造していた。
韓国も外国人用のカジノを開いて、自国民は浪費をしないようにとパチンコを禁止した。
国益を考えることは必要だけれど、一部の既得権益だけが優先される国は先がない。

私はそう思う。

パープル暗号

Wikipedia より引用。

アメリカ陸軍は日本の機械式暗号に対して主に虹の色に由来するコードネームをつけていた。パープル暗号は、その一つである。(アメリカ海軍では、M-5 と呼ばれていた。)
1.レッド暗号 : 外務省用の暗号機A型(通称 : 九一式欧文印字機)
2.オレンジ暗号 : 大日本帝国海軍(以下海軍という)武官用の九一式印字機
3.グリーン暗号 : 三式換字機
4.パープル暗号 : 外務省用の暗号機B型(通称 : 九七式欧文印字機、皇紀2597年に完成したので“九七式”と呼んだ。)
5.コーラル暗号 : 海軍武官用の九七式印字機三型
6.ジェイド暗号 : 海軍艦艇用の九七式印字機一・二型

日本の機械式暗号には、これらのほかにも何種類かあり、大日本帝国陸軍(以下陸軍という)にはアメリカ陸軍コードネームが不明の“九七式印字機”があるので、名称を混同しないように注意が必要である。

(引用ここまで)

この中の外務省が使用していた暗号が有名なパープル暗号である。

第二次世界大戦が勃発したのは1939年9月1日にドイツ軍が機甲師団ならびに急降下爆撃機などの約150万もの兵力でポーランド侵攻に入ったことから始まる。
その頃、アメリカやヨーロッパ各国に大使館を置いていた日本の外務省は、緊張たかまる外交交渉を本国へ無電で送っていたのだが、当然のように極秘文書だった。
帝国日本の海軍技術研究所が次世代暗号機の設計に着手したのが1935年のこと。
ドイツ軍によるポーランド侵攻の4年前だった。
それだけ風雲急を告げる世界情勢が危機感を強めていた時代でもあったわけだ。

これらの暗号は「機械式暗号」と呼ばれ、解読には句読点コード、暗号機、鍵規約という3点セットが必要だった。
暗号機は入力がキーボード形式、出力がタイプライターで、プラグボードやロータリーラインスイッチなどが組み込まれた。
つまりこのセットが敵方に渡れば、その仕組みを理解することによって暗号が解読できることになる。あくまでも機械頼みだからである。

これらはナチス・ドイツが使用していたローター式暗号機『エニグマ』の改良型という説が一般的だ。

三船敏郎が主演した映画『トラ・トラ・トラ』という作品があった。真珠湾攻撃による大東亜戦争の開戦を描いたものである。
あの映画で、アメリカ駐在の日本大使館が宣戦布告をアメリカ政府へ通知すべく必死になって本国からの無電を英文に翻訳している場面があった。
あれが遅れたから宣戦布告の前に攻撃が始まり「日本は卑怯な奇襲攻撃をやった」という歴史が残ったのだが、実はあの日本大使館が操作していたタイプライターこそが『パープル暗号』機だったのである。

パープル暗号は理論的に解読は不可能だとされている。だから解読するにはハードウエアをシステムごと盗むしかないわけだ。
当時は暗号機本体の写真を盗撮するだけでも構造を知ろうとするスパイ活動が活発だった。
日本の在外公館は世界各地にあって、写真を撮られることは少なくなかったと思われる。

そのためナチス・ドイツがポーランド侵攻を開始したことから、三国同盟を結んでいた日本の外交的な動きを欧米は注目していた。
ハル・ノートというものがある。
太平洋戦争の開戦直前にアメリカ側から日本へ提示された文書である。
当時の日米交渉のアメリカ側の当事者がコーデル・ハル国務長官だった。
ノートと呼ばれるのは、この文書がアメリカ政府の公式文書ではなく、あくまでも拘束力がない覚書のようなものであった。

当時中国と紛争状態にあった日本へ対して、中国に権益を持つアメリカは蒋介石を支援するとともに、フランス領インドシナへ進駐する日本を強くけん制するために石油などの禁輸措置に踏み切った。
つまり身動きが取れなくなった日本は南方からの物資を確保するためにシーレーンを維持する必要に駆られたのであって、それはアメリカの予想通りでもあったことになる。

日米交渉は中国ならびにインドシナから日本が手を引くかどうかといったせめぎ合いだったわけで、現在のTPP交渉のように深夜まで机を叩いて怒鳴り合うことが続く。
ハル国務長官の交渉相手は野村駐米大使と来栖特命大使。
日本側の提案をことごとく拒否したハル国務長官は、1941年11月26日、ハル・ノートを提出。この覚書は公式文書ではなかったために米国議会に十分な説明もされておらず、日本側も陸海軍への通知がおこなわれたわけではなかった。

ノートの内容については省略するが、概略として「諸外国への侵略は認めない」「欧米列強が有する植民地に対して侵略行為は認めない」「日独伊三国同盟の廃棄」などが盛り込まれていた。
要するに一方的にアメリカや中国やフランスが有利になる提案でしかなかったわけだ。
これによって日本は真珠湾にいる太平洋艦隊を攻撃して、南方資源の輸送ルートを確保しなければならないという必要性が増したことになる。

しかしこの時すでに日本の暗号機は外交戦争の場で盗撮され、機能が把握されていた。
それがパープル暗号である。
戦争とは爆弾や銃弾が飛び交うことだけを指すものではない。

したがってアメリカは開戦以前に日本の動向を把握していた。
公式には日本が真珠湾攻撃を仕掛けて来ることはアメリカは知らなかったとして、「奇襲攻撃」が開戦の言い訳とされている。これは9.11の同時多発テロを受けてイラク戦争に突き進んだアメリカの言い訳とそっくり同じである。
しかし実際にはアメリカは真珠湾攻撃の前に知っていた。日本が軍隊を動かすことを。
ただ、目的地がどこであるかは暗号文には載っていなかった。「ニイタカヤマ」がどこであるかは通信文には載っていなかった。
ただし山本五十六率いる連合艦隊の動向は、アメリカのレーダーによって三角測量で把握されていた。
「トラ・トラ・トラ(我れ奇襲に成功せり)」は日本軍のぬか喜びでしかなかったことになる。

その後ミッドウェー海戦において、アメリカは沈めた日本の潜水艦から暗号機を回収し、海戦時の日本軍の暗号通信のすべてを把握したと公式に認めている。
日本がまる裸になったのはミッドウェーからだったと発表した。
しかし実際にはハル・ノートの以前にすでに日本は裸になっていたのである。
それを認めることは「リメンバー・パールハーバー」が成り立たなくなるのであり、「9.11は作り話だ」という声を認めることと同じになってしまう。

いま両国の間で同じことが繰り返されている。



マンドリン協奏曲

四季で有名なビバルディのマンドリン協奏曲がある。

ハ長調の第一楽章アレグロは、アメリカ映画『クレイマー・クレイマー』のテーマ曲としてクラシックファン以外にも認知させた。

以下は Wikipedia から。

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舞台はニューヨーク・マンハッタン。仕事熱心の会社員テッド・クレイマーは、家事と育児を妻のジョアンナ・クレイマーにすべて押しつけていた。ジョアンナは何か自分が打ち込める仕事をしたいと夫に相談を持ちかけるが、それに対してテッドは、夫が順調にキャリアを重ねて収入が増え、家族の生活にまったく不自由がないのに、何が不満かと言ってとりあわない。

やがて、ジョアンナはテッドに別れを告げてきた。はじめは冗談だと思っていたテッドだったが、翌日会社から自宅に電話をかけても誰も出ないことから初めてことの重大さに気づく。テッドの生活はその日から一変した。

テッドは5歳の息子ビリーと戸惑いながらも父子二人きりの生活を始める。息子の分まで朝食を作り、学校まで送った後、自らは急いでタクシーで会社へ向かう。順調に進んでいた会社の仕事も家まで持ち帰る羽目になり、かまってもらえない寂しさからビリーはその仕事を邪魔するかのように振舞う。そんな二人はまるで噛み合わず、とても父子とは思えないような有様であったが、次第に協力して一緒に生活することを自覚するようになり、時間とともに二人の絆は深まっていった。

ジョアンナが出奔してから1年半の間に、家事と育児に精を出すテッド。ビリーとの関係も以前よりも親密になった。そんなある日、すこし目を離した隙にビリーがジャングルジムから転落し大怪我を負ってしまう。そのうえ息子に気を取られ仕事に身が入らないテッドは、会社から解雇されてしまう。さらに、1年以上連絡のなかったジョアンナが、カルフォルニアへの出奔中に成立させた離婚で息子の養育権はテッドに渡すと認めたにも係らず、離婚時の取り決めを反故にすべく母性を盾に養育権の奪還を裁判所に申し立てた。弁護士に相談するも、失業中のテッドが養育権を勝ち取る見込みはほとんどない。

テッドは慌てて就職活動をし、裁判前にようやく仕事にありつけたが、以前の勤務先より遥かに給与は少なく、手に職を得たジョアンナの方が収入は多かった。また、それまで仕事ばかりで家庭を顧みなかったというジョアンナの主張に反論できず、テッドは裁判で苦戦を強いられた。

不毛な裁判「クレイマー対クレイマー離婚事件」で、結局テッドは「子の最良の利益(best interest of the child)」の原則により敗訴する。結局ビリーの養育権はジョアンナの手に渡ることとなり、ビリーの存在が生きがいであったテッドは悲嘆に暮れる。

やがて、養育権者への引渡しの時が来た。ビリーをジョアンナに引き渡す日の朝、テッドは最初のころこそうまくつくれなかったフレンチトーストを難なくつくり上げ、ビリーと二人で最後の朝食をとった。ジョアンナが来るのを待つ二人であったがジョアンナからの電話でテッドが階下に降りると彼女は思いつめたかのように呟く。「ビリーのためを思えば連れていくのはよくない。彼の家はここよ。上に行ってビリーと話してもいい?」。二人は、法廷での虚虚実実の応酬を忘れ、父子のアパートの1階で感極まって抱擁する。エレベーターに乗り込むジョアンナをテッドは見守るのであった。

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この映画に対してビバルディのマンドリン協奏曲を採用した才能には、正直言って頭がさがる。

とても楽曲の本質を理解していて、音楽と映像がきちんと両立されている、その能力は半端ではない。



こういった原作優先の映像作品は、ハリウッドから絶えて久しい。



ショーンコネリー主演の『小説家を見つけたら』という作品で、エンディングに流れたイスラエル・カマカヴィヴォーレが奏でるウクレレによる「オーバー・ザ・レインボー」
あれも良かったが・・・



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硬派と軟派の二重人格がまき散らす猛毒 ショック死しても知らないよ

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