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夢を見た
2013年11月30日
かなしい夢をみた。
...という書き出しで、大昔に作文を書いたことがある。
高校2年生の時だ。
母が私のことを忘れるという夢をみた。
目が覚めたあとも、背中にズズーッ...と寒いものが走るほど
夢の光景は鮮明で、リアルだった。
30年近く経った今でも覚えているほどだ。
今朝も、夢をみた。
かなしい夢ではなかった。
でも目覚めた時、どちらが現実か?と
混乱するぐらい
非常にリアルな夢だった。
夢の中で、私は大海原をみおろす浜辺に立っていた。
180度、グルーッと見渡すかぎり、海だった。
その水は透明ではなく
緑がかった、
なんとも言えない穏やかな青をたたえており
雲が立ちこめた空からは、光の帯がいくつも下りていた。
そして海原の水面には
おびただしい数の
クジラ、クジラ、クジラ...!!!
ものすごい数だった。
巨体のクジラたちが、跳ねたり飛んだり、、、
共に、一緒にいるのが嬉しくてたまらないといった様子で
戯れて遊んでいるように見えた。
私はその光景を目にしながら、ゆっくり水際まで下りていき
水に足を浸してみた。
その温度を、今でも体感出来るほどリアルに覚えている。
温かかった。
「わぁ...温かいね」
ふいに私は、誰かに向かって言葉を発した。
見るととなりに女の子が立っている。どうやら彼女に向かって話しかけたらしい。
顔を見て、「あ、テイラーさんだ」と思った。
私の学生だ。
でも実生活では18歳の彼女は、私の夢のなかでは10歳にも満たない女の子だった。
「さっきまで○○クジラがいたけど、(私が)来るのが遅かったから見逃しちゃったよ」
と彼女は言った。
(この「○○」が何なのかは覚えていない)
そうなの
と答えながら、私は心のなかで
「でもまた会えるから大丈夫」と知っていた。
...そして目が覚めた。
ベッドのなかで一瞬、「ここはどこだろう?」と思った。
私の顔のすぐ横で、すやすやと眠るネコのキキの耳が視界に入る。それで自分がどこにいるかを認識した。
夢だったんだ。。。。
たった今あとにしてきた、あの優しい青緑の海原に、踊るクジラたちの光景が
まだ、ありありと脳裏にあって
もしも私が画家だったらすぐにそれをキャンバスに映したことだろう。
夢は、いつもどちらかというと覚えているほうだが、、、
今朝の夢は「夢か?」と疑うほどあまりにも鮮明で
夢は、自分の潜在意識、またはハイヤーセルフから
または、
もっと上の存在からのメッセージだったりすると
何かで読んだことがあるけれど
夢分析とかは全くわからないし、自分では出来ないので
祝日の朝、仕事へ行かなくてもいいことを幸いに
とりあえず「クジラの夢」でググってみた。
そしたらこんなサイトに遭遇。
http://www.geocities.jp/dreamusic7/
夢なんて、漠然と見ていて
たとえ覚えていても
「へんな夢みちゃったなー」 とか
「いい夢だったな〜、夢で残念!」 とか
そんなレベルで終わっていたのに
ひとつひとつのキーワードにここまで複雑な意味があるとは、、、
世の中には様々な事を知っている人がいるのだなあ。
その豊富な知識に、自宅のデスクに座ってコーヒー飲みながら瞬時にアクセスできるなんて
すごい時代になったものだ。
さてブラック・フライデー(感謝祭明けの金曜日)の今日
出来ることなら外出したくなかったのだが
この連休中に済ませなければならない諸用が溜まりに溜まっていたので
午後から仕方なく外出
街中の店は既にクリスマス色に包まれていた。
うちは未だツリーを出していないが
こうして店頭に並べられたオーナメントを見ると訳も無くウキウキしてしまうのは
自分の中にまだ「子供の私」が生き残っている証かなと、思ったりもして
普段はあまり繋がる機会がないけれど、
それでも、ずっと居てほしいなあと思ったりもして
そんなことを考えながら、キラキラしたものが溢れるモールの中を歩いていたらふと思った。
悲しい母の夢を見た17歳の私と
クジラの夢を見た今朝の私と
ひとつ、共通点があるとしたら
自分から迷子になりかけていたことかもしれないなあ...と
体の外で起こる事象のめまぐるしさに心が占領されて
自分の内側と繋がる機会など持てず
どうすればそれが上手く出来るのかも、よく分からなくて
もしかしたらそんな私に
「自分の中心に戻っておいで...」
と、内側からなにかが語りかけているのかもしれない。
青緑色の海を、楽しそうに踊るクジラを見ていた私は
「欠けているものなど、なにもない」 という確信に満ちた一体感で
自分の軸と共にあったような気がする
だからあれほどリアルに感じられた。
普段、肉体レベルで感知できる表層意識のみをもって
自分がじつは何者であるかをきちんと把握していて、毎日を生きている人なんて
どれぐらいいるのだろうか...?
憧れるけど、
私にはおそらくムリ。
だが、そんな私でも
深いレベルでは己が何者かをきちんと把握していて
その、深いレベルでの自分が
繋がろうとしてくる
夢は、そのために大きな役割を担うのかもしれない。
「自分が実は何を考えて生きているのか」なんて、他人のことより分からない
ましてや、自分が何者かなんて
たぶん最期の日までわからない。
でも、それを探求するのを完全に放棄して
人生を真摯に生きることなんて出来ない気がする。
クジラを眺めていた私は、純粋に「ひとつ」感があって、
安心していた。
あの感覚を起きている間に持ち続けるのは難しい。
でもなにか離れてるなと感じたら、
あの大海原のクジラの光景を、思い描こう。
皆さんは、今夜どんな夢をご覧になるだろうか。
そしてそれは何を語りかけてきただろうか。
...という書き出しで、大昔に作文を書いたことがある。
高校2年生の時だ。
母が私のことを忘れるという夢をみた。
目が覚めたあとも、背中にズズーッ...と寒いものが走るほど
夢の光景は鮮明で、リアルだった。
30年近く経った今でも覚えているほどだ。
今朝も、夢をみた。
かなしい夢ではなかった。
でも目覚めた時、どちらが現実か?と
混乱するぐらい
非常にリアルな夢だった。
夢の中で、私は大海原をみおろす浜辺に立っていた。
180度、グルーッと見渡すかぎり、海だった。
その水は透明ではなく
緑がかった、
なんとも言えない穏やかな青をたたえており
雲が立ちこめた空からは、光の帯がいくつも下りていた。
そして海原の水面には
おびただしい数の
クジラ、クジラ、クジラ...!!!
ものすごい数だった。
巨体のクジラたちが、跳ねたり飛んだり、、、
共に、一緒にいるのが嬉しくてたまらないといった様子で
戯れて遊んでいるように見えた。
私はその光景を目にしながら、ゆっくり水際まで下りていき
水に足を浸してみた。
その温度を、今でも体感出来るほどリアルに覚えている。
温かかった。
「わぁ...温かいね」
ふいに私は、誰かに向かって言葉を発した。
見るととなりに女の子が立っている。どうやら彼女に向かって話しかけたらしい。
顔を見て、「あ、テイラーさんだ」と思った。
私の学生だ。
でも実生活では18歳の彼女は、私の夢のなかでは10歳にも満たない女の子だった。
「さっきまで○○クジラがいたけど、(私が)来るのが遅かったから見逃しちゃったよ」
と彼女は言った。
(この「○○」が何なのかは覚えていない)
そうなの
と答えながら、私は心のなかで
「でもまた会えるから大丈夫」と知っていた。
...そして目が覚めた。
ベッドのなかで一瞬、「ここはどこだろう?」と思った。
私の顔のすぐ横で、すやすやと眠るネコのキキの耳が視界に入る。それで自分がどこにいるかを認識した。
夢だったんだ。。。。
たった今あとにしてきた、あの優しい青緑の海原に、踊るクジラたちの光景が
まだ、ありありと脳裏にあって
もしも私が画家だったらすぐにそれをキャンバスに映したことだろう。
夢は、いつもどちらかというと覚えているほうだが、、、
今朝の夢は「夢か?」と疑うほどあまりにも鮮明で
夢は、自分の潜在意識、またはハイヤーセルフから
または、
もっと上の存在からのメッセージだったりすると
何かで読んだことがあるけれど
夢分析とかは全くわからないし、自分では出来ないので
祝日の朝、仕事へ行かなくてもいいことを幸いに
とりあえず「クジラの夢」でググってみた。
そしたらこんなサイトに遭遇。
http://www.geocities.jp/dreamusic7/
夢なんて、漠然と見ていて
たとえ覚えていても
「へんな夢みちゃったなー」 とか
「いい夢だったな〜、夢で残念!」 とか
そんなレベルで終わっていたのに
ひとつひとつのキーワードにここまで複雑な意味があるとは、、、
世の中には様々な事を知っている人がいるのだなあ。
その豊富な知識に、自宅のデスクに座ってコーヒー飲みながら瞬時にアクセスできるなんて
すごい時代になったものだ。
さてブラック・フライデー(感謝祭明けの金曜日)の今日
出来ることなら外出したくなかったのだが
この連休中に済ませなければならない諸用が溜まりに溜まっていたので
午後から仕方なく外出
街中の店は既にクリスマス色に包まれていた。
うちは未だツリーを出していないが
こうして店頭に並べられたオーナメントを見ると訳も無くウキウキしてしまうのは
自分の中にまだ「子供の私」が生き残っている証かなと、思ったりもして
普段はあまり繋がる機会がないけれど、
それでも、ずっと居てほしいなあと思ったりもして
そんなことを考えながら、キラキラしたものが溢れるモールの中を歩いていたらふと思った。
悲しい母の夢を見た17歳の私と
クジラの夢を見た今朝の私と
ひとつ、共通点があるとしたら
自分から迷子になりかけていたことかもしれないなあ...と
体の外で起こる事象のめまぐるしさに心が占領されて
自分の内側と繋がる機会など持てず
どうすればそれが上手く出来るのかも、よく分からなくて
もしかしたらそんな私に
「自分の中心に戻っておいで...」
と、内側からなにかが語りかけているのかもしれない。
青緑色の海を、楽しそうに踊るクジラを見ていた私は
「欠けているものなど、なにもない」 という確信に満ちた一体感で
自分の軸と共にあったような気がする
だからあれほどリアルに感じられた。
普段、肉体レベルで感知できる表層意識のみをもって
自分がじつは何者であるかをきちんと把握していて、毎日を生きている人なんて
どれぐらいいるのだろうか...?
憧れるけど、
私にはおそらくムリ。
だが、そんな私でも
深いレベルでは己が何者かをきちんと把握していて
その、深いレベルでの自分が
繋がろうとしてくる
夢は、そのために大きな役割を担うのかもしれない。
「自分が実は何を考えて生きているのか」なんて、他人のことより分からない
ましてや、自分が何者かなんて
たぶん最期の日までわからない。
でも、それを探求するのを完全に放棄して
人生を真摯に生きることなんて出来ない気がする。
クジラを眺めていた私は、純粋に「ひとつ」感があって、
安心していた。
あの感覚を起きている間に持ち続けるのは難しい。
でもなにか離れてるなと感じたら、
あの大海原のクジラの光景を、思い描こう。
皆さんは、今夜どんな夢をご覧になるだろうか。
そしてそれは何を語りかけてきただろうか。
Posted by レニア at
18:40
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なくした指輪
2013年11月17日
この夏帰国した時に
鹿児島に住む高校の同級生が、おしゃれな「手ぬぐい」の店に連れていってくれた。
「手ぬぐい」をこうしてインテリアとして「飾る」という感覚。
その感覚が新鮮で、2枚ほど購入して帰ってきたというのに
それを11月の今ごろになって、やっと飾っているという始末。
私がガタガタと脚立を持ち出す音を聞きつけると、「なんだなんだ!?」と走りよってくるココ。
どうやら座らないと気がすまないらしい。 笑
今回購入した「手ぬぐい」にもさりげなく、2匹のにゃんこの姿が。。。
これを見た夫は 「色合いがいいね」
そして
「あ、キキとココがいるね」
これを飾っただけで、家全体に少し「和」の空気が漂い始めたようで
とても落ち着くし、意味もなく嬉しい。
先日の記事でも言及した、今読んでいる本に心に残る一節があったので
今日のブログに書き留めておきたい。
(以下、その本から簡略化して抜粋)
私(筆者)は、ある末期ガン患者のもとへカウンセラーとして通っていたことがあった。
その患者は40代の女性で、もと教員、医師からは余命数ヶ月と宣告されていた。
ある日訪ねると、彼女はひどくがっかりし、そして怒っていた。
話を聞くと、ダイヤの指輪がなくなったと言う。
金銭的な価値も去ることながら、彼女にとってはとても思い出深い品だった。
「きっと毎日数時間、世話をしにくる女性が盗んだに違いない。病人に対してよくもそんな酷いことができるものだ」と彼女は言った。
そして、本人に問いただすべきか、それともすぐに警察に通報したほうがいいかと私の意見を聞いてきた。
私は、どうすべきか指図はできないが、それ以前にその指輪が今のあなたにとってどれほど重要なのかを考えてみてはどうか?と助言した。
彼女は言った。
「あなたはお分かりにならない。あれは祖母からもらった大切な指輪でした。毎日はめていたけど病気で指がむくんではめられなくなったんです。あれはただの指輪じゃないんです。」
その声にこめられた、勢い、怒り、そして自己防衛の響きは
彼女の本質ではなく
彼女をとおしてまだ「エゴ」が発言しているしるしだった。
私は言った。
「では、いくつか質問をします。すぐに答えなくていいですから、自分の中に答えが見つかるかどうか探してみてください。質問ごとに、少し間をあけます。たとえ答えが浮かんだとしても、それを言葉にはしなくてもいいですよ。」
どうぞ聞いてください、と彼女は言った。
「あなたはいずれ、それもたぶん近いうちに、その指輪を手放さなくてはならない。そのことに気付いていますか?」
「......」
「それを手放す用意ができるまで、あとどれほどの時間が必要でしょう?」
「......」
「手放したら、自分が小さくなりますか?」
「......」
「それがなくなったら、あなたは損なわれますか?」
「......」
最後の質問のあと、しばらく沈黙があった。
そしてふたたび話し始めた時、彼女の顔には安らかな微笑みが浮かんでいた。
「最後の質問で、とても大切なことに気づきました。
私の心から出た最初の答えは『そりゃ、もちろん損なわれるわ!』でした。でも、そこでもう一度問い直してみたんです。
『私は、、、損なわれるだろうか?』
そうしたらふいに、『私は在る』と感じる気持ちが沸いてきたんです。
こんなふうに感じたのは初めてだわ。こんなに強く自分を感じられるなら、私は全く損なわれていないはず。今とても生き生きとした自分を感じられます。」
私は言った。
「それがエゴを乗り越えた、本来のあなたです。あなたは実は指輪ではなく、指輪にこめられた『私のモノ』という思考に執着していたのです。あなたはその指輪と自分を混同していたんですよ。モノを評価して大切にするのはいいが、それに執着を感じたら、それはエゴだと気づかなくてはなりません。」
彼女は言った。
「いまようやく、これまでどうしても分からなかった『下着を取ろうとする者がいたら、上着も与えなさい』というイエスの言葉の意味が理解できました。」
「その通りです」と私は答えた。
「その言葉は、決してドアに鍵をかけるなという意味じゃありません。ときには手放すほうが、守ったりしがみついたりするよりもはるかに力強い行いだ、という意味なんですよ。」
それから身体がますます衰弱していった最後の数週間、
彼女はまるで、光が内側から輝き出しているように明るかった。
いろいろな人にたくさんのモノを分け与えたが、そのなかには指輪を盗んだと疑った女性も入っていた。
そして与えるたびに、彼女の喜びはますます深くなっていった。
彼女の死を知らせてきた母親は、彼女が亡くなった後で
例の指輪がバスルームの戸棚で見つかったと言った。
手伝いの女性が指輪を返したのか、それともずっとそこに置き忘れられていたのか?
それは誰にもわからない。
わかっていることは、ただひとつ。
人生は、意識の進化に最も役立つ経験を私たちに与えるということだ。
今起こっていることが、自分に必要だとどうしてわかるのか?
それは現に、
この瞬間に体験しているからだ。
(エックハルト・トール著 Eckhart Tolle『ニュー・アース』より)
このお話では、この方がなくしたものは「指輪」だったが
これを例えば、自分が失って「辛い、悔しい、悲しい」と思うもの、または過去に思ったものに置き換えて読み返すと
そのモノと自分を混同していたのだ
という言葉が
突如、テコでも動かないような絶対的な重さと
同時に
いたわりを込めた慈愛を持って
胸に深く響いてくるのは、、、 私だけだろうか。
「今起こっていることが、私に必要な事だなんて、どうして分かるの?」
だって現に今、起こっているから。
鹿児島に住む高校の同級生が、おしゃれな「手ぬぐい」の店に連れていってくれた。
「手ぬぐい」をこうしてインテリアとして「飾る」という感覚。
その感覚が新鮮で、2枚ほど購入して帰ってきたというのに
それを11月の今ごろになって、やっと飾っているという始末。
私がガタガタと脚立を持ち出す音を聞きつけると、「なんだなんだ!?」と走りよってくるココ。
どうやら座らないと気がすまないらしい。 笑
今回購入した「手ぬぐい」にもさりげなく、2匹のにゃんこの姿が。。。
これを見た夫は 「色合いがいいね」
そして
「あ、キキとココがいるね」
これを飾っただけで、家全体に少し「和」の空気が漂い始めたようで
とても落ち着くし、意味もなく嬉しい。
先日の記事でも言及した、今読んでいる本に心に残る一節があったので
今日のブログに書き留めておきたい。
(以下、その本から簡略化して抜粋)
私(筆者)は、ある末期ガン患者のもとへカウンセラーとして通っていたことがあった。
その患者は40代の女性で、もと教員、医師からは余命数ヶ月と宣告されていた。
ある日訪ねると、彼女はひどくがっかりし、そして怒っていた。
話を聞くと、ダイヤの指輪がなくなったと言う。
金銭的な価値も去ることながら、彼女にとってはとても思い出深い品だった。
「きっと毎日数時間、世話をしにくる女性が盗んだに違いない。病人に対してよくもそんな酷いことができるものだ」と彼女は言った。
そして、本人に問いただすべきか、それともすぐに警察に通報したほうがいいかと私の意見を聞いてきた。
私は、どうすべきか指図はできないが、それ以前にその指輪が今のあなたにとってどれほど重要なのかを考えてみてはどうか?と助言した。
彼女は言った。
「あなたはお分かりにならない。あれは祖母からもらった大切な指輪でした。毎日はめていたけど病気で指がむくんではめられなくなったんです。あれはただの指輪じゃないんです。」
その声にこめられた、勢い、怒り、そして自己防衛の響きは
彼女の本質ではなく
彼女をとおしてまだ「エゴ」が発言しているしるしだった。
私は言った。
「では、いくつか質問をします。すぐに答えなくていいですから、自分の中に答えが見つかるかどうか探してみてください。質問ごとに、少し間をあけます。たとえ答えが浮かんだとしても、それを言葉にはしなくてもいいですよ。」
どうぞ聞いてください、と彼女は言った。
「あなたはいずれ、それもたぶん近いうちに、その指輪を手放さなくてはならない。そのことに気付いていますか?」
「......」
「それを手放す用意ができるまで、あとどれほどの時間が必要でしょう?」
「......」
「手放したら、自分が小さくなりますか?」
「......」
「それがなくなったら、あなたは損なわれますか?」
「......」
最後の質問のあと、しばらく沈黙があった。
そしてふたたび話し始めた時、彼女の顔には安らかな微笑みが浮かんでいた。
「最後の質問で、とても大切なことに気づきました。
私の心から出た最初の答えは『そりゃ、もちろん損なわれるわ!』でした。でも、そこでもう一度問い直してみたんです。
『私は、、、損なわれるだろうか?』
そうしたらふいに、『私は在る』と感じる気持ちが沸いてきたんです。
こんなふうに感じたのは初めてだわ。こんなに強く自分を感じられるなら、私は全く損なわれていないはず。今とても生き生きとした自分を感じられます。」
私は言った。
「それがエゴを乗り越えた、本来のあなたです。あなたは実は指輪ではなく、指輪にこめられた『私のモノ』という思考に執着していたのです。あなたはその指輪と自分を混同していたんですよ。モノを評価して大切にするのはいいが、それに執着を感じたら、それはエゴだと気づかなくてはなりません。」
彼女は言った。
「いまようやく、これまでどうしても分からなかった『下着を取ろうとする者がいたら、上着も与えなさい』というイエスの言葉の意味が理解できました。」
「その通りです」と私は答えた。
「その言葉は、決してドアに鍵をかけるなという意味じゃありません。ときには手放すほうが、守ったりしがみついたりするよりもはるかに力強い行いだ、という意味なんですよ。」
それから身体がますます衰弱していった最後の数週間、
彼女はまるで、光が内側から輝き出しているように明るかった。
いろいろな人にたくさんのモノを分け与えたが、そのなかには指輪を盗んだと疑った女性も入っていた。
そして与えるたびに、彼女の喜びはますます深くなっていった。
彼女の死を知らせてきた母親は、彼女が亡くなった後で
例の指輪がバスルームの戸棚で見つかったと言った。
手伝いの女性が指輪を返したのか、それともずっとそこに置き忘れられていたのか?
それは誰にもわからない。
わかっていることは、ただひとつ。
人生は、意識の進化に最も役立つ経験を私たちに与えるということだ。
今起こっていることが、自分に必要だとどうしてわかるのか?
それは現に、
この瞬間に体験しているからだ。
(エックハルト・トール著 Eckhart Tolle『ニュー・アース』より)
このお話では、この方がなくしたものは「指輪」だったが
これを例えば、自分が失って「辛い、悔しい、悲しい」と思うもの、または過去に思ったものに置き換えて読み返すと
そのモノと自分を混同していたのだ
という言葉が
突如、テコでも動かないような絶対的な重さと
同時に
いたわりを込めた慈愛を持って
胸に深く響いてくるのは、、、 私だけだろうか。
「今起こっていることが、私に必要な事だなんて、どうして分かるの?」
だって現に今、起こっているから。
永遠はない
2013年11月03日
紅葉も、そろそろその体を地に落とし始め
シアトルは秋の終わりを迎えている。
目がくらむほどの緑だった木々たちは
最後の命を真っ赤に燃やし
ここまでだね、さよなら...と逝く。
夏の間、青々しく茂っていた頃よりも、私はこの
最期の瞬間の木々たちにむしろ強く命を感じる。
ふと思い出すのは、臨終の頃の
祖母の指。
90歳を超えた、意識不明のその女性は
孫がシアトルから駆けつけたことを知る由もなく
様々な機器につながれて一定のリズムで呼吸のみを繰り返し
黙って病院のベッドに横たわっていた。
目にとまったのは、指。
そのシワだらけの細く白い指。
なんて綺麗なんだろう。。。と思った。
季節の移り変わりは、形あるものには必ず終わりがくることを
私たち人間に教えてくれる。
たとえば今、自分の視界にうつるもの
目の前のパソコンのモニター
書棚に並んだ本
お気に入りのイス
デスクのとなりですやすや眠っているネコ
寝室ですやすや眠っている夫
そして、今この瞬間キーボードを叩いている自分の指
全てが、50年後には
もうひとつも存在していないだろう。
本当にひとつも。
永遠に存続するものなど無い。だからこそ今に価値がある。
終わること自体は悪ではないのだろうと思う。自然の摂理だから。
それを悲しいと受け取るのは人間の感情なんだろう。
祖母が亡くなった時は本当に悲しかった。
そしてそれは残された私という人間が感じたことだ。
当の祖母は、やっと苦しみから解放されてむしろ幸せだったかもしれない。
そうした辛い別離はこれから何度も体験するだろう。永遠に生きる人などいないのだから。
死別でなくても別れは訪れる。自分の日常に当たり前のように居た人がある日突然去ってしまうことがある。
「死」という、どうにもならない事情でなく 相手の意思で去ってゆく。
その時、残された者が受ける傷はまた違った深さと痛みがあると思う。
では何故、そこまで傷つくかというと
その人と一緒にいた自分というイメージに、自分が価値を置いていたからだ。
「あの人が存在していた私という人間」に価値があったからだ。
そのイメージが損なわれたがゆえ
「私」は傷ついているのだ。
...という本を、今読んでいる。
秋になって枯れ葉が散っていっても
それに対して腹を立てる人はいない。
「この私をおいて散ってゆくなんて。なんて非情な。裏切り者!」と
腹を立てる人はいない。
何故だろう...
それは
「葉が生い茂る木々囲まれた、ハッピーな私」というイメージに
人間が固執していないから。
殆どの人が たとえば
親に愛され慈しまれた、子供としての自分
「ママ大好き!」と言ってもらえる我が子がいる、親としての自分
職場で頼りにされている、社会人としての自分
愛してくれるパートナーがとなりにいる自分
そうした自己のイメージに価値をおいているため、
それを亡くした時に大きな傷を受ける。
絶望感に這い上がれなくなったりする...のだそう
だが、すべての出会いは別れを含んでいる。
それは青々と生い茂っていた木々がいつか葉を紅く染め散ってゆくようなもの。
人間にはどうすることもできない宇宙の真理であり、自然の摂理である。
そこに自分の存在価値を転化してはいけない。
木々が葉を落としても落とさなくても
花が咲いていても散ってしまっても
その人が、たとえ側にいても、去ってしまっても
私という人間が、今ここに在る
そのことに、その意味に、何ひとつ変わりはないのだから。
私という存在は、他者によって定義されるものではないのだから。
そう実感できた時に、人はやっと「イメージの束縛」から自由になり
「いま」と「じぶん」を堪能することができ
己を最大限に生かしてゆけるのだそう。
真の幸福感につながってゆくのだそう。
その「真理」に気付くことが
地球人類の、次の段階への
進化だそうです。
この進化をとげないと、
つまり人間が形あるもの(便利な暮らし、お金、仕事、若さ、健康な体、変わらない関係など)への執着から自分を解放し
変わりゆくものに翻弄されない、それを悲しまない
そうした「次レベル」へ意識改革を遂げないと
地球は存続が危ぶまれるのだとか。。。
(確かに地球が今直面している多くのダメージは、人間の強い「固執する気持ち」が引き起こしたものかもしれない)
週末に入って、そんな本のページをめくる時間を持て
ふと窓の外をみたら
風にあおられて木々の葉がはらはらと散ってゆく。
この木々たちは
自分の現状を少しでも長く維持しようと
戦うでもなく、抵抗するでもなく
美容液を塗るでもなく、ボトックスをうつでもなく
葉は落ちるまいと枝にしがみつくでもなく
誰かにすがったり、誰かを恨んだり
泣き叫んだりするわけでもなく
ただ、まかせている。
ただ、まかせているんだな〜、、、と思ったことでした。
私たち人間は「ただまかせる」ことから、遠く離れてしまった。
形あるものに永遠はない。
それを受け入れて初めて
形ないものの永遠を手にすることができる。
パラドックスのようだけど、、、
それに最初に気付いた人間は、イエスとブッダだったそうです。
それから2000年以上経ったというのに
人類は相変わらず、あまり代わり映えしないかもしれないな。
こんなことを偉そうに書いている私も、単純な人間の脳みそしか持ち合わせていないもので
この真理をイマイチ咀嚼できていない。
でも、意識して気付くことが
進化の始まりなのだそう
だから
意識してゆきたいと思う。
「永遠はない」 でもそれでいいやん。 受け入れるわ。
出会い 「こんにちは。会えて嬉しいな。来てくれてありがとう。よろしくね。」
別れ 「出会えてよかった。今までありがとう。さようなら。」
また出会い... 「こんにちは。来てくれてありがとう。一緒にいる間よろしくね。」
芽を出した葉が、枯れて、散って、また来年には芽を出す
始まって、終わって、また始まる。
過去や未来に自分は居ない。居るのは「いま」。
「いま」を大切に実感する。
「いま」は絶え間なくおとずれる。
それが実は、永遠なのかもしれない。
シアトルは秋の終わりを迎えている。
目がくらむほどの緑だった木々たちは
最後の命を真っ赤に燃やし
ここまでだね、さよなら...と逝く。
夏の間、青々しく茂っていた頃よりも、私はこの
最期の瞬間の木々たちにむしろ強く命を感じる。
ふと思い出すのは、臨終の頃の
祖母の指。
90歳を超えた、意識不明のその女性は
孫がシアトルから駆けつけたことを知る由もなく
様々な機器につながれて一定のリズムで呼吸のみを繰り返し
黙って病院のベッドに横たわっていた。
目にとまったのは、指。
そのシワだらけの細く白い指。
なんて綺麗なんだろう。。。と思った。
季節の移り変わりは、形あるものには必ず終わりがくることを
私たち人間に教えてくれる。
たとえば今、自分の視界にうつるもの
目の前のパソコンのモニター
書棚に並んだ本
お気に入りのイス
デスクのとなりですやすや眠っているネコ
寝室ですやすや眠っている夫
そして、今この瞬間キーボードを叩いている自分の指
全てが、50年後には
もうひとつも存在していないだろう。
本当にひとつも。
永遠に存続するものなど無い。だからこそ今に価値がある。
終わること自体は悪ではないのだろうと思う。自然の摂理だから。
それを悲しいと受け取るのは人間の感情なんだろう。
祖母が亡くなった時は本当に悲しかった。
そしてそれは残された私という人間が感じたことだ。
当の祖母は、やっと苦しみから解放されてむしろ幸せだったかもしれない。
そうした辛い別離はこれから何度も体験するだろう。永遠に生きる人などいないのだから。
死別でなくても別れは訪れる。自分の日常に当たり前のように居た人がある日突然去ってしまうことがある。
「死」という、どうにもならない事情でなく 相手の意思で去ってゆく。
その時、残された者が受ける傷はまた違った深さと痛みがあると思う。
では何故、そこまで傷つくかというと
その人と一緒にいた自分というイメージに、自分が価値を置いていたからだ。
「あの人が存在していた私という人間」に価値があったからだ。
そのイメージが損なわれたがゆえ
「私」は傷ついているのだ。
...という本を、今読んでいる。
秋になって枯れ葉が散っていっても
それに対して腹を立てる人はいない。
「この私をおいて散ってゆくなんて。なんて非情な。裏切り者!」と
腹を立てる人はいない。
何故だろう...
それは
「葉が生い茂る木々囲まれた、ハッピーな私」というイメージに
人間が固執していないから。
殆どの人が たとえば
親に愛され慈しまれた、子供としての自分
「ママ大好き!」と言ってもらえる我が子がいる、親としての自分
職場で頼りにされている、社会人としての自分
愛してくれるパートナーがとなりにいる自分
そうした自己のイメージに価値をおいているため、
それを亡くした時に大きな傷を受ける。
絶望感に這い上がれなくなったりする...のだそう
だが、すべての出会いは別れを含んでいる。
それは青々と生い茂っていた木々がいつか葉を紅く染め散ってゆくようなもの。
人間にはどうすることもできない宇宙の真理であり、自然の摂理である。
そこに自分の存在価値を転化してはいけない。
木々が葉を落としても落とさなくても
花が咲いていても散ってしまっても
その人が、たとえ側にいても、去ってしまっても
私という人間が、今ここに在る
そのことに、その意味に、何ひとつ変わりはないのだから。
私という存在は、他者によって定義されるものではないのだから。
そう実感できた時に、人はやっと「イメージの束縛」から自由になり
「いま」と「じぶん」を堪能することができ
己を最大限に生かしてゆけるのだそう。
真の幸福感につながってゆくのだそう。
その「真理」に気付くことが
地球人類の、次の段階への
進化だそうです。
この進化をとげないと、
つまり人間が形あるもの(便利な暮らし、お金、仕事、若さ、健康な体、変わらない関係など)への執着から自分を解放し
変わりゆくものに翻弄されない、それを悲しまない
そうした「次レベル」へ意識改革を遂げないと
地球は存続が危ぶまれるのだとか。。。
(確かに地球が今直面している多くのダメージは、人間の強い「固執する気持ち」が引き起こしたものかもしれない)
週末に入って、そんな本のページをめくる時間を持て
ふと窓の外をみたら
風にあおられて木々の葉がはらはらと散ってゆく。
この木々たちは
自分の現状を少しでも長く維持しようと
戦うでもなく、抵抗するでもなく
美容液を塗るでもなく、ボトックスをうつでもなく
葉は落ちるまいと枝にしがみつくでもなく
誰かにすがったり、誰かを恨んだり
泣き叫んだりするわけでもなく
ただ、まかせている。
ただ、まかせているんだな〜、、、と思ったことでした。
私たち人間は「ただまかせる」ことから、遠く離れてしまった。
形あるものに永遠はない。
それを受け入れて初めて
形ないものの永遠を手にすることができる。
パラドックスのようだけど、、、
それに最初に気付いた人間は、イエスとブッダだったそうです。
それから2000年以上経ったというのに
人類は相変わらず、あまり代わり映えしないかもしれないな。
こんなことを偉そうに書いている私も、単純な人間の脳みそしか持ち合わせていないもので
この真理をイマイチ咀嚼できていない。
でも、意識して気付くことが
進化の始まりなのだそう
だから
意識してゆきたいと思う。
「永遠はない」 でもそれでいいやん。 受け入れるわ。
出会い 「こんにちは。会えて嬉しいな。来てくれてありがとう。よろしくね。」
別れ 「出会えてよかった。今までありがとう。さようなら。」
また出会い... 「こんにちは。来てくれてありがとう。一緒にいる間よろしくね。」
芽を出した葉が、枯れて、散って、また来年には芽を出す
始まって、終わって、また始まる。
過去や未来に自分は居ない。居るのは「いま」。
「いま」を大切に実感する。
「いま」は絶え間なくおとずれる。
それが実は、永遠なのかもしれない。
Posted by レニア at
17:20
│Comments(13)
腹が立つこともあるのだ
2013年10月08日
今年は種から育てた青じそ。
こんなに巨大化してくれて、おかげで夏中お料理に大活躍だった。
そのシソも花をつけ始めた。そろそろ終わりかな。
冬になったら、またスーパーで買わないといけないなあ。。。
この夏も本当にありがとね。毎日おいしく頂きましたよ。
来夏もまた再生してかえってきてね。
ラナイ(バルコニー)からふと空を見上げると、こんな感じ。
陽の色がすっかり柔らかくなっている。
木々も紅をさし始めた。
車中のミラーにぶらさがってる、ちっちゃな子たち。
ぜんぶ姪っ子たちからのプレゼント。私が日本に帰る度に数が増える。
今回の新入りは、右端のクロネコちゃん。
夏休みに福岡の「スペースワールド」に行った時の、夫へのお土産だとか。
帰省したとき、姪っ子が私に手渡してくれたもの。
新学期が始まって3週目。
新しく103人の学生との出会いがあった。
年のせいか、なかなか名前が覚えられず
ようやく全員の顔と名前が一致してきたところだ。
さて、月曜の仕事を終えて帰宅。
ガレージに車を入れた時点では、
「家に入ったら、まずあれをして、それからこれをして。。。」と
その夜の「やることリスト」が頭の中を駆け巡っていた。
ただいま〜 とドアをあける。
「おかえり...」と出迎えてくれた、相方の
全身から放つエネルギーの、まあ何とも重いことよ。
「おやおや、どうした?」
... 珍しいなあ
私: How was your day?
夫: Hmmm..... Not very good.
ご存知の方はご存知だと思うが、うちの夫は「ドラえもん」
いつも「ぽよよ〜〜んオーラ」満載で、とりわけ沈んでいる日や機嫌が悪い日はほとんど無い。
何があっても淡々と
右から左へ するる〜と流す人。
そんな相方から「あまり良い日じゃなかった」という言葉が出るということは
こりゃ、よっぽど何かあったな
ということで
「今夜のやることリスト」はとりあえず脇に保留
私: よっしゃ、寝る前にビール1杯つきあってよ
(この時点で夫の就寝時間30分まえ)
冷蔵庫からビールを2本取り出し、夫をカウチへ誘う。
"If I Knew It Would Be the Last Time"
(もしも最後だとわかっていたなら)
という本をご存知だろうか。
アメリカなら、カードショップへ行けば大抵のところには置いてあるメッセージ本だ。
日本でも翻訳されていると聞いている。
もしもこれが、あなたと過ごせる最後の時間だと知っていたなら
私はもっと時間をかけて、あなたの目をみつめ、あなたの手を握り
あなたの話に耳を傾け
あなたをどんなに大切に思っているかを、言葉を尽くして伝えただろう
という内容の本だ。
私はこのメッセージ本を、まだハワイに居たころに購入した。
でも、それを意識して実践できるようになったのは
つい最近のことだ。
この本の言わんとしてることは痛い程分かるのだが
分かっていながら、普段はそれが頭からポーンと抜けてしまっていることのほうが多い。
今日はそれを敢えて思い出して意識できた
珍しくもラッキーな日だった。
ビール片手に、夫のとなりに座り
彼の言わんとすることに黙って耳を傾ける。
話を聞いてみると、、、
今日職場で、一日の業務が成り立たないかもしれないほどの大ハプニングがあり
同僚たちがパニクっているあいだ
その場の管轄を担当していた夫は、状況修復に走り回り
その間、苛立った同僚たちの攻撃的な言葉を浴び
中でも10年来の知り合いである
ある同僚からの心ない一言に一瞬キレかかったとか。
それでも何とか平静を保ち、「待ったナシ」の仕事をそのまま続行したそうな。
私は知り合ってこのかた、夫がキレるところ実は未だ見たことがない。
夫に言わせると42年の生涯で、今まで自分がキレた相手はたった3人だけ:
(1)お姉さん (2)前の奥さん (3)マイケル
だそうだ。
私の知るぽよよん相方からは想像もできないのだが、
キレると恐ろしく怖いらしい。(マイケル談)
もし可能ならば、そうした面を見る必要なく無事に今生を終えたいものである。
話は逸れたが...
同僚が自分のフラストレーションを夫に対して投げつけてきたのは
私が想像するに、
おそらく夫のキャラのせいだろう。
何を言っても一番安全なやつだと判断されたに違いない。(その気持ちはよくわかる)
アメリカ人の基準だと、
彼のようなタイプはなめられ易いというか
いつも貧乏くじをひいて
不利な立場にある弱いタイプだと判断されやすい。
日本人である私の基準から見ると
多くの人間が発するネガティブなエネルギーを一身に受け
それでも逆ギレして相手を攻撃するでもなく
黙って受け止め、状況回復をまず最優先として仕事を続行し
すべてを内に秘めて家に帰ってきた。
飲まず食わず、トイレに行く時間もなく
混乱のなかを12時間働いて帰ってきた。
あんたはあっぱれだ。
その場にいた誰よりも、強い人間だと尊敬する。
私: Wow... that's amazing. You did a wonderful job!!
と言った瞬間、
青白かった相方の顔に、ピンク色の生気が戻ってくるのが見て取れた。
私はこのためにこそ存在するのである。
"If I Knew It Would Be the Last Time" (もしこれが最後だと分かっていたなら) ...
今日は思い出せて、よかったなあ。
。。。と、話は実はここで終わらない
夫は朝10時ごろ仕事から帰宅して、シャワーを浴び
ひととおり落ち着いて頭を冷やした後
その暴言を吐いた10年来の同僚に、ちゃんとメッセージを送っていたのである。
I understand that you were frustrated this morning. Everybody was.
But I appreciate if you would never use the tone and language that you used to me from now on.
それは
私が普段あまり見ることのない夫の一面で
感情的なトーンぬきで、それはそれは見事に理路整然と
淡々と
相手に対して「こうこう、こうであることを望みます。これからも良き同僚としてお互い気持ちよく仕事をしてゆくために」と
己の意見と要望を、きちんと言葉にして綴ってあった。
その相手からは、彼がメールを送った10分後には
真摯な謝罪の返信が届いていた。
こういうところは。。。
アメリカ人だなあ〜〜と思う。
人間は さまざまな面を内側に秘めている。
相手との相性や化学反応によって
己の最悪の部分
または、最高の部分が引き出されることもある。
私たちは夫婦なのでもちろんケンカは人並みにするが
ふだんは穏やかな夫を
「恐ろしく」豹変させるほど怒らせたり、
傷つけたり
悲しませたりは
出来ればしたくないものである。
出来ることなら
相棒の、最高の部分を引き出せる自分でありたいと
そう願うものである。
こんなに巨大化してくれて、おかげで夏中お料理に大活躍だった。
そのシソも花をつけ始めた。そろそろ終わりかな。
冬になったら、またスーパーで買わないといけないなあ。。。
この夏も本当にありがとね。毎日おいしく頂きましたよ。
来夏もまた再生してかえってきてね。
ラナイ(バルコニー)からふと空を見上げると、こんな感じ。
陽の色がすっかり柔らかくなっている。
木々も紅をさし始めた。
車中のミラーにぶらさがってる、ちっちゃな子たち。
ぜんぶ姪っ子たちからのプレゼント。私が日本に帰る度に数が増える。
今回の新入りは、右端のクロネコちゃん。
夏休みに福岡の「スペースワールド」に行った時の、夫へのお土産だとか。
帰省したとき、姪っ子が私に手渡してくれたもの。
新学期が始まって3週目。
新しく103人の学生との出会いがあった。
年のせいか、なかなか名前が覚えられず
ようやく全員の顔と名前が一致してきたところだ。
さて、月曜の仕事を終えて帰宅。
ガレージに車を入れた時点では、
「家に入ったら、まずあれをして、それからこれをして。。。」と
その夜の「やることリスト」が頭の中を駆け巡っていた。
ただいま〜 とドアをあける。
「おかえり...」と出迎えてくれた、相方の
全身から放つエネルギーの、まあ何とも重いことよ。
「おやおや、どうした?」
... 珍しいなあ
私: How was your day?
夫: Hmmm..... Not very good.
ご存知の方はご存知だと思うが、うちの夫は「ドラえもん」
いつも「ぽよよ〜〜んオーラ」満載で、とりわけ沈んでいる日や機嫌が悪い日はほとんど無い。
何があっても淡々と
右から左へ するる〜と流す人。
そんな相方から「あまり良い日じゃなかった」という言葉が出るということは
こりゃ、よっぽど何かあったな
ということで
「今夜のやることリスト」はとりあえず脇に保留
私: よっしゃ、寝る前にビール1杯つきあってよ
(この時点で夫の就寝時間30分まえ)
冷蔵庫からビールを2本取り出し、夫をカウチへ誘う。
"If I Knew It Would Be the Last Time"
(もしも最後だとわかっていたなら)
という本をご存知だろうか。
アメリカなら、カードショップへ行けば大抵のところには置いてあるメッセージ本だ。
日本でも翻訳されていると聞いている。
もしもこれが、あなたと過ごせる最後の時間だと知っていたなら
私はもっと時間をかけて、あなたの目をみつめ、あなたの手を握り
あなたの話に耳を傾け
あなたをどんなに大切に思っているかを、言葉を尽くして伝えただろう
という内容の本だ。
私はこのメッセージ本を、まだハワイに居たころに購入した。
でも、それを意識して実践できるようになったのは
つい最近のことだ。
この本の言わんとしてることは痛い程分かるのだが
分かっていながら、普段はそれが頭からポーンと抜けてしまっていることのほうが多い。
今日はそれを敢えて思い出して意識できた
珍しくもラッキーな日だった。
ビール片手に、夫のとなりに座り
彼の言わんとすることに黙って耳を傾ける。
話を聞いてみると、、、
今日職場で、一日の業務が成り立たないかもしれないほどの大ハプニングがあり
同僚たちがパニクっているあいだ
その場の管轄を担当していた夫は、状況修復に走り回り
その間、苛立った同僚たちの攻撃的な言葉を浴び
中でも10年来の知り合いである
ある同僚からの心ない一言に一瞬キレかかったとか。
それでも何とか平静を保ち、「待ったナシ」の仕事をそのまま続行したそうな。
私は知り合ってこのかた、夫がキレるところ実は未だ見たことがない。
夫に言わせると42年の生涯で、今まで自分がキレた相手はたった3人だけ:
(1)お姉さん (2)前の奥さん (3)マイケル
だそうだ。
私の知るぽよよん相方からは想像もできないのだが、
キレると恐ろしく怖いらしい。(マイケル談)
もし可能ならば、そうした面を見る必要なく無事に今生を終えたいものである。
話は逸れたが...
同僚が自分のフラストレーションを夫に対して投げつけてきたのは
私が想像するに、
おそらく夫のキャラのせいだろう。
何を言っても一番安全なやつだと判断されたに違いない。(その気持ちはよくわかる)
アメリカ人の基準だと、
彼のようなタイプはなめられ易いというか
いつも貧乏くじをひいて
不利な立場にある弱いタイプだと判断されやすい。
日本人である私の基準から見ると
多くの人間が発するネガティブなエネルギーを一身に受け
それでも逆ギレして相手を攻撃するでもなく
黙って受け止め、状況回復をまず最優先として仕事を続行し
すべてを内に秘めて家に帰ってきた。
飲まず食わず、トイレに行く時間もなく
混乱のなかを12時間働いて帰ってきた。
あんたはあっぱれだ。
その場にいた誰よりも、強い人間だと尊敬する。
私: Wow... that's amazing. You did a wonderful job!!
と言った瞬間、
青白かった相方の顔に、ピンク色の生気が戻ってくるのが見て取れた。
私はこのためにこそ存在するのである。
"If I Knew It Would Be the Last Time" (もしこれが最後だと分かっていたなら) ...
今日は思い出せて、よかったなあ。
。。。と、話は実はここで終わらない
夫は朝10時ごろ仕事から帰宅して、シャワーを浴び
ひととおり落ち着いて頭を冷やした後
その暴言を吐いた10年来の同僚に、ちゃんとメッセージを送っていたのである。
I understand that you were frustrated this morning. Everybody was.
But I appreciate if you would never use the tone and language that you used to me from now on.
それは
私が普段あまり見ることのない夫の一面で
感情的なトーンぬきで、それはそれは見事に理路整然と
淡々と
相手に対して「こうこう、こうであることを望みます。これからも良き同僚としてお互い気持ちよく仕事をしてゆくために」と
己の意見と要望を、きちんと言葉にして綴ってあった。
その相手からは、彼がメールを送った10分後には
真摯な謝罪の返信が届いていた。
こういうところは。。。
アメリカ人だなあ〜〜と思う。
人間は さまざまな面を内側に秘めている。
相手との相性や化学反応によって
己の最悪の部分
または、最高の部分が引き出されることもある。
私たちは夫婦なのでもちろんケンカは人並みにするが
ふだんは穏やかな夫を
「恐ろしく」豹変させるほど怒らせたり、
傷つけたり
悲しませたりは
出来ればしたくないものである。
出来ることなら
相棒の、最高の部分を引き出せる自分でありたいと
そう願うものである。
さよなら鹿児島、ただいまシアトル
2013年09月21日
鹿児島最終日。
妹が連れて行ってくれた城山展望台より、市内を見下ろす。
抜ける青空にそびえ立つ、雄々しい桜島。
中央駅前の「若き薩摩の群像」
(今でもつい「西駅」って言ってしまう...苦笑)
今回もラーメンだけは外さなかった。
「でこんちけもん(大根の漬け物)」が一緒に出てくるのが
鹿児島なり。
東京で始めてラーメンを食べた時、どうして大根の漬け物が出てこないのだろうと不思議に思ったものだ。
今回の帰国は、家族と時間を過ごすことが主な目的だったが
それでも一度だけ一人で映画を見に行った。
発券も機械化されてて席も指定で、え〜!とビックリ。
この日は「レディスデー(水曜日)」とやらで1000円なり。
昔は
「日本の映画は高い!!」というイメージがあったが、今ではアメリカとさほど変わらない。
この20年余り、映画館の入場料って変わっていないのではないかな?
映画が終わった後、一杯飲みに立ち寄った居酒屋。(サラリーマンのおじさんみたい?)
今回の帰国で何よりの買い物だったのが
写真左手にある「Kindle」(電子書籍リーダー)
アメリカのAmazonに比べると、日本のAmazonの電子書籍はまだまだ選択肢が少ないが
それでもこれで今までよりずっと日本の書籍が手に入りやすくなる。
故郷での時間はあっという間に過ぎ去った。
シアトルに戻って既に4日。
前回お話した「あれって夢だったのでは?」という不思議感覚をすでに味わっている。
シアトルの自宅は、私が日本へ発ったその日と何ら変わっていなかった。
唯一変わっていたのは 窓から見える色合い。
秋になっていた。
言わなくても 分かってくれているはずだ。
そう期待してしまう気持ちは
「以心伝心」という文化で育ったせいなのか、
なかなか抜けない。
でも今回の帰国で
長年、無沙汰をしていた人達を訪れてみて
言葉で伝えることの大切さを再確認した。
実際会う事は叶わなくても、10数年ぶりにお電話でお話できた人もいた。
私は自分のことを深く恥じている部分があり
「申し訳なくて顔向けできない」という思いから、心の中でずっと気になっていながら
長く遠のいてしまった方々が何人かいた。
先日たずねた古い友人のご両親も、そうした人たちだった。
だが「恥ずかしい」という思いを理由に遠ざかるのは、自分本位なのだと。
友人の両親を例にとれば
こちらが申し訳ないと思うことより
私が今でもお二人の息子を大切な友達だと思っていると
そう伝えることのほうが
ずっと大切なのだと
年を経たせいだろうか。ようやく理解できるようになったのである。
「遅かった」と後悔せずにすんでよかった。
自分が40代半ばなので当たり前なのだが
かつて私の人生にいてくれた多くの人達は
どんどんお年を召している。
自分の両親もしかり。
大切に思っている気持ちは、ためらわず伝えてゆこう。
と、たった今 相方から写メが届く。
どうやらご帰宅のようだ。
"今から帰るよ。駐車場に歩いていったら車のそばに可愛いバニーがいたぞ!
I will see you soon. Love you."
馴染んだ
こんなやり取りのある日常に戻ってきた。
この人にもためらわず伝えていこう。
そろそろ8時だ。
さて朝食の準備にとりかかるとするか。
妹が連れて行ってくれた城山展望台より、市内を見下ろす。
抜ける青空にそびえ立つ、雄々しい桜島。
中央駅前の「若き薩摩の群像」
(今でもつい「西駅」って言ってしまう...苦笑)
今回もラーメンだけは外さなかった。
「でこんちけもん(大根の漬け物)」が一緒に出てくるのが
鹿児島なり。
東京で始めてラーメンを食べた時、どうして大根の漬け物が出てこないのだろうと不思議に思ったものだ。
今回の帰国は、家族と時間を過ごすことが主な目的だったが
それでも一度だけ一人で映画を見に行った。
発券も機械化されてて席も指定で、え〜!とビックリ。
この日は「レディスデー(水曜日)」とやらで1000円なり。
昔は
「日本の映画は高い!!」というイメージがあったが、今ではアメリカとさほど変わらない。
この20年余り、映画館の入場料って変わっていないのではないかな?
映画が終わった後、一杯飲みに立ち寄った居酒屋。(サラリーマンのおじさんみたい?)
今回の帰国で何よりの買い物だったのが
写真左手にある「Kindle」(電子書籍リーダー)
アメリカのAmazonに比べると、日本のAmazonの電子書籍はまだまだ選択肢が少ないが
それでもこれで今までよりずっと日本の書籍が手に入りやすくなる。
故郷での時間はあっという間に過ぎ去った。
シアトルに戻って既に4日。
前回お話した「あれって夢だったのでは?」という不思議感覚をすでに味わっている。
シアトルの自宅は、私が日本へ発ったその日と何ら変わっていなかった。
唯一変わっていたのは 窓から見える色合い。
秋になっていた。
言わなくても 分かってくれているはずだ。
そう期待してしまう気持ちは
「以心伝心」という文化で育ったせいなのか、
なかなか抜けない。
でも今回の帰国で
長年、無沙汰をしていた人達を訪れてみて
言葉で伝えることの大切さを再確認した。
実際会う事は叶わなくても、10数年ぶりにお電話でお話できた人もいた。
私は自分のことを深く恥じている部分があり
「申し訳なくて顔向けできない」という思いから、心の中でずっと気になっていながら
長く遠のいてしまった方々が何人かいた。
先日たずねた古い友人のご両親も、そうした人たちだった。
だが「恥ずかしい」という思いを理由に遠ざかるのは、自分本位なのだと。
友人の両親を例にとれば
こちらが申し訳ないと思うことより
私が今でもお二人の息子を大切な友達だと思っていると
そう伝えることのほうが
ずっと大切なのだと
年を経たせいだろうか。ようやく理解できるようになったのである。
「遅かった」と後悔せずにすんでよかった。
自分が40代半ばなので当たり前なのだが
かつて私の人生にいてくれた多くの人達は
どんどんお年を召している。
自分の両親もしかり。
大切に思っている気持ちは、ためらわず伝えてゆこう。
と、たった今 相方から写メが届く。
どうやらご帰宅のようだ。
"今から帰るよ。駐車場に歩いていったら車のそばに可愛いバニーがいたぞ!
I will see you soon. Love you."
馴染んだ
こんなやり取りのある日常に戻ってきた。
この人にもためらわず伝えていこう。
そろそろ8時だ。
さて朝食の準備にとりかかるとするか。
ここにいる自分
2013年09月15日
朝起きて、ご先祖様と神様に
今日も一日よろしくお願いしますとご挨拶。
一日の終わりには
無事に過ごせました、ありがとうございますとお礼を言う日常。
いいな。
シアトルの自宅にも畳のお部屋と神棚が欲しいなあ、なんて思ってしまう。
学生の頃好きでよく飲んでいたカフェラテ。
ロゴに使われている山がどこにあるのかも知らずに飲んでいた若かりし頃。
まさかその山がある街にいずれ自分が暮らすことになろうとは
当時は想像だにせず。
今では種類もグン〜と増えてて、うゎ〜〜。。。とコンビニで目移りしてしまった。
鹿児島にいる間にこれだけは食べなくちゃ!と思っていた白熊アイス。
懐かしい。。。今でもホッとする味。
鹿児島のパワースポット 霧島神宮(きりしまじんぐう)
いっぽ足を踏み入れると、空気がガラリと変わります。
天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたる瓊々杵尊(ニニギノミコト)が
民の食物とするために稲穂を持参して
天から降りてきたという(天孫降臨 てんそんこうりん)
そのニニギノミコトを祭る神社。
かの坂本龍馬が、妻おりょうと
新婚旅行で訪れたことでも有名だ。
境内にあった、樹齢800年の御神木は
坂本龍馬がここに立った、そのずっと以前から
ここに居て
人間の営みを見続けてきたのだろうなあ。
帰国して、あっという間に2週間以上が過ぎ去った。
いったんこの地に降り立つと
言葉も、感覚も
瞬時に「鹿児島にいる私」に戻る。本当に驚くほど瞬時に。
そして2週間も経った今では、アメリカにいてあちらで家庭を持ち仕事をして生活している自分のほうが
うそっぽい(?)というか
なんだか信じられない、という感覚さえわいてくる。
この不思議感覚は、帰省するたびにいつも味わう。
そして再びシアトルに戻れば、
日本に帰っていた自分のことを
「なんだか、あれって夢だったかも...」なんて思えてきたりするのだ。
今回の帰省の目的は、兎にも角にも「家族」
家族と何気なく過ごす日常
それをメインに帰ってきた。
なので出来るだけ外出する予定を入れずに帰国したのだが、
そんな中でも、今回の帰省中に
どうしても会いに行きたい人がいた。
そのうちの一人が、大学時代の古い友人
突然の、不慮の事故で
22歳の若さで逝ってしまった友だった。
久しぶりだねえ。。。どうしてるけ?
と墓石の前で語りかけた。
もう、あんたの倍も生きてしまったよ と。
今の世の中を、そして私の生き様を
お空の上から眺めてどう思っているだろう。
私の今まで犯した過ちも、つまづきも、未熟さも、失敗も
きっと全部見ていて 知っていることだろう。
「まこて(まったくもう)そげんこっでどうすっと。(そんなことでどうするの)
しっかぃせんね!!(しっかりしなさい)」
なんて
叱られるかもなあ。。。
いっぱいいっぱいだったよ。あんなでも、自分なりにベストを尽くしてきた結果だったんだ。
こんな私でも見捨てずに、これからも見守っていてよ。。。
心の中の古い友に向かって、さんざん言い訳を並べながら
しばらく墓石の前に立っていた。
じっと立っているだけで、汗がジワッと吹き出てきて
背中を首元を、つーっと流れてゆくのを感じる
残暑の厳しい9月の午後だった。
彼のご両親に挨拶に伺ったのも、何年ぶりだったろうか。
無精をした私を、それはそれはあたたかく迎えて下さった。
おじさんは体調が芳しくなくもう外を出歩くこともままならず
病院通いをされているとのこと。
ばっとお会いした瞬間「ああ、お年を召されたな」と感じた。
このご夫婦は、息子を亡くした後の時間を
もう22年も生きてこられた。
それがどんな時間だったのか
私には想像することも出来ない。
お二人の笑顔を見られたことが、本当に心から
嬉しかった。
今回の帰国の何よりの土産になった。
またシアトルに戻っても、がんばろう。
故郷に戻ることで、大昔の自分に久方ぶりに会えたような気もしていて
思い出したくないこともたくさんあるけれど
ここにいる私も私
あちらにいる私も私
未だ生かされている自分を
謙虚に受けとめて、だけどしっかり見据えて
理解していこう。ひとつひとつ。
分からないことだらけなんだけど
投げ出さず
ひとつひとつ。
そんなことを折に触れて強く感じた里帰りだった。
日本での時間も、あと2日。
今日も一日よろしくお願いしますとご挨拶。
一日の終わりには
無事に過ごせました、ありがとうございますとお礼を言う日常。
いいな。
シアトルの自宅にも畳のお部屋と神棚が欲しいなあ、なんて思ってしまう。
学生の頃好きでよく飲んでいたカフェラテ。
ロゴに使われている山がどこにあるのかも知らずに飲んでいた若かりし頃。
まさかその山がある街にいずれ自分が暮らすことになろうとは
当時は想像だにせず。
今では種類もグン〜と増えてて、うゎ〜〜。。。とコンビニで目移りしてしまった。
鹿児島にいる間にこれだけは食べなくちゃ!と思っていた白熊アイス。
懐かしい。。。今でもホッとする味。
鹿児島のパワースポット 霧島神宮(きりしまじんぐう)
いっぽ足を踏み入れると、空気がガラリと変わります。
天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたる瓊々杵尊(ニニギノミコト)が
民の食物とするために稲穂を持参して
天から降りてきたという(天孫降臨 てんそんこうりん)
そのニニギノミコトを祭る神社。
かの坂本龍馬が、妻おりょうと
新婚旅行で訪れたことでも有名だ。
境内にあった、樹齢800年の御神木は
坂本龍馬がここに立った、そのずっと以前から
ここに居て
人間の営みを見続けてきたのだろうなあ。
帰国して、あっという間に2週間以上が過ぎ去った。
いったんこの地に降り立つと
言葉も、感覚も
瞬時に「鹿児島にいる私」に戻る。本当に驚くほど瞬時に。
そして2週間も経った今では、アメリカにいてあちらで家庭を持ち仕事をして生活している自分のほうが
うそっぽい(?)というか
なんだか信じられない、という感覚さえわいてくる。
この不思議感覚は、帰省するたびにいつも味わう。
そして再びシアトルに戻れば、
日本に帰っていた自分のことを
「なんだか、あれって夢だったかも...」なんて思えてきたりするのだ。
今回の帰省の目的は、兎にも角にも「家族」
家族と何気なく過ごす日常
それをメインに帰ってきた。
なので出来るだけ外出する予定を入れずに帰国したのだが、
そんな中でも、今回の帰省中に
どうしても会いに行きたい人がいた。
そのうちの一人が、大学時代の古い友人
突然の、不慮の事故で
22歳の若さで逝ってしまった友だった。
久しぶりだねえ。。。どうしてるけ?
と墓石の前で語りかけた。
もう、あんたの倍も生きてしまったよ と。
今の世の中を、そして私の生き様を
お空の上から眺めてどう思っているだろう。
私の今まで犯した過ちも、つまづきも、未熟さも、失敗も
きっと全部見ていて 知っていることだろう。
「まこて(まったくもう)そげんこっでどうすっと。(そんなことでどうするの)
しっかぃせんね!!(しっかりしなさい)」
なんて
叱られるかもなあ。。。
いっぱいいっぱいだったよ。あんなでも、自分なりにベストを尽くしてきた結果だったんだ。
こんな私でも見捨てずに、これからも見守っていてよ。。。
心の中の古い友に向かって、さんざん言い訳を並べながら
しばらく墓石の前に立っていた。
じっと立っているだけで、汗がジワッと吹き出てきて
背中を首元を、つーっと流れてゆくのを感じる
残暑の厳しい9月の午後だった。
彼のご両親に挨拶に伺ったのも、何年ぶりだったろうか。
無精をした私を、それはそれはあたたかく迎えて下さった。
おじさんは体調が芳しくなくもう外を出歩くこともままならず
病院通いをされているとのこと。
ばっとお会いした瞬間「ああ、お年を召されたな」と感じた。
このご夫婦は、息子を亡くした後の時間を
もう22年も生きてこられた。
それがどんな時間だったのか
私には想像することも出来ない。
お二人の笑顔を見られたことが、本当に心から
嬉しかった。
今回の帰国の何よりの土産になった。
またシアトルに戻っても、がんばろう。
故郷に戻ることで、大昔の自分に久方ぶりに会えたような気もしていて
思い出したくないこともたくさんあるけれど
ここにいる私も私
あちらにいる私も私
未だ生かされている自分を
謙虚に受けとめて、だけどしっかり見据えて
理解していこう。ひとつひとつ。
分からないことだらけなんだけど
投げ出さず
ひとつひとつ。
そんなことを折に触れて強く感じた里帰りだった。
日本での時間も、あと2日。
前世の縁
2013年08月28日
レニア山 (Mt. Rainier National Park)
2013年08月23日
3年前、色んな気持ちが内側に充満していて
それを「書く事で発散できないかな」と思い、ブログを始めた。
ハンドルネームを何にしようかなと考えたとき、咄嗟に浮かんだのが「レニア」という名前だった。
シアトルにある、大好きな山
「レニア山」から拝借した名前だ。
いずれ結婚するだろうなんて思いもしなかった、相方を訪ねて
ハワイからはるばる、初めてシアトルを訪れたとき
高速から見えたのがレニア山。
その景観を目にしたときの印象は、「ショックだった」というのが最も適切な表現で
長年住み慣れたハワイを去る気などこれっぽっちも無かった当時の私が
おそらく無意識のレベルで
「私はいずれここに住むだろう」っと直感した瞬間だったのかもしれない。
夏期講習をようやく教え終え、長かった今年度が終了した。
その瞬間、むしょうに「行きたい!!」と思ったのが、このレニア山だった。
シアトル市内から車で南下すること3時間ほど。
レニア山国立公園 に辿り着く。
入園料は車一台$15で、その入園パスは1週間有効となる。
今回はレニア山の麓にある、このホテルに泊まってみた。
なんと1916年に建築されたという、歴史あるホテルだ。
Paradise Inn (パラダイス・イン)
5月ー10月にしか営業していない、レニア山に一番近い老舗のホテル。
(冬期は雪に埋もれてしまうため)
さすが築100年近いホテル、全室に浴室があるわけではない。
今回はラッキーにも「浴室付き」のお部屋を確保することができたが
最近の近代的なホテルからは程遠い、簡素な作りに小さめのベッドがふたつ。
この部屋で、1泊$170ほど。
もちろんインターネットなんて有るはずもない。テレビも無い。
電話も無い。
ここまで来ると、携帯も通じない。
浴室もとてもシンプルな作りだったが、有難いことに「シャワールーム」だけでなくちゃんとバスタブ(浴槽)があった。
日ごろ湯につかる私にとっては、これは非常に助かった。
ロビーも 全てが木の温もりを基調としており、
なんとも言えぬ...安らぐ雰囲気。
ロビー上部には、ロフトのような空間があり
小さな木造のテーブルとイスが並べられていた。
ワイン片手にくつろぐ宿泊客の姿も見られた。
階下でピアノを弾く人の姿がよく見えた。
黒人の弾き手が奏でるその音色に、しばしうっとり。。。聞き入った。
フロントまえに置かれた、郵便ポスト。
レニア山にいるクマさんにちなんで、ポストもクマさん。可愛い...(^^)
レストランだって、ホテルにたった一つしかない。
しかも営業時間が限られている。
ディナーまえ、開店まぎわのレストラン。
奥のほうに大きな暖炉が見える。
私たちのテーブルについてくれたウェイトレスさんはケンタッキーから働きに来てると言っていた。
ホテル従業員はみんな、全米または世界中のあちこちから働きにきているのだそう。
夏のあいだだけこの国立公園内の宿泊施設で暮らし
10月になったらそれぞれの場所へ帰ってゆくのだとか。
「レニア山での暮らしはどう?」と聞いてみたら
「大自然に囲まれて働きながら、世界中の人に会えるから楽しい!」と彼女は笑顔で答えた。
さて、ホテルでの異次元空間を満喫するのも良いが
ここまで来たのならやはり山に登らなくては。
もっとレニア山の近くに、行ってみたい。
冬の間はすっぽり雪に埋もれるこの地域。
この花たちも冷たい雪の下で長い長い時間を生き延びる。
「あなたたちの一体どこに、そんなパワーがかくれているの???」
思わず問いかけたくなる。
厳しい冬を耐え忍んできたことなど微塵も感じさせないような、その謙虚で可憐な姿。
生命の神秘だなあ。
あの厳寒をどうやってしのいだらこんな見事な再生を繰り返せるのだろう。
こんなに、小さな体で。
国立公園内には野生動物も多く生息する。
この日お見かけしたのは
Deer (鹿)
Chipmunk (シマリス)
Marmot (モルモット)
そしてモルモットの夫婦(かな?)
歩き出しは緑とお花いっぱいだった、ハイキングコースも
標高が増すにつれ
なんと雪のかたまりに遭遇。8月だというのに。
遠くには更に頂上を目指す登山家たちが、夏の雪山講習を受けているのが見えた。
頂上とまではいかなくても
私たちもハイキングコースの一番高いところを目指して、歩き続けた。
今回トライしたのは「Skyline Trail(スカイライン・トレイル)というハイキングコース。
所要時間、約4時間。
家にいたら、20分おきにメールをチェックしてるような私でも
こういう場所にくると、全く感覚が変わる。
文明の利器から解放され
心がのびのびと深呼吸する。。。そんな感じ。
何も気にならない。極端な言い方をすると、どうでもよくなる。
大切なことは
たぶんそういうことではないんだと、漠然と理解する感じ。
自分が日々 考えあぐねていたり、思い悩んでいたりすることは
おそらく「生きること」に関して言えば
そう大したことではないのだと
そう思わせてくれる、大自然のおおらかさ。
レニア山国立公園
お疲れのかた。
心の浄化に、とても良いかと思います。
シアトルを訪れる機会のある方には、是非ともおすすめしたい場所だ。
それを「書く事で発散できないかな」と思い、ブログを始めた。
ハンドルネームを何にしようかなと考えたとき、咄嗟に浮かんだのが「レニア」という名前だった。
シアトルにある、大好きな山
「レニア山」から拝借した名前だ。
いずれ結婚するだろうなんて思いもしなかった、相方を訪ねて
ハワイからはるばる、初めてシアトルを訪れたとき
高速から見えたのがレニア山。
その景観を目にしたときの印象は、「ショックだった」というのが最も適切な表現で
長年住み慣れたハワイを去る気などこれっぽっちも無かった当時の私が
おそらく無意識のレベルで
「私はいずれここに住むだろう」っと直感した瞬間だったのかもしれない。
夏期講習をようやく教え終え、長かった今年度が終了した。
その瞬間、むしょうに「行きたい!!」と思ったのが、このレニア山だった。
シアトル市内から車で南下すること3時間ほど。
レニア山国立公園 に辿り着く。
入園料は車一台$15で、その入園パスは1週間有効となる。
今回はレニア山の麓にある、このホテルに泊まってみた。
なんと1916年に建築されたという、歴史あるホテルだ。
Paradise Inn (パラダイス・イン)
5月ー10月にしか営業していない、レニア山に一番近い老舗のホテル。
(冬期は雪に埋もれてしまうため)
さすが築100年近いホテル、全室に浴室があるわけではない。
今回はラッキーにも「浴室付き」のお部屋を確保することができたが
最近の近代的なホテルからは程遠い、簡素な作りに小さめのベッドがふたつ。
この部屋で、1泊$170ほど。
もちろんインターネットなんて有るはずもない。テレビも無い。
電話も無い。
ここまで来ると、携帯も通じない。
浴室もとてもシンプルな作りだったが、有難いことに「シャワールーム」だけでなくちゃんとバスタブ(浴槽)があった。
日ごろ湯につかる私にとっては、これは非常に助かった。
ロビーも 全てが木の温もりを基調としており、
なんとも言えぬ...安らぐ雰囲気。
ロビー上部には、ロフトのような空間があり
小さな木造のテーブルとイスが並べられていた。
ワイン片手にくつろぐ宿泊客の姿も見られた。
階下でピアノを弾く人の姿がよく見えた。
黒人の弾き手が奏でるその音色に、しばしうっとり。。。聞き入った。
フロントまえに置かれた、郵便ポスト。
レニア山にいるクマさんにちなんで、ポストもクマさん。可愛い...(^^)
レストランだって、ホテルにたった一つしかない。
しかも営業時間が限られている。
ディナーまえ、開店まぎわのレストラン。
奥のほうに大きな暖炉が見える。
私たちのテーブルについてくれたウェイトレスさんはケンタッキーから働きに来てると言っていた。
ホテル従業員はみんな、全米または世界中のあちこちから働きにきているのだそう。
夏のあいだだけこの国立公園内の宿泊施設で暮らし
10月になったらそれぞれの場所へ帰ってゆくのだとか。
「レニア山での暮らしはどう?」と聞いてみたら
「大自然に囲まれて働きながら、世界中の人に会えるから楽しい!」と彼女は笑顔で答えた。
さて、ホテルでの異次元空間を満喫するのも良いが
ここまで来たのならやはり山に登らなくては。
もっとレニア山の近くに、行ってみたい。
冬の間はすっぽり雪に埋もれるこの地域。
この花たちも冷たい雪の下で長い長い時間を生き延びる。
「あなたたちの一体どこに、そんなパワーがかくれているの???」
思わず問いかけたくなる。
厳しい冬を耐え忍んできたことなど微塵も感じさせないような、その謙虚で可憐な姿。
生命の神秘だなあ。
あの厳寒をどうやってしのいだらこんな見事な再生を繰り返せるのだろう。
こんなに、小さな体で。
国立公園内には野生動物も多く生息する。
この日お見かけしたのは
Deer (鹿)
Chipmunk (シマリス)
Marmot (モルモット)
そしてモルモットの夫婦(かな?)
歩き出しは緑とお花いっぱいだった、ハイキングコースも
標高が増すにつれ
なんと雪のかたまりに遭遇。8月だというのに。
遠くには更に頂上を目指す登山家たちが、夏の雪山講習を受けているのが見えた。
頂上とまではいかなくても
私たちもハイキングコースの一番高いところを目指して、歩き続けた。
今回トライしたのは「Skyline Trail(スカイライン・トレイル)というハイキングコース。
所要時間、約4時間。
家にいたら、20分おきにメールをチェックしてるような私でも
こういう場所にくると、全く感覚が変わる。
文明の利器から解放され
心がのびのびと深呼吸する。。。そんな感じ。
何も気にならない。極端な言い方をすると、どうでもよくなる。
大切なことは
たぶんそういうことではないんだと、漠然と理解する感じ。
自分が日々 考えあぐねていたり、思い悩んでいたりすることは
おそらく「生きること」に関して言えば
そう大したことではないのだと
そう思わせてくれる、大自然のおおらかさ。
レニア山国立公園
お疲れのかた。
心の浄化に、とても良いかと思います。
シアトルを訪れる機会のある方には、是非ともおすすめしたい場所だ。
あいぶみ(愛文)
2013年08月10日
「恋文(こいぶみ)」という言葉がある。
私たちの世代でも「ラブレター」という単語のほうが、ずっと馴染みがあるけれど
恋い焦がれる相手に思いを寄せた手紙のことだ。
では、
愛する相手に向けて綴る手紙は、なんと呼ぶのだろう...?
あいぶみ ?
ためしに「あ・い・ぶ・み」とパソコンで打ってみた。
「愛撫身」 とか
「相武身」 しか、出て来ない。
どうやら「恋文(こいぶみ)」はあるのに、「愛文(あいぶみ)」は存在しないらしい。
「恋」という感情と
「愛」という感情は、全く別物だが
一度愛してしまった相手には、もう手紙は書かないものなのだろうか。。。
私は相方にもう恋はしていない。
彼に対する感情は、「恋」とは全く異なるものだ。
その相方に、久しぶりに手紙を書いてみようと思った。(正しく言うとメールだが)
彼に手紙を書くのは、つき合っていた頃以来だ。
先日の「ほめ日記」で、自分の褒められる点を挙げるお話をさせていただいたが
それを探すのに何だかとっても苦労しているので
とりあえず
一番身近にいる相棒で練習してみるか、と思った次第だ。
相手が家に居ない時間帯を選んで、書いてみた。
夫は、ここ数週間はちょうど夜10時頃から朝までの出勤になっているので
夜に私ひとりの時間はたっぷりあったのだが
それでも、なんだか
日々を共にする相方に向けて書く手紙って、
書き出すだけでもちょっと戸惑う感じがするものなんだな。
それに気付いただけでも、自分の相手に対する心情が昔とは明らかに違ってきていることが伺える。
頭ガチガチな感じがしたので、ゆるゆる目指して
とりあえず一本飲んだ。(何でも飲む理由になる私 笑)
キャンドルに灯をともしてみる。
ロマンチックな二人の夜を演出するアイテムとして、代表選手のキャンドルだが
私は夫とふたりでいる時より、ひとりでいる時のほうが、キャンドルを灯す頻度は圧倒的に多い。
気持ちが静まる感じがするから。
あなたのこういうところが好きです
と思いつくまま、挙げてみた。
思ったとおり
書き始めてしまえば、自分に向けてより相方に向けてのほうがずっと書きやすい。
そして書きながら、ふと思ったのだ。
これは「恋文(こいぶみ)」ではないよなあ、と。
果たして、「愛文(あいぶみ)」という言葉は、存在するのだろうか? と...
恋する相手は、必ずしも自分のものとは限らない。
だから、まだ自分のものになっていない相手に向けて書かれる手紙も「ラブレター(恋文)」と呼ばれる。
「あなたのことがこんなに好きです。出来ることなら私のものになってほしい」
と、ほとばしる熱い思いを込めるラブレターは、
ともすれば「私がどうしてあなたを欲するか」に焦点が置かれており
「あなたが何を欲するか」を最重要項目として書かれたものでは、
必ずしもない。
いっぽう、愛する相手というのは
既に自分の生活の一部になっている存在か
又は自分のものになってほしいという欲求までをも、超越したところにいる人であったりして
そういう相手に対して綴る、特別な手紙に
名称が無いというのは、
なんだか不思議なことだなあ。。。
そういえば...
私も大昔に、愛してくれる人から手紙をもらったことがある。 母だ。
でもそれは、日常を共にしている時に受け取ったものではなく
家を離れて、遠くアメリカに留学していた時のことだった。
メールも携帯もない時代だったので、べらぼうに高い国際電話以外は「手紙」しかコミュニケーションの手段が無く
私を案じて綴ってくれた母の言葉には何度も励まされたり慰められたりした。
思えば、あれも「愛文(あいぶみ)」だったのだなあ。
家族として愛する相手にこそ、
「あなたは私にとって大切な人なんだよ」と言葉で伝えるのは、ものすごく大事な事のような気がする。
それを話し言葉ではなく、敢えて書き言葉で伝えると
それは物体として手元に残り
何度も何度も読み返せるという恩恵を与えてくれる。
でもそんな手紙を綴ろうとは
忙しい日常の中にあって、そうそう思わないし
家族だからこそ、思いを言葉にすることが
何だか照れくさい感もある。
私個人の印象を述べれば、
自分自身に向けて書く「ほめ日記」よりは、相棒に向けて書く手紙のほうがずっと書き易かったが。
さて、書き上げた「愛文(あいぶみ)」だが
実は相方には送信していない。 苦笑
これを読んだ彼が、まさか気分を害することはないだろうと思うのだが
なんだか送ることに躊躇してしまう(照れてしまう)のは
私と彼が、家族になった証なんだろう。
毎日を共にする、一番身近にいる人に向けて
思いを綴り、伝えるとは
どうしてこうも難しいものかな。
そんな自分が滑稽に思えたりもするが...
妻として自分が進化するチャンスとも解釈して、
「えいやっ!」と送信ボタンを押せる瞬間がやってくるのを
待っているところである。
私たちの世代でも「ラブレター」という単語のほうが、ずっと馴染みがあるけれど
恋い焦がれる相手に思いを寄せた手紙のことだ。
では、
愛する相手に向けて綴る手紙は、なんと呼ぶのだろう...?
あいぶみ ?
ためしに「あ・い・ぶ・み」とパソコンで打ってみた。
「愛撫身」 とか
「相武身」 しか、出て来ない。
どうやら「恋文(こいぶみ)」はあるのに、「愛文(あいぶみ)」は存在しないらしい。
「恋」という感情と
「愛」という感情は、全く別物だが
一度愛してしまった相手には、もう手紙は書かないものなのだろうか。。。
私は相方にもう恋はしていない。
彼に対する感情は、「恋」とは全く異なるものだ。
その相方に、久しぶりに手紙を書いてみようと思った。(正しく言うとメールだが)
彼に手紙を書くのは、つき合っていた頃以来だ。
先日の「ほめ日記」で、自分の褒められる点を挙げるお話をさせていただいたが
それを探すのに何だかとっても苦労しているので
とりあえず
一番身近にいる相棒で練習してみるか、と思った次第だ。
相手が家に居ない時間帯を選んで、書いてみた。
夫は、ここ数週間はちょうど夜10時頃から朝までの出勤になっているので
夜に私ひとりの時間はたっぷりあったのだが
それでも、なんだか
日々を共にする相方に向けて書く手紙って、
書き出すだけでもちょっと戸惑う感じがするものなんだな。
それに気付いただけでも、自分の相手に対する心情が昔とは明らかに違ってきていることが伺える。
頭ガチガチな感じがしたので、ゆるゆる目指して
とりあえず一本飲んだ。(何でも飲む理由になる私 笑)
キャンドルに灯をともしてみる。
ロマンチックな二人の夜を演出するアイテムとして、代表選手のキャンドルだが
私は夫とふたりでいる時より、ひとりでいる時のほうが、キャンドルを灯す頻度は圧倒的に多い。
気持ちが静まる感じがするから。
あなたのこういうところが好きです
と思いつくまま、挙げてみた。
思ったとおり
書き始めてしまえば、自分に向けてより相方に向けてのほうがずっと書きやすい。
そして書きながら、ふと思ったのだ。
これは「恋文(こいぶみ)」ではないよなあ、と。
果たして、「愛文(あいぶみ)」という言葉は、存在するのだろうか? と...
恋する相手は、必ずしも自分のものとは限らない。
だから、まだ自分のものになっていない相手に向けて書かれる手紙も「ラブレター(恋文)」と呼ばれる。
「あなたのことがこんなに好きです。出来ることなら私のものになってほしい」
と、ほとばしる熱い思いを込めるラブレターは、
ともすれば「私がどうしてあなたを欲するか」に焦点が置かれており
「あなたが何を欲するか」を最重要項目として書かれたものでは、
必ずしもない。
いっぽう、愛する相手というのは
既に自分の生活の一部になっている存在か
又は自分のものになってほしいという欲求までをも、超越したところにいる人であったりして
そういう相手に対して綴る、特別な手紙に
名称が無いというのは、
なんだか不思議なことだなあ。。。
そういえば...
私も大昔に、愛してくれる人から手紙をもらったことがある。 母だ。
でもそれは、日常を共にしている時に受け取ったものではなく
家を離れて、遠くアメリカに留学していた時のことだった。
メールも携帯もない時代だったので、べらぼうに高い国際電話以外は「手紙」しかコミュニケーションの手段が無く
私を案じて綴ってくれた母の言葉には何度も励まされたり慰められたりした。
思えば、あれも「愛文(あいぶみ)」だったのだなあ。
家族として愛する相手にこそ、
「あなたは私にとって大切な人なんだよ」と言葉で伝えるのは、ものすごく大事な事のような気がする。
それを話し言葉ではなく、敢えて書き言葉で伝えると
それは物体として手元に残り
何度も何度も読み返せるという恩恵を与えてくれる。
でもそんな手紙を綴ろうとは
忙しい日常の中にあって、そうそう思わないし
家族だからこそ、思いを言葉にすることが
何だか照れくさい感もある。
私個人の印象を述べれば、
自分自身に向けて書く「ほめ日記」よりは、相棒に向けて書く手紙のほうがずっと書き易かったが。
さて、書き上げた「愛文(あいぶみ)」だが
実は相方には送信していない。 苦笑
これを読んだ彼が、まさか気分を害することはないだろうと思うのだが
なんだか送ることに躊躇してしまう(照れてしまう)のは
私と彼が、家族になった証なんだろう。
毎日を共にする、一番身近にいる人に向けて
思いを綴り、伝えるとは
どうしてこうも難しいものかな。
そんな自分が滑稽に思えたりもするが...
妻として自分が進化するチャンスとも解釈して、
「えいやっ!」と送信ボタンを押せる瞬間がやってくるのを
待っているところである。
ほめ日記
2013年08月07日
毎日一生懸命がんばっている皆さん
学校で、職場で
自分の居場所に責任をもって
課された任務を、しんどくても精一杯こなして
いっぱいいっぱいの人もいるだろうか。
このブログ、通勤途中の電車の中で
ケータイで読んで下さってる方も多いようだが
私は車社会のアメリカに生きているので
電車にこそ乗らないが
通勤の運転中は、ぐるぐる思考の流れる時間
1日の始まりなら「今日はあれとあれと、あれをしなきゃ」とか
帰り道なら、今日できなかったことの反省点
「あれも出来なかった、これも出来なかった、あ〜私って、ダメダメ人間!」と、
自分に対する不甲斐なさ感が、脳みその中をかけめぐる。
日本人気性だろうか。
どうしても自分の「足りない部分」に注意がいってしまう。
そして自己嫌悪に陥る。
これを読んで下さってる方の中にも、そういう方はいるのでは...?
でも自分に向かう「マイナスの言葉」は、実は脳に大きなストレスを与えるのだそう。
「ほめ日記」というものの存在を、知った。
自分に対する褒め言葉だけを使って書く日記のことだ。
手塚千砂子さんという方が提唱者なのだそうで、
この日記をつけるようになって、
鬱がなおった、不眠が解消された、夫婦関係が改善された、等々の事例を読んだ。
人間の脳みそというのは、ポジティブな「言葉そのもの」に反応するらしく
その言葉が、誰によって発せられたかは認識しない、つまり全く関係なく
たとえ自分が自分に向かって発したほめ言葉でも、
他人に言われたのと同じように「嬉しいな〜」と解釈して
セロトニンやドーパミンを大量分泌するのだそう。
そして
精神が安定する、
「幸せ感」が溢れる、
「元気が出る」というしくみ。
言わば、自分の脳をちょっと上手に騙すテクニックと言えるかもしれない。
基本は「手書き」
その日、どんなに嫌なことがあったとしても
褒められることだけを拾って、日記に綴る。
下手するとネガティブになってしまう記述でも、なるべくポジティブに解釈して書く。
例えば
「なかなか仕事がはかどらなくて、今日は残業になった」 は
「丁寧に仕事をした」
「休みの日は片付けなきゃならないことが山ほどあったのに、結局一日ダラダラ過ごしてしまった」 は
「自分の体をゆっくり休ませてあげることができた」
ほめ上手になるキーワードは、
えらいね〜
すごいよー
よくやった!
立派!
上手上手
頭いいね
優しいね
大人だね
努力してるじゃん
がんばってるね
やればできる!
いいぞ、いいぞー!
さすが!
などなど。
上記のような言葉を、己に向かって発することに
違和感というか、照れ感というか
なんだかムズムズ感を覚えてしまうのは、私だけだろうか。
でも、これができることは非常に有益なことなのだそう。。。
何故なら
自分を褒めることができる人間は、
他人に対しても褒め上手になるから。
他人に対して褒め上手であるということは
それだけ幸せな人をこの世に増やすことになるからだ。
「ほめ日記」 始めてみようかなあ。
がんばってる自分を、誰も認めてくれなくても
「私自身が分かっている。それでいいじゃないか」
それを確認する作業になる。
しかも、そうした思いを敢えて文字化して
記すことによって
後になっても、自分に対するポジティブな言葉を読み返すことができる。
それ自体が元気の素になるかもしれない。
(ここがポイント。あとで自分で読み返して、ハッピーな気分になるような言葉だけを綴ること、だそう)
それにしても
ほめ言葉を聞いた、その脳が
体を安定に導く成分を分泌するということは
人間の体はもともと「ポジティブな言葉」によって最良の状態を維持されるよう、
DNAにプログラムされているということで
それが本当なら
毎日ごはんを食べたいと思ったり、
喉が渇いて、何か飲みたいなーと思ったり、
疲れたな〜眠りたいな〜と感じて睡眠したりするように
自然と「誰かを褒めたいな〜(自分が幸せになるから)」と思えない私たちは
まだまだ、
細胞の進化に心が追いついていない、未開発の存在なのかもしれない。
ちなみに私は、商売柄よく学生の上達を褒める。
褒められた相手は、それはそれは嬉しそうな表情を返してくれ
それを見て私自身も、それはそれは幸せな気持ちになる。
...が、
同じことを自分に対してしようなどとは、思ったこともない。
なんでだろう。。。
まだまだ未発達の人間だからだろうか。
例えば今から300年後の人類は、
己の健康と幸せのために
現代の私たちより、もっとほめ上手な人種になっているのだろうか。
そんな世の中になっていたら、素敵だなあ。
戦争なんて、
もうこの世に存在しなかったりして。
そしてそれこそが、進化した人類の姿だったりして。
でも、300年後の世の中を見る事のない
私も皆さんも
それでも
今は今で、この世の中を
精一杯生きている。
こうして今日という一日を、がんばって生き抜いた。
そんな皆さんとシェアしたいなと思った、
「ほめ日記」というものの存在。
私は、完璧からは程遠い人間だけれども
それでも
褒められる点は、探せばいくつかあるのかもしれない。
それを、他人ではなく
自分が認識することに
もしかしたら意義があるのかもしれない。
自分でみつける、
自分の「褒められる点」
よかったら皆さんも、今日から探してみませんか。
学校で、職場で
自分の居場所に責任をもって
課された任務を、しんどくても精一杯こなして
いっぱいいっぱいの人もいるだろうか。
このブログ、通勤途中の電車の中で
ケータイで読んで下さってる方も多いようだが
私は車社会のアメリカに生きているので
電車にこそ乗らないが
通勤の運転中は、ぐるぐる思考の流れる時間
1日の始まりなら「今日はあれとあれと、あれをしなきゃ」とか
帰り道なら、今日できなかったことの反省点
「あれも出来なかった、これも出来なかった、あ〜私って、ダメダメ人間!」と、
自分に対する不甲斐なさ感が、脳みその中をかけめぐる。
日本人気性だろうか。
どうしても自分の「足りない部分」に注意がいってしまう。
そして自己嫌悪に陥る。
これを読んで下さってる方の中にも、そういう方はいるのでは...?
でも自分に向かう「マイナスの言葉」は、実は脳に大きなストレスを与えるのだそう。
「ほめ日記」というものの存在を、知った。
自分に対する褒め言葉だけを使って書く日記のことだ。
手塚千砂子さんという方が提唱者なのだそうで、
この日記をつけるようになって、
鬱がなおった、不眠が解消された、夫婦関係が改善された、等々の事例を読んだ。
人間の脳みそというのは、ポジティブな「言葉そのもの」に反応するらしく
その言葉が、誰によって発せられたかは認識しない、つまり全く関係なく
たとえ自分が自分に向かって発したほめ言葉でも、
他人に言われたのと同じように「嬉しいな〜」と解釈して
セロトニンやドーパミンを大量分泌するのだそう。
そして
精神が安定する、
「幸せ感」が溢れる、
「元気が出る」というしくみ。
言わば、自分の脳をちょっと上手に騙すテクニックと言えるかもしれない。
基本は「手書き」
その日、どんなに嫌なことがあったとしても
褒められることだけを拾って、日記に綴る。
下手するとネガティブになってしまう記述でも、なるべくポジティブに解釈して書く。
例えば
「なかなか仕事がはかどらなくて、今日は残業になった」 は
「丁寧に仕事をした」
「休みの日は片付けなきゃならないことが山ほどあったのに、結局一日ダラダラ過ごしてしまった」 は
「自分の体をゆっくり休ませてあげることができた」
ほめ上手になるキーワードは、
えらいね〜
すごいよー
よくやった!
立派!
上手上手
頭いいね
優しいね
大人だね
努力してるじゃん
がんばってるね
やればできる!
いいぞ、いいぞー!
さすが!
などなど。
上記のような言葉を、己に向かって発することに
違和感というか、照れ感というか
なんだかムズムズ感を覚えてしまうのは、私だけだろうか。
でも、これができることは非常に有益なことなのだそう。。。
何故なら
自分を褒めることができる人間は、
他人に対しても褒め上手になるから。
他人に対して褒め上手であるということは
それだけ幸せな人をこの世に増やすことになるからだ。
「ほめ日記」 始めてみようかなあ。
がんばってる自分を、誰も認めてくれなくても
「私自身が分かっている。それでいいじゃないか」
それを確認する作業になる。
しかも、そうした思いを敢えて文字化して
記すことによって
後になっても、自分に対するポジティブな言葉を読み返すことができる。
それ自体が元気の素になるかもしれない。
(ここがポイント。あとで自分で読み返して、ハッピーな気分になるような言葉だけを綴ること、だそう)
それにしても
ほめ言葉を聞いた、その脳が
体を安定に導く成分を分泌するということは
人間の体はもともと「ポジティブな言葉」によって最良の状態を維持されるよう、
DNAにプログラムされているということで
それが本当なら
毎日ごはんを食べたいと思ったり、
喉が渇いて、何か飲みたいなーと思ったり、
疲れたな〜眠りたいな〜と感じて睡眠したりするように
自然と「誰かを褒めたいな〜(自分が幸せになるから)」と思えない私たちは
まだまだ、
細胞の進化に心が追いついていない、未開発の存在なのかもしれない。
ちなみに私は、商売柄よく学生の上達を褒める。
褒められた相手は、それはそれは嬉しそうな表情を返してくれ
それを見て私自身も、それはそれは幸せな気持ちになる。
...が、
同じことを自分に対してしようなどとは、思ったこともない。
なんでだろう。。。
まだまだ未発達の人間だからだろうか。
例えば今から300年後の人類は、
己の健康と幸せのために
現代の私たちより、もっとほめ上手な人種になっているのだろうか。
そんな世の中になっていたら、素敵だなあ。
戦争なんて、
もうこの世に存在しなかったりして。
そしてそれこそが、進化した人類の姿だったりして。
でも、300年後の世の中を見る事のない
私も皆さんも
それでも
今は今で、この世の中を
精一杯生きている。
こうして今日という一日を、がんばって生き抜いた。
そんな皆さんとシェアしたいなと思った、
「ほめ日記」というものの存在。
私は、完璧からは程遠い人間だけれども
それでも
褒められる点は、探せばいくつかあるのかもしれない。
それを、他人ではなく
自分が認識することに
もしかしたら意義があるのかもしれない。
自分でみつける、
自分の「褒められる点」
よかったら皆さんも、今日から探してみませんか。
からだは時の器
2013年07月28日
7月に入ってからずっと夏日が続いているシアトル。
母の日にもらったフラワーバスケット。
5月にはこんな感じだったのに
バルコニーに吊るしたらお陽さまをいっぱい受けて、今では籠からお花があふれんばかり。
こんなにふくらんだ。
アパートに隣接する Botanical Gardenへ直結するゲートも
3月はこんなだったのが
今では緑に埋もれそうだ。
ここ数年の不摂生が祟ったか、最近体調がイマイチ。
しかもまあ、自分でもあきれるぐらい
ブクブクと太ってきた。
もともと「やせ」ではないが、肥満というわけでもなく
暴飲暴食のわりには(私はアメリカ人の夫が「なんでそんなに食べれるの??」とビックリするような量を食べる)ここ20年位は体型の変化は殆ど無く
中肉中背を維持してきたのだが
いくらなんでも中年期に入って、「なにもせずとも」というわけにもいかなくなってきたのだろう。
自分の生活ぶりが、きっちり体調/体型に反映される年齢になってきたと実感。
そんな事に気づくようになったのも、先学期が終了して仕事がようやく一段落し
少しばかり自分のことを振り返る時間が持てたから。
振り返ってみて、久々に己の有様をきっちり直視してみたら
その現実にうひょ〜〜!と自分でビックリして
思わず相方に
「あたし、ちょっとひどくない!?めっちゃ太ったよね!?」と確認すると
You haven't changed a bit (全然変わってないよ)
と優等生の答えが返ってきた。
こやつ、見かけによらずカミさんの扱いを心得てる賢いやつとちょっと感心。
(世の旦那さん。奥様の「太ったよね?」の問いに決して正直に答えてはいけませんよ。)
それにしてもストレスからとはいえ
ここ数年「休肝日」なしで毎晩飲み続け、夜中に「お腹すいたなあ〜」とラーメン作って食べたりしてるようでは
この状態は当然と言える。
(でも、飲んでるときと食べてるときが一番シアワセだったりする...)
体が重くなってくると、それと比例して足がダルくなってきたり持病の腰痛が悪化したり、、、
おそらく重さだけでなく筋力も低下しているのだろう。
親にもらった丈夫な体に甘んじて
ずいぶんと自分のメンテを怠ってきたなあ、、、と素直に反省した。
お父さんお母さん、ごめんなさい。
大昔、若かりし頃は
これでも「ダイエット」なんぞをトライした記憶があるが
今の私に「食べる/飲む」を制限するという観念は *まったく* 無い。
食べたい物を食べたいだけ食べ、飲みたいものを飲む。
となれば、運動するしかない。
ということで、夏になってからお隣のBotanical Garden直通のゲートをくぐって
なるべく定期的に歩くようにしている。夫もいっしょに歩いている。
ちなみに「歩く」と肝臓に送られる酸素と血量が増加し、肝機能も強化されるのだそう。
日々肝臓を酷使する呑んべえにはうってつけである。
木々のざわめき鳥のさえずりを聞きながら、木漏れ日の中をくぐりぬけてゆく。
緑のちからって
あなどれない。
森林浴の中を30分歩くだけで、
体だけでなく 気持ちまですーっと浄化されてゆくようだ。
リスさん、うさぎさんにはよく出くわすが
先日はこんな珍しい隣人にも遭遇した。
うちらが真横を通ろうが、携帯カメラを向けようが
「我関せず」といった風貌で
ゆったりのんびり... お食事中であらしゃった。
優美だなあ。
大好きな雑誌【婦人公論】を、ちょっと贅沢して久しぶりに購入した。
その号に、石内都さんという女性写真家の記事があり
「身体は時の器だ」
という彼女の言葉が紹介されていた。
石内都さんは、御年66歳。
40歳の時に、自分と同い年「1947年生まれ」の50人の女性の
手と足のクローズアップ写真を集めた
『1.9.4.7』 という写真集を発表されたことがあるそうだ。
シワやシミのある手、かかとがカサついた足、、、
その女性が40年間重ねてきた時間を、もの言わずただ静かに伝える身体。
それを映し出した写真は、女たちの生を愛おしく見守る作品だと高く評価されたとのこと。
からだは、「時の器」かあ。。。
いいことばだなあ。
実は先週、9年乗り続けている愛車が突然動かなくなり
出先で立ち往生するというハプニングに遭遇した。
結局1300ドルというかなりイタイ出費だったが、お金を払ってきちんと修理をしてもらったら、愛車はまた新車のごとく軽快に走り出した。
車だったらパーツを変えれば生き返る。
人間の身体はそうはいかない。
自分という人間を定義するのは「からだ」ではなく「こころ」だと思っているが
その心が自由であり、歓びを感じていられるのは
健康な身体があってこそ。
ひとつしかない
からだ。
それもいつかは老い果ててこの世から消える。
「たのむから、もうちょっと構ってくれよ」とクレームが入った。
自分のものだと思うから傲慢になる。
親からもらった。
大事にしよう。
シワだらけシミだらけブヨブヨたるみまくりでも、毎日がんばって働いてくれている。そう思うと愛おしい。
からだは時の器。
自分の有様が、しっかり刻みこまれ表に現れてくる。
そんな年齢になって、やっと
人は自分のからだに対して謙虚さを学ぶのかもしれないなあ。
母の日にもらったフラワーバスケット。
5月にはこんな感じだったのに
バルコニーに吊るしたらお陽さまをいっぱい受けて、今では籠からお花があふれんばかり。
こんなにふくらんだ。
アパートに隣接する Botanical Gardenへ直結するゲートも
3月はこんなだったのが
今では緑に埋もれそうだ。
ここ数年の不摂生が祟ったか、最近体調がイマイチ。
しかもまあ、自分でもあきれるぐらい
ブクブクと太ってきた。
もともと「やせ」ではないが、肥満というわけでもなく
暴飲暴食のわりには(私はアメリカ人の夫が「なんでそんなに食べれるの??」とビックリするような量を食べる)ここ20年位は体型の変化は殆ど無く
中肉中背を維持してきたのだが
いくらなんでも中年期に入って、「なにもせずとも」というわけにもいかなくなってきたのだろう。
自分の生活ぶりが、きっちり体調/体型に反映される年齢になってきたと実感。
そんな事に気づくようになったのも、先学期が終了して仕事がようやく一段落し
少しばかり自分のことを振り返る時間が持てたから。
振り返ってみて、久々に己の有様をきっちり直視してみたら
その現実にうひょ〜〜!と自分でビックリして
思わず相方に
「あたし、ちょっとひどくない!?めっちゃ太ったよね!?」と確認すると
You haven't changed a bit (全然変わってないよ)
と優等生の答えが返ってきた。
こやつ、見かけによらずカミさんの扱いを心得てる賢いやつとちょっと感心。
(世の旦那さん。奥様の「太ったよね?」の問いに決して正直に答えてはいけませんよ。)
それにしてもストレスからとはいえ
ここ数年「休肝日」なしで毎晩飲み続け、夜中に「お腹すいたなあ〜」とラーメン作って食べたりしてるようでは
この状態は当然と言える。
(でも、飲んでるときと食べてるときが一番シアワセだったりする...)
体が重くなってくると、それと比例して足がダルくなってきたり持病の腰痛が悪化したり、、、
おそらく重さだけでなく筋力も低下しているのだろう。
親にもらった丈夫な体に甘んじて
ずいぶんと自分のメンテを怠ってきたなあ、、、と素直に反省した。
お父さんお母さん、ごめんなさい。
大昔、若かりし頃は
これでも「ダイエット」なんぞをトライした記憶があるが
今の私に「食べる/飲む」を制限するという観念は *まったく* 無い。
食べたい物を食べたいだけ食べ、飲みたいものを飲む。
となれば、運動するしかない。
ということで、夏になってからお隣のBotanical Garden直通のゲートをくぐって
なるべく定期的に歩くようにしている。夫もいっしょに歩いている。
ちなみに「歩く」と肝臓に送られる酸素と血量が増加し、肝機能も強化されるのだそう。
日々肝臓を酷使する呑んべえにはうってつけである。
木々のざわめき鳥のさえずりを聞きながら、木漏れ日の中をくぐりぬけてゆく。
緑のちからって
あなどれない。
森林浴の中を30分歩くだけで、
体だけでなく 気持ちまですーっと浄化されてゆくようだ。
リスさん、うさぎさんにはよく出くわすが
先日はこんな珍しい隣人にも遭遇した。
うちらが真横を通ろうが、携帯カメラを向けようが
「我関せず」といった風貌で
ゆったりのんびり... お食事中であらしゃった。
優美だなあ。
大好きな雑誌【婦人公論】を、ちょっと贅沢して久しぶりに購入した。
その号に、石内都さんという女性写真家の記事があり
「身体は時の器だ」
という彼女の言葉が紹介されていた。
石内都さんは、御年66歳。
40歳の時に、自分と同い年「1947年生まれ」の50人の女性の
手と足のクローズアップ写真を集めた
『1.9.4.7』 という写真集を発表されたことがあるそうだ。
シワやシミのある手、かかとがカサついた足、、、
その女性が40年間重ねてきた時間を、もの言わずただ静かに伝える身体。
それを映し出した写真は、女たちの生を愛おしく見守る作品だと高く評価されたとのこと。
からだは、「時の器」かあ。。。
いいことばだなあ。
実は先週、9年乗り続けている愛車が突然動かなくなり
出先で立ち往生するというハプニングに遭遇した。
結局1300ドルというかなりイタイ出費だったが、お金を払ってきちんと修理をしてもらったら、愛車はまた新車のごとく軽快に走り出した。
車だったらパーツを変えれば生き返る。
人間の身体はそうはいかない。
自分という人間を定義するのは「からだ」ではなく「こころ」だと思っているが
その心が自由であり、歓びを感じていられるのは
健康な身体があってこそ。
ひとつしかない
からだ。
それもいつかは老い果ててこの世から消える。
「たのむから、もうちょっと構ってくれよ」とクレームが入った。
自分のものだと思うから傲慢になる。
親からもらった。
大事にしよう。
シワだらけシミだらけブヨブヨたるみまくりでも、毎日がんばって働いてくれている。そう思うと愛おしい。
からだは時の器。
自分の有様が、しっかり刻みこまれ表に現れてくる。
そんな年齢になって、やっと
人は自分のからだに対して謙虚さを学ぶのかもしれないなあ。
だっこのしゅくだい
2013年07月03日
「だっこのしゅくだい」
せんせいが、「きょうのしゅくだいは、だっこです。
おうちの人みんなにだっこしてもらってね」といいました。
ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。
だって、だっこのしゅくだいなんて、はじめてだからです。
なんかはずかしいとおもいました。
でも、うれしかったです。
いそいでいえにかえりました。
いえにかえって、すぐ、おかあさんに、
「だっこがしゅくだいにでたんよ。しゅくだいじゃけえ、だっこして」
と小さいこえでいいました。
おかあさんは「へえ、だっこのしゅくだいでたん?」とびっくりしました。
でも、すぐ「いいよ」とにっこりしていってくれました。
おかあさんはすわって、ぼくをひざにのせて、りょう手できゅうっとだきしめてくれました。
おかあさんのからだはぬくかったです。
だっこしてもらっていたら、ぼくのからだもぬくくなりました。
ぼくが「おうちの人みんなにだっこしてもらわんといけん」といったら、
おかあさんがちっちゃいばあちゃんに「だっこしてやって」といってくれました。
ちっちゃいばあちゃんはわらって「おいで」といって、だっこしてくれました。
そして、「大きゅうなったねぇ」といってくれました。
つぎは大きいばあちゃんにだっこしてもらいました。
大きいばあちゃんはぼくをだっこして「おもとうなったのう」といってくれました。
さいごはおとうさんでした。
おとうさんはいきなりりょう手でぼくのからだをもちあげて、どうあげをしてくれました。
ぼくのからだはくうちゅうにふわっとうかんで、きもちよかったです。
おとうさんはぼくをゆっくりおろして、ぎゅっとだきしめてくれました。
おとうさんのからだはぬくかったです。
ぼくはまたしてもらいたいとおもいました。
だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなにだっこしてもらいました。
さいしょははずかしかったけど、きもちよかったです。
だっこのしゅくだい、またでたらいいなとおもいました。
引用元: (孤独になる前に読んでおきたい10の物語 講談社)
友人のFacebookページで見つけた、こんなあったかいお話。
小学校一年生の子が書いた作文だそうだ。
平素なことばで綴られたまっさらな気持ちの丈が、清々しい。
「両手」ではなく「りょう手」と書いてあると、その手の体温まで伝わってくるような優しさを感じるのは、なぜだろう。
「ぬくかったです」「おもとうなったのう」...方言が伝える、柔らかい愛情。
そして、このしゅくだいを出した先生。
素晴らしい教育者だと思った。
「ハグ」という習慣のない、日本の文化。
たった7歳そこらの男の子が、
それをもう「なんか、はずかしい」と表現している。
でも、信頼する人の腕に抱かれて得る心の安定は、計り知れないものだ。
それは、幼い子供に限ったことではないように思う。
私だって、めちゃくちゃ疲れていたり凹んだりした時には
自分から「I need a hug。。。」とお願いして、相棒に元気をもらうことがある。
落ち込んでいる友達には「You need a hug」と言って、相手を腕に抱く。
でもそれは、女友達のあいだでよく見られる光景で、
男性同士の場合は少し事情が違うかも。。。
アメリカであっても、「ハグ」の男女差は明らかに存在する。
やり方も違うし(女性同士の場合はぎゅぅ〜っ、男性同士の場合は軽くパンっという感じ)
頻度も女性のほうが圧倒的に多いだろう。
親子のあいだでもそれは変わらず
父親と息子のハグというのは、
ある限られた状況の時にしか発生しない感がある。
(卒業式などのお祝いイベントとか、しばしのお別れになる時とか)
この作文を読んで、思ってしまった。
私は息子を充分にハグしていただろうか、と。
初めて出会った時にすでにティーンエージャーだった息子は、父親とはもはやスキンシップは殆ど持たない年齢に達しており
私は、夫と息子がお互いをハグしているところを
おそらく数えるほどしか見たことがない。
息子をハグする回数は、夫より私のほうがもちろん多かったのだが
それでも毎日毎日ハグしていたわけではない。
女の子なら頻繁に経験するだろう 友達同士のハグも
男の子同士では、その機会はあまり無かったことだろう。
もっと腕に抱いてやればよかったと思った。10代という多感な時期に。
年を重ねるほど、大人になるほど
信頼する人の腕に抱かれ、ぬくもりを受け取るチャンスの少ない
男性のほうが
「だっこ」を渇望する気持ちは もしかしたら強いかもしれない。
この男の子のように
「なんかはずかしい」と思って
普段は口に出来ないだけなのかもしれない。
そして「だっこのしゅくだい、またでたらいいな」と思うのかもしれない。
女性である自分がリードをとって、愛する人に腕をのばそう。
小学校一年生の作文を読んでふとそう思ったことだった。
今日これを読んで下さった女性の皆さんも
たまには、近くにいる大切な人を
「だっこ」されてみてはいかがだろうか。
せんせいが、「きょうのしゅくだいは、だっこです。
おうちの人みんなにだっこしてもらってね」といいました。
ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。
だって、だっこのしゅくだいなんて、はじめてだからです。
なんかはずかしいとおもいました。
でも、うれしかったです。
いそいでいえにかえりました。
いえにかえって、すぐ、おかあさんに、
「だっこがしゅくだいにでたんよ。しゅくだいじゃけえ、だっこして」
と小さいこえでいいました。
おかあさんは「へえ、だっこのしゅくだいでたん?」とびっくりしました。
でも、すぐ「いいよ」とにっこりしていってくれました。
おかあさんはすわって、ぼくをひざにのせて、りょう手できゅうっとだきしめてくれました。
おかあさんのからだはぬくかったです。
だっこしてもらっていたら、ぼくのからだもぬくくなりました。
ぼくが「おうちの人みんなにだっこしてもらわんといけん」といったら、
おかあさんがちっちゃいばあちゃんに「だっこしてやって」といってくれました。
ちっちゃいばあちゃんはわらって「おいで」といって、だっこしてくれました。
そして、「大きゅうなったねぇ」といってくれました。
つぎは大きいばあちゃんにだっこしてもらいました。
大きいばあちゃんはぼくをだっこして「おもとうなったのう」といってくれました。
さいごはおとうさんでした。
おとうさんはいきなりりょう手でぼくのからだをもちあげて、どうあげをしてくれました。
ぼくのからだはくうちゅうにふわっとうかんで、きもちよかったです。
おとうさんはぼくをゆっくりおろして、ぎゅっとだきしめてくれました。
おとうさんのからだはぬくかったです。
ぼくはまたしてもらいたいとおもいました。
だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなにだっこしてもらいました。
さいしょははずかしかったけど、きもちよかったです。
だっこのしゅくだい、またでたらいいなとおもいました。
引用元: (孤独になる前に読んでおきたい10の物語 講談社)
友人のFacebookページで見つけた、こんなあったかいお話。
小学校一年生の子が書いた作文だそうだ。
平素なことばで綴られたまっさらな気持ちの丈が、清々しい。
「両手」ではなく「りょう手」と書いてあると、その手の体温まで伝わってくるような優しさを感じるのは、なぜだろう。
「ぬくかったです」「おもとうなったのう」...方言が伝える、柔らかい愛情。
そして、このしゅくだいを出した先生。
素晴らしい教育者だと思った。
「ハグ」という習慣のない、日本の文化。
たった7歳そこらの男の子が、
それをもう「なんか、はずかしい」と表現している。
でも、信頼する人の腕に抱かれて得る心の安定は、計り知れないものだ。
それは、幼い子供に限ったことではないように思う。
私だって、めちゃくちゃ疲れていたり凹んだりした時には
自分から「I need a hug。。。」とお願いして、相棒に元気をもらうことがある。
落ち込んでいる友達には「You need a hug」と言って、相手を腕に抱く。
でもそれは、女友達のあいだでよく見られる光景で、
男性同士の場合は少し事情が違うかも。。。
アメリカであっても、「ハグ」の男女差は明らかに存在する。
やり方も違うし(女性同士の場合はぎゅぅ〜っ、男性同士の場合は軽くパンっという感じ)
頻度も女性のほうが圧倒的に多いだろう。
親子のあいだでもそれは変わらず
父親と息子のハグというのは、
ある限られた状況の時にしか発生しない感がある。
(卒業式などのお祝いイベントとか、しばしのお別れになる時とか)
この作文を読んで、思ってしまった。
私は息子を充分にハグしていただろうか、と。
初めて出会った時にすでにティーンエージャーだった息子は、父親とはもはやスキンシップは殆ど持たない年齢に達しており
私は、夫と息子がお互いをハグしているところを
おそらく数えるほどしか見たことがない。
息子をハグする回数は、夫より私のほうがもちろん多かったのだが
それでも毎日毎日ハグしていたわけではない。
女の子なら頻繁に経験するだろう 友達同士のハグも
男の子同士では、その機会はあまり無かったことだろう。
もっと腕に抱いてやればよかったと思った。10代という多感な時期に。
年を重ねるほど、大人になるほど
信頼する人の腕に抱かれ、ぬくもりを受け取るチャンスの少ない
男性のほうが
「だっこ」を渇望する気持ちは もしかしたら強いかもしれない。
この男の子のように
「なんかはずかしい」と思って
普段は口に出来ないだけなのかもしれない。
そして「だっこのしゅくだい、またでたらいいな」と思うのかもしれない。
女性である自分がリードをとって、愛する人に腕をのばそう。
小学校一年生の作文を読んでふとそう思ったことだった。
今日これを読んで下さった女性の皆さんも
たまには、近くにいる大切な人を
「だっこ」されてみてはいかがだろうか。
大恋愛、その18年後
2013年06月22日
鹿児島に帰りたい
2013年06月12日
同僚の先生に、同年代の日本人女性で
アメリカに移住してきて、まだ4年という方がいる。
20代、30代という時間を、日本国内で日本語講師として過ごしてきた方だ。
その人と先日おしゃべりをしていて
日本の社会で、社会人として機能してゆくためには何が不可欠か
つまり
日本の職場ではどういったことで揉めるのか、それにはどう対処するべきなのか、
加えて自分にとって働き易い環境を作り上げてゆくには、どういった人とどういうふうに付き合って、何を(特に女性として)言ってはいけないのか、してはいけないのか...等々のお話を伺った。
聞いていて
非常に、興味深く
そしておそらく自分は もう日本という社会では上手く機能しないだろうなという
漠然とした淋しさも覚えた。
アメリカ人の夫には いつも
「君は、骨の髄までめちゃめちゃ日本人」 と言われ
「そのままでいい、変わることはない。アメリカ人になることはない。日本人でいなさい」 と言ってもらい、
私も日本人を辞める気はさらさらないので、在米20年経った今でも市民権すら取得していないという有様で (なのでこんなに税金を払っているのも関わらず、私には選挙権が無い)
今でも日本のパスポートを持ち、日本人として日本に入国する。
でも、たまに日本に帰ると
なんというか、自分が浮いてるなあ〜と感じることがある。
それもそのはず、私の中の日本人は20年前のままで止まっていて
その間、母国は
人もふくめ、言葉もふくめ、慣習もふくめ、様々な面で変化してきたのである。
そこに暮らしていなかった私は、その変化と共に生きてこなかったのである。
アメリカに何年暮らそうと、もちろん「アメリカ人」になどなれず
日本に帰っても、なんとなく「そこにそぐわない感」のある自分。
そんな宙ぶらりんな感覚を味わうようになったのは、在米10年を過ぎた頃からだろうか。
今でもよく覚えているのは、ちょうどその頃(2003年ごろ)
帰国して大阪でタクシーに乗ったとき
運転手さんと普通に楽しくおしゃべりしていて(少なくとも私はそのつもりでいて)
降りるときになって
「お客さん、もしかして海外に住んでる人?」 と言われたことがあったこと。
(会話の中では「出身は鹿児島です」としか、言ってなかったのだが)
えっ、何でですか??? と驚いて聞いたら
ん〜、なんとなく雰囲気からそうかなあと思って...、とだけ。
雰囲気......
そう、この「雰囲気から」というのが、ミソなのだ。
たぶん自分では気付かないうちに、運転手さんとのおしゃべりの最中に
私がなにかズケズケとした物言いをしたか、配慮の足りないことをしたか
全くとんちんかんなことを口にしたか...
いずれにせよ、何かしでかしたのだと思う。
(今でも何をしでかしたのか、全く分かっていない)
自分ではコントロールできない、この「雰囲気」というやつ。
これは、そこに住む者同士が
日々同じ空気を吸い、その時市場に出回っている同じものを食べ
テレビで同じニュースを見て
同じ話題で言葉を交わし、盛り上がったり、はたまた心を痛めたり、、、
そうやって「その時」を共にすることで、自然と培われるものなのだと思う。
なのでそうした時間を共有しなかった者には、どうしたって醸し出せない「空気」みたいなものなのだと思う。
そうした「時間」を20年もの長いあいだ共有してこなかった私は、
完全なるアウトサイダー(外れ者)である。
それでも 故郷に 帰りたい。
家族が元気でいてくれている間は、どうしたって帰りたい。
そろそろ日本に居た年数より、アメリカにいる年数のほうが長くなりつつある私だが
それでも日本は自分のルーツなのである。
帰ると、つながってホッとする。
シアトルにいると殆ど話すことのない「かごんま弁」が
鹿児島空港に降り立った途端、スラスラと口から滑るように出て来る。
数年しゃべっていなくても、まるで昨日までしゃべっていたかのように出てくる。
そんな自分とつながると、理屈抜きに 嬉しい。
そして、「ああ、まだいたか...」と安堵する。
ちょっと考えてみる。これが逆のケースだったら?
例えば英語を数年話さない状況にあった自分がアメリカに戻るとする。
戻った時点で「すぐにスラスラ〜」といくだろうか? いかないと思うのだ。
それほど、母語というのは
自分の中に根深く生き続けている。
この夏は、是が非でも帰りたい。
そう強く思った時点(2月)で、既に大学の夏のスケジュールまで決まってしまっていたため(夏期講習を教えることになっていた)
帰国はどうやら9月ごろまで叶いそうにないのだが
どうにかして帰ろうと思っている。
夫はその頃はどうしてもバケーションが取れないので、今回は一人で帰らざるを得ないが
「行っておいで」と言ってくれるその言葉に甘えて、一人きりで帰省させてもらおうと思っている。
「クレイジー」だった今学期もやっと終わりが見えてきて、ようやく綿密な計画にとりかかる時間的余裕ができてきたところだ。
日本でドラマ制作のお仕事に携わっているお友達、floorさんが
ご自身の関わった作品 「母。わが子へ」 というドラマのDVDを先日わざわざ送ってきて下さった。
母親と息子がテーマの作品。
親としての視点から、そして子供としての視点から
どちらの立場からも「だから家族なんだよ」を温かく教えてくれるような、心に深く残る作品だった。
ドラマの中で母親役だった八千草薫さんの、こういうセリフがあった。
故郷ってね、人なのよ。
そう、会いたい人がいるところが、ふるさと。
会いたい人がいるから、帰ろうと思う。
何となく浮いてるんだなあ〜と感じても、帰りたいと思う。
今から何十年もの時間が経って、そうした人たちがみんな居なくなってしまったら
ふるさとに帰る理由は、なくなってしまうかもしれない。
もう帰れなくなってしまうかもしれない。
会いに帰りたいと思う人が、
まだ生きてこの世にいてくれている。
そのことを、決して「当たり前」とは思うまい。
まだこの世にいてくれている。
だから、帰ろう。
会いに帰ろう。
アメリカに移住してきて、まだ4年という方がいる。
20代、30代という時間を、日本国内で日本語講師として過ごしてきた方だ。
その人と先日おしゃべりをしていて
日本の社会で、社会人として機能してゆくためには何が不可欠か
つまり
日本の職場ではどういったことで揉めるのか、それにはどう対処するべきなのか、
加えて自分にとって働き易い環境を作り上げてゆくには、どういった人とどういうふうに付き合って、何を(特に女性として)言ってはいけないのか、してはいけないのか...等々のお話を伺った。
聞いていて
非常に、興味深く
そしておそらく自分は もう日本という社会では上手く機能しないだろうなという
漠然とした淋しさも覚えた。
アメリカ人の夫には いつも
「君は、骨の髄までめちゃめちゃ日本人」 と言われ
「そのままでいい、変わることはない。アメリカ人になることはない。日本人でいなさい」 と言ってもらい、
私も日本人を辞める気はさらさらないので、在米20年経った今でも市民権すら取得していないという有様で (なのでこんなに税金を払っているのも関わらず、私には選挙権が無い)
今でも日本のパスポートを持ち、日本人として日本に入国する。
でも、たまに日本に帰ると
なんというか、自分が浮いてるなあ〜と感じることがある。
それもそのはず、私の中の日本人は20年前のままで止まっていて
その間、母国は
人もふくめ、言葉もふくめ、慣習もふくめ、様々な面で変化してきたのである。
そこに暮らしていなかった私は、その変化と共に生きてこなかったのである。
アメリカに何年暮らそうと、もちろん「アメリカ人」になどなれず
日本に帰っても、なんとなく「そこにそぐわない感」のある自分。
そんな宙ぶらりんな感覚を味わうようになったのは、在米10年を過ぎた頃からだろうか。
今でもよく覚えているのは、ちょうどその頃(2003年ごろ)
帰国して大阪でタクシーに乗ったとき
運転手さんと普通に楽しくおしゃべりしていて(少なくとも私はそのつもりでいて)
降りるときになって
「お客さん、もしかして海外に住んでる人?」 と言われたことがあったこと。
(会話の中では「出身は鹿児島です」としか、言ってなかったのだが)
えっ、何でですか??? と驚いて聞いたら
ん〜、なんとなく雰囲気からそうかなあと思って...、とだけ。
雰囲気......
そう、この「雰囲気から」というのが、ミソなのだ。
たぶん自分では気付かないうちに、運転手さんとのおしゃべりの最中に
私がなにかズケズケとした物言いをしたか、配慮の足りないことをしたか
全くとんちんかんなことを口にしたか...
いずれにせよ、何かしでかしたのだと思う。
(今でも何をしでかしたのか、全く分かっていない)
自分ではコントロールできない、この「雰囲気」というやつ。
これは、そこに住む者同士が
日々同じ空気を吸い、その時市場に出回っている同じものを食べ
テレビで同じニュースを見て
同じ話題で言葉を交わし、盛り上がったり、はたまた心を痛めたり、、、
そうやって「その時」を共にすることで、自然と培われるものなのだと思う。
なのでそうした時間を共有しなかった者には、どうしたって醸し出せない「空気」みたいなものなのだと思う。
そうした「時間」を20年もの長いあいだ共有してこなかった私は、
完全なるアウトサイダー(外れ者)である。
それでも 故郷に 帰りたい。
家族が元気でいてくれている間は、どうしたって帰りたい。
そろそろ日本に居た年数より、アメリカにいる年数のほうが長くなりつつある私だが
それでも日本は自分のルーツなのである。
帰ると、つながってホッとする。
シアトルにいると殆ど話すことのない「かごんま弁」が
鹿児島空港に降り立った途端、スラスラと口から滑るように出て来る。
数年しゃべっていなくても、まるで昨日までしゃべっていたかのように出てくる。
そんな自分とつながると、理屈抜きに 嬉しい。
そして、「ああ、まだいたか...」と安堵する。
ちょっと考えてみる。これが逆のケースだったら?
例えば英語を数年話さない状況にあった自分がアメリカに戻るとする。
戻った時点で「すぐにスラスラ〜」といくだろうか? いかないと思うのだ。
それほど、母語というのは
自分の中に根深く生き続けている。
この夏は、是が非でも帰りたい。
そう強く思った時点(2月)で、既に大学の夏のスケジュールまで決まってしまっていたため(夏期講習を教えることになっていた)
帰国はどうやら9月ごろまで叶いそうにないのだが
どうにかして帰ろうと思っている。
夫はその頃はどうしてもバケーションが取れないので、今回は一人で帰らざるを得ないが
「行っておいで」と言ってくれるその言葉に甘えて、一人きりで帰省させてもらおうと思っている。
「クレイジー」だった今学期もやっと終わりが見えてきて、ようやく綿密な計画にとりかかる時間的余裕ができてきたところだ。
日本でドラマ制作のお仕事に携わっているお友達、floorさんが
ご自身の関わった作品 「母。わが子へ」 というドラマのDVDを先日わざわざ送ってきて下さった。
母親と息子がテーマの作品。
親としての視点から、そして子供としての視点から
どちらの立場からも「だから家族なんだよ」を温かく教えてくれるような、心に深く残る作品だった。
ドラマの中で母親役だった八千草薫さんの、こういうセリフがあった。
故郷ってね、人なのよ。
そう、会いたい人がいるところが、ふるさと。
会いたい人がいるから、帰ろうと思う。
何となく浮いてるんだなあ〜と感じても、帰りたいと思う。
今から何十年もの時間が経って、そうした人たちがみんな居なくなってしまったら
ふるさとに帰る理由は、なくなってしまうかもしれない。
もう帰れなくなってしまうかもしれない。
会いに帰りたいと思う人が、
まだ生きてこの世にいてくれている。
そのことを、決して「当たり前」とは思うまい。
まだこの世にいてくれている。
だから、帰ろう。
会いに帰ろう。
癒しの訪問客
2013年06月10日
今日は記事に入るまえにひとつだけ、、、
鹿児島のみゆきさん、メールをどうもありがとうございました。
何度も返信を試みたのですが、どうしても「送信不可」のメッセージが戻ってきてしまいます。
半年前の1通目はちゃんと届いたのに、何故今回のメールは送信不可となってしまうのか分からないのですが、そしてみゆきさんのアドレスは携帯アドレスとお見受けしますが、もしもパソコンのアドレスをお持ちでしたら、お知らせ頂けないでしょうか。
よろしくお願いします。
さて、うちのやんちゃども、キキとココ。
いつもは家の中を走り回っているこの二匹が、こうして静か〜に窓際で見入っている時は、外界で何か起こっているとき。
大概は、ご近所の方がワンちゃんを散歩させてるか
またはリスがちょろちょろ近辺をうろついているときだ。
今回も
「リスかな?」とふと外に目をやってみたら、、、
ん?
えっ??
ええ〜〜!!
ラクーンだ!!!
(これは日本語では「たぬき」?「あらいぐま」??)
この数分まえに、夫が
鳥さんとリスさんのためにバラまいていたパンの欠片につられて出てきたらしい。
でもラクーンって、完全に夜行性のはず。
この時点で、午後3時頃。
こんな時間に姿を現すなんて、非常に珍しい。。。よっぽどお腹がすいていたのだろうか。
というか、家の周辺にまさかラクーンがいたなんて!!
夫と二人して、慌ててバルコニーに出てみる。
ラクーンは別に私たちを恐れる風でもなく、マイペースでパンの欠片を次から次へと頬張っている。
呼びかけると、写真にあるようにつぶらな瞳でこちらを見上げる。
そして、また食べることに戻る。
すごいねえ〜、本物のラクーンだ。 可愛いねえ。。。
なんて言いながら、相方と二人して下方に集中していた、そのとき
夫の肩越しに見つけた
同じように下方に集中していた、もう一人のこやつ...
リスさんです。
「それ、、、僕が食べるはずだったパンなんですけど。。。」 とでも言いたげに
ジーーーッと
長いこと下を見ておりました。
というか、ほんの1m手前にいる私たち(人間)には目もくれず
ラクーンのほうがよっぽど脅威なのか
枝葉の合間で位置を変えながら、長い事彼の動向に注視しておりました。
(リスがこんな間近に来たのも実は初めての体験で、かなり感動)
先日の「青い鳥」といい、
家にいながら
こんなにも自然界の住人たちと触れ合えるというのが、とっても不思議。
そして何だか、とても救われる思い。。。
ただの偶然といえば、偶然なんだけど
この子たちが私たちの前に姿を現してくれたということが、尊いことのように思えたりする。
私はかつて楽園(ハワイ)に長いこと住んでいたが
家のバルコニーにやってきてくれるのは、ハトさんぐらいだった。
夫はというと
シアトル市内からずっと北上したところにある、小さな田舎町で育った人だが
こんなに多くの鳥や動物を身近に感じながら暮らしているのは
今が初めてだと言う。
うちは決して山奥ではなくて、アパートの敷地内を一歩でれば近辺はこんな感じ。
ここに越して来るまえに住んでいた地域のほうがよっぽど田舎だったのだが、、、
「君が原因だね」 と夫は言う。
「どう考えても、あなたでしょう」 と私は返す。
口下手で全く社交的でない夫は、なぜだか子供と動物にはモテるタイプ。
せっせとピーナッツを買ってきてはバラまいたり
こうしてパンをバラまいたり
鳥のえさをきらさないようにいつも気をつけてくれてるのは、夫のほうだ。
私はこうして、その恩恵にあずかっている。
こんな小さな私たちのアパートに
顔を出してくれるお客さんたち。
誰を傷つけるでもなく、うそをつくでもなく
利益を求めるでも
あれが欲しい、これが足りないと
煩悩に悩まされるでもなく
ただシンプルに生きている
そのシンプルさが、見ていてホッとする要因なんだろう。
人間界にはいろいろあって、面倒くさいよ(苦笑)
あなたたちがちょっと
羨ましかったりする。
やすらぎをありがとう。
鹿児島のみゆきさん、メールをどうもありがとうございました。
何度も返信を試みたのですが、どうしても「送信不可」のメッセージが戻ってきてしまいます。
半年前の1通目はちゃんと届いたのに、何故今回のメールは送信不可となってしまうのか分からないのですが、そしてみゆきさんのアドレスは携帯アドレスとお見受けしますが、もしもパソコンのアドレスをお持ちでしたら、お知らせ頂けないでしょうか。
よろしくお願いします。
さて、うちのやんちゃども、キキとココ。
いつもは家の中を走り回っているこの二匹が、こうして静か〜に窓際で見入っている時は、外界で何か起こっているとき。
大概は、ご近所の方がワンちゃんを散歩させてるか
またはリスがちょろちょろ近辺をうろついているときだ。
今回も
「リスかな?」とふと外に目をやってみたら、、、
ん?
えっ??
ええ〜〜!!
ラクーンだ!!!
(これは日本語では「たぬき」?「あらいぐま」??)
この数分まえに、夫が
鳥さんとリスさんのためにバラまいていたパンの欠片につられて出てきたらしい。
でもラクーンって、完全に夜行性のはず。
この時点で、午後3時頃。
こんな時間に姿を現すなんて、非常に珍しい。。。よっぽどお腹がすいていたのだろうか。
というか、家の周辺にまさかラクーンがいたなんて!!
夫と二人して、慌ててバルコニーに出てみる。
ラクーンは別に私たちを恐れる風でもなく、マイペースでパンの欠片を次から次へと頬張っている。
呼びかけると、写真にあるようにつぶらな瞳でこちらを見上げる。
そして、また食べることに戻る。
すごいねえ〜、本物のラクーンだ。 可愛いねえ。。。
なんて言いながら、相方と二人して下方に集中していた、そのとき
夫の肩越しに見つけた
同じように下方に集中していた、もう一人のこやつ...
リスさんです。
「それ、、、僕が食べるはずだったパンなんですけど。。。」 とでも言いたげに
ジーーーッと
長いこと下を見ておりました。
というか、ほんの1m手前にいる私たち(人間)には目もくれず
ラクーンのほうがよっぽど脅威なのか
枝葉の合間で位置を変えながら、長い事彼の動向に注視しておりました。
(リスがこんな間近に来たのも実は初めての体験で、かなり感動)
先日の「青い鳥」といい、
家にいながら
こんなにも自然界の住人たちと触れ合えるというのが、とっても不思議。
そして何だか、とても救われる思い。。。
ただの偶然といえば、偶然なんだけど
この子たちが私たちの前に姿を現してくれたということが、尊いことのように思えたりする。
私はかつて楽園(ハワイ)に長いこと住んでいたが
家のバルコニーにやってきてくれるのは、ハトさんぐらいだった。
夫はというと
シアトル市内からずっと北上したところにある、小さな田舎町で育った人だが
こんなに多くの鳥や動物を身近に感じながら暮らしているのは
今が初めてだと言う。
うちは決して山奥ではなくて、アパートの敷地内を一歩でれば近辺はこんな感じ。
ここに越して来るまえに住んでいた地域のほうがよっぽど田舎だったのだが、、、
「君が原因だね」 と夫は言う。
「どう考えても、あなたでしょう」 と私は返す。
口下手で全く社交的でない夫は、なぜだか子供と動物にはモテるタイプ。
せっせとピーナッツを買ってきてはバラまいたり
こうしてパンをバラまいたり
鳥のえさをきらさないようにいつも気をつけてくれてるのは、夫のほうだ。
私はこうして、その恩恵にあずかっている。
こんな小さな私たちのアパートに
顔を出してくれるお客さんたち。
誰を傷つけるでもなく、うそをつくでもなく
利益を求めるでも
あれが欲しい、これが足りないと
煩悩に悩まされるでもなく
ただシンプルに生きている
そのシンプルさが、見ていてホッとする要因なんだろう。
人間界にはいろいろあって、面倒くさいよ(苦笑)
あなたたちがちょっと
羨ましかったりする。
やすらぎをありがとう。
夫の言葉
2013年05月30日
今日は夫の誕生日だった。
といっても、私は夜まで仕事の日だったので
夕食を共にすることも出来なかった。
今日夫と過ごした時間は
夜のクラスの前に、顔を見るために自宅に立ち寄った一時間だけ。
そのクラスからようやく帰宅したのが8時半ごろ。
昨夜から少し体調の芳しくなかった彼はすでにベッドに入っていた。
寝室にそろりと入って様子をみたが、熱があるふうでも汗をかいてるふうでもなかったので
ぐっすり眠っているのを起こさないように、そっと部屋を出た。
ねこだけが、にゃぁ〜。。。と言ってついてきた。
今夜も仕事がたんまりある。
まずはデスクのパソコンをつけ、、、
真夜中までに終わるといいがなあ〜 なんて思いながら
鞄の中身をゴソゴソ取り出しながら
Facebookをのぞいたら、夫のページにこんな言葉を見つけた。
"Happy Birthday!!" と残してくれた友人たちに向けて
書いたものらしかった。
なんだろう、読んでいて...
残しておきたいと思う言葉たちだった
でも日記をつけてないので、勝手ながらここに残させてもらうことにした。
Thank you everyone for the wonderful birthday wishes.
みんな、あったかいお誕生日のメッセージどうもありがとう。
Today was a nice day, both Yuko and I worked, and I was not feeling good, but still a nice day. We celebrated on Sunday and had a nice day then.
今日はいい日でした。妻も僕も普通に仕事の一日だったけど、実は体調もイマイチだったけど、それでもいい日だった。
誕生日祝いはこの前の日曜日にやってもらって、その時も良い一日を過ごした。
42 years ago my parents brought me into this world and raised me the best they could. I thank them daily for doing so. They are not here anymore, but I know they still watch over me, and I hope I do not disappoint them. I know I haven't always tried my best, but I've tried to live a good moral life the way they would have wanted me to do.
42年まえの今日、僕の両親はこの世に僕を迎え入れ、そしてその時に出来るベストの限りを尽くして僕を育ててくれた。
そのことに感謝しない日は一日たりとも無い。
もうこの世にはいない二人だけれど、今でも僕のことを見ていてくれてると思う。
ガッカリさせないようにしなきゃと思う。
「今まで常にベストを尽くして生きてきました」なんて言えないけれど
でも最低限
父と母が僕に望んだであろう、まっとうな生き方だけはしてきたつもりだ。
Thank you mom and dad, I appreciate and love you both.
父さん、母さん、ありがとう。
感謝してるよ。そして愛してます。
私の知ってる夫は、出会ったその日からすでにマイケルの父親だった。
父親としての苦労
父親としての感情
父親としての気持ち
夫の「父親としての部分」をそばにいて感じたりすることは
何度となくあった。
だが
夫の「息子としての部分」は、普段ほとんど垣間見る事がない。
彼は私が鹿児島の親とやり取りしているのを何度も何度も見ているが
私は彼が自分の親とやりとりしている場面を、全くと言っていいほど見たことがないのだ。
(お義父さんには亡くなる前にたった一度だけお会いしたことがある)
そんなことに、何だか突然気がついた。
夫の言葉を読んでいて。
つき合い始めたばかりの頃は、相手に関して知らないことだらけだったので
「あれ?この人...」
発見してキラリ印象深かった瞬間が、いくつもいくつもあった。
結婚して夫婦になり、身内となってからは
馴染んでゆくごとに
そうしたキラリ光る瞬間はどんどん減っていった。
なんだか今夜は、その「発見」の瞬間を
久しぶりに味わった感触。。。
この人のことは、きっと一生かかっても100%は分かってあげられない。
今でもそう思う。
でも今日は、わかったことが一つ増えたかもしれない。
(それが何なのかは分からないのだけど、そんな気がする感じ?)
そして、父親として苦労を重ねてきたこの人も
かつては親に守られ、慈しまれた「子供」だったのだと
何の心配もせず、ただ屈託なく笑っていた男の子だったのだということを
忘れないでいようと思った。
上にいるお父さんとお母さんからのプレゼントだったかな、もしかして?
お誕生日おめでとう。
といっても、私は夜まで仕事の日だったので
夕食を共にすることも出来なかった。
今日夫と過ごした時間は
夜のクラスの前に、顔を見るために自宅に立ち寄った一時間だけ。
そのクラスからようやく帰宅したのが8時半ごろ。
昨夜から少し体調の芳しくなかった彼はすでにベッドに入っていた。
寝室にそろりと入って様子をみたが、熱があるふうでも汗をかいてるふうでもなかったので
ぐっすり眠っているのを起こさないように、そっと部屋を出た。
ねこだけが、にゃぁ〜。。。と言ってついてきた。
今夜も仕事がたんまりある。
まずはデスクのパソコンをつけ、、、
真夜中までに終わるといいがなあ〜 なんて思いながら
鞄の中身をゴソゴソ取り出しながら
Facebookをのぞいたら、夫のページにこんな言葉を見つけた。
"Happy Birthday!!" と残してくれた友人たちに向けて
書いたものらしかった。
なんだろう、読んでいて...
残しておきたいと思う言葉たちだった
でも日記をつけてないので、勝手ながらここに残させてもらうことにした。
Thank you everyone for the wonderful birthday wishes.
みんな、あったかいお誕生日のメッセージどうもありがとう。
Today was a nice day, both Yuko and I worked, and I was not feeling good, but still a nice day. We celebrated on Sunday and had a nice day then.
今日はいい日でした。妻も僕も普通に仕事の一日だったけど、実は体調もイマイチだったけど、それでもいい日だった。
誕生日祝いはこの前の日曜日にやってもらって、その時も良い一日を過ごした。
42 years ago my parents brought me into this world and raised me the best they could. I thank them daily for doing so. They are not here anymore, but I know they still watch over me, and I hope I do not disappoint them. I know I haven't always tried my best, but I've tried to live a good moral life the way they would have wanted me to do.
42年まえの今日、僕の両親はこの世に僕を迎え入れ、そしてその時に出来るベストの限りを尽くして僕を育ててくれた。
そのことに感謝しない日は一日たりとも無い。
もうこの世にはいない二人だけれど、今でも僕のことを見ていてくれてると思う。
ガッカリさせないようにしなきゃと思う。
「今まで常にベストを尽くして生きてきました」なんて言えないけれど
でも最低限
父と母が僕に望んだであろう、まっとうな生き方だけはしてきたつもりだ。
Thank you mom and dad, I appreciate and love you both.
父さん、母さん、ありがとう。
感謝してるよ。そして愛してます。
私の知ってる夫は、出会ったその日からすでにマイケルの父親だった。
父親としての苦労
父親としての感情
父親としての気持ち
夫の「父親としての部分」をそばにいて感じたりすることは
何度となくあった。
だが
夫の「息子としての部分」は、普段ほとんど垣間見る事がない。
彼は私が鹿児島の親とやり取りしているのを何度も何度も見ているが
私は彼が自分の親とやりとりしている場面を、全くと言っていいほど見たことがないのだ。
(お義父さんには亡くなる前にたった一度だけお会いしたことがある)
そんなことに、何だか突然気がついた。
夫の言葉を読んでいて。
つき合い始めたばかりの頃は、相手に関して知らないことだらけだったので
「あれ?この人...」
発見してキラリ印象深かった瞬間が、いくつもいくつもあった。
結婚して夫婦になり、身内となってからは
馴染んでゆくごとに
そうしたキラリ光る瞬間はどんどん減っていった。
なんだか今夜は、その「発見」の瞬間を
久しぶりに味わった感触。。。
この人のことは、きっと一生かかっても100%は分かってあげられない。
今でもそう思う。
でも今日は、わかったことが一つ増えたかもしれない。
(それが何なのかは分からないのだけど、そんな気がする感じ?)
そして、父親として苦労を重ねてきたこの人も
かつては親に守られ、慈しまれた「子供」だったのだと
何の心配もせず、ただ屈託なく笑っていた男の子だったのだということを
忘れないでいようと思った。
上にいるお父さんとお母さんからのプレゼントだったかな、もしかして?
お誕生日おめでとう。
妻の祈りから一年
2013年05月28日
青い鳥
2013年05月19日
バルコニーに、落花生を
そっと...置いて
そしてじっと待つ。
そんなことをするようになったのは
珍しいお客さんがうちを訪れてくれるようになったから。
夫: 青い鳥だ!
ある日、リビングから書斎にいる私に向かってそう叫んだ夫。
実際には英語で
Sweetie, it's blue jay!
と言った。
ブルージェイ??
(今では川崎宗則選手が所属する、カナダ、トロントの野球チーム名)
ずいぶん静かだったのに、いつの間にテレビ見てたのかな?
私: Are you watching the game? (野球中継見てんのー?)
と書斎にいながら返すと
夫: NO! It is a REAL blue jay! Quick!
(違うよ、本物のブルージェイだよ! 早く!)
...本物の ブルージェイ?
...本物 ?? え、鳥ってこと??
うそっ! ブルージェイがうちのバルコニーに!?
とっさに書斎を飛び出す。 が、時既に遅し。
かの青い鳥は非常に警戒心が強いようで、
私がリビングに駆け込むと同時に バルコニーから飛び立っていった。
え〜〜〜、、、見れなかったぁ。。。ガッカリ
だけど、その後も何度となく
その鳥は 我が家のバルコニーを訪れるようになった。
上の2枚は、落花生をバルコニーに置いたあと
リビングにじっと座り込んで 待つこと20分程。
やっと撮れたもの。
よくよく見ると、この青い鳥 ブルージェイではないみたい。
だって調べてみたら、ブルージェイって、こんななんです。(ウェブサイトより拝借)
うちにやってくるのは、上半身は黒くて、鶏冠が立ってて
どちらかというと、カーディナルみたい。
でもカーディナルって、普通は真っ赤なのです。(こちらもウェブサイトより拝借)
ブルーのカーディナルって、聞いたことないのだけど...存在するのかなあ。
夫と二人してググってみたが、
カーディナルはやはり「赤」と決まっているみたい。
では、うちにやってくるこの鳥は何なのだろう。。。
本当に落花生がお好きなようで
何とも言えない、瞳をしている。
青い鳥、、、と 聞くと
幼い頃に読んだ物語を思い出す。
チルチル&ミチルの兄妹が、幸せの青い鳥を探して旅に出る物語。
子供のころは、ものすごく本を読んだ。
今のようにブルーレイやDVDどころか、VCR(ビデオ)も無いような時代だったが
活字を目で追うと、たちまち 頭の中に
鮮明なフルカラーの情景がブヮーッと広がったのをよく覚えている。
あまりに本が好きで
7歳ぐらいの頃だろうか、就寝時間(8時ごろ?)を過ぎてもどうしても本の続きが読みたくて
布団かぶって寝たフリをして、布団の中でこっそり懐中電灯で本を読んでいたら
父親に見つかって
あっという間に布団から引きずり出されたかと思いきや、ポーンと外に放り出された。
真っ暗闇の中、一時間ほど家に入れてもらえなかった。
そんな思い出がある。
厳格な父だった。
先日のブログに書かせてもらった、今では老いて、今年になってから大きな病気をした父である。
一年に一度も顔を見せることの出来ない私の帰省を
今では楽しみに待っていてくれるような父親になった。
前回の「変わりゆく自分」で書かせていただいたが、人間って変化するのである。
父を見ていると、特に顕著にそれを感じる。
話逸れたが、そうそう「青い鳥」。
青い鳥を見つければ 幸せが手に入ると信じて
それを探す旅に出たチルチル&ミチルだったが
本当の青い鳥(幸せ)は 自分の身近なところにあったのだと。。。
そう気付いたところで物語は終わる。
幼い頃は これを「冒険物語」として読んでいたが
なんとも
「人生とは何たるや」の 真のメッセージがぎっしり詰まった
ストーリーだったことよ。
子供のころは、そんな事に
もちろん気付きもしないし、理解もできなかった。
おそらく先人達が 後世を生きる私たちに向けて残していってくれた
人生を生きるためのメッセージ(芸術作品)が 世にはたくさんあるのだと思う。
でもそのメッセージは、受け取る側に受け取る準備が出来ていないと
受信できないものなのかもしれない。
大昔に読んだ文学作品を読み返して、または
大昔に一度見た絵画を目にして、または
大昔に一度みた映画を再び見て、または
大昔に聞いた歌を聞き返して...
そして 昔とは全く違った印象を受けている自分に気付く
それはきっと「受け皿」なのかもしれない。
そして過去がどうであれ、今までどんな道のりを歩んできたのであれ
今の、今自分が居る場所が 幸せの青い鳥がいる場所だと
そう思えた時が
自分が今回生まれてきた理由を
ある意味思い出せた時なのかなあ〜とも思う。
おそらく誰もが 赤ん坊だった頃には覚えていて
一度 すっかり忘れて
そして再び思い出すまで、
40年、50年、60年という月日をかける。
だからこそ、生き続けることに意味がある。
でも、一度忘れて
敢えて苦労して思い出すことを目標に地上に下りてくるとしたら、、、
人間って
なんて面倒くさくて、
なんて健気なんだろう。
自分もその一員だなんて
何だか 嬉しい。
そっと...置いて
そしてじっと待つ。
そんなことをするようになったのは
珍しいお客さんがうちを訪れてくれるようになったから。
夫: 青い鳥だ!
ある日、リビングから書斎にいる私に向かってそう叫んだ夫。
実際には英語で
Sweetie, it's blue jay!
と言った。
ブルージェイ??
(今では川崎宗則選手が所属する、カナダ、トロントの野球チーム名)
ずいぶん静かだったのに、いつの間にテレビ見てたのかな?
私: Are you watching the game? (野球中継見てんのー?)
と書斎にいながら返すと
夫: NO! It is a REAL blue jay! Quick!
(違うよ、本物のブルージェイだよ! 早く!)
...本物の ブルージェイ?
...本物 ?? え、鳥ってこと??
うそっ! ブルージェイがうちのバルコニーに!?
とっさに書斎を飛び出す。 が、時既に遅し。
かの青い鳥は非常に警戒心が強いようで、
私がリビングに駆け込むと同時に バルコニーから飛び立っていった。
え〜〜〜、、、見れなかったぁ。。。ガッカリ
だけど、その後も何度となく
その鳥は 我が家のバルコニーを訪れるようになった。
上の2枚は、落花生をバルコニーに置いたあと
リビングにじっと座り込んで 待つこと20分程。
やっと撮れたもの。
よくよく見ると、この青い鳥 ブルージェイではないみたい。
だって調べてみたら、ブルージェイって、こんななんです。(ウェブサイトより拝借)
うちにやってくるのは、上半身は黒くて、鶏冠が立ってて
どちらかというと、カーディナルみたい。
でもカーディナルって、普通は真っ赤なのです。(こちらもウェブサイトより拝借)
ブルーのカーディナルって、聞いたことないのだけど...存在するのかなあ。
夫と二人してググってみたが、
カーディナルはやはり「赤」と決まっているみたい。
では、うちにやってくるこの鳥は何なのだろう。。。
本当に落花生がお好きなようで
何とも言えない、瞳をしている。
青い鳥、、、と 聞くと
幼い頃に読んだ物語を思い出す。
チルチル&ミチルの兄妹が、幸せの青い鳥を探して旅に出る物語。
子供のころは、ものすごく本を読んだ。
今のようにブルーレイやDVDどころか、VCR(ビデオ)も無いような時代だったが
活字を目で追うと、たちまち 頭の中に
鮮明なフルカラーの情景がブヮーッと広がったのをよく覚えている。
あまりに本が好きで
7歳ぐらいの頃だろうか、就寝時間(8時ごろ?)を過ぎてもどうしても本の続きが読みたくて
布団かぶって寝たフリをして、布団の中でこっそり懐中電灯で本を読んでいたら
父親に見つかって
あっという間に布団から引きずり出されたかと思いきや、ポーンと外に放り出された。
真っ暗闇の中、一時間ほど家に入れてもらえなかった。
そんな思い出がある。
厳格な父だった。
先日のブログに書かせてもらった、今では老いて、今年になってから大きな病気をした父である。
一年に一度も顔を見せることの出来ない私の帰省を
今では楽しみに待っていてくれるような父親になった。
前回の「変わりゆく自分」で書かせていただいたが、人間って変化するのである。
父を見ていると、特に顕著にそれを感じる。
話逸れたが、そうそう「青い鳥」。
青い鳥を見つければ 幸せが手に入ると信じて
それを探す旅に出たチルチル&ミチルだったが
本当の青い鳥(幸せ)は 自分の身近なところにあったのだと。。。
そう気付いたところで物語は終わる。
幼い頃は これを「冒険物語」として読んでいたが
なんとも
「人生とは何たるや」の 真のメッセージがぎっしり詰まった
ストーリーだったことよ。
子供のころは、そんな事に
もちろん気付きもしないし、理解もできなかった。
おそらく先人達が 後世を生きる私たちに向けて残していってくれた
人生を生きるためのメッセージ(芸術作品)が 世にはたくさんあるのだと思う。
でもそのメッセージは、受け取る側に受け取る準備が出来ていないと
受信できないものなのかもしれない。
大昔に読んだ文学作品を読み返して、または
大昔に一度見た絵画を目にして、または
大昔に一度みた映画を再び見て、または
大昔に聞いた歌を聞き返して...
そして 昔とは全く違った印象を受けている自分に気付く
それはきっと「受け皿」なのかもしれない。
そして過去がどうであれ、今までどんな道のりを歩んできたのであれ
今の、今自分が居る場所が 幸せの青い鳥がいる場所だと
そう思えた時が
自分が今回生まれてきた理由を
ある意味思い出せた時なのかなあ〜とも思う。
おそらく誰もが 赤ん坊だった頃には覚えていて
一度 すっかり忘れて
そして再び思い出すまで、
40年、50年、60年という月日をかける。
だからこそ、生き続けることに意味がある。
でも、一度忘れて
敢えて苦労して思い出すことを目標に地上に下りてくるとしたら、、、
人間って
なんて面倒くさくて、
なんて健気なんだろう。
自分もその一員だなんて
何だか 嬉しい。
変わりゆく自分
2013年05月14日
有賀と語じゃいます。先生。
私はいま宿題をしています。有賀と語じゃいます。
ある日学生から、
「先生、私は今日病気です。クラスに行けません。すみません」とメールが来た。
それに対して
そうですか。たいへんですね。今日のしゅくだいは○と○です。はやく元気になってください。
と日本語で返事をした。
それに来た返事が、上の「有賀と語じゃいます」。
Hさん、日本語2学期目なのだけど、
がんばって日本語で返信しようとしてくれて
でも「ありがとう」を「ありがと」とタイプした結果
「有賀と」と、なってしまい
しかも
相変わらず「ざ」の発音が「じゃ」になってしまったので(母国語は韓国語)
変換ミスの結果
「ありがとうございます」となるところが
「有賀と語じゃいます」になってしまった模様。
これが10年前の私なら
「はぁ〜〜あれだけ言ったのに、発音まだ直ってない。。。」
と、落胆のほうが大きかったことだろう。
いまは
「かわいいなあ」 と、思ってしまう。
変換ミスも恐れず、しかも体調が万全でない時に
私が日本語で送ったメールに、一生懸命、日本語で応えてくれたんだなあと思う。
彼女のその意思のほうを、尊いなあと思う。
皆さんは、
昔の自分を振り返って、
今の自分からすると、なんだか別人みたい
という感覚を覚えたことがあるだろうか。
そもそも、自分としての「一番古い記憶」というのは、
何歳ぐらいのことだろうか。
私はというと、9歳(小3)ぐらいからの記憶なら鮮明にある。
日々何を感じていて、何がイヤで、何が嬉しかったかも
よく覚えている。
ときどき
10代、20代、30代の、自分を
思い出してみることがある。
今の自分と比較すると
なんだろう、「全く、別人みたいだなぁ〜。。。」と思うことがある。
「なんで、あんな事言ったんだろう??なんであんな事したんだろう??」と
自分のことなのに、全く理解に苦しむという記憶もある。
でもそれも全て「自分」なのだ。
そんな不可解な感覚、、、
皆さんも味わったことがあるだろうか。
毎年、誕生日に本を贈ってくれる日本のお友達がいる。
徳島に住む古い友人だ。
今年は「何が読みたい?」とあらかじめリクエストを聞いてくれたので
お言葉に甘えて「これが読みたいな」と言ったら
その同じ著者の作品を、3冊もまとめて送ってくれた。。。
ありがとう。感謝感激。
もともとリクエストした一冊は、これだった。「天国の五人」
帯にある「ムダな人生なんて、ひとつもない」という言葉が
とりわけ今の私には深く響いた。
主人公「エディ」が死んだところから始まる、このストーリー。
死んだ人が、死んだ後で「五人」の人に天国で会うという物語。
それは必ずしも故人が会いたかった人とは限らず
でも
故人の「たった今終わった人生」に 果たしてどんな意味があったのか?
それを理解するのを、手助けしてくれる人たちだった。
まずは、この一冊を手に取った。
一気に読んでしまいたい気持ちを抑えて(仕事がたまっていたので)
4日間ぐらいに分けて、少しずつ、読んだ。
読み終わった後の私は、明らかに
読む前の私とは違っていた。
その時、思ったのだ。
そう言えば、私
2週間まえ
1週間まえ
そして3日前の私とも、ちょっと違うかもしれないと。
知っていることの絶対量が違う。
ものの見方が違う。
感じ方が違う。
以前は見えなかったものが、今はちょっとだけ見えるようになっている。
ただ、何となしに毎朝起きて、仕事に行って、人に会って
そうして、昨日と同じ日常を繰り返しているだけなのだけど
それでも心は何かを吸収して、
少しずつ進化していってるのかもしれない。
例えば、ある人とランチを共にして、一時間おしゃべりをしたら
その後は知っていることが増えていた。
または
ある一冊を読んで、深く感じ入り
それを読み終えたころには、自分の感じ方が変わっていた。
などなど。。。
こうして私たちは進化を繰り返し
たとえば70代になったころには、40代の今の自分を振り返って
何ておバカなことを...なんて
考えているのだろうか。
40代の今は今で、
今を 精一杯を生きているのだけれど
でも70代になった頃には、今を振り返って
「なんて幼い。。。」と思える自分でありたいなあ、なんて思う。
老いてしまったけれど
あの頃の、未熟な自分に戻るぐらいなら
今の老いぼれのままでいいやと
そう思える自分でありたいなと...
何だか最近 そういうことを
願ってしまう。
私はいま宿題をしています。有賀と語じゃいます。
ある日学生から、
「先生、私は今日病気です。クラスに行けません。すみません」とメールが来た。
それに対して
そうですか。たいへんですね。今日のしゅくだいは○と○です。はやく元気になってください。
と日本語で返事をした。
それに来た返事が、上の「有賀と語じゃいます」。
Hさん、日本語2学期目なのだけど、
がんばって日本語で返信しようとしてくれて
でも「ありがとう」を「ありがと」とタイプした結果
「有賀と」と、なってしまい
しかも
相変わらず「ざ」の発音が「じゃ」になってしまったので(母国語は韓国語)
変換ミスの結果
「ありがとうございます」となるところが
「有賀と語じゃいます」になってしまった模様。
これが10年前の私なら
「はぁ〜〜あれだけ言ったのに、発音まだ直ってない。。。」
と、落胆のほうが大きかったことだろう。
いまは
「かわいいなあ」 と、思ってしまう。
変換ミスも恐れず、しかも体調が万全でない時に
私が日本語で送ったメールに、一生懸命、日本語で応えてくれたんだなあと思う。
彼女のその意思のほうを、尊いなあと思う。
皆さんは、
昔の自分を振り返って、
今の自分からすると、なんだか別人みたい
という感覚を覚えたことがあるだろうか。
そもそも、自分としての「一番古い記憶」というのは、
何歳ぐらいのことだろうか。
私はというと、9歳(小3)ぐらいからの記憶なら鮮明にある。
日々何を感じていて、何がイヤで、何が嬉しかったかも
よく覚えている。
ときどき
10代、20代、30代の、自分を
思い出してみることがある。
今の自分と比較すると
なんだろう、「全く、別人みたいだなぁ〜。。。」と思うことがある。
「なんで、あんな事言ったんだろう??なんであんな事したんだろう??」と
自分のことなのに、全く理解に苦しむという記憶もある。
でもそれも全て「自分」なのだ。
そんな不可解な感覚、、、
皆さんも味わったことがあるだろうか。
毎年、誕生日に本を贈ってくれる日本のお友達がいる。
徳島に住む古い友人だ。
今年は「何が読みたい?」とあらかじめリクエストを聞いてくれたので
お言葉に甘えて「これが読みたいな」と言ったら
その同じ著者の作品を、3冊もまとめて送ってくれた。。。
ありがとう。感謝感激。
もともとリクエストした一冊は、これだった。「天国の五人」
帯にある「ムダな人生なんて、ひとつもない」という言葉が
とりわけ今の私には深く響いた。
主人公「エディ」が死んだところから始まる、このストーリー。
死んだ人が、死んだ後で「五人」の人に天国で会うという物語。
それは必ずしも故人が会いたかった人とは限らず
でも
故人の「たった今終わった人生」に 果たしてどんな意味があったのか?
それを理解するのを、手助けしてくれる人たちだった。
まずは、この一冊を手に取った。
一気に読んでしまいたい気持ちを抑えて(仕事がたまっていたので)
4日間ぐらいに分けて、少しずつ、読んだ。
読み終わった後の私は、明らかに
読む前の私とは違っていた。
その時、思ったのだ。
そう言えば、私
2週間まえ
1週間まえ
そして3日前の私とも、ちょっと違うかもしれないと。
知っていることの絶対量が違う。
ものの見方が違う。
感じ方が違う。
以前は見えなかったものが、今はちょっとだけ見えるようになっている。
ただ、何となしに毎朝起きて、仕事に行って、人に会って
そうして、昨日と同じ日常を繰り返しているだけなのだけど
それでも心は何かを吸収して、
少しずつ進化していってるのかもしれない。
例えば、ある人とランチを共にして、一時間おしゃべりをしたら
その後は知っていることが増えていた。
または
ある一冊を読んで、深く感じ入り
それを読み終えたころには、自分の感じ方が変わっていた。
などなど。。。
こうして私たちは進化を繰り返し
たとえば70代になったころには、40代の今の自分を振り返って
何ておバカなことを...なんて
考えているのだろうか。
40代の今は今で、
今を 精一杯を生きているのだけれど
でも70代になった頃には、今を振り返って
「なんて幼い。。。」と思える自分でありたいなあ、なんて思う。
老いてしまったけれど
あの頃の、未熟な自分に戻るぐらいなら
今の老いぼれのままでいいやと
そう思える自分でありたいなと...
何だか最近 そういうことを
願ってしまう。
待つという試練
2013年05月01日
うちのリビングからの眺め。
冬の間はこんなだったのが
気がついたら、こんなことになっていた。
緑、緑、緑。。。
若い頃は大して気にも止めずにいた、季節の変化。
まるで魔法だ...
こんな魔法に魅了されずにいたなんて、
若い頃の自分(特に日本にいた頃の自分)は、
一体他の何に
そんなに気を取られていたのだろうか?...なんて考えてしまう。
「無」に見える状態から
「命」を再現する、自然。
季節感のあまり無いハワイに長く住んでいたせいだろうか
その魔法に、無条件でうっとりしてしまう。
この木々たちは、こうして毎年命の再生を繰り返し
きっと
私がいなくなったずっと後も
変わらずここに立っていることだろう。
ここ3ヶ月程、二人の男性のことがずっと頭から離れなかった。
毎日毎日いつも心にあった。
一人は、父。
もう一人は、息子だ。
2月のある朝に妹から届いた知らせは、実は父の事だった。
大きな病気をした。
一週間の春休みによほど日本へ帰ろうかと思ったが、お金と時間の都合がつかず帰国は叶わなかった。
シアトルから東京まで直行便に乗れたとして10時間。
ロスやサンフランシスコ経由なら15時間はかかるだろう。
そして日本到着と同日に東京から鹿児島までの国内線に乗り換えられたとして、もう2時間半。
同じ日に鹿児島行きに乗りそこねたら、帰路は二日がかりとなる。
故郷は決して近くない。
大学まで地元で出たのに、どうしてこんな遠くに来てしまったんだっけ?
...と
朝通勤の車を運転しながらふと考えている自分が居た。
母、妹とは頻繁に連絡を取っていたが
いかんせん、自分の目で状況を把握できない事に関しては
悪い方向にどんどん想像を膨らませてしまう悪いクセがある私。
父は4月あたまに入ってから手術をし、お陰さまで術後の経過も安定しており
先週無事に退院となった。
まだまだ治療は続くようだが、退院の知らせを聞いてやっと自分の気持ちも安定してきた。
(それまではこうして父のことを文字にすることが何だか怖く感じられた)
そして、息子。
息子は、、、
どこまで行ってしまうのだろうか?という方向へ、今走ってしまっている。
長い長い回り道をしている。
しばらく連絡も取れなかったが
FBにある日、私と夫宛てにメッセージが届いていた。
"I miss you and love you so much.
This is my own battle with myself. Please do not worry."
息子のことを思うと、心配で心が乱れる。
そして腹が立ってくる。
あの子が今感じていることに思いをよせると何だか涙が出て来る。
日常の責務を全うするのに支障を来せないので
普段はなるべく考えないようにしているが、なかなか。
夫は "This is the choice that he made" と言う。
「これはあいつの決めたことだ。
あいつの人生だ。
自分で方向転換しようと思わない限り、周りには何も変えることは出来ない。」
子供がまだ幼くて、全てから守ってやらねばならない時の親の負担も相当なものだと思うが
子供が思春期になり、自分の人生の迷子になり始めたとき
それでもその子を信じて、ただじっと待つということ
その時に親として問われる
忍耐、許容量、信じる力
これも、相当なものだと感じる。
私の人生にある、この二人の男性へと馳せる思いと
日々の忙しさとのバランスを保つ、、、
そこから生じるストレスが、先日の夫婦ゲンカ勃発に繋がったのではないかと実は自分では思っている。
寒く凍える冬も
辛抱強く待っていれば、いつか春がやってくる。
ただ、信じて待つということ。
それは人の人生にも当てはまることだろうか?
己の抱えた問題ならば、己が全力を尽くせば
それなりの結果がついてくる。
でも、自分ではない人間のことは?
あの子が、そのことを分かってくれますように。
あの子が、そのことに気付いてくれますように。
あの子がどうか、長い旅路を終えたあとに
最後には、人生を喜んで迎え入れることが出来ますように。。。
親をやったことのある人なら
多かれ少なかれ、
そんな気持ちになったことがあるのではないだろうか。
ただ信じて「待つ」という試練。
その結果は「私の努力次第!」ではない、という試練。
生まれて初めて経験させてもらっている。
冬の間はこんなだったのが
気がついたら、こんなことになっていた。
緑、緑、緑。。。
若い頃は大して気にも止めずにいた、季節の変化。
まるで魔法だ...
こんな魔法に魅了されずにいたなんて、
若い頃の自分(特に日本にいた頃の自分)は、
一体他の何に
そんなに気を取られていたのだろうか?...なんて考えてしまう。
「無」に見える状態から
「命」を再現する、自然。
季節感のあまり無いハワイに長く住んでいたせいだろうか
その魔法に、無条件でうっとりしてしまう。
この木々たちは、こうして毎年命の再生を繰り返し
きっと
私がいなくなったずっと後も
変わらずここに立っていることだろう。
ここ3ヶ月程、二人の男性のことがずっと頭から離れなかった。
毎日毎日いつも心にあった。
一人は、父。
もう一人は、息子だ。
2月のある朝に妹から届いた知らせは、実は父の事だった。
大きな病気をした。
一週間の春休みによほど日本へ帰ろうかと思ったが、お金と時間の都合がつかず帰国は叶わなかった。
シアトルから東京まで直行便に乗れたとして10時間。
ロスやサンフランシスコ経由なら15時間はかかるだろう。
そして日本到着と同日に東京から鹿児島までの国内線に乗り換えられたとして、もう2時間半。
同じ日に鹿児島行きに乗りそこねたら、帰路は二日がかりとなる。
故郷は決して近くない。
大学まで地元で出たのに、どうしてこんな遠くに来てしまったんだっけ?
...と
朝通勤の車を運転しながらふと考えている自分が居た。
母、妹とは頻繁に連絡を取っていたが
いかんせん、自分の目で状況を把握できない事に関しては
悪い方向にどんどん想像を膨らませてしまう悪いクセがある私。
父は4月あたまに入ってから手術をし、お陰さまで術後の経過も安定しており
先週無事に退院となった。
まだまだ治療は続くようだが、退院の知らせを聞いてやっと自分の気持ちも安定してきた。
(それまではこうして父のことを文字にすることが何だか怖く感じられた)
そして、息子。
息子は、、、
どこまで行ってしまうのだろうか?という方向へ、今走ってしまっている。
長い長い回り道をしている。
しばらく連絡も取れなかったが
FBにある日、私と夫宛てにメッセージが届いていた。
"I miss you and love you so much.
This is my own battle with myself. Please do not worry."
息子のことを思うと、心配で心が乱れる。
そして腹が立ってくる。
あの子が今感じていることに思いをよせると何だか涙が出て来る。
日常の責務を全うするのに支障を来せないので
普段はなるべく考えないようにしているが、なかなか。
夫は "This is the choice that he made" と言う。
「これはあいつの決めたことだ。
あいつの人生だ。
自分で方向転換しようと思わない限り、周りには何も変えることは出来ない。」
子供がまだ幼くて、全てから守ってやらねばならない時の親の負担も相当なものだと思うが
子供が思春期になり、自分の人生の迷子になり始めたとき
それでもその子を信じて、ただじっと待つということ
その時に親として問われる
忍耐、許容量、信じる力
これも、相当なものだと感じる。
私の人生にある、この二人の男性へと馳せる思いと
日々の忙しさとのバランスを保つ、、、
そこから生じるストレスが、先日の夫婦ゲンカ勃発に繋がったのではないかと実は自分では思っている。
寒く凍える冬も
辛抱強く待っていれば、いつか春がやってくる。
ただ、信じて待つということ。
それは人の人生にも当てはまることだろうか?
己の抱えた問題ならば、己が全力を尽くせば
それなりの結果がついてくる。
でも、自分ではない人間のことは?
あの子が、そのことを分かってくれますように。
あの子が、そのことに気付いてくれますように。
あの子がどうか、長い旅路を終えたあとに
最後には、人生を喜んで迎え入れることが出来ますように。。。
親をやったことのある人なら
多かれ少なかれ、
そんな気持ちになったことがあるのではないだろうか。
ただ信じて「待つ」という試練。
その結果は「私の努力次第!」ではない、という試練。
生まれて初めて経験させてもらっている。