「花鳥諷詠」2006
「花鳥諷詠」2006(初出「鬼」18号 2006年11月。一部改編がある)
一、花鳥諷詠の過去・現在
近年、没後五十年に向かって高浜虚子は称揚される傾向にあると言っても良いだろう。その実例を二つあげると、まず、岩波文庫。基本図書と言っていい子規の『俳諧大要』がちっとも再版されないのに、虚子のものは増えている。これからも増えるのかもしれない。そして、最も新しい俳句の事典である『現代俳句大事典』(三省堂二〇〇五年十一月)の「花鳥諷詠」の項の執筆担当は稲畑汀子である。後代に残るものとして、同時代における客観性が要求されるはずのこの種のものに、組織の当事者しかもその領袖が書いているなんてそれだけでちょっとびっくりなくらいえこひいき。しかし、それによって逆説的にいま/ここにおける「ホトトギス」の「花鳥諷詠」観など読むことができる。これはいわば稲畑版のマニフェストとすらいってもよいのではないか。事典の理想の一極からみると完全に失格だが、当たり障りのない事実の羅列よりよっぽど面白い。おそらくそれは、後代から見ても同様であろう。その内容は一応しっかりしたもので、なかでも虚子の「花鳥諷詠」における自然のなかに含まれる人事の面を強調し、日本の伝統的な思想や詩歌の伝統はこうだ、と強調するところはさすがである。しかし、問題がないわけではない。例えば、以下の部分。
彼等(文中「アンチ花鳥諷詠論者」のこと・・・引用者)は自ら意識しているといないとにかかわらず、明治以後日本に入ってきた二項対立的な西洋形而上学に捕われているため自然と人間を対立的に考えて、人間もまた自然の一部であるという考え方が理解できないのではなかろうか。
「できない」と現在形で書かれているから、二十一世紀の俳人に向かって書かれたものであることは明瞭だ。いまどき無意識に二項対立にとらわれるなんて本気で書いてるならかなり噴飯ものだし、嫌味で書いているなら「アンチ花鳥諷詠論者」にあたる人は相当なめられている。本気で怒らねばならないだろう。そもそもアンチか否かって書き方の設定自体、しっかり「二項対立的」でいい気はしない。いい気がしないといえばこれはまるで踏み絵のようでもある。私などアンチ花鳥諷詠でも親花鳥諷詠でもないものはどうせよというのだろうか。それにしても、この書き方には、虚子の同時代からの視点が欠けている。
「花鳥諷詠真骨頂漢」と虚子から言われた川端茅舎は、「花鳥諷詠」について、以下のようなことを言っていた。
俳句は花鳥を諷詠する以外の目的をば一切排撃することによつて、種々の雑多な目的を持つた他の芸術と毅然と対してゐる。又僕は斯様な啓蒙めく言葉を繰返して置きたい。/然し、時代の問題へ驀地(まっしぐら)に突進する事が勿論勇気を要する如く、花鳥を諷詠する以外の目的を一切排撃する事も亦聊か勇猛な精進を要求する。それゆゑ何か意味ありげな目的の偶像を破壊し得ぬ人達は花鳥諷詠の律法に得堪へず頻々この陣営から遁走した。僕は虚子先生の平明な花鳥諷詠の説話の底に常々斯様な峻厳さを発見する。さうして花鳥諷詠の存在の意義を確かにする。(「花鳥巡礼」第二回 「ホトトギス」昭和九年一月)
この文脈において、「種々の雑多な目的を持つた他の芸術」と異なるというのであれば「花鳥を諷詠」するという言い様から人事を含むことを読み取るのはちょっと難しいと言わねばなるまい。しかも、それ以外は目的を「一切排撃する」とまでいうのである。また、この文中における「何か意味ありげな目的の偶像」が何をさすかも明らかであろう。それは俳句にかぎらず、当時隆盛の新興芸術やプロレタリア芸術と一線をひくこと、すなわち同時代に距離を置くことも「勇猛な精進」だと言うことである。ある意味で、それは賢明な選択であったろう。
また、やや時代はくだるが、この茅舎の句について、上村占魚は富沢赤黄男の句と比較し、以下のように述べている。
ここで、一寸思いついたのでいつておくが、前に引いた『華厳』のなかの一句に
ひらゝゝと月光降りぬ貝割菜
があつた。後年、この句に似た、
月光の針がふるただ針がふる 富沢赤黄男
がある。「針がふる」は一見、鋭い感覚のやうにおもへるが、実はわかりきつた生の感情であり、感覚が観念化されてゐて、直接に自然から感得したものではない。智的働きに傾いた句であつて、茅舎の句とは似ても非なるものであると同時に、「花鳥諷詠」句ではない。もとより赤黄男氏は花鳥諷詠の同志ではない。だから、かかる表現即ち「針がふる」といつたやうな手法がとられるのだろうが、浮き足だつた言葉の軽さがある。「花鳥諷詠」を根底に貫く写生は、ものの髄に肉迫しやまぬものである。(中略)「花鳥諷詠」精神を離れた俳句の表現のおほかたは、頭の中のこねくり細工になつてゐる。(中略)彼らはわかりにくいものに深味があり、わかりにくいがために生ずる抵抗を何らかの価値でもあるかのごとくに誤解してゐる向が少なくない。 (「「花鳥諷詠」私見」 「俳句」昭和四十九年九月)
これを端的に言えば「ものの髄」vs「頭の中のこねくり細工」という把握。たしかに、あげられている茅舎の句「ひらゝゝと月光降りぬ貝割菜」は事実を描写しているだけのように見えるけど、ひらひらとふる月光って把握の仕方ならば「花鳥諷詠」的なのだろうか。占魚は降るのが「月光」か「月光の針」であるかの差を問題にしている。が、そもそもここで『華厳』から例示したのは、果たして正しかったのか。虚子が「花鳥諷詠真骨頂漢」と述べたことで、茅舎句はこのような例出に使われることになっているが、実際はそんな典型的なものではないと思う。例えば、『華厳』において見いだせる茅舎の句。
枯木立月光棒のごときかな
この句は先に引いた茅舎の文より一年後の昭和十年の作である。つまり、充分に虚子の花鳥諷詠を意識しているはずのころである。この句で寒林にふる月光を「棒のごとき」と把握しているが、先の赤黄男の句のように月光の把握を「針」とするのと、この茅舎の句のように「棒」としたその感性の間に、花鳥諷詠とアンチ花鳥諷詠という二項対立の図式をつくるほど大差があるとは思えない。棒はよくて針は「簡単なる句」を逸脱しているというのだろうか。筆者には赤黄男の句のリフレインの間にはいる「ただ」のほうがよほどひっかかる。
なお、このような比況の助動詞をもちいた句は、虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」(昭和二十五年)が良く知られているが、『華厳』における茅舎の句にも、このいわゆる「如し俳句」が見られる。
芭蕉葉や破船のごとく草の中
老杉の髪のごとくに良夜かな
瀧行者蓑のごとくに打ち震ひ
この句集は良く知られているとおり虚子の選になるものである。先に引いたが有名な「花鳥諷詠真骨頂漢」との茅舎評が「序」に書かれてもいる。しかし、このように「棒」「破船」「髪」「蓑」という人間のつくった道具あるいは人間の一部に喩えられる「月光」「芭蕉葉」「老杉」「瀧行者」という「自然界の現象、並にそれに伴ふ人事界の現象」は、「花鳥諷詠」として虚子が講演で語った内容の質に釣り合うのだろうか。少なくとも、筆者には違和感がある。この当時の虚子=「ホトトギス」の俳句の表現の自由度は、汀子や占魚の考えているようなものではなく、一線を引いたはずの時代を反映して案外に多様だったのではないのか。飯田龍太は、
「花鳥諷詠真骨頂漢」は、ある意味で、茅舎に対して虚子がブレーキをかけたんじゃないかと思うね。(中略)茅舎自体は、「花鳥諷詠真骨頂漢」という、非常にきつい序文を一つの鞭として甘受したんじゃないかと思う。だから次の句集の『白痴』になると、抽象的、観念的になるね。(対談集『俳句の現在』〈平成元年 富士見書房〉より発言を抜粋)
と述べている。論と実作、師と弟子、作家対作家という視点にたって考えるとき、「花鳥諷詠」と呼ばれるもののできあがってきた経緯とその内容の理解はそう簡単ではない。現代の視点から溯って歴史の教科書の如く一本の軸線上において説明するのは、わかりやすいがしかし、やはり安易と言わねばならないだろう。
二、花鳥諷詠の未来
前章で引いた『現代俳句大事典』「花鳥諷詠」の項の執筆者は、繰り返すが稲畑汀子である。その終わりの部分はこうだ。
自然破壊、環境破壊が進む現在、人間も草木もとに宇宙の命を分け合っているという虚子の生命観は西洋的な世界観に大きなインパクトを与えるであろう。
結局この項もまた対西洋という二項対立的世界観で書かれていることがわかるけれども、この部分を取り上げたのは、虚子の「花鳥諷詠」が、現代において「西洋的な世界観」のもたらした「自然破壊、環境破壊」と対立する思想としてなにか機能してくれそうなニュアンスをもって「インパクトを与える」などと書かれていることが批判されねばならないからである。自然破壊なんて太古からやってきたことではあるが、近代に入ってからは一旦戦争なぞしてしまえば、ものすごい暴力的な自然破壊がおこる。しかし、虚子の「花鳥諷詠」は、戦争が起きようが(つまり結果として自然が破壊されようが)、それに影響されず自然を諷詠するものであると本人が言ったはずだ。虚子以後のことを鑑みても、高度成長期以降の自然破壊も同様であったはずだが、そこで「花鳥諷詠」が何か機能したとでもいうのであろうか。
私は近代の人間の脳の肥大化、人間の傲慢に対して、人間を小さく花鳥を大きくというのは、強烈な近代批判であるし、現代の先端に立つ思想だと考えることも出来るんじゃないかと思います。(川崎展宏「南風」70周年記念大会記念講演「高濱虚子―今、思うこと―」二〇〇三年十月五日 於 新阪急ホテル花の間)
かつて、虚子は社会問題にコミットする言動は微妙に避けていた。「ホトトギス」は、それによってここまでの繁栄を得た部分があろう。そして、虚子を擁護するものによって、何も言わない点は補完されてきた。川崎氏は有力な虚子擁護の論客である。汀子の言説がこの川崎展宏の述べる方向性と同じことはあきらかで、もしかしたら、稿を起こすにあたってこのような意見に力を得たのかもしれない。だが、この話はあくまで頭の中での話だ。現実はどの方向を向いているのであろうか。実際の俳句の世界は右を向いても左を向いても自然破壊や環境破壊などないかの如き世界ではないのか。厳しく言えばこれらの物言いは欺瞞である。人間を小さくとらえ、自然を大きくとらえることで、自然に甘え、自然を壊すことへの罪の意識が無化されてきたことへの反省が皆無ではないか。
さらに、この生命観が虚子のオリジナルであるかの如き書き方になっていることもまた同様に不適切である。これは恣意的なものと思うが、日本の思想の伝統というなら、虚子の発明ではないことははじめからわかっているはずである。筆者は以前以下のように書いた。
自然を詠む、というときの自然を見、見るだけでなく自然との一体化まで標榜し、愛でる「感性」は、どうにもならないほど自然を傷めてしまうことへの抑止へとどうしてつながらないのか。恐ろしいのは、先の本ごとく、「ダムの「感動」」を標榜したかもしれない「感性」が、今現在、俳句をつくり、自然を深く愛しているとのたまったり、自然と人生を重ねしみじみしちゃったりできてしまうことや、自分らでさんざん自然を打ち壊した昭和前期を、内省なんかすっ飛ばして、心象として懐かしむような「感性」を持っているかもしれないことである。そこにはそこはかとない風情やら悲しみは漂っても、反省や批判は薄い。それは、自己の持つ興味の外へ関心が向かないという批判を受ける意味での若い「オタク」達となんらかわりはない。ただ年をとっていて数が多いだけだ。そこに美学はあるのか。
この六十年の間、外部に対しては、自らの選択によって環境を継続的、且つ、劇的に変化させてきた。それによって俳句は影響を受けない、なんて虚子みたいなことはいってほしくないものだ。俳句を作る人の感性は変化した部分があるはずである。人は自然や社会が変化したときそれにあわせて自己の感覚を変化させてもきたはずだ。しかも、柄谷行人のいう「起源」ではないが、変化する前の感覚はなかったことのように忘れ去られる。そう思うと自分自身の今の「感性」すらも信用ならない。(「俳句の美学」『豈』42号 2006年3月)
俳句を論じるときに、自然とかかわっての伝統というのなら、正負の遺産をともに引き受ける覚悟が必要だろう。安易に浮世の外へ抜けてしまえる感覚・感性がもたらしてきたものを、一旦きちんと受けとめてもの言うべきであると考える。ただ時々の状況下の正の部分だけ取り出そうというのは欺瞞と言わざるをえない。虚子の言う意味の「花鳥諷詠」は反近代というほどの文学的、政治的機能など、持ちはしない。茅舎も述べていたように、それを抜け切ったところに真の意義を見いだすものだからである。もし、稲畑氏がそこに首をつっこむというのなら、「ホトトギス」の未来は一大転機を迎えることになるであろう。
三、終わりに
お題目は効能があるから唱えるものだ。例えば漱石の「則天去私」はその一つであろう。それは晩年の彼の人生観をあらわすものであったかもしれない。が、それのみで漱石の作品を説明しようとすることはあまり意味のあることではない。それに縛られることによって読み落とすものがでてくることになるからである。彼の人生観と書かれた作品は必ずしもイコールではない。
一方、虚子の「花鳥諷詠」は、虚子の人生観、人間観、俳句観を強く反映し、しかも、ほとんどそれらはイコールといっても差し支えない扱いを受けているように見える。しかし、それは言いだした当初から虚子の本音だっただろうか。私見だが、虚子の句業を「花鳥諷詠」で説明することは、実はあまり有意義なこととは思わない。彼の句はもっと自由なものだ。「ホトトギス」経営者、近代俳句の領袖としての彼の俳句観と俳句と、作家虚子の俳句観と俳句の間に深く横たわる糸のもつれをほぐしていく作業が求められている。上田五千石は、かつて以下のように述べている。
ジャンルの規定を一個の作家の名で定め得るという不思議がいまも消しきれないのだから、これはもう虚子の魔といっていい。しかし、俳句の大衆の変質まで虚子は予想していなかったであろう。虚子の死後四半世紀、じりじりと虚子の魔を解く時が熟成しているのではないか。(中略)私はまだ「俳句」という定型短詩は、付句三十五句の内包していた要素、条件といったものを「発句」が吸収、包摂していく時間を積みつつあると見ていいように思う。このジャンルの規定は「花鳥諷詠」では済まない筈だ。何故なら、詩の進化論の行方は誰も予想し得ないからである。とまれ「月並」であっても「俳句」を泡沫化はさせないだけの洞察力を俳壇はこの百年で培っているからだ。(「偉大なる実験者―『虚子俳話録』を読む」「俳句」昭六十年十月)
この五千石の予言に反し、現実はむしろ虚子が中心で、しかも実体のないうつろな力の中心となる方向へ動いているように思える。「虚子の魔」はまだまだ解かれてはいないのだ。
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