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「妻の祈り」の転用?
2012年12月31日
ブログに書こうかどうしようか、しばらく悩んでいたが
やはりここは皆さんのお力を借りるべく
思い切って記事を立ち上げることにした。
ご存知のとおり、「妻の祈り」はそれはそれは多くの人に読み広められ
未だに
コメントや個別のメッセージを毎日のように頂戴する。
殆どの方が、
知人友人にも読んでもらいたいので
ブログ(またはFacebook)でシェアしてもいいでしょうか?
と言ってくださる。
なかには、私の承諾なしにそれをするのは気がひけるので、
と
まずは私の許可を得たいと、わざわざその為だけにメールを下さる真摯な方までいらっしゃった。
さて、
そうしてメールを下さった方のなかに
「実は数ヶ月まえに、『妻の祈り』をブログに転載させていただきました。無断で申し訳ありません」
という方がいらっしゃった。
メールにはご自身のブログのURLも、きちんと記載されてあったので
早速その方のサイトにお邪魔してみたら
確かに、「妻の祈り」の和訳が紹介されている。
きちんと私のブログへのリンクを貼られており、ソースを明確にして記載くださっていた。
そしてその記事をよくよく見てみると
この方がそれをブログでとりあげて下さったのは、実は今年の8月。
今回の騒動の、数ヶ月も前だったということが分かった。
しかもこのメールを下さった方は
広く知られた企業コンサルタントの方だった。
(私はお名前は存じ上げなかったのだが、ウェブサイトにお邪魔してすごく精力的に活動されている方だというのがすぐに分かった)
「そんな方が一体どこで私の訳を目にされたのだろう?」と不思議に思ったので
すぐにお返事差しあげて、そのあたりをお聞きしてみた。
これまた丁寧に綴られた返信を、読み進めてゆくと
こうした内容だった。
自分のような仕事をしていると、卒業シーズンに「卒業式で引用等に使いたい」と
教育団体から自分のブログの転用について申し入れが入る。
同時に「こんな素敵な詩を見つけました」という報告も入る。
そうして出会ったのが『MARRIAGE』だった。(「妻の祈り」英語原文のタイトル)
誰によって書かれたものなのかリサーチしているうちに
この『MARRIAGE』が詠み人知らずであることや、
いくつかのバージョンが存在することを知った。
(ちなみにこの方が初めて読んだバージョンは、ハッピーエンドだったそうです)
はて、これを日本語に訳している人はどこかにいないだろうか検索しているうちに
レニアさんのブログを発見するに至った。
そして同時に
最後の2行に「自己啓発を促す文章」を、あたかも本文に付随するかのごとく加筆することによって
例えば、ラストの一文:
心を通わせる時間を 大切にしていっていただきたいと思います
の、後に
そして私のような失敗をしないためにも、自己啓発をめざすべく投資しましょう。
として
この物語を
「自社セミナーへ申し込みする気にさせる」企業ツールとして利用している
セミナー業者を発見した。
私はこうした企業のケースを、「誤った資本主義の事例」として
あちこちのセミナーで取り上げ
レニアさんのブログURL付きのコピー文書を参加者に配布し、
改ざんを防ぐべく講演してきた。
その甲斐あってか、今回私が見つけた業者も
最後にはその悪用を止めたようだ。
私がレニアさんから事前の承諾なしに
自身のブログに「妻の祈り」を無断転載したことは非常に申し訳なく思っている。
だが、レニアさんの和訳をこうして悪用するケースは、今後もあり得ることなので
そうした事を阻止する意味でも
もし差し支えなければ、このまま転載をお許しいただきたい。
そして、できることなら
この事に関する記事を新たに起こして、ブログ読者に公表すれば
レニアさんのブログでこの物語に感動した多くの方々が
この物語の悪用に対する目を光らせてくれるのではないだろうか。
とういうことだった。
自分の訳した「妻の祈り」が4ヶ月も前に著名な企業コンサルタントの方に読まれていたことに、まずビックリ。
そして、それがその方のセミナーで「ある事例」として論議されていたことに、またビックリ。
そしてその方が私の知らぬところで
その悪用を阻止するべく尽力してくださったという事実に
ただただビックリ、、、ボーゼンとなった。
改めて、ネットの力
恐るべし、、、
己が発信するものが、どこに繋がっているか
想像すらできない時代なのだと、、、痛感。
そしてこの方が教えて下さらなければ知る由もなかった事。
まさか、この心に染み入る物語を
しかも自分の和訳したものを
どこかの企業が自己利益のために利用しようとしていたという事実に
「本当に?」と、ただビックリ。
そしてやはり、ショック。。。
私はお恥ずかしい話、この年になっても非常に世情に疎いところがあり
「人が人を利用する」という現実に
かなり鈍感なところが、ある。
相方にはいつも、
「君はそんなにナイーブで(英語の「ナイーブ」は決して良い意味ではありません)、
よく今まで危険な目にも遭わず、生き延びてこられたね」と言われるぐらいだ。
なので、今回「妻の祈り」に関しても
共鳴してくれた方々が、その感動を周りにいる人とシェアしようとするのは想像できても
よもや、これが利益のために利用されるだろうなどとは
思いもよらず。
それを指摘して下さったコンサルタントの方のお便りを読んで
さぞお忙しいだろうに
これだけ詳細に事情を綴る時間を私のために割いて下さった、その方の思いやりに感謝しつつ
はて、これはどう対応すべきだろうかと
気持ち定まらず、しばらく考える日々が続いた、、、
だが結論として
やはり「妻の祈り」を読んで、気持ちを共有して下さった多くの皆さんと
これはシェアしたほうがいいのではないかという思いに達し
大晦日の今日になって(やっと!)
ここに書かせていただいた。
皆さん、どう思われますか。
単調な毎日の中にこそある、小さな幸せを感じましょう。
試練も多い、長い長い結婚生活で
今の伴侶と出会った縁を、そしてその奇跡をかみしめ
相手に感謝する気持ちを忘れずに
大切だよ、ありがとう、という気持ちを
相手に伝えながら
あたたかく暮らしていきましょう
という、このストーリーが持つ
強いメッセージは
確かに「自己啓発」の類ではあるのだけれど
それが企業セミナーのセールストークに利用されるというのは
やはり、
ちょっと違うのでは、、、?
私はこの物語の作者ではないので、これを書いた人の本当に意図するところは完全に把握できないのだけれど
このお話の本質は、「利益」というものから
一番遠くかけ離れたところに存在するのでは?
純粋に
人の気持ちを動かし、語りかけ
各々が、ちょっと自分を振り返ってみようかなと思う、、、
そういう大きな力と、役目を持ったお話なのでは、、、?
数日考えた末、そういう結論に辿り着いた次第です。
とは言うものの、私はこうして遠くシアトルの片田舎にすむ一個人で、
日本の何処で、この物語がどういうふうに使われようが
それを知る術もありません。
なので、
私のブログを訪れて下さって
この「妻の祈り」に、同じように感動、共鳴して下さって
ただ純粋にこの物語を一人でも多くの人と共有したいと思って下さった皆さんが
万が一
このお話が間違ったふうに利用されている事例に出会った場合
問題提起していただけたら嬉しいなと、、、
そんな思いを込めて
今年最後のブログ記事を書かせていただきました。
でも、2012年を締めくくる記事が
これではちょっと悲しいので (苦笑
最近、あたたかい涙を流したドラマのお話をひとつ。
2012年の新春特別ドラマだったという作品を、2012年が終わろうとしている今になってやっと見る事ができた私です。
というのも
東京で、ドラマ製作のお仕事をしているお友達が
彼女の携わった作品のDVDコピーを、わざわざ日本から送ってきてくれたからなのです!
その作品の一つが、こちら
「花嫁の父」
聾唖者の娘をお嫁に出す、父親を
柳葉敏郎さんが熱演されていた。
日本では、今年(2012年)の1月に放映されたはず。
皆さんはご覧になっただろうか。
結婚式の日
父親役の柳葉さんが、手話で「愛している」と
娘に告げるこのシーン。。。
DVDを2回見て、
2回とも涙があふれてあふれて
止まらなかった。
そして、強く強く
心に刻まれた
花嫁の祖父役、橋爪功さんの、この名セリフ。
転んだら、素手で起き上がるな。
砂でもいいから引っ掴んで立ち上がれ。
それが宝に変わることがある。
生きることのむごさ
悲しみを
味わい尽くせ。
その上で、人生遊べ。
笑え。
そして、いずれめでたく
卒業だ。
2013年も、皆様にとってどうか
健やかで
幸せいっぱいの一年でありますように。
私も、小さな小さな一歩を積み重ねながら
少しずつでも
進化してゆける自分でありたいと願って
住む家と、食べる物と、健康な体と
心通わせる家族がいる人生に、感謝して
「ありがとう」という気持ちを忘れずに
2013年も、一日一日を大切に
積み重ねていきたいと思っております。
皆様どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。
シアトルより、感謝と愛をこめて、
レニア
やはりここは皆さんのお力を借りるべく
思い切って記事を立ち上げることにした。
ご存知のとおり、「妻の祈り」はそれはそれは多くの人に読み広められ
未だに
コメントや個別のメッセージを毎日のように頂戴する。
殆どの方が、
知人友人にも読んでもらいたいので
ブログ(またはFacebook)でシェアしてもいいでしょうか?
と言ってくださる。
なかには、私の承諾なしにそれをするのは気がひけるので、
と
まずは私の許可を得たいと、わざわざその為だけにメールを下さる真摯な方までいらっしゃった。
さて、
そうしてメールを下さった方のなかに
「実は数ヶ月まえに、『妻の祈り』をブログに転載させていただきました。無断で申し訳ありません」
という方がいらっしゃった。
メールにはご自身のブログのURLも、きちんと記載されてあったので
早速その方のサイトにお邪魔してみたら
確かに、「妻の祈り」の和訳が紹介されている。
きちんと私のブログへのリンクを貼られており、ソースを明確にして記載くださっていた。
そしてその記事をよくよく見てみると
この方がそれをブログでとりあげて下さったのは、実は今年の8月。
今回の騒動の、数ヶ月も前だったということが分かった。
しかもこのメールを下さった方は
広く知られた企業コンサルタントの方だった。
(私はお名前は存じ上げなかったのだが、ウェブサイトにお邪魔してすごく精力的に活動されている方だというのがすぐに分かった)
「そんな方が一体どこで私の訳を目にされたのだろう?」と不思議に思ったので
すぐにお返事差しあげて、そのあたりをお聞きしてみた。
これまた丁寧に綴られた返信を、読み進めてゆくと
こうした内容だった。
自分のような仕事をしていると、卒業シーズンに「卒業式で引用等に使いたい」と
教育団体から自分のブログの転用について申し入れが入る。
同時に「こんな素敵な詩を見つけました」という報告も入る。
そうして出会ったのが『MARRIAGE』だった。(「妻の祈り」英語原文のタイトル)
誰によって書かれたものなのかリサーチしているうちに
この『MARRIAGE』が詠み人知らずであることや、
いくつかのバージョンが存在することを知った。
(ちなみにこの方が初めて読んだバージョンは、ハッピーエンドだったそうです)
はて、これを日本語に訳している人はどこかにいないだろうか検索しているうちに
レニアさんのブログを発見するに至った。
そして同時に
最後の2行に「自己啓発を促す文章」を、あたかも本文に付随するかのごとく加筆することによって
例えば、ラストの一文:
心を通わせる時間を 大切にしていっていただきたいと思います
の、後に
そして私のような失敗をしないためにも、自己啓発をめざすべく投資しましょう。
として
この物語を
「自社セミナーへ申し込みする気にさせる」企業ツールとして利用している
セミナー業者を発見した。
私はこうした企業のケースを、「誤った資本主義の事例」として
あちこちのセミナーで取り上げ
レニアさんのブログURL付きのコピー文書を参加者に配布し、
改ざんを防ぐべく講演してきた。
その甲斐あってか、今回私が見つけた業者も
最後にはその悪用を止めたようだ。
私がレニアさんから事前の承諾なしに
自身のブログに「妻の祈り」を無断転載したことは非常に申し訳なく思っている。
だが、レニアさんの和訳をこうして悪用するケースは、今後もあり得ることなので
そうした事を阻止する意味でも
もし差し支えなければ、このまま転載をお許しいただきたい。
そして、できることなら
この事に関する記事を新たに起こして、ブログ読者に公表すれば
レニアさんのブログでこの物語に感動した多くの方々が
この物語の悪用に対する目を光らせてくれるのではないだろうか。
とういうことだった。
自分の訳した「妻の祈り」が4ヶ月も前に著名な企業コンサルタントの方に読まれていたことに、まずビックリ。
そして、それがその方のセミナーで「ある事例」として論議されていたことに、またビックリ。
そしてその方が私の知らぬところで
その悪用を阻止するべく尽力してくださったという事実に
ただただビックリ、、、ボーゼンとなった。
改めて、ネットの力
恐るべし、、、
己が発信するものが、どこに繋がっているか
想像すらできない時代なのだと、、、痛感。
そしてこの方が教えて下さらなければ知る由もなかった事。
まさか、この心に染み入る物語を
しかも自分の和訳したものを
どこかの企業が自己利益のために利用しようとしていたという事実に
「本当に?」と、ただビックリ。
そしてやはり、ショック。。。
私はお恥ずかしい話、この年になっても非常に世情に疎いところがあり
「人が人を利用する」という現実に
かなり鈍感なところが、ある。
相方にはいつも、
「君はそんなにナイーブで(英語の「ナイーブ」は決して良い意味ではありません)、
よく今まで危険な目にも遭わず、生き延びてこられたね」と言われるぐらいだ。
なので、今回「妻の祈り」に関しても
共鳴してくれた方々が、その感動を周りにいる人とシェアしようとするのは想像できても
よもや、これが利益のために利用されるだろうなどとは
思いもよらず。
それを指摘して下さったコンサルタントの方のお便りを読んで
さぞお忙しいだろうに
これだけ詳細に事情を綴る時間を私のために割いて下さった、その方の思いやりに感謝しつつ
はて、これはどう対応すべきだろうかと
気持ち定まらず、しばらく考える日々が続いた、、、
だが結論として
やはり「妻の祈り」を読んで、気持ちを共有して下さった多くの皆さんと
これはシェアしたほうがいいのではないかという思いに達し
大晦日の今日になって(やっと!)
ここに書かせていただいた。
皆さん、どう思われますか。
単調な毎日の中にこそある、小さな幸せを感じましょう。
試練も多い、長い長い結婚生活で
今の伴侶と出会った縁を、そしてその奇跡をかみしめ
相手に感謝する気持ちを忘れずに
大切だよ、ありがとう、という気持ちを
相手に伝えながら
あたたかく暮らしていきましょう
という、このストーリーが持つ
強いメッセージは
確かに「自己啓発」の類ではあるのだけれど
それが企業セミナーのセールストークに利用されるというのは
やはり、
ちょっと違うのでは、、、?
私はこの物語の作者ではないので、これを書いた人の本当に意図するところは完全に把握できないのだけれど
このお話の本質は、「利益」というものから
一番遠くかけ離れたところに存在するのでは?
純粋に
人の気持ちを動かし、語りかけ
各々が、ちょっと自分を振り返ってみようかなと思う、、、
そういう大きな力と、役目を持ったお話なのでは、、、?
数日考えた末、そういう結論に辿り着いた次第です。
とは言うものの、私はこうして遠くシアトルの片田舎にすむ一個人で、
日本の何処で、この物語がどういうふうに使われようが
それを知る術もありません。
なので、
私のブログを訪れて下さって
この「妻の祈り」に、同じように感動、共鳴して下さって
ただ純粋にこの物語を一人でも多くの人と共有したいと思って下さった皆さんが
万が一
このお話が間違ったふうに利用されている事例に出会った場合
問題提起していただけたら嬉しいなと、、、
そんな思いを込めて
今年最後のブログ記事を書かせていただきました。
でも、2012年を締めくくる記事が
これではちょっと悲しいので (苦笑
最近、あたたかい涙を流したドラマのお話をひとつ。
2012年の新春特別ドラマだったという作品を、2012年が終わろうとしている今になってやっと見る事ができた私です。
というのも
東京で、ドラマ製作のお仕事をしているお友達が
彼女の携わった作品のDVDコピーを、わざわざ日本から送ってきてくれたからなのです!
その作品の一つが、こちら
「花嫁の父」
聾唖者の娘をお嫁に出す、父親を
柳葉敏郎さんが熱演されていた。
日本では、今年(2012年)の1月に放映されたはず。
皆さんはご覧になっただろうか。
結婚式の日
父親役の柳葉さんが、手話で「愛している」と
娘に告げるこのシーン。。。
DVDを2回見て、
2回とも涙があふれてあふれて
止まらなかった。
そして、強く強く
心に刻まれた
花嫁の祖父役、橋爪功さんの、この名セリフ。
転んだら、素手で起き上がるな。
砂でもいいから引っ掴んで立ち上がれ。
それが宝に変わることがある。
生きることのむごさ
悲しみを
味わい尽くせ。
その上で、人生遊べ。
笑え。
そして、いずれめでたく
卒業だ。
2013年も、皆様にとってどうか
健やかで
幸せいっぱいの一年でありますように。
私も、小さな小さな一歩を積み重ねながら
少しずつでも
進化してゆける自分でありたいと願って
住む家と、食べる物と、健康な体と
心通わせる家族がいる人生に、感謝して
「ありがとう」という気持ちを忘れずに
2013年も、一日一日を大切に
積み重ねていきたいと思っております。
皆様どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。
シアトルより、感謝と愛をこめて、
レニア
最初から始めよう
2012年12月25日
先週の金曜日(日本では土曜日)
世界は滅びるとされていた。
でも
私も皆さんも、こうして無事にクリスマスを迎えることができた。
マヤ暦には、2012年12月21日までしかなかったため、
こうした「地球滅亡説」が飛び交ったわけだが
NASAの解説によると、2012年12月21日は
マヤカレンダーの「終わり」ではなく、また「初めに戻った」日なのだという。
「ちょうど車のオドメーターが一周すると、また最初からカウントするのと同じだということです」
マヤ暦によると、世界が創造されたのは
私たちの暦でいうところの、紀元前3114年、8月11日。
マヤ・カレンダー上では、 13. 0. 0. 0. 0
と表示されるのだとか。
そして何千年もの時が経って、再び 13. 0. 0. 0. 0
に戻るのが、なんと
2012年12月21日だった、というのだ。
("Why the World Didn't End Yesterday"より引用
http://www.youtube.com/watch?v=QY_Gc1bF8ds )
なんだか気の遠くなるようなスケールのお話だが、、、
要は「再生」を意味してるのでは?
我ながら、
新千年紀(2000年の始まり)や
マヤ・カレンダーが一巡を終える瞬間に、この世に居たなんて
随分と大きな「節目」の時代に
生を授かったものだなあ〜と自分で感心する。
こちらは今日がクリスマスイブだ。
からっぽだったツリーの下も、プレゼントで随分とにぎやかになった。
最近、バルコニーをジッと見入ることの多いうちのガキんちょども。
何故かというと、小さなお客さんたちが毎日のように訪れてくれるようになったから。
理由はこれ。
夫が数週間まえにバルコニーに吊るした鳥さんのエサ。
これめがけて、さまざまな野鳥が遊びに来てくれるようになった。
ここのところ連日、クリスマスショッピングだの、パーティだの、親戚の集まりだのと
出かける日が続いたが
今日は久しぶりに、ずっと家にいた。
にゃんこどもと、ボーッと野鳥達を眺めていた。
人は、毎晩眠るときに一度死んで
翌朝目が覚めるときにまた新たに生まれ変わっているのだと聞いたことがある。
難しい信仰や宗教など持たなくても、誰でも毎日「再生」しているのだと。
私にとって、こうして自宅にいて静かな時間を過ごせる日も
再生の機会である気がする。
今日ふと手に取って読んでみたのは、もう何度も何度も読んだ、こちら ↓
何度も読んだのに、改めて読む度に
まるで初めて読んだかのように、ハッとさせられる事がある。
今日、目にとまったのはこの一節。
1.私は私でいられる。
2.あなたはあなたでいられる。
3.私たちは私たちでいられる。
4.私は成長できる。
5.あなたは成長できる。
6.私たちは一緒に成長できる。
本質的には、いい恋愛や結婚とは、これにつきるのだ。
(『愛の倫理』by 飯田史彦)
父、母、兄弟、子供などの肉親とは異なり
生まれたあとの自分の意思で選べるのが、唯一「伴侶」という家族だ。
(私の場合は、息子もそう)
元は他人だ。
その他人と愛情ある家族関係を維持してゆくには
明確な意志、知恵、技術が必要だと痛感する。
絵を上手に描けるようになるには絵画のことを学ばなければならない。
ピアノを上手に弾けるようになるには、音楽という芸術を理解し練習を積まなければならない。
愛することも、とてつもない高度な技術を要するアートだと。。。
成熟した思考力と
努力を惜しまない強い決意を、要するアートだと
感じる。
(美術や音楽の授業のように、その「さわり」だけでも伝授してくれるクラスが
どうして学校にないのかなあ〜と思います)
でも、何となく行き詰まったら
また最初から始めよう。
私たちは毎日生まれ変わっているし、
少しずつでも進化している(と思っている)し、
マヤ文明の、数千年に及ぶ長期暦でさえ始まりに戻った
再生のチャンスはいつも目の前にある。
「もう止めた」と叫ばない限り、
道は続いていく。
世界は滅びるとされていた。
でも
私も皆さんも、こうして無事にクリスマスを迎えることができた。
マヤ暦には、2012年12月21日までしかなかったため、
こうした「地球滅亡説」が飛び交ったわけだが
NASAの解説によると、2012年12月21日は
マヤカレンダーの「終わり」ではなく、また「初めに戻った」日なのだという。
「ちょうど車のオドメーターが一周すると、また最初からカウントするのと同じだということです」
マヤ暦によると、世界が創造されたのは
私たちの暦でいうところの、紀元前3114年、8月11日。
マヤ・カレンダー上では、 13. 0. 0. 0. 0
と表示されるのだとか。
そして何千年もの時が経って、再び 13. 0. 0. 0. 0
に戻るのが、なんと
2012年12月21日だった、というのだ。
("Why the World Didn't End Yesterday"より引用
http://www.youtube.com/watch?v=QY_Gc1bF8ds )
なんだか気の遠くなるようなスケールのお話だが、、、
要は「再生」を意味してるのでは?
我ながら、
新千年紀(2000年の始まり)や
マヤ・カレンダーが一巡を終える瞬間に、この世に居たなんて
随分と大きな「節目」の時代に
生を授かったものだなあ〜と自分で感心する。
こちらは今日がクリスマスイブだ。
からっぽだったツリーの下も、プレゼントで随分とにぎやかになった。
最近、バルコニーをジッと見入ることの多いうちのガキんちょども。
何故かというと、小さなお客さんたちが毎日のように訪れてくれるようになったから。
理由はこれ。
夫が数週間まえにバルコニーに吊るした鳥さんのエサ。
これめがけて、さまざまな野鳥が遊びに来てくれるようになった。
ここのところ連日、クリスマスショッピングだの、パーティだの、親戚の集まりだのと
出かける日が続いたが
今日は久しぶりに、ずっと家にいた。
にゃんこどもと、ボーッと野鳥達を眺めていた。
人は、毎晩眠るときに一度死んで
翌朝目が覚めるときにまた新たに生まれ変わっているのだと聞いたことがある。
難しい信仰や宗教など持たなくても、誰でも毎日「再生」しているのだと。
私にとって、こうして自宅にいて静かな時間を過ごせる日も
再生の機会である気がする。
今日ふと手に取って読んでみたのは、もう何度も何度も読んだ、こちら ↓
何度も読んだのに、改めて読む度に
まるで初めて読んだかのように、ハッとさせられる事がある。
今日、目にとまったのはこの一節。
1.私は私でいられる。
2.あなたはあなたでいられる。
3.私たちは私たちでいられる。
4.私は成長できる。
5.あなたは成長できる。
6.私たちは一緒に成長できる。
本質的には、いい恋愛や結婚とは、これにつきるのだ。
(『愛の倫理』by 飯田史彦)
父、母、兄弟、子供などの肉親とは異なり
生まれたあとの自分の意思で選べるのが、唯一「伴侶」という家族だ。
(私の場合は、息子もそう)
元は他人だ。
その他人と愛情ある家族関係を維持してゆくには
明確な意志、知恵、技術が必要だと痛感する。
絵を上手に描けるようになるには絵画のことを学ばなければならない。
ピアノを上手に弾けるようになるには、音楽という芸術を理解し練習を積まなければならない。
愛することも、とてつもない高度な技術を要するアートだと。。。
成熟した思考力と
努力を惜しまない強い決意を、要するアートだと
感じる。
(美術や音楽の授業のように、その「さわり」だけでも伝授してくれるクラスが
どうして学校にないのかなあ〜と思います)
でも、何となく行き詰まったら
また最初から始めよう。
私たちは毎日生まれ変わっているし、
少しずつでも進化している(と思っている)し、
マヤ文明の、数千年に及ぶ長期暦でさえ始まりに戻った
再生のチャンスはいつも目の前にある。
「もう止めた」と叫ばない限り、
道は続いていく。