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2010.01.27

サニーマートで!

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 地元のよく行くサニーマートで、息子たちが収穫した大根が売られています。
 初月小学校は毎年、4年生が農業体験をしています。ちょうど息子たちの学年は昨年、地域の農家の方の協力を得て、野菜の苗を上、夏の暑い日も雑草を取ったりとお世話をしてサツマイモや大根など野菜を育てました。
 そして収穫を楽しんだそうです。 
 それだけではありません。作った野菜たちがどのように食卓に届くのか?地元のサニーマートさんのご協力のもと野菜の販売を体験させて頂いたそうです。
 子供たちが売っている時間帯に仕事でいけなかったのですが、店内では息子いわくマイクを使って売ったそうです。その様子や畑での作業の記録をサニーマートさんがきちんと整理して子供たちが収穫した大根と一緒に店内に飾ってくれています。
 サニーマートの皆様、本当にありがとうございます。
 子供たちがこのような貴重な体験が出来るのも地域の皆様のおかげです。これからもよろしくお願いします。
農協、農家の皆さんにもたくさんのご支援やお話をしていただき心からお礼を申しあげます。
 家での親子の会話もはずみました。我が家だけでなく、多くのお家で、お母さんたちも喜んでいると思います。

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2010.01.19

阪神大震災を思い出して・・・

 阪神大震災を振り返って

 1995年、15年前の1月17日早朝5時40分過ぎ、震度7の激震が神戸の町(県南部)を襲った。
 当時、私は短大の2年生。倒壊した町のひとつ宝塚市のとなり三田市の湊川女子短期大学の柔道部の寮で生活していました。 有名な宝塚劇場があるのがお隣の宝塚市で学生の頃、たまに買い物や遊びに行ってた町です。
 湊川学園は、90年の歴史を持つ学校です。名前のとおり設立当初大正8年には神戸の港の西部に湊川がありますが、現在はハーバーランドなどのレジャースポット付近に学校があったそうです。
 湊川学園が兵庫県の北部の三田市に移った理由には、昭和13年に起きた阪神大水害が原因の大きなひとつです。(昭和15年に火事にあいその事もあり、神戸から三田へ)
 在学当時の学園長の話からは相当な水害で町がのみこまれたといいます。その後、神戸の町を襲ったのが1995年の阪神淡路大震災・地震です。 6400名以上の命が失われ、街の崩壊と言う言葉が等しいほどライフラインが奪われてしまった状況は大水害の時も似ていたのではないかと・・・。
 
 私が在学していた15年前は高校と短大が一体になっていて、学校も隣同士、柔道部にいたっては学校内の敷地に柔道部専用の寮が構えられていました。高校生も短大生も柔道部員は全員寮に入ることが決まりでした。私は最上級生ということで、部屋のリーダーをしていました。 二十歳のその年、地元高知で成人式をするから帰ってくるか?という話をお金がかかるし、卒業論文が出来てないからと断り、私は寮に残ることにしました。でも周りのほとんどの同級生は地元に帰ると言うことです。
 その時、阪神大震災にあったわけです。
震災の起きた日は、高校生たちの全国大会出場をかけた、県の大会がある日でした。
 私がいた部屋の構成メンバーは短大2年の私と短大一年生と大会出場予定の高校生二人です。
私は後輩を大事な試合に無事に送り出す役目がありました。
 練習に疲れぐっすりと寝入っていた時、ドドドドッと部屋が鳴り揺れて目がさめました。普段から一旦寝入ると中々目が覚めることのない私でしたが・・・・。まだ寝ぼけた状態で枕もとの時計を観ると朝の5時45ごろでした。
 なんぼ大事な試合があるからといっても騒がしい!と後輩に『うるさいけど何やってんの?!起きるには早いよ』
と言って私はまた布団をかぶりました。  それでもドンドンするので布団からそっと眠たい目を擦りながら、覗くと
なんと!豆電球の安い電気のかさがグルグル回っているのです。と同時に後輩は叫びます!『先輩!地震ですよ!早く起きてください』と・・。
 飛び起きました! 窓の外の電柱が曲がり、景色が変ってしまっていました。
『先輩!これは普通じゃないですよ!』
 誰かの指示があったわけじゃないが、唯一テレビのある食堂にみんなが集まっていました。
そしてテレビのニュースに騒然となりました。
 神戸の町が火の海となっています。 神戸長田区と映像にテロップが流れたとき・・長田区に家族が住んでいた後輩は崩れるようにしゃがみ込み、異常な不安感から涙があふれています。隣で見ていた同級生がその子の肩を強く抱きしめ支えています。 部員のほとんどは関西近辺かきている人がほとんどで・・・。
 テレビの前から離れることが出来ず・・・時間が止まった感じがしました。 見たこともない、戦場のような火の海、信じられない光景です。
 すべてが止まりました。 生活のすべてが止まるのです。短大も休みとなりました。 皆、ひたすら家族や友達、大切な人の無事を願い続けました。 テレビからからは生存安否のニュースが流れます。「・・区・・町 00さん 死亡」と。 毎日のように死亡された方の名前がテレビやラジオから聞こえてきます。 
 三田市は家屋の倒壊など神戸のようなひどい被害は少なかったのですが、道路は寸断され、物資がとどきません。 女子といっても食べ盛りの柔道部員の食事を確保するのに大変でした。
 大阪、神戸方面から逃げてこられてる車や人の渋滞。 ゆがんでいる線路をひたすら歩いて逃げてくる人々。
水は無事だった、私たちの寮のお風呂は民間解放となりました。
 食べ物を仕入れるために、京都方面に監督が車を走らせす。
余震が続き恐ろしい時がやみません。 寝る時も枕元には常時、靴を置きリュックサックにはカップラーメンや非常食を詰め込みいつでも逃げれる格好でいました。 余震といっても半端じゃありません。底のほうから何かが突き上げてくるかのようなゴーゴーっという地響きと揺れがきます。 そのたび締め切りの迫った卒業論文のペンを掘り投げ、リュックを背負います。 その繰り返しで時間が過ぎます。
 電話が使えない状態で安否確認さえできない状態が続いていました。
私も高知の家族に生きていることを伝えたいと、やっと繋がったのは二日たち三日目だったと思います。
 まさに陸の孤島。
 一生忘れられない出来事になりました。

 そしてその夜には

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2010.01.13

赤旗読者!

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 かわいい赤旗読者を発見!
最近、赤旗新聞日曜版をとってくださった方から写メが届きました。
 新聞の上から離れないようです。
今度、この赤ちゃん読者に取材しに行く予定です。

ぐっと冷え込んできましたね。皆さん体調は崩されていませんか? ついに風邪をこじらしてしまい、声がとられ、ガラガラ声になっていました。地域の病院へいくと、なんと!行列です。風邪がはやっているようなので皆さんも体に気をつけてください。
 この寒空の中、市内ではホームレス状態に陥った方を救う活動が行われています。先日、中央公園では全国に広がっている支援の場、派遣村が「あったか村」として開かれ二十数名の相談が寄せられました。
日本の首都、東京の繁華街では夜、小さな子どもが道路で寝ているといいます。まだ3つぐらいの女の子がしゃがみ込んでいる写真をみました。人権をテーマに市が行った自由民権記念館事業の写真展からでした。
 この子どもたちの姿が日本社会を表しています。その一方で鳩山首相は母親から毎月数1千万円ものお金をもらっていましたが税未申告。ましてや知らなかったと会見する始末。貧困、格差をなくす政治を真剣に考えているのか怒りをいだきます。セーフテイ-ネットの底が抜け落ちている状況を一刻も早く変える政治の中身が問われています。今年も誠意いっぱいがんばります!

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2010.01.08

公園の安全対策

「100106_104901.jpg」をダウンロード

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年末、公園の遊具が危険な状態にあるという相談を受けていました。
ブランコやジャングルジムの下の砂が少なくなってセメントがむき出しになって
いました。さっそく改善されました。 写真は改善されました。地元の方も
喜んでいます。 元愛護会でお世話管理をしてくださっていた方も
良かったと話されていました。
 

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2010.01.04

明けましておめでとう!

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 新年明けましておめでとうございます。
お正月はいかがお過ごしでしたか?
お正月は恒例の街頭宣伝をし、午後に南国の実家に帰ってきました。
二日は母がいる東津野の民宿「長寿庵」に行きましたが雪が積もって銀世界でした。
囲炉裏を囲んでおせち料理を食べて、お酒も皆で飲んだりとゆっくりとした時間を過ごすことが
出来ました。
息子は雪だるま作りに必死です。
囲炉裏の炎に癒されました・・・。座敷にしかれた布団に入りふと上を向くと額に短歌が書かれています。
よく観ると山原健二郎とサインがあります。
 「佛草華 そこには咲くな そこは基地 汝がくれないは 沖縄のもの」 と筆で書かれています。
1969年高知選出の国会議員だった山原さんの歌です。
当時も日本全国、沖縄の米軍基地問題で政局が大きく揺れていました。
詩人、大崎二郎さんが「山原さんへの手紙」という詩を書かれていますが
この日本共産党国会議員の誕生は日本を騒然とさせたとありました・・・。
 民衆の怒り、平和への重いが一票となり、共産党の議席となった・・。
 今年の正月、ちょうど赤旗新聞には基地問題、他の新聞でも沖縄問題が取り上げられ
ていました。・・・当時、生まれていなかった今を生きる私にとって、山原さんの歌が、大崎二郎さんの詩が
すごく身近に感じられた雪の夜でした。


 

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