鳩
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神野紗希さんのブログにあったyahooの伊予弁検定。
気になるので受験してみた。
10問中8問で合格。
聞いたことのない2問を間違った。地元なのに。
う~ん、たまに母親と話していて意味わからん言葉があるしなあ。
まだまだあるに違いない。検定のもだけど、
めんどしい
おせらしい
てんこ
すいで
きじねこ
ぐじろ
ほご
なんて県外のひとにはわかるまい。
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イギリスに行ってきました。これから折に触れ記事をあげていきます。
日本に渡来したカレーの起源については、諸説あるようですが、一説には幕末にイギリスの船乗りが持ちこんだものが最も早いのだとか。記録では正岡子規も一度病床でカレーを食べています。その日本のカレーに不満だとかで、本場インドのカレーを新宿中村屋に伝えたインドの革命家がいましたね。
で、そのインド直伝ではない日本のカレーの先祖にあたるものは、イギリスのパブで食えるらしい、と何かで聞いていた私。イギリス在住経験のあるうちの相方は見たこともないというその謎のパブカレーを探して食べてきました。
10軒以上のパブでメニューを探してみて、見つけたのは3軒のみでした。比較的田舎のパブの方が置いている感じです。但し、お値段は7.5~9.5ポンド(今回のレートでは1300~1600円くらい。一年前ならその倍近く)と、なかなか強気なお値段でした。これにビールワンパイント飲めばほぼ漱石がロンドンに滞在したころの諸費用一ヶ月分に相当する額です。
はじめに見付けたのは、湖水地方のパブでした。チキンカレーライス(8.5ポンド)を頼むと、名にしおうパブのカレーがやってきました。
なかなかうまそう、と思いよく見ると、汁がたっぷり。
これほぼ水。なんか、カレー茶漬けみたいなことになっています。
もともとの味つけはそんなに悪くないのです。日本の市販の中辛カレーよりちょっとフルーティーで甘いくらい。この汁謎。全くいらないんじゃないかな。うちの相方曰く、イギリス人は基本辛いものは食えなかったから、薄めたんじゃないか、とか。わざわざまずくして食ってるとしか思えないのだけれど。
その後見付けた2軒では頼んではいないので、この汁カレーがこの店オリジナルなのか、共通レシピなのかは確かめていません。興味のある方は、是非御探究を。
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本年も宜しくお願いいたします。
昨年はできたことも、できなかったことも多々ありの一年。今年はそのできなかったことを少しずつでもやっていければと思っている。ブログで書いたことで言うなら、川柳について考えてみようと思っていたのに果たせなかった。やらにゃいかんことは山積だが、なんとかこれにも取りかかってみたい。
この年末年始は冬の森の中にいた。といってもロッジ泊まりだし、天候も雪が降り続いたものの、ほとんど荒れなかった。今年は本厄なので、宿の近くの神社で厄払いを初体験。見たことがあったのは鎌倉の有名神社のオートメーションのように太鼓が鳴って次々と人が入れ替わるやつだったので、十分もすれば終わるようなものかと思いきや、待ち時間含め四十分近くかけて丁寧に御祓いしてくれた。しかし、神前ということで上着を脱がねばならず、本殿はストーブは点いていたものの、背後から時折お賽銭が転がってくる吹きっさらしの氷点下。この時間はしんどかった。考えてみればここはお神籤一つ引くのも一々生年をきいて神様にお伺いたててから渡してくれるところだったのだ。その分、験があるということにしよう。冬の森は本当に閑かで良い。たっぷりと歩きまわって帰った。
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今週の週刊俳句に記事
近代俳句の周縁 2 80年前の俳壇総覧
昭和四年刊改造社『現代日本文学全集38現代短歌集・現代俳句集』
を書いています。良かったらご一読を。
さて、実家へ帰省を兼ねて四国内を少し旅行。
金比羅さんと内子と松山へ行ってきました。
まずは金比羅さんにお参り。
金比羅さんは二度目だが、子どもの頃依頼数十年ぶり。
以前は駕籠にのってあがったらしいが記憶にはない。
本宮まで785段の階段は思ったほどきつくなかったものの、
みんな暑さでヘロヘロ。
本宮より手前の旭社の建物が立派でおどろいた。
軒の内側の波形の彫り物がすばらしい。
本殿から渡り廊下が横へ伸びた先にある絵馬殿は海の神様だけあって絵馬よりも額装の船の写真が多いのだが、ご本人の強い希望で、とわざわざ断り書きの上、堀江謙一さんのモルツマーメイド号の実物が奉納されていたのはちょっと変な印象。本当は神社側は迷惑だったのかも。などと邪推。
はじめは気付かなかったが参道の脇に一茶の句碑があった。
高橋由一館では
大岡信所蔵の美術品展をやっていた。
お友達からの贈り物が多数。
大岡の芸術環境は面白い。
共同制作のオブジェなど見ていると、
悪い意味ではなくものすごい変人の寄り合い、という感じ。
たぶんかつての前衛芸術はなにか一分野のみ突出するということはなくて、
いろんなところで連関していたのだろうな、と見ているだけで感じられた。
内子はかつて和蝋燭で栄え、大江健三郎の故郷であることと
古い町並みが残っていることで観光地化している。
あちらでは一般に8月7日が七夕なので、
ちょうど七夕祭りをやっていた。
最後に松山の今年出来た「坂の上の雲ミュージアム」へ。
市街のけっこう良い場所にある。よく土地があったものだ、と驚いた。 能書きを見なくとも入ればすぐ司馬遼太郎記念館と設計者が同じであることがわかる作り。司馬遼太郎の作品そのものとはあまり関係ないと思われる街作りメッセージを大きくスペースとって見せたり、順路は案内の人が立ってないとわかりにくい(お得意のスロープであがる構造は微妙)。展示物はいまのところ(「社会科のお勉強」+「昔懐かしい系」)÷2で、ちょっと不満である。まだ出来てまもないということでしょうがないかもしれないが、こういうものに特有の意外性やマニアックさが稀薄なのだ。いったい何を見せたい「ミュージアム」なのだろう?唯一細かかったのは日本海海戦時の時系列にそった戦線の展開図くらいか。
今回は立ち寄れなかったが、すぐ近くに晩翠荘(旧久松家別邸→明治のお殿様の洋風屋敷)がある他、愚陀仏庵(漱石の下宿。子規が同居)が移築してあり、とくに後者は林の中で真夏でも涼感があって良いところ。
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